第48話 お母さんなんか

 もうお母さんは長くないと言われ、立ち止まって振り返る。

 そこで見たお父さんの顔は今まで見たことがないくらい、苦しそうで哀しい顔をしていた。

 立ち止まった足を動かし、近づいていく。


「……長くないってどういうこと? だってお母さんは心の病気で入院してるでしょ? だからわたしに辛く当たってきたりして……」


 お父さんの口から出てきた言葉を聞いて、わたしは綾子さんに言われた言葉を思い出す。

 碧は自分が思っている以上に姉さんに愛されているんだからねって言葉。


「もちろんそれもあるが、母さんはずっと病気を患っていたんだ。先生には新しい治療方法を行えば助かるかも知れないって。その治療法を試さないと、来年の桜どころか新年を迎えるのすら厳しいかもって……」

「だったら、その新しい治療を試せばいいじゃない! なんでわたしが博多に帰らないといけないの!? それになんで黙っていたの!?」


 感情的に言ってしまうわたしに対して、お父さんは冷静に……むしろ弱々しく喋る。


「……母さんに口止めされていたし、その治療を拒んでいるからだ……もう十分でしょって。だったら残された時間を碧と一緒に過ごした方がいいだろって父さんが勝手に考えたんだ。母さんは知らないし、知ったら怒るだろうからな。だから父さん一人で来たんだよ」

「そんなの勝手だよ……嫌だよ、わたし。みんなと離れるのは嫌……」

「父さんが身勝手なのも分かるし、碧が怒るのも無理ない話だ。だけど頼む、美琴に残された時間を無駄にしない為に博多に戻ってくれ! この通りだ!!」


 頭を下げるお父さんの髪。

 知らない間に黒い髪の合間に白い髪が混じっている。

 きっとわたしの知らない所で色んな苦労をしてきたんだと感じてしまう。

 それでもわたしにだって譲れない想いがある。


「それでも無理……あの場所に戻ったら、また叩かれるに決まってる! お母さんのせいで、どれだけわたしが辛い思いをしたと思ってるのよ! そんな――」


 これは言ってはいけない言葉。


 自分でもわかっているけど、思わず口に出してしまう。


「お母さんなんか、死んじゃえばいいのよ!!」


 その瞬間、誰かに頬を叩かれた。


 突然の痛み、突然の出来事に頭がついてこない。


 ゆっくりと隣を見ると、そこには泣き顔の美咲が居た。


「碧! 確かに碧の境遇には同情するよ。わたしだって、碧と同じ立場だったら同じ様になっていたかも知れない。けどね……だからって言って良いことと悪いことがあるよ!!」

「……ッ!!」


 叩かれた頬を抑えながらでも、美咲が本気で怒っているのがわかる。

 美咲の潤んだ瞳から本気で思ってくれているんだと。


 だけどわたしは逃げるしか出来なかった。


 あの時逃げて東京に来たみたいに。


 成長していると思っていたけど、あの頃のわたしから何一つ変わってなんていなかった。


 いつまでも「中途半端な魔法使い」のまま。


 ******


 リビングから抜け出して、わたしは靴を履いて家から逃げ出した。

 行く当てなんか何処にもない。

 ただ、あの場所にいるのが嫌だった。

 お母さんのせいで博多から出て、今度はお母さんの為に博多に戻って欲しいというお父さんから離れたいため。

 そして自衛隊基地のフェンスに沿ってひたすら走った。

 走るのが苦手なのも忘れるくらいに。

 ふと気づくと近くの公園。上砂公園に辿り着いていた。

 その公園の中にあるブランコに目が留まる。

 小さい頃に美咲と遊んだブランコ。

 男の子に混じって、誰が遠くまで飛べるかを競争した。

 行く当てなんかなく、ただ茫然とブランコの揺らぎに身を任せながら言われたことを考える。


 お母さんの事情はわかったけど……わかるけど博多には戻りたくない。

 せっかく仲良くなれたみんなと別れるのが嫌……何より立飛くんと離れるのが嫌で嫌で堪らなかった。

 けどお母さんの残された時間を考えると、決めきれない自分がいる。

 もし帰れなかったら、お母さんと顔を合わすことすらなく最期になるだろう。

 それはそれで、心の何処かで駄目だよと自分が言っている様な気がした。

 心の中にいる、もう一人のわたしが。


「見つけたよ! 碧!!」


 突然の呼び声に公園の入口を見ると、息を切らした美咲が立っていた。

 汗だくな美咲を見ると、わたしの為に走り回って捜したんだと察してしまう。

 本当は捜してくれて嬉しいはずなのに、わたしは意固地になってしまい。


「……何? 美咲も博多に帰った方が良いって説得しに来たの?」


 つい意地悪な声音で言ってしまうが、美咲は無言のまま隣のブランコに腰がけた。


「別に。それは碧が決める事だから、ただ……」


 そのまま美咲はブランコを漕ぎ出していく。

 あの日みたいに、男の子に負けないくらいに強く。

 強く、強く、そして高く舞い上がる。


「どうせ来る別れなら、仲直りとは言わないけど話し合った方が良いよ。後で絶対に後悔するからさっ!」

「後悔するって……。博多に戻った方が絶対に後悔するし……」

「そうかも知れないね……けど、どうせ後悔するなら後悔が少ない方を選びなよ! どっちを選んでも後悔するんたがらさっ!」


 そう、どっちを選んでも後悔する。

 東京に残ることを選択すれば、あの時博多に戻っていればと。

 博多に戻ったら戻ったで、必ず東京に残っていればと後悔する。

 だったら美咲は後悔の少ない方を選びなと言っているんだ。

 どっちを選んでも必ず後悔するから、後悔が少ない方を。


「……他人事だと思って、テキトーだよ」

「あはは。酷いな、碧さん。――よっ!!」


 子供の頃に見た、高い位置からのジャンプ。

 地面に着地すると美咲は体操選手みたいに決めポーズを決めては振り返る。


「確かに他人事かもね。でも、これは碧が決めなくちゃいけないんだよ。誰のせいにも出来ない、自分自身の人生なんだから。どんな選択肢を他人に言われても、最後に決めるのは自分だもん。だからわたしから言えるのは後悔の少ない方を選びなってことだけ。どんな選択を選んでも、わたしは……みんなは碧の味方だかさ」


 夜空の下で灯る公園の外灯。

 少し薄暗い外灯の下でも、美咲の笑顔は夏の星に負けないくらい輝いていた。

 そして美咲の言葉が……彼女なりにわたしを想ってくれる言葉が心に刺さる。

 どんな選択を選んでも自分のせいで、他人のせいに出来ないと。

 もうわたしの答えはわかっているのに、口に出さないわたしに美咲が。


「お母さんと話し合いなよ。この世界で碧のお母さんは一人だけなんだからさ。死んじゃったら、話したくても話せないよ。……どんなに後悔しても一生ね」

「……わかってるよ……」


 未だに濁るわたしの言葉。

 そんなわたしの背中を押す様に美咲は語りかける。


「まずは話し合って、それから先は後で考えなよ。碧さえ良ければ今みたいに、うちから学校に通ってもいいしね。ただ……」


 言おうか、言うまいか悩む美咲の悩む顔。

 視線を少しだけ逸し、頬を指先でわざとらしく掻く姿に察しがついてしまう。


「立飛くんのことでしょ……美咲」

「うん……まぁね。決めてからでもいいから、隼にはちゃんと想いを伝えておいた方が良い気がする。伝えないと、絶対に後悔するからさ」

「うん……ちゃんと伝えるよ。どっちに転ぶかわからないけど、頑張るから!」


 珍しく強めにいうと、美咲はわたしの背中をバシバシと叩いて笑う。


「それこそ四季島の女だよ、碧! 大丈夫、碧可愛いから上手くいくって!」

「もう、またテキトーなこと言うんだから」

「大丈夫大丈夫。こう見えてわたしの勘って当たるからさ! よし、汗かいたからお風呂一緒に入ろ、碧」

「え~、美咲と一緒に入ったら余計に暑苦しいよ」

「酷っ!? そんな事言わずに、一緒に入ろうよ~」


 さっきまで悩んでいたのが嘘みたいに心が軽くなる。

 美咲と一緒に家まで帰りながらそう思ったわたし。

 そして隣を歩く美咲に、聞こえないくらい小さな声で囁く。


「……美咲、ありがとう……」

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