第29話 だらだらうだうた

 家のインターホンが鳴ってこれほど胸が飛び跳ねおののいたことはない。おどろおどろしながらドアの前で右往左往していると、インターホンがまた鳴った。仕方なくそっとドアを開けると、笑顔のさつきと笑顔の塩田が待っていた。塩田が靴を脱いで部屋に入ってくる光景は、さながら異物が食品に混入するようだった。

 嫌悪感だと信じている感覚が私を包む。唯一の救いは両親が二人とも仕事にいっていたことくらいだ。塩田を見た瞬間、特に妙にロマンチストな部分があるお母さんなんかは大興奮して余計な手助けを、恋のキューピット気取りで実行するに違いない。

 二階にある自分の部屋に先導する時にも、家の中とは思えない程の荒々しい不安な思考が脳内を駆け巡った。

 部屋ちゃんと綺麗にできてたかな。ヤバい、何か片づけ忘れてたらどうしよう。下着とか、小学校の時の作文とか。考えるな。全部ちゃんとしまったでしょう。自信を持ちなさい。は? 自信を持つって何。

 そうこうしているうちに部屋の前まできてしまい、私の躊躇いは絶頂に達した。ドアノブに手をかける気にならない。だが、そんな私の葛藤を一切感じ取らないさつきがごく平然とドアを開けた。

「へー、綺麗にしているね」

 と部屋を見渡す塩田。

「へー、綺麗にしたんだね」

 さつきは私の耳元で小声で囁いた。むっとした私はさつきの頬をつねる。

「何であんたが止めないのよ。部屋に呼ぶ間柄じゃないじゃない。それにまがいなりにもあいつは彼女持ちよ。恋人が異性の家にいったなんて話聞いたら誰だって不快感を抱くわよ」

「私だってそう言ったわ。私たちはあんたを嫌っているからこないでくれって」

「それは言い過ぎだわ!」

「なにコソコソ喋ってるの?」

 気がつけば塩田が私たちの目と鼻の先にいた。

「い、いや、だからその、彼女持ちが異性の家に入り込むのはどうかと思って」

「あぁ、俺のこと心配してくれてるんだね」

 違う! と私は心の中で叫んだ。自分の心配だ。

「大丈夫大丈夫、彼女にも二人のことは伝えてるし、お見舞いしてくるって言ったら納得してくれたよ」

「家に入るとまでは彼女さんも思ってないでしょうけどね」

 さつきが伏し目で呟いた。

「ま、元気そうでよかったよ」

 塩田が手を叩いて話を変えた。

「そうね、最近あんた様子がおかしかったし、疲れてるみたいだったから心配してたのよ。そりゃ徹夜でゲームなんかやったせいで疲れたのもあると思うけど……」

 さつきは伺うように私の顔を横目で見た。しかし私は表情を変えず、さつきは元気よく言葉を紡いだ。

「ま、たまにはずる休みもいいんじゃない? それじゃ、祝いのケーキを開けましょうかねぇ」

 舌なめずりをしながらさつきが早速買ってきたケーキの蓋を開け、塩田が紙皿とフォークを用意周到に準備する。箱の中には丸いケーキが六つ入っていた。

「味はランダムだけど六つ入ってお値段千円。これは安いなぁ」

「こら塩田、値段のこと言うなって! そもそもあんた甘いもの食べないんじゃないの? 体に悪いとかいって」

「え、言ってたっけそんなこと。俺モンブランにするわ」

「あっ、ちょっ、勝手に決めないでよ。主役の真央が最初に選ぶ権利を持ってるのよ。モンブラン、チーズケーキ、チョコレートケーキが二つ、それにショートケーキと、何だこれ、よくわかんないケーキが一つ。ねぇ真央どれがいい……?」

 答えを聞こうと顔を上げたさつきは、私が涙を流していることに気がついた。

 私が無言でチーズケーキを指さすと、さつきはいつになく優しい表情と動作で皿にケーキを乗っけてくれた。 

 塩田はモンブランに既にフォークを差し込んでいた。私も口を小さく開けてケーキを頬張る。

 学校の友達なんていうものは、結局自分と同じだけしか生きていない人間なわけで、知識は浅く、視野は狭い。生きている年数だけで考えれば、親や教師の方がよっぽど良識ある知恵を施してくれるはずなのだ。しかしながら、とある瞬間、例えばずる休みした友達の家に押し入ってケーキを一緒に食べたりする時。その瞬間だけは、広大で深い信頼が未熟な友に対して生じる。

 より簡単で正しい解決策はいくらでも転がっていたが、それを知ってなおその選択をしなかったのには理由がある。さつきと塩田が歴史の一ページに残るわけがないケーキの会話をしていた時、私はそれを確信した。

 それぞれ二個ずつケーキを仲良く食べ終わる頃には、(チョコレートケーキを食べるか何味か不明のケーキを食べるかでさつきと塩田が揉めはしたが)私は死んだおじいちゃんと夢のような世界で会ったことや、おじいちゃんの言う死後の世界のこと、そしてここ一週間近く暴走していた理由を洗いざらい話すことができていた。

 私が何よりほっとしたのは、二人が真面目でもなく、ふざけるわけでもなく、自然体で聞いてくれたことだった。神妙な面持ちで頭を捻るような話ではないし、大笑いして馬鹿にされるのも腹が立つ。ナポレオンという単語が出て塩田が興奮し、メッサリーナという単語が出てさつきも大喜びをした。嘘っぽい話だなと相槌を打ちながらも、話自体を否定することなく聞いてくれるその姿は、私が一番欲していた態度だったのだ。

 そして、何度が言葉を詰まらせながらも、おじいちゃんに辛辣な言葉を言ってしまったことも嘘偽りなく白状することができた。

 別に二人からどんな答えが返ってくるかを期待していたわけではない。話せたことそれ自体で満足している節があった。頭の周りに憑りついていた熱が晴れ、足の親指にまで体重が戻ってきた。しかし、喋り終えた私が残ったケーキを口に放り込んでいる間、塩田とさつきはキョトンとした顔でその様子を見つめていた。

「何よ、話は終わりよ」

「終わり?」

 目を丸くして聞き返すさつきに、逆に私が驚いた。

「そう、終わり。それ以来おじいちゃんとは会ってない。おじいちゃんには酷い言葉を言ってしまったと反省しているけど、会いたいとはまだ思えない。私の心と体がついてこないのは事実なの。だからどうしようもなくて。おじいちゃんのために動くべきなんだろうけど、そこまでする気力が湧かないことに対する罪悪感って言うのかな?」

 自分を蔑んで苦笑するも、まだ二人は目を真ん丸にして私のことを凝視してくる。それにはさすがに憤慨せざるを得ない。

「何よ、終わりだってば。的確なアドバイスなんていらないからせめて笑うなり泣くなり反応……」

 我に返った塩田が咄嗟に私の語りを遮った。

「違う違う違う、巻髪!」

「な、何?」

「どうしようもないとか罪悪感とかの前に、巻髪は一番大事なことをやっていないじゃないか」

 私は動揺した。さつきも塩田の言葉に同調する。

「そうよ。何でそれを忘れるのかがわからないわ! 普通自然にやるじゃない。やらなきゃいれらないじゃない!」

「え……」

「だよね。気になったり興味があったりしたらすぐやるよね」

「やるやる!」

 塩田とさつきが私抜きで騒ぎ出した。

「俺サッカーの試合の前とかも絶対やるし」

「初めてのお店にいく時も、初めましての人に会う時も、初めての映画をみる時だって私はやるわ。いや、別に初めてに限った話じゃない。何度やってもいいことよ。逆に、やればやる程……」

「ちょっと!」

 私は二人の間に割って入り、困惑した表情で交互に友達を見つめた。

「ちょっと待って。どういうことか教えてよ。私には、何が足りていないの?」

 二人は私越しに笑い合った。

「それはね……」

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