第50話 お母さんはやっぱり

 夏の合宿が終わり、お母さんと話す為に今博多に戻ってきた。

 久しぶりに来た病院。所々変わっているが、あの頃と変わらない独特の香り。

 いま目の前にある扉を開けるとお母さんがいると思うと、わたしの胸は締め付けられる。

 そんなわたしを心配そうに見るお父さん。


「一応母さんには碧が話したい事があるってことは伝えてあるからな。……もしあれだったら父さんも一緒に――」

「大丈夫。もう前のわたしじゃないから。お父さんは外で待っててよ」


 きっとお父さんの中にいるわたしは、あの頃のままなのだろう。

 辛いことに耐え、逃げたいと思っても逃げられなかった頃のわたし。

 だけど今のわたしはあの頃と違う。

 皆のお陰で変われたんだ。


「そうか……頑張れよ、碧」

「うん」


 病室の扉を開ける瞬間、お父さんの顔を見たが、まるで卒業式に出席しているみたいに目頭に滴が浮かんでいた。

 そして、わたしは深呼吸しながら扉をノックする。

 扉の向こう側からはお母さんの懐かしい声。


「……どうぞ」


 わたしの覚えている頃とは明らかに違う声。

 弱々しく、それでいてか細い声音。


 ――本当に身体が悪いんだね……お母さん――。


 扉を開けて、過去と向き合う時が訪れた。


 ******


「久しぶりね、碧」


 第一声の言葉。

 夏の日射しに照らせる博多の街並みを見渡せる病室の窓。

 窓際にある机にはお見舞いに来た人だろうか、生花が花瓶にいけられていた。

 昔はお母さんに似た女の子と言われて嬉しかった。

 だけど目の前に、ベッドに居るお母さんは昔の面影が少ない。

 綺麗な黒髪は痩せて細くなり、艶が失われていた。

 顔色も少し土色で、見るからに痩せている。

 何より腕に通されている点滴に目がいってしまう。

 そんなわたしの視線に気づいたのか――。


「ああ、? ただの栄養剤よ。最近は食欲が落ちてきたからね……」

「……お母さん、大丈夫なの?」


 ちょと冷たい声音で言ってしまう。


「久しぶりだね、お母さん」などという親子水入らずの会話が出来ない所が歯痒く感じてしまう。


「別に大丈夫よ。ちょと先生が大袈裟にしてるだけだから。だいたい人間の寿命なんて誰もわからないじゃない」


 ベッドから起き上がるお母さん。

 お母さんの娘だからわかる。

 今のは嘘だと。


「で、わざわざ博多にまでどうしたの。こんな所に来るくらいなら勉強して、少しでも成績が上がるように頑張りなさい。ただでさえ碧は魔法科がある学校を辞めて、皆より遅れて普通科に転入したのよ。しかも私の断りもなく、お父さんと勝手に決めて」


 ……ああ始まった。

 お母さんのいつもの詰め方。

 こっちが何を言っても聞かず、相手からしてみれば自分が正しいと言っているように感じて声音。


「……勝手なのはお母さんの方だよ」

「え?」


 本当だったら穏やかに話し合いたいと思っていたけどダメだ。

 わたしも血の気が多い四季島の女だと思った瞬間。


「勝手なのはお母さんの方だよ!! 誰のせいで魔法が上手く使えなくなったと思ってるの!? わたしがこうなったのは全部お母さんのせいだよ!!」


 本当……わたしもお母さんと変わらないや。


「お母さんは忘れたかも知れないけど、わたしは一度だって忘れたことない! 何か間違えれば手を叩かれた痛み! 成績が落ちていくと頬を叩かれた痛み! そして……『中途半端な魔法使いは嫌いなのよ』って言われた時、わたしの心がどれだけ痛たくて辛かったか、お母さんにわかる!? 魔法が上手く使えなくなって、クラスや学校の皆から陰で笑われる辛さがわかるの!?」


 あの頃から溜めていた負の感情を吐き出した……というより、一方的にぶつけてしまう。

 だがお母さんは眉一つ動かさず、わたしの瞳を見つめ――。


「言いたい事は、それで全部?」

「……え?」

「だから全部? って聞いてるのよ」


 まさかの反応に肩透かしだ。

 それとも「ごめんなさい、碧。お母さんが悪かったわ」なんてのを期待していた訳じゃないけど、ただお母さんにわたしの気持ちを少しでも知ってもらいたかったんだ。


「まず、親の躾を受けずに育つ子が何処にいるの。常識を知らずに社会に出たら、苦労するのは碧なのよ。それくらい普通よ」

「普通って……何も叩かなくたっていいじゃない!」

「確かに叩いたのはお母さんの間違いだと認めるわ。だけど、それは碧のためにと思ってやったのよ」

「わたしのためって……。そんなこと頼んでいないから! あの時、お母さんがどれだけ怖かったと思ってるのよ!」

「子供が親を怖がるのは当然じゃない。それに碧を社会に出ても恥ずかしくないように育てるのは親としての責任なのよ」

「そんなのお母さんの自己満足でしょ! わたしはお母さんが嫌い! 嫌い嫌い大嫌い!!」

「大嫌いで結構! 子供に好かれる為に親をやってるんじゃないの! 私は一人の親として碧のために全てやってるのよ!!」

「そんなの嘘よ! お母さんはイライラの捌け口に、わたしに当たっていたじゃない!!」


 病室にぶつかり合いながら響く、互いの思いと想い。

 何事かと、扉の向こうでざわつく声。

 わたしもお母さんも、普段出さない声量で叫んだ為に、息する度に肩が上下に動く。

 お母さんは少しの間、何かを考えるように視線を逸らした。

 そしてベッドから立ち上がると、点滴が吊るされたスタンドを弱々しく掴み、わたしに近づいて来た。

 瞬間。わたしは記憶がフラッシュバックしてしまい、また叩かれると思って身構えて瞳を瞑る。

 真っ暗な世界で聞こえてきた言葉は、弱々しく、罪悪感に満ちたお母さんの声。


「ごめんなさい」

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