第42話 歴史に則り、歴史を壊す
車から降りるや否や近藤はナポレオン三世に暴言を吐いた。
「やっぱりそうだ。やっぱりお前の頭は狂っていると思ったぜ。さすが小ナポレオンだな、ナポレオンの足元にすら近寄ることができん!」
「な、なんだと!」
ケルベロスなんか信じないとずっと言い続けていた近藤だが、いざそいつが目の前に現れると、不思議なことに軍の中で一番冷静だった。
「なんでケルベロスなんかにてこずっているんだお前は!」
「めっちゃ強いんだぞあいつ」
「馬鹿野郎! ケルベロスの御し方を知らんのか、頭の中すっからかんかよ」
「ええい、私を侮辱するのか貴様!」
「その通りだよくわかったな!」
つかみ合いになった二人をアナウンサー斎藤が命懸けで引き離した。
「仲間で争ってどうするんです。近藤さん、ケルベロスを攻略する方法を思いついたんですが」
「思いつくも何も、昔からあるじゃないか」
「あっ」
倒すことだけを考えて視界が狭まっていた人々は目を覚ました。攻撃中止をトゥサンが命じ、最前線で戦っていた人々が何事かと頭上にクエスチョンマークを浮かべながら戻ってきた。ケルベロスは相手を退却させたことに大喜びしている。
「音楽でいくかそれとも……」
「いや」
私がトゥサンの言葉を遮る。
「この中に、料理人は?」
数人が手を上げた。
彼らは私の予想通り、外ならぬ私自身が「飲めるたい焼き」を交換条件にして、兵士になってもらった料理人たちであった。
「戦時中に料理人なんかを呼んで一体何をするんです?」
アナウンサー斎藤は私に尋ねた。私が答える前に近藤が嘲笑いながら言う。
「料理に決まってるだろ!」
「ケルベロスは甘いものが大好物。たくさん作って食べてもらう。甘いものを腹いっぱい食べたら誰だって眠くなる」
料理人たちは一斉にマイ包丁を創造した。戦争に自分の包丁を使わないというところが徹底しているというか、さすが料理人というべきか。
ナポレオン三世は顔をしかめながら何かを言おうとしたが、料理人たちの喧騒に妨げられた。
料理人たちは決して知名度抜群の料理人というわけではないので、自分の包丁を創り出すことが精一杯だった。必要なものは他にもたくさんある。それらを創り出すのは知名度のある奴らだ。
何とも奇妙な光景が繰り広げられた。
まずは料理をする場所、机がいる。そう料理人たちに言われた私はリビングにあった愛用の机を創り出し、ナポレオン三世はとりあえず思いついた装飾だらけのまばゆい机を創り出した。使いにくいからという理由で三世の机はすぐに捨てられ、代わりにトゥサンが創り出した素朴な机が採用された。
そのような感じで、料理人たちの要望は加速する。
「チョコレートを下さい」
「ボウルが足りません」
「電子レンジあります?」
「何だそれ」
「三世は黙ってろ、五郎が創るから」
「まな板下さい」
「生クリームとかあります?」
「安いやつしか創れないけど……」
「いいですいいです、高級なものでしか美味しいものが創れない料理人は料理人ではありません」
「すまん、高級なものしか出せない」
「黙ってろナポレオン三世!」
現世では決してなかっただろう。ナポレオン三世ともあろう者が名もなき料理人に指示されてあれこれと準備をすることなど。ナポレオン三世だけではない。生前あらゆる業界で富を築き、知名度上げてきた人々が裏方に徹している。
それにしても料理人というのは我が強い人種のようで、誰一人として協力して作らない。それぞれがそれぞれ自分の作りたいものを作ろうとするせいで、私たちは本来より一層東奔西走する羽目になっていた。そのことに文句を言っても聞く耳を持たず、次はあれを準備しろと淡々と言われるだけだ。ともあれ一流の料理人であることは疑いようもないわけで、私たちが走り回って疲れれば疲れただけ美しく美味しそうなお菓子が、それも短時間で完成されていった。世界各国の料理人たちによる、それぞれの特色を存分に発揮したお菓子たちだ。私たちに馴染み深いようかんを作っている日本人や、一回だけ食べたことがある巨大プディングを作っている英国人がいる他に、私が見たこともない飴のようなお菓子や荒々しい円盤型のケーキを作っている外国人の料理人もいた。
ケルベロス専用に作られたお菓子はどれも巨大で皿に乗らない。仕方なくナポレオン三世が創り出したいらない机に直でお菓子たちを乗っけて、ゆっくりとケルベロス御一行の前に持っていった。
最初は机を持ってきた人間を食べる気満々だったケルベロスだが、机の上に乗った甘い香り漂う物体に気がつくとそれに夢中になり、美味しくもない骨と皮だけの人間などは歯牙にもかけなくなった。お菓子が傍に置かれるとすぐに三つの頭は喧嘩しながらお菓子をガツガツと食べ合い、全体の半分も食べ終わらない内に瞼が開いたり閉じたりを始めて、間もなく三頭はスヤスヤと眠ってしまった。
低い歓声を上げる一同。
「私の料理食べてくれなかった!」
今にもケルベロスを叩き起こして自分の料理を食べさそうとしかねない料理人たちを制し、いよいよ宮殿の中へ。
後はここにいるナポレオンを倒してしまえばゲームセットだ。
意外なことに、宮殿は静まり返っており、ナポレオン三世御一行は易々と中に入り込むことができた。
ナポレオンの宮殿というから、てっきり自分の栄光時代であったフランスを再現しているかと思いきや、意外にもそこは国と時代が混ざり合った雑多な場所だった。
眼前にそびえる建物はパルテノン神殿とエンパイアステートビルを合体させてその上に洛陽とケルン大聖堂をねじ込んだような見た目だったし、横に並ぶ柱一本一本が、ドーリア、コリント、バロック、ロココと様式がまるで違った。よく目を凝らすと東方には自由の女神像が立っているのがわかる。
この場所を知っているナポレオン三世やその取り巻きたちは時空が歪んだような景色を恨みがましい目つきで睨み、一方ここに始めてきてとりわけナポレオンに恨みがない者たちは、水族館の展示を見ているかのように口を半開きにしてその光景に見惚れていた。
「おめでとう、諸君」
身の毛がよだつ偉大な声が響き渡ったのはその時だ。例のあらゆる時代が混ざった建造物の頂点に、ナポレオン・ボナパルトは立っていた。
「また高いところに立ちやがって……」
ナポレオン三世が奥歯を噛みしめながら呟いた。相変わらず着眼点が最悪なナポレオン三世を横目で見て、一同はため息をついた。とても同じ血が流れているとは思えない。例えどんな緊急事態であろうと、ナポレオンに向かってチョコレートを創り出せ、などと言うことはできないだろう。恐らく言った瞬間に喉を搔っ切られるはずだし、それ以前に威圧感で喉からは音が出ないに違いない。
「正直に言おう、我が甥よ。私はお前を舐めていた。軍を引き連れてここまでこれるとは思っていなかった。運がいいな」
「ふん、私の実力だ」
「はたまた、裏で別の誰かが糸を引いているか」
「そんなわけあるかぁ!」
ナポレオンの瞳が一瞬自分の方を向いたような気がして、私は咄嗟に目を伏せた。
「まぁいい。しかし、お前の運もここまでだ。私には知名度がある。知名度があれば、最強の軍隊を作ることなど造作もないことだ」
ナポレオンが両手を上げると、建物の中から、まるで巣穴から蟻が出てくるようにわんさかと彼の兵士たちが登場してきた。それぞれが鋭利な武器と最高級の防具を身に着けている。そしてその人数も、ナポレオン三世の軍の二倍はあった。
「さて、戦うかね?」
とナポレオン。三世は震えながらも威勢よく言い放った。
「当り前だ!」
その言葉を皮切りに、両軍が激突すべく駆けだした。
負ける。私は直感的にそう思った。
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