第5話 勇敢なる図書委員

 いよいよ今週に迫った水曜六限の偉人発表。各々が歴史上の偉人を一人取り上げ、自分なりに調べたことを発表するのだ。

 数週間前にそのことは先生から告げられていたが、当然そんな前からコツコツと発表の準備をしていた優秀な人間などこのクラスにはいない。授業後の図書室には二年A組のメンバーの姿が数多く見られた。来週の体育祭に向けて練習がしたいのに、こんな余計な課題に邪魔をされ、憤慨している人ばかりだった。

 私とさつきも図書室にいた。当然、二人とも発表の存在など驚くほど綺麗さっぱりと忘れていた。やる気が微塵も湧いてこない体に鞭を打って様々な偉人の伝記をパラパラと適当にめくる。

「ねぇ、真央、私誰にするか決めたわ!」

 図書室に似合わぬ大声でさつきが飛びついてきた。今図書室にいる図書委員は一年生で、例えさつきたちのマナーが悪くても上級生に強く言い出す勇気はない。さつきもそれをわかっているところが少々質が悪い。

「さっきから何十回も同じこと言ってるよ」

 最初の数分こそ、祖父を失った私に対してどう接していいか決めかねていたさつきだったが、今はもう普段のお調子者のテンションに戻っていた。私があまりにも普段と様子が変わらないのもあるだろうし、友達の親ならまだしも祖父母が死んだところで、実際そこまでの心の揺らぎは感じないのだろう。

「でも今回は本当に決めたの。誰だと思う?」

「ん……呂布」

「なんで私がそんな武闘派を発表しなくちゃなんないのよ。わかってないわね。私が選んだのは、クレオパトラよ!」

 私は嘲笑気味に絶句した。

「クレオパトラぁ? 彼女が偉人だと思うわけ?」

「偉人に決まっているわ。だって、見る者を虜にするその美貌でありとあらゆる男性の心を射抜いたのよ。どこが偉人じゃないっていうの?」

「……あんた、クレオパトラの前は誰にするって言ってたっけ」

「ん、妲己」

「その前は?」

「メッサリーナ」

 私はさつきの手から本をひったくった。

「何するのよ!」

 本のタイトルは『世界史悪女百選』だ。

「課題は偉人の発表でしょ。偉人ってのは何か偉大なことを成し遂げて、人々から多大なる尊敬を受けた人のことを言うのよ。このそうそうたる悪い人間たちの中で偉人に該当する人なんていないわ!」

 さつきの沸点は低い。厳しい私の指摘に彼女は憤慨した。

「グチグチグチグチうるさいわね! 候補の一人も挙げられない真央にそんなこと言われる筋合いなんかないんだから」

「わ、私だって――」

「へぇ、じゃあ言ってみなさいよ。あんたはどの偉人を選んだんですか、言いなさい!」

「……ナ、ナポレオンとか」

 パッと浮かんだ偉人の名前を言ってしまった私を散々に罵倒しようとさつきは口を開きかけたが、横から抜けた声で邪魔が入った。

「ごめん、ナポレオンは俺がやるから、とらないで」

 塩田勇斗がそこに立っていた。またコイツだ。彼の手には『十分でわかるナポレオン』という幼稚な本。

「あんたは黙ってて!」

 二人の声がまた揃った。

「おぉ、おぉ、相変わらず仲がいいね」

 敵意剥き出しの拒絶の視線をものともせずに塩田は二人の座っている机に腰を下ろした。

「馬鹿、何で座るのよ」

「いいだろ」

「いいだろじゃなくて理由を聞いてるの」

「えっ、面白そうだから」

「はぁ? 私たちをおちょくるのも大概にしなさいよ。あんたにはもっとお似合いのお友達がいるでしょ。私達みたいな底辺は放っておいてそっちにいけば」

「自分たちを卑下しちゃいけないよ。俺らに上も下もない」

「こいつムカつくぅ!」

 さつきは何故か塩田ではなく私の胸倉を掴んで激しく揺すった。首が上下に揺れながら、私はふと思った。

「そういえば、塩田くん部活は? 今練習時間じゃない」

 塩田は笑顔で窓の外を指さす。

 大量の雨がグラウンドに降り注いでいた。いくつもの川が地面に出来上がり、水はけが全国の学校で一番悪いと自負するこのグラウンドでは、数日間はろくにランニングもできないようなコンディションになるだろう。

「そういうわけだから、室内練習になったってわけ」

「室内練習は?」

「さぼっているってわけ」

「だからそんなに濡れているのね」

「そういうこと」

「……」

「そういうことじゃないわよあんたぁぁ!」

 さつきが発狂した。

「本をすぐに手放しなさい! 今すぐに!」

 髪の毛や体操着からは水が滴り、ソックスはまだ新しいヌメヌメした泥で光り輝いている。

 それを見て、もう我慢ならないと一年生の図書委員らが立ち上がった。

 相手がいくら上級生だろうが、図書室という静かであるべきところで堂々と叫び、それどころか本を濡らしかけるというテロまでするような奴らを黙認していいわけがない。

 一年生たちは私たち三人の首根っこを強引に掴むと図書室の外へ放り投げた。

「二度と入ってくるなテロリストが!」

 廊下に這いつくばる三人の前でドアが容赦なく閉められ、中から一年生たちの行動を称える拍手が聞こえてきた。

 「あんたのせいよ!」「元々うるさかったのは君じゃないか」さつきと塩田が廊下にねそべりながら戦っているのを背中で感じ取りながらも、私の頭の中では数多の偉人の姿が巡り巡っていた。

 ナポレオン、ダヴィデ、織田信長、孔子、エリザベス一世、レオナルド・ダ・ヴィンチ、コロンブス、ノーベル……。

 一体偉人って何なんだろう。ナポレオンや織田信長は一体どれだけの人を殺め、ノーベルはどんな危険なものを作り出してしまったのだろう。なら別にクレオパトラだって妲己だって偉人でもいいじゃない。

 やることの規模が大きいからか。後の歴史に多大なる影響を与えたからか。かっこよかったからか、美しかったからか。一族がお金持ちだったからか。戦争がとてもうまかったからか。偉人なんて悪い奴らばっかりだ。おじいちゃんの方が絶対に真っ当に生きている。でもおじいちゃんは偉人じゃない。こいつらは偉人。どうして? 

 何だろう。

 紙に書いてある文字だけでそいつが偉人だなんて判断したくない。皆が偉人だと言っても違うと言ってやりたい。

 無性に腹が立ってきて、私は未だ言い合う二人を無視して廊下を歩き出した。

「あ、ちょっと」

 追いかけてくる二人。

 直接会ってもないのに偉人だと何故わかる。何よこの授業。浅い知識しか書いてない本を読んで、もっと浅い知識だけを手に入れ、それをクラスで、さも全てを知っているかのように自慢げに話す。

 会ってみないとわからないじゃない。

 頭に血が昇っていた。

「あっ」

 塩田とさつきは同時に驚愕の声を上げた。

 私は気を失ってその場に倒れていた。


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