第47話 枕投げをしたら竹柵が倒れた




「どう? おいしい?」

「んっ……おいしぃ~。ふへへ、すっごく美味しぃ〜」


 その表情は初めて見た。顔をぶよんぶよんに蕩けさせて、頬が雫となって顎を伝って落ちると、見ているこちらが錯覚するほどの幸福そうな顔。


 買って良かったと僕も大満足。

 自分の分を半分に切って一つを食べ、もう一つを秋夜さんに滑らせる。


「ありがとう。月弥って敏いさといのか鈍いのか分からなくなるわ」

「僕はよ。天才だよ?」

「賢い方じゃなくて、機敏な方の意味の。月弥がこれ選んだのわざとでしょ?」

「まぁ、秋夜さんが悩んでるの見てたし。新幹線のポッキーのお礼だし」


 照れくさくてそんな言い方をすると、秋夜さんは机に目を落とし、背もたれに体を預けて、力なく言う。


「覚えててくれたのね。でも普通ポッキーが千円に化けるかしら。――夕食のプリンでよかったのよ。月弥がそっとくれるだけで良かった。

 のに、あの関西ザルに月弥はべったりで、どんどん遠く離れちゃう気がしてね」


 秋夜さんはぎゅっと拳を固めて、泣き出しそうな――違った。怒った顔をしていた。背筋が凍り、その上を冷たい汗が滑り落ちる。


「悔しかったのよ。必死で守り続けて楽しんできた座を、いとも簡単に――親類の七光りで掻っ攫っていった関西ザルに、負けたのが。不甲斐ない自分が許せない。

 月弥が遠くにいってしまう気がして、すごく怖くて——でも、麻衣が月弥に声をかけるまで、何もできなかった自分が——許せない」


 怒りの矛先は僕でも、西園寺さんでもなかった。彼女は自分自身に憤慨していた。

 和菓子をおいて、身体を震わせて声を絞り出す。


「怖かった。麻衣だってやっぱり月弥のこと狙ってたのよ。もし一足遅れていたら――麻衣が一足早かったら。月弥はこうやって私とお喋りしてなかったかもしれない。そしたら——」

「ねぇ秋夜さん」


 ありもしない、既に起こることのなくなった出来事に頭を使い、泣き出しそうな顔をする秋夜さんが、見ていてとても腹立たしかった。

 僕の呼びかけに顔を上げた彼女の目は、実際涙で満ちていた。


「今、僕はここにいて、秋夜さんと喋ってて、秋夜さんが好きだ」

「な——」

「あ、いやっ、今のは秋夜さんがとても魅力的で、もっと仲良くなりたいって意味で——だ、だからその、告白とかじゃないんだけど——」


 無理を通せば道理が引っ込み、そうやって前置きをしてしまった今、ダムにせき止められていた思いが溢れ出すのを誰も止めることはできなかった。


「あ、秋夜さんが好きだ。聖女としてだろうが、意地悪な秋夜さんそのものの姿だろうが……好きだ。さっきの西園寺さんへの態度は恩義と悪ノリが過ぎてただけで、ずっと前から秋夜さんのことが好きだ。

 でも、こうやってうじうじしてる秋夜さんは見ていたくない。意地悪でもなんでも、笑ってる秋夜さんが一番好きで——」

「も、もうお腹いっぱいだからっ! や、やめて!」

「あ……え、いや、ごめん。なんか、キモイこと言い過ぎた」

「——別にキモくないけど。私も、同じこと、思ってる。月弥だって私の一番。ただ、今のは……すごく恥ずかしかった。嬉しかったけどね」


 彼女は真っ赤になった顔で、ぶつぶつとそう呟いた。


 今までの醜態を思い出し、恥ずかしくなって赤く染まった顔を俯かせると肩を叩かれて、和菓子を突き出される。

 控えめな歯形が舌で感じられて、気持ち悪い僕の心はドキドキと跳ねた。外側は抹茶味の和菓子にしては甘さはなくてほろ苦く、中の餡子の甘さが引き立てる。


「じゃあ私たちって——あ、いや、聞くまでもないわね。ごめんなさい。

 その……月弥、これからも、よろしくね。これまで以上に……」

「ん? うん? まぁ、よろしく」

「えへへ。月弥、す——……やっぱりダメ。恥ずかしいわ」

「何?」


 秋夜さんは恥ずかしそうな顔で何かを言い出して、聞き返せば、彼女は首を横に振って、いつもの顔に戻る。意地悪な顔に。


「それより月弥、私ずぅっと露天風呂で待ってたのよ。月弥と柵越しにお喋りしたかったわ」

「え、それは覗いて欲しかったってこと?」

「誰もそんなこと言ってないわ」

「言外に感じた。いいよ、明日は視姦祭りだね。楽しみだ〜!」

「私以外の女の裸見て喜んだら怒るわよ」


 下らない話を延々と続けていると講習会の時間が来て、慌てて会場に駆け込んだ。――講習会と言いつつ、やることは単に明日の行程のおさらいと、今日学んだことの発表でしかないが。



 *



 今は九月。夜。秋の夜である。つまり秋夜さんである。

 最近よく思う以上の連想で僕は何の意味もなく胸を高鳴らせて、眠れそうにない――と思ったらいつの間にか寝ていて、秋夜さんとの幸せな夢を過ごした翌朝。

 目が覚めてスマホを見ると五時。二度寝に耽るかと思えば、通知が来ていた。誰かと思えば秋夜さん。


『明日の夜って――』


 プッシュ通知にはそう書かれていて、開いてみると、既に送信取り消しがされていた。

 その他の通知は雑多な物ばかり。スパムメールや、クラスラインが騒いでいた形跡、ニュースのピンクムーンやら、どこぞの大統領の失言などのしょうもない記事。

 数秒思考して、まぁいいやとスマホを投げて僕は寝た。


 直後、ゴツン、と痛そうな音がして飯田くんが大声で怒鳴った。

 その怒号で起きた誠くんは、飯田くんが怒って投げた枕を顔面で受け止めて、怒った彼は枕を投げて、それが僕に当たった。

 結果、朝の五時から一時間、僕らは延々と枕投げをしていた。


 いやはや、スマホは投げる物ではない。以後、気をつけよう。

 頬に飯田くんの拳を受けて吹っ飛ばされながら、走馬灯の中、来世のために教訓を得た。それから、意識が暗転した。


 ——目が覚めて、知らない天井だとつぶやいて、異世界転生を夢見た僕は大変なバカであると、誠くんが吐き捨てた。



 *



「朝食後すぐにいなくなったけれどどうしたの?」

「ん、ちょっとお買い物。そこの扇子屋でね」


 外からホテルのロビーに戻ってくると、キョロキョロしていた秋夜さんと目が合う。彼女は僕に駆け寄って首を傾げた。


 そう言って、腰から扇子を抜いて開いた。中は無地の黒色だが、閉じると側面は赤色に見えるセンスのある扇子。三千円だ。

 お小遣いを奮発された僕は財布に二万円も入っている。余った分は回収されるとのお達しに、僕は当然使い切る気でいた。


「ギャグのセンスで相殺して可もなく不可もなく。いいんじゃない?」

「でしょ~? ふふふふふっ、気分アゲアゲ~!」


 と、自慢していたのが朝。その後僕は扇子を川に落としてしまった――なんて失敗もせず、道中の寺社を見回ったりしながら無事に金閣寺に到着。

 その間、秋夜さんはレポートの為にたくさん写真を撮った。


「ねぇねぇ遠空くん、一緒に写真撮ろ?」


 例えば北野天満宮。班員はバラバラに行動してるが、他班がいるからと聖女の仮面を被ってそう言う。そしてスマホを掲げ、わざとだろう、頬を僕に押し付けて一緒に写真を撮った。

 もちもちの頬の感触がまだ残っていてにやけていると彼女に殴られた。恥ずかしいらしい。


 送ってもらった写真を見て、ようやく気付く。

 みんなから見ると秋夜さんはこう見えているのかとようやく分かった気がする。明るくて朗らかで誰とでも仲良く出来て、ニコッと笑いかけるだけで男は全員恋しちゃうだろう。

 そんな可愛さを彼女は持っていた。――正確には、彼女の仮面はそんな可愛さを持っていた。


「で、にやけてるんだ~」

「うげっ、原口さん……」

「麻衣でいいよ~長い付き合いだし」


 金閣寺の池で泳ぐ鴨を一人でじっと眺めていると、原口さんが僕の隣で僕と同じように竹の柵に体重を預けた。

 軋む音にドキッとするが、竹は柔らかいので問題なかろう。


「ねぇねぇ、遠空くんって~私のことどう思ってる?」

「どうもこうも……秋夜さんの友達? 全知全能の支配者?」

「あはは、支配者なら友達の友達扱いされないように――あわよくばな地位を獲得してるんだけどな~」

「あ、ごめん。いや、僕の方を友達扱いしてくださるとは――」

「分かってる分かってる~。そういう所を見ると毎回悔しくなるんだからね~。なんて言うの? 応援してたら横取りしたくなっちゃうやつ」


 彼女の話はよく分からない――ことにいつもしている。分かってしまえば面倒な思考が増えてしまうから。浮かび上がる可能性に妄想だ幻想だ単なる願望だと、キープアウトのテープを張り巡らして遠ざかってきた。

 だが今、どうやらそんな危険物に囲まれてしまった僕はどれか一つに向き合わねばならない時が――


 なんて、主人公っぽい思考を重ねて、真剣さを醸し出す自分の思考を冷静に鼻で笑って、再び危険物をやり過ごす。


 だが、自分の勘違いだとしても釘は刺さねばならない。

 柵を放して彼女の言葉を遮る。


「私さ――」

「あのさ原口さん。僕は今この瞬間に満足してるから、これ以上は必要ないかな」

「そっか~……あはは、ごめんね。私――」


 竹がギッと軋んで、柵が前に倒れた。

 原口さんを腕を掴んで格好良く止めた僕だったが、引っ張りすぎたせいで重心がぐらつき、その上に彼女が倒れ込んでくる。背中に刺さる小石が痛い。


 彼女が僕の耳元でぽつりと零した。


「やっぱり、諦めるのは厳しいなぁ~。ずるいよ~これは」


 断じて、僕のせいではない。だが、そんなこと関係無しに秋夜さんは泣きそうな顔をするし、それは僕の本意じゃない。


 さっさと彼女をどかして立ち上がり、それから彼女の手を取って立ち上がらせる。騒ぎを聞きつけた係員がすっ飛んできていて、事情を説明していると、数分遅れて、秋夜さんがやってきた。

 僕はにっこり笑って、彼女の持つ三色団子を一つ咥えた。


「それ、私の食べかけよ。しっかり味わってね」


 悪戯っぽくそう告白した、しかし赤い顔の秋夜さんは、ニヒルに笑った。

 その笑顔に赤くなった顔を隠しつつ、安堵の息を一つ吐くと、秋夜さんが耳もとで囁く。


「あとで麻衣にやってたのと同じことしてね。期待してるわ」


 そう言った彼女の目は、顔と異なり、笑っているようにはどうも見えなかった。








PS:なんか変なスランプ入ったのでちょっと休むわ。

 ちゃんと早寝早起きして、スプラ3は少し控えるようにします。

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隣の聖女の本性を、僕だけが知っている 小笠原 雪兎(ゆきと) @ogarin0914

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