第51話 お願いだから

「ごめんなさい」という言葉。

 わたしは一瞬、自分の耳を疑った。

 だけどその声は間違いなく、わたしのお母さんの声。

 瞳を開けて、叩かれると思って構えた腕の隙間から見る景色に驚く。

 あのお母さんがわたしに頭を下げている。


「お母さんが弱いばっかりに、碧に当たってしまって本当にごめんなさい。今さら謝った所で許してもらえるわけじゃないし、許せることじゃないのもわかってる。だけど……」


 顔を上げたお母さん。頬は痩せ、目の下には隈みたいになっているお母さんの顔。

 そんなお母さんは精一杯の笑顔を見せ。


「だけどやっぱり、最期《《》》は碧と仲直りして逝きたいから……」




 仲直りして逝きたい。そういいながら苦しそうな笑顔のお母さん。


 きっと立っていることすら辛いはず。


 その辛さに耐えて、お母さんはわたしに歩み寄って来たのだ。


 同時にわたしは痛感してしまう。


 このままだとお母さんのは近いことに。


「……ズルいよ、お母さん。何でいまさら謝るの……」

「ごめんなさい。今の私には謝ることしか出来ないわ……もし病気になってなかったら色々教えてあげたかったけど、もう叶わない夢だから」


 不意にわたしの瞳から感情の滴が流れていき、お母さんの瞳からも流れている。


「……本当にごめんなさい。お父さんから言われてるんでしょ? 博多で一緒に暮らそうって。もう、あんまり私の残された時間が少ないから」

「うん……でもわたし、皆と離れたくない! せっかく友達も出来たし、部活だって楽しくやってるの! あの頃よりも楽しいって感じてる。だけど……だけどそれだとお母さんが一人になっちゃう!!」


 感情がぐちゃぐちゃになりながら言葉を吐き出した。

 東京に残って楽しく生きたい自分と、治療を拒むお母さんと最期の瞬間まで居たい自分。


 どっちも本当の気持ち。


 涙が止まらない。


 止まって欲しいのに止まらぬ感情。


 お母さんは、そんなわたしの頬を流れていく滴を指先で拭い――。


「馬鹿ね。いつまでも親のことなんて気にしなくていいのよ。碧の人生は碧だけのものなんだから……だから好きに……好きに生きて欲しい。いっぱいオシャレして、恋をして。そして誰かと結婚して。そういう普通の人生を送りなさいよね、碧」


 まるでお別れの言葉。


 言葉に気持ちを。


 言葉に感情を。


 言葉に願いを込めて、わたしに託すように。


「出来れば碧の卒業式や結婚式を見たかったけど……そんな時間は、お母さんには残されていないから……っ!?」

「お母さん!!」


 苦しさに耐えながらいうお母さんだったが、次第にスタンドを掴みながら落ちていく。

 呼吸も荒く、座ることすら苦しく見える。


「大丈夫大丈夫……ちょっと目眩がしただけだから。碧、悪いけどベッドまで手を貸してくれる……」

「う、うん」


 首に手を回させて持ち上げた瞬間、わたしは現実が辛くなる。


 お母さんが軽いという現実。


 痩せたとかの次元じゃない。女性のわたしでも軽いと感じてしまう体重。


 お母さんをベッドに寝かせながら、わたしは数ある未来の中から決意してしまう。


 お母さんはベッドに横になりながらわたしに聞かせた。

 なぜわたしに辛く当たってきたのかを。

 病気はわたしが小さい頃に発覚し、医者からは新しい治療が出来ない限りは子供の成人式はおろか、高校の卒業式すら見る事が出来ないだろうと。

 幼い碧を残して先に逝く辛さは想像を絶する辛さだったと。

 残された時間は少ない。

 その少ない時間で自分は子供に何が残せて、何を教えてあげらるか分からずに苦悩した。

 考えても考えても答えは見つからずに心すら病に冒され、そしてあの言葉を言ってしまう。


 ――中途半端な魔法使いは嫌いなのよ――と。


 それは呪いみたいな魔法で、碧の人生を狂わせてしまった。

 愛していたのに、呪いをかけてしまいずっと自分自身も苦しんでいた。

 謝ろうとしても遅く、碧は心を閉ざしてしまい、謝る機会すらなくなってしまう。

 それはそれで良いとさえ思っていた。

 これは当然の報い。

 碧に酷いことを……たとえ親だとしてもいけないことを言ったのだから。


「碧、何で私が中途半端な魔法使いが嫌いって言ったのかわかる?」

「ううん。小さいわたしが魔法が上手く使えないから……とか?」


 自身無さげにいうわたしの顔を見て、お母さんは薄っすらと笑みを浮かべる。

 そして、その言葉の裏に隠された愛情を知るかとに――。


「違うわよ。碧は十分凄かったわ……それこそ私なんかより魔法の才能があるって感じた。小さいのに私よりも覚えるのが早くてね。流石は私の可愛い娘って思ったわ……」

「じゃあなんで……なんで言ったの?」


 その言葉にわたしは苦しんだ。


 苦しんで苦しんで、逃げたくなるくらいに。


「今の時代に魔法だけで生活してる人は極少数だからよ。お婆ちゃんや、綾子みたいに店を構えて生活出来る人なんて恵まれている方。大半の魔法使いは魔法を使わない、普通の仕事を糧に生活してるから。中途半端に魔法が使えるだけだと、生きていくのに必ず苦労する。だから中途半端な魔法使いは嫌いって言ってしまったの。本当は別の言い方があったのに、あの時の私にはああいうしかなかったけど……」


 自嘲気味にいうお母さんは続けて。


「それで会社を立ち上げたの。将来、碧が魔法使いとして生きていきたいって言った時に苦労しないように。普通の人でも、魔法使いとしても、どっちらの人生でも歩めるようにと思って作ったの。だから普通の勉強も頑張って欲しかった……でも結局、私のそうした願望全てが碧を苦しめていたのよね……」


 ベッドに横になり、枕に頭を預けながら無機質な白い天井を見つめるお母さん。

 その瞳からは後悔と罪の意識、そしてわたしに託したかった想いが溢れ、涙となって現れる。


「わかんない……そんなの言ってくれないとわかんないよ! わたしは……わたしはお母さんに、あの言葉を言われて思ったもん。わたしは要らない子だって……お母さんにとっては邪魔な子だって……」


 涙を必死に拭いながら堪えきれない溢れる感情を言葉にすると、お母さんはゆっくりと身体を起こして、わたしの涙を拭う。


「それこそ馬鹿よ……わたしはいつだって碧を愛している。流石は私の可愛い娘だってね……だからごめんなさい」


 碧を苦しめて。


 せっかくの才能を潰してしまって。


 辛くて嫌な学生生活を送らせてしまって。


 謝っても過去は戻らない。


 だけど本当にごめんなさい。


 そう言いながらお母さんは苦しそうに謝る。


 何回も、何回も謝る。


 進んだ時計の針は元に戻らないと知りつつも謝る。


 そんなお母さんを見て、わたしは抱き締めながら願いを叫ぶ。


 強く、強く。


 わたしの未来を半分あげるからと願いを神様に込めて。


「生きて……生きてよ、お母さん!! わたし、お母さんの為なら博多に住むから!! だから新しい治療を受けてよ!! お願いだから……お願いだから、わたしを一人にしないでよっ!!!」

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