第38話 今日の思い出を良い思い出に塗り変えて

抱きしめられながら泣く私に綾子さんが言葉をかける。


「ほら、いつまでも泣かないの。あなたは姉さんに似ていて、可愛い顔なんだから勿体無いわよ」

「……お母さんに?」

「そうよ。碧ったら姉さんの学生時代にそっくり。ちょっと垂れ目の所が特にね」


 笑いながら言う綾子さん。

 普通はお母さんに似ていると言われれば嬉しいのだけど、私の場合は言われてもあんまり嬉しくない。

 お母さんとは良い想い出が無かった訳ではないが、やっぱり今のお母さんは嫌いだから。

 何かあれば手を叩かれたし、ちょっとでも成績が落ちると静かに怒られた。

 静かに怒るから余計に怖くて、まだ怒鳴られた方がマシと思えるくらいだ。

 だから想い出のお母さんを黒塗りしてしまうくらいに体が拒絶反応してしまう。


「で、碧はどうするの?」

「え……どうするって?」


 おうむ返しの様に綾子さんに返してしまったが、綾子さんは笑いかけていう。

 その笑顔は何処か温かさがあり、私のお母さんと姉妹とは思えないくらいに優しさが満ちていた。


「どうするって隼君と話さなくていいの? って事。今なら待合室に居るし、私も心配して付いて来て下さった動物園の方に謝らないといけないから。碧が話したくないなら、学校に行った時に謝るなり話せばいいし」

「い、行きます! ……あ、でも」


 つい条件反射で返事してしまったが、自分の姿を見て躊躇してしまった。

 今の私は部屋着は部屋着なのだが、ほぼ寝間着に近い部屋着だから。


 こんな姿で立飛くんに会えないと頭では思ってしまうが、気持ちは……心は彼に会って話をしたいと訴えかけてくる。


「別に良いんじゃないの、ここは病院だし。周りの皆も似たようなものよ」

「その……おかしくないですか?」

「おかしくなんかないわよ。碧、変な所が姉さんに似てるわね。姉さんもよくデートの時、いちいち私に聞いてきたわよ。『魔法のセンスじゃ私の勝ちだけど、ファッションセンスは綾子の方が良いから』って言ってね」


 昔を懐かしむ様に綾子さんは笑いながら言う。

 お母さんの学生時代は余り聞いた事が無かったから新鮮な感じがした。


「だから大丈夫よ、碧。もし彼が碧の寝間着に何か言ったら残念だけど四季島の女を彼女にするのは諦めてもらう様に菫すみれに言っとくから」

「……すみれ?」


 初めて聞いた名前に私が不思議がっていると綾子さんの口から。


「菫は隼君のお母さん。私と菫は同級生で、姉さんは学生時代の先輩なの。うちや姉さんの店に置いてある商品の大半は菫が作った作品なのよ」

「へ~そうなんだ……えええ!? 初めて知りましたよ、そんな事! さっきだってそんな雰囲気無かったですよ!」

「例え親しくても大人は礼儀を弁えるものよ、特に今回みたいな時は特にね」

「す、すみません……」


 念を押される様に言われ、自分の行動を改めて反省する。

 そして綾子さんの話で思い出した。確かに国立にあるガラス工房に作ってもらい、それを態々博多のお店まで空輸してもらっているのは聞いた事がある。

 国立は立飛くんの家があり、立飛くんのお母さんは魔法石を使ったガラス工房だ。

 つまり昔から立飛くんの家に四季島家はお世話になっていて、昔お母さんに貰ったガラス製のイルカのストラップは菫さんが作ったかもしれない。


「あの、カラフルに置いてあるガラス細工も?」

「カラフル? あ~力也君のお店ね。あれも菫の作品よ」

「じゃ、じゃあコレも? 昔、お母さんから貰ったやつなんですけど……」


 私はカバンから取り出した壊れたイルカのストラップ。


「たぶん菫の作品ね。姉さんが菫に作らせたんだと思うわ。菫は魔法石を使って互いに想いが通じ合ってると光る作品をよく作ってるから。でも結構貴重なのよ、この手の作品を作る魔法石って。なかなか手に入りにくいから」

「そ、そうなんですか……」

「そうよ。作品の値段だって高いからプレゼントとか、新婚さんが結婚指輪にって依頼するくらいだし。なに碧、誰かに指輪でもあげるの? もしかして隼君?」

「あ、あげませんから!!」


 顔を真っ赤にする私に綾子さんは肩を優しく叩いては部屋から出ていく。

 私も付いて行こうと歩き出した瞬間、真横から嫌な視線を感じてしまった。

 嫌な視線の方を見ると美咲がスマホを私に構えて、口からヨダレみたいものを垂らしている。


「碧の病院部屋着! こんな貴重な姿は写真に撮らないと!」

「気持ち悪かっ!!」


 そう言って私は美咲のスマホを取り上げた。

 しかも病院で寝ている私の寝顔が既に撮られており、私は迷いなく全消去をタッチする。


 ******


 綾子さんに付いていき、待合室に向かうと菫さんに立飛くん。そして動物園の方はなんと、私にキアラとシルヴァのストラップを売った飼育員のお姉さんだ。

 そして私は皆の前に出るなり頭を下げて謝る。


「すみませんでした。私が無理をした所為で皆に迷惑をかけてしまって……」


 人前で頭を下げて謝るなんで生まれて初めてだから、これで合っているか分からない。

 だけど分からないなりに言葉に気持ちを込めて伝えたお陰で皆の顔に笑顔が灯る。

 最初に私に話しかけたのは菫さんだった。


「別に大丈夫よ、碧ちゃん。うちのバカ息子が迷惑かけてごめんなさいね。この子ったら女の子とまともに付き合った事が無いから気が回らないのよ」

「余計なこと言うなよ!」


 笑いながら立飛くんの頭を何回も優しく叩き、立飛くんは立飛くんで恥ずかしいのか、顔が赤くなってちょっと可愛いらしい。


 しかも菫さん、さらっと立飛くんの交際歴ばらしてると!


「いやー、私も心配しましたよ。呼び出したらいきなり電話口で『救急車をお願いします!』って言われた時は何事だって。直ぐに園内放送がかかったから大事に至らずに済みましたが」


 飼育員のお姉さんが話し終わると私に動物の絵が描かれた紙袋を差し出してきた。


「あの、これは?」

「キアラとシルヴァのストラップです。渡しそびれてましたからね。それに無料チケットや諸々のグッズです。良かったら受け取って下さい」

「こんなにいっぱい受け取れませんよ! 私が迷惑をかけたんですから!」


 紙袋を押し返すが、飼育員のお姉さんが更に押し返してきた。


「いいからいいから。ほんのお気持ち程度ですから遠慮しないで。それに、もし迷惑をかけたと思っているならシルヴァとキアラに会いに来て下さい。また彼とね」


 飼育員のお姉さんが私の耳元に来ては囁く。


「彼、あなたのこと本当に心配してましたよ。病院に着くまでずっと手を握ってましたから」


 お姉さんの言葉に思わず立飛くんを見ては、自分の手に残る立飛くんの感触を想像して真っ赤になる。


「もし彼の事が本当に好きなら絶対に諦めちゃ駄目ですよ。彼とあなたはお似合いなんですからね」

「お、お似合い?!」


 お似合いと言われて心が踊ってしまうし、心臓の鼓動が早くなる。


「だからまた彼と来て下さい。シルヴァとキアラも待ってますからね。それに無料チケットを使って今日の思い出を良い思い出に塗り変えて下さい。その時はグッズとかいっぱい買ってくれると嬉しいです。動物園って皆が思っている以上にお金がかかるんで」


 お姉さんの冗談と優しさがこもった言葉に私はまたも涙を流しながら気持ちを受け取った。


「はい……必ず行きます。絶対に彼と二人で」

「当園はいつでも歓迎致します、お客様。あ、出来ればシルヴァとキアラが大きくなる前に来てね。大きくなったらケガどころか食べられちゃうんで」

「い、行きます! 食べられたくないんで今年中に!」


 シルヴァとキアラの成長は私たち人間よりもうんと早い。

 うかうか来年とかに行ったら、二匹は立派なライオンに成長しているだろう。

 そしたら触れ合う所か、大ケガして最悪食べられてしまう。

 私の言い方が面白かったのか、クスクスと笑うお姉さんに私は聞いてみた。


「あの、動物園ってお金がかかるんですか?」

「まぁそれなりにね。動物協会の補助金や寄付してくれる企業や個人の人もいるけど、それでもやっぱりお金はかかるわ。動物達の餌だって馬鹿に出来ないしね。あ、もしかして飼育員に興味あるの!? 良かったら相談に乗りますよ!!」

「えええ?!」


 動物園の時みたいにグイグイ来るお姉さんの圧に私は手を振りながら後退りしてしまう。

 相変わらず晴海さんみたいなお姉さん。


「もしかして興味なかったですか?」

「い、いや。その……興味が無いわけじゃ無いです。動物園で見たお姉さんは……その、格好良かったですし」


 がっかりしたお姉さんだったが、自信無さげに言う私の言葉に笑顔に変わっていく。


「本当ですか? いや~直に言われると照れますね。ウソでも嬉しいです」

「ウソじゃないです! 私って人前に出るのが苦手だし、どんくさいから……だから動物園で見たお姉さんはテキパキ動いていて格好良かったです」

「ありがとう。でも別にどんくさいくても飼育員になれるわよ。要はやりたいかやりたくないだけだから。碧ちゃんが将来何の仕事に就くにしてもね。だから色々な事にチャレンジしてみて自分が本当にやりたい事を見つけてちょうだい」

「はい」


 自分の本当にやりたい事と言われて私は昔にの夢を思い出した。

 小さい時はお母さんの様な魔法使いになりたくて魔法の勉強を頑張ったが、結局お母さんには認められなかった。

 あの言葉を言われてから魔法が使えなくなってしまったし、魔法が嫌いになって自分から投げ出した。

 なのに東京に来てもまだ未練がましく魔法が上手くなりたいと思っている。その気持ちと願いに苛立ちと戸惑いを感じてしまう。


 本当の私は何をやりたいんだろうと。


 ******


 綾子さんとお姉さんも話しが終わったのか、お姉さんは皆に軽く挨拶を済ませて帰ろうとしていた。

 病院から出ようとしたお姉さんの背中を見て私は叫んでしまった。


「あ、あの! お姉さんの名前を教えてくれませんか!」


 するとお姉さんは振り向き様に満面の笑顔で。


凛子りんこ草薙凛子くさなぎりんこです。将来飼育員になりたかったらいつでも相談に乗るからね、碧ちゃん!」


 そう言って手を振りながら草薙さんは茜色の夕日の中に消えて行った。

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