第34話 甘くて苦いバニラアイスの記憶
多摩動物公園は立川市から多摩モノレールで多摩川を渡った先にあり、目的地の駅で降りると一緒に多くの乗客も降車してきた。
恐らく多摩動物公園駅って言うくらいだから皆の目的地は私達と一緒だろう。
子連れの夫婦や、男女のカップルらしき人達。
私たちも他人から見ればカップルに見えるのかな……。
ふと願望めいた自分勝手な考えが頭を過り、私は頬を両手で軽く叩く。
軽くなのは強く叩くと痛いからだ。痛いのは嫌いなので。
「(何考えてるのよ私! 今日は撮影練習なんだよ! せっかく立飛くんがド初心者の私に教えてくれるんだから!!)」
だけど思ってしまう。
思うだけならいいよね?
周りのカップルを見て、私も……私達もあんな風になれたら良いなって事くらい。
そう思っていると立飛くんが私を見ていて一言。
「四季島、自分の頬っぺたを叩く趣味があるのか?」
「な、ないです!!」
思わず「そんな変態趣味はありません!」って叫びそうになる。
危うく変な趣味を持っていると立飛くんに誤解される所だった。
朝起きた時もそうだが、暑さの所為か頭がフラフラする。
おまけに朝から真夏の太陽は元気良く私達に光の色を届け、まだ午前中なのに湿気が肌に纏わり付く。
チケット売場に並びながら手で仰いでいると立飛くんがカメラを渡してくれた。
「これを使ってくれ、四季島。一眼レフの軽いモデルだから女子でも扱いやすい筈だから」
「うん。でもいいの? 何か高そうなカメラだけど……」
カメラ素人の私でも分かるくらいに高そうなオーラを放っている。
既に屋上で立飛くんごとカメラを入れていたバックをずぶ濡れにしてしまったから警戒してしまう。
「まぁ高いな。新品だった時は数十万するって親父から聞いた」
「す、数十万!? 無理ばい! 高過ぎて悪かけん!」
そんな高級カメラを素人に渡さないでよ立飛くん!
壊したりしたら弁償出来ません! 月賦でお願いしますってなるから!
「あはは、大丈夫だよ。型落ちモデルだし、親父も使い込んで俺に渡してきたからな。壊しても俺がやったと言えばいいし」
「いや、流石に悪いからちゃんと私が謝るよ。許してもらえるか分からないけど……」
たとえ使い込んだカメラでも大事なカメラ。その人にとっては大事な物だから自分が謝らないといけない。
立飛くんのお父さんは会った事が無いから、どんな人か分からない。
もしかしたら雷を落とされるかも知れないけど。
「親父はそんな事で怒らないよ。むしろ親父がこのカメラを持っていけって言っていたから」
「そうなんだ……え!? お父さん帰って来たの?」
「昨日の夜にふらっとな。暫く日本にいるみたいだから。今日の事を話したら『初心者の女の子には軽いモデルを使った方がいい。軽い方が腕が疲れないぞ』って言って渡してきたから」
「そっか」
ちょっとお父さんの事を照れくさそうに話す立飛くんが可愛く思えて微笑んでしまう。
そういうのは私には縁が遠いから。
お父さんは優しくて好きだけど、お母さんは怖い思い出しかなくて想像出来ない。
そんな事を思ってると立飛くんが私に近付いて首にストラップを掛ける。
「ほら、こうすると楽になるぞ。もし疲れたら俺がカメラを持つから遠慮するなよ」
「あ、うん……ありがとう」
立飛くんが近付いて来てくれた瞬間、私の心臓は夏の蝉に負けないくらい高鳴ってしまい、頬は赤い朝顔の様に色付いてしまった。
******
多摩動物公園に入ると立飛くんが「何の動物を撮りたい?」と聞いてきて私は即座に――。
「アフリカ園のライオン!」と答えた。
私が余りにも速く即答した為に立飛くんはちょっと驚いていた顔をしていた。
福岡にも動物園はあるが、暫く行ってない為に行ってみたいのだ。
実は美咲と昨日の夜からホームページを観ていたら、ライオンの赤ちゃんと触れ合いが出来るらしい。
「分かった。じゃあアフリカ園は園の右側エリアだから付いて来て」
「うん」
風に揺れ動く木漏れ日の下、立飛くんの背中を見ながら歩く私。
カバンを背負いながら歩くその姿に私は不意に昔を思い出してしまう。
「(そういえば昔もお父さんに連れられて動物園を歩いたっけ……人混みが凄くてお父さんに肩車してもらったなぁ)」
それは幼い時の私の記憶。
まだお母さんとの仲も悪くなく、お婆ちゃんも一緒に行った動物園。
人混みが凄くて私の身長だと動物が見えなかったから泣いてしまった。
見兼ねたお父さんが私を肩に乗せて肩車をしてくれたお陰で私は泣き止み、そして動物園の目玉であるライオンが見れた。
お父さんは翌日に腰を痛めてしまって会社を休んでしまった。今でもちょっと笑える思い出。
そして動物園でお母さんに食べさせてもらったバニラアイスの記憶。
今思い出すとお父さんの顔は鮮明だが、お母さんの顔は黒く塗り潰されて思い出せない。
その時食べた甘いバニラアイスの味さえも思い出せないし、思い出したくもないお母さんの顔。
「四季島、アフリカ園に着いたよ」
立飛くんの声で現実に引き戻され、私は目の前の光景に過去のキャンバスを思い出す。
美しい色と思い出したくない苦い色も全て鮮明に、そして色濃く。
あの時の動物園みたく凄い人混み。カップルや親子連れ。過去の自分を投影する子供はお父さんやお母さんに抱っこされて緑の芝生の上に寝転がっているライオンの群れを見ている。
その瞬間、強い風が吹き麦わら帽子が飛ばされそうになった私は急いで帽子を押えた。
夏の日差しが瞳に当たり、私は一瞬だが瞳を閉じてしまう。
薄っすらと瞳を開けると目の前には幼い時の私が居る。
幼い私は人混みの前で届く筈もなく必死にジャンプしていた。
『碧、走ると危ないぞ』
背中から発せられた声に、つい自分の事を言われたのだと思って反射的に謝ってしまう。
「ご、ごめんなさい」
振り向き様に言うと、そこにはお父さんの姿。
「お父さん……?」
私が呼びかけるがお父さんは答えない。
『碧、後でアイス買ってあげるから。碧の好きなバニラよ』
『うん』
幼い私に近寄って声を掛ける女性。
体ははっきりと描かれているが、顔は黒く塗り潰されている女性。
「っ!? ……お母さん」
顔が黒く塗り潰されたお母さんを見た瞬間、全身に痛みが走る。
手を叩かれた痛み。
頬を叩かれた痛み。
そして、私の心を砕いた痛み。
まるで手足を失っても続く幻肢痛の様に心と体が痛い。
痛くて痛くて逃げ出したいくらい。
お母さんを見た瞬間に体が本能的にビクッと驚き、そして意識していないのに後退りしてしまうくらいだ。
『ほら碧、お父さんが肩車してやるからな。どうだ、ライオンは見えるか?』
『うん! お父さん、もっと高く!』
『よしきた! これでどうだ!』
お父さんに肩車されて無邪気に喜ぶ幼い私。
この先に待ち受ける悲しくて辛い現実を知らない幼くて無邪気な私。
『あなた大丈夫なの? そんなに張り切ったら腰を痛めるわよ』
『平気平気。そうなったら碧が魔法で治してくれるからな。そうだろ、碧?』
『うん! いたいのいたいのとんでけ~ってやってあげる』
……やめて。
せっかく忘れかけていたのに思い出させないでよ。
お願い……お願いだから私の過去を思い出させないで!!
思いの丈を叫ぶと幼い私が近寄っては真っ直ぐな瞳で私を見つめる。
『いつまで逃げても過去からは逃げれないよ、お姉ちゃん。過去は過去として受け入れて立ち向かわないと、いつまでも過去の亡霊に追われながら逃げるよ。中途半端な魔法使いのお姉ちゃん』
「っ!?」
その瞬間、誰かが私を呼んでいる気がした。
「おい、四季島! 大丈夫か?」
「立飛くん……?」
目の前には立飛くんが立っており、私は柵の前で立っている。
周りを見ると幼い私やお父さん……お母さんは居ない。
夏のイタズラか、悪い夢を見ていたみたい。
「あ、大丈夫だよ。ちょっと暑さにあてられただけだから」
「ならいいけど、涙が出てるよ」
「涙?」
立飛くんに言われて初めて気づいた。
私、泣いている。
想いの滴が頬を伝う感触が私を正気に戻す。
「ごめん、立飛くん。ちょっとトイレに行ってくる!」
「えっ、四季島!」
トイレが何処にあるのかなんて知らない。
今は立飛くんの目の前からいなくなりたい。
泣き顔よりも、笑った顔を彼に見せたいから。
そして夏の日差しを浴びなから私は人混みの中に紛れていく。
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