第29話 南京錠が日を跨ぐ




 タコ煎餅を食べた後、僕らは普通に昼ご飯をとった。それから花畑を散策して島の南側に下り、再び少し上がった高台。

 その高台からは太平洋が一望できた。

 ——ちなみに、タコ煎餅の事件はなかったこととした。キスしたか否かは……秘密だ。


「ん~南側の海は潮の流れが良く見えるわね」

「それはよく分かんないけど、綺麗なことは確か」


 周りを見るとちらほら腕を組んだカップルがいて、秋夜さんの隣にいると変に勘違いされそうで恥ずかしくて、少し距離を取って、彼女の言葉にそっけなく答えた。


 景色を堪能した秋夜さんは僕を見て、足下を見て、僕を見て、今度は周囲を見渡して、再び足下を見て、あぁと頷く。

 そして僕との距離を詰め、腕を脇腹に抱いた。むにゅっと腕に柔らかいものが押し付けられる。


「なっ――ちょっ、いきなり何!? 離れてよ!」

「月弥、覚えてる?」

「何を!」

「エスカレーターでの約束」


 秋夜さんが僕に耳打ちしたその言葉で、僕は口をつぐんだ。

 勿論覚えている。今日中に僕から恋人繋ぎをするという約束だ。あのときの秋夜さんはとても恥ずかしそうで、可愛かったのに――


 今の秋夜さんは完全な意地悪悪女だ。小悪魔め。

 イタチの最後っ屁にそう言えば、秋夜さんはニヤリと笑って返す。


「早くしないと痺れが切れるわよ?」

「っ……わ、分かった。分かったから早く離れてっ!」

「なら一緒に鐘を鳴らしてみましょう?」


 僕の腕を強く抱きながら、何やら大量の南京錠が掛けられたフェンスの前にある鐘を指差す。

 ――バカな僕は、周りにカップルが多いこととや、秋夜さんの考えそうな事を鑑みればすぐに分かるようなことに気がつかないまま、早く腕を解放して欲しくて頷いた。


 ——秋夜さんが交換条件を持ちかけてくるとき、大方その代償はより恥ずかしい目に遭うことだというのに、僕はコクコクと頷いてしまった。


「ふふっ、やった」


 秋夜さんは純粋な笑みを浮かべて、僕の腕を放す。流れで手を繋ぎ、僕を引き連れていく。

 丁度前のカップルが鐘を鳴らし終えたところで、そこに入るのは気が引けたが、秋夜さんがあまりにも無垢な笑みを浮かべるせいで、鐘の前に立ってしまった。


 促されるまま鐘から垂れる紐を一緒に握り、打ち鳴らした。鉦の音がヤケに宙に響いて、周囲の視線がこちらに集まった気がして、羞恥心が煽られる。


 鐘を鳴らしたあと、秋夜さんは南京錠で溢れかえったフェンスに近寄り、その前にしゃがむ。僕も隣にしゃがめば、秋夜さんは楽しそうにポケットから銀色の南京錠を取り出し、僕に手を添えさせた。


 そのとき、南京錠をフェンスに付けている先ほどのカップルのお喋りが風に乗って僕の耳に届いた。


「これで永遠の愛だっけ? うわなんか恥ずかしい」

「え~でもいいじゃん。願掛けだよ願掛け~?」


 音声データ入力されたものが僕の頭の中で処理される。だが、何やら入力データに問題があったのか、脳内ディスプレイのマウスがくるくる回り始める。ヴォン、と低い電子音が響き、システムのフリーズを通知する。


 三十秒後――それは秋夜さんが僕の指を使って南京錠をフェンスに掛け、ウットリと銀に光る巾着型の金属を眺めるのに、十分な時間で――フリーズから冷めた僕は、秋夜さんを突き飛ばした。


「何してんだよ! バカじゃないの!?」

「っ――危ないわね! 人が恍惚としてるところを邪魔するんじゃないわよ!」

「何が永遠の愛だしっ、高校生が曰うことじゃないから! 頭おかしいんじゃないの!?」


 僕は叫ぶ。


 永遠の愛だの、一生を誓うだの、そんなものが許されるのは幼稚園児か社会人だけ。僕ら高校生が、しかも出会って半年も経たない僕らが口に出す言葉ではない。

 確かに僕は秋夜さんのことが好きだ。大好きだ。一生を誓えるなら誓いたい。だけど僕にそんな資格はない。


 秋夜さんが僕を揶揄しているつもりならまだ結構。巫山戯るなの一言で済む。他の南京錠とそのカップルらを侮辱したという罪だけで済む。


 だけどもし彼女が僕をことを好きで、本気で『永遠の愛』を求めているのであれば、この契約けいやくには責任が伴う。人の一生を背負う能力も知識も経済力もない僕らには重すぎる責任が生まれる。


 それは、避妊具無しに性交する考え無しな、勢いに任せた『責任取るから』なんて発言する無責任な、子供が出来たから仕方なく愛を誓う計画無しな、現実と架空のあわいにいるようなリアルを見据えず目を逸らし、フィクションに憧れ虜になる、それこそ秋夜さんの言う『下衆』と同じになってしまう。


 秋夜さんを『ぶっ殺す』目で睨む。だが、秋夜さんは飄々と肩をすくめ、僕に銀色の小さな何かを投げた。キャッチすれば、南京錠の鍵だと分かる。

 次に、マジックペンを僕に突き出す。


「月弥が怒っても何も面白いことはなかったね。詰まんないわ」

「クソ食らえ上等、何が言いたいわけ?」

「南京錠に名前を書けば願掛け成功。鍵を外せば願掛け失敗。そのどちらかの選択肢、好きに選びなさい。

 ……今の台詞のところかなり練習してきたのよ? 小悪魔チックに言うか、恥じらって言うか、みたいにね。あ~あ、月弥が本気で怒るから場がシラけたじゃない。ただの揶揄よ」


 秋夜さんは投げやりに長い言葉の数珠を吐き、詰まらなさそうな顔をして、階段を降りたところで待ってるから好きになさい、と言って立ち去ってしまう。


 なんだ、からかい目的だったのか。

 ――そう簡単には納得できなかった。

 僕が本気で怒っていると知っていながら、南京錠に名前を書くという選択肢を僕に残して去る意味はなんだ。普通なら南京錠を外す一択だとわかるはずだ。

 ってことは、もしかして……秋夜さんは期待してるのか。


 まるで、僕が秋夜さんと結ばれたいとかいう、やわく、ほのかな期待のように……。


 南京錠に触れる。汚れ一つないそれは、太陽の光を受けてキラキラ輝いていた。

 秋夜さんの名前はそこになかった。



 *



「少し冷静になった? ほら、鍵と南京錠、返して頂戴。このネタするためにわざわざ買ったんだから」


 秋夜さんは植え込みの石に座って、ふて腐れた様子で僕に手を突き出した。僕はため息を吐いて、その手を押し返す。

 秋夜さんが逸らしていた顔を僕に向け、睨む。その目は少しだけ赤い。


「何よ?」

「秋夜さん、名前書く気なかったでしょ」

「……さぁ、どうかしら?」

「仕込みが下らないよ。このマジックのインク切れてるじゃん」

「……そうだったのね。インク切れてたんだ」

「インク切れてるのを持ってきたんでしょ? 僕が名前書こうとしても、書けないように。僕に名前書かせて、自分だけトンズラするなんてできないから」

「――……別にぃ。私だって、月弥と一緒で、『永遠の愛』なんて誓うつもりなかったわよっ。そんな無責任なことしないわよっ。恥ずかしいし!

 ちょっと、月弥をからかいたかっただけよっ」


 秋夜さんが僕の手をかなり強く殴る。その痛みを甘んじて受け入れる。僕にはその義務がある。——少し悪戯が過ぎただけの秋夜さんを、傷つけ過ぎてしまったから。


 背後を通り過ぎるカップルが物珍しげな視線を寄越してきて、羞恥心が煽られるが、耐える。

 だんだん秋夜さんの殴る力が弱くなってきて、最後には僕の手を両手で握った彼女は弱々しく零した。


「月弥。別に本気で怒ったところで全然怖くなかったわ。ただ猿風情のホモ・サピエンスがブチ切れてるだけだったもの……」

「ごめん、その言葉には流石に傷つく」

「……でも少しぐらい、ドキッとする素振りを見せて欲しかったわ。本当に嫌われたと思ったら怖くて怖くて――……別に! 泣いてはいないけれど! 少しっ、泣きそうに、なりそうな、気がしただけよ!」


 突然大きな声で、今まで敢えて指摘してこなかったことを、自ら否定する。秋夜さんの赤い目は、彼女が涙目になっていたことを明らかに物語っていた。

 墓穴掘ってるなぁと暖かい目で眺めれば、秋夜さんは顔を赤くして怒鳴る。


「それにっ、別に月弥が私を嫌っても本当はどうでも良いけれどっ……だから、今の泣いた云々の話はリップサービスで――」

「あのさ、話を本筋に戻していいかな?」

「――……あなたが逸らしたことよ。好きになさい」


 言いかがりが酷すぎるが、甘んじて受け入れておく。これ以上彼女をつついたら大惨事になってしまいそうだから。


 秋夜さんの息が落ち着くのを待って、僕はポケットからマジックと、鍵を取り出す。

 南京錠がないことに秋夜さんは首を傾げて、僕を見上げた。


 当然だ。あの流れは僕が南京錠を外す流れだったのだから。


 気恥ずかしくなって、視線を宙に滑らせて頬を掻く。

 その仕草だけで秋夜さんは何かを悟ったのか、彼女の頬にすっと赤味が差した。


「あの~さ、鍵は、好きにしていいよ。あとマジックも返す」

「南京錠、は? もしかして外さなかったの……?」

「その……さ。また来ようよ。例えばさ、例えばの話だからキモいとか思わないんで欲しいんだけど――でも冗談ではないんだけど……その、もしさ」


 長ったらしい、冗長で意味のない前置きを吐けば吐くほど、言いたいことが言えなくなりそうで、一度息を切って、それから口から零した。


「僕らが大学生になっても、社会人になっても、人の一生を背負えるぐらいの年になっても。まだ縁があったらさ。それで付き合ったりでもしたら、また来ようよ。江ノ島に」

「っ――……」

「それで……名前、書こうよ。ね? まぁ、雨夜の月を見るぐらいにさ、有り得ないことかもだけど……」


 慣用句を普通に使って――ふと、先刻のことを思い出す。

 秋夜さんがタコ煎餅を囓りながら言っていたことを。


 一瞬焦ったが、まぁ今の秋夜さんなら僕を揶揄することもないだろうと思い直して――


「ふふ。そうね。そうしましょ。でも大丈夫、安心して」


 やや興奮気味に秋夜さんは短い単語を連続して紡ぎ、立ち上がって僕の手を握る。

 僕の心配は、杞憂に終わることはなかった。


「私たちは秋夜と月弥よ。秋夜の月ほど素晴らしいものはない、相性ピッタリなセットなのよ」

「っ――」

「いいわ、気に入った。さっきのことは全て水に流すわ」


 秋夜さんは目をグシグシ拭って、晴れやかな笑みを浮かべて立ち上がり、僕の手を引いて早足に階段を降りる。

 ――結局彼女に引っ張られてばっかりで、それが悔しくて手を滑らせる。そのまま、彼女の指の隙間に指を滑り込ませ、握った。


「っ……」

「その……約束守ったから。約束のスロット一個空いたから――……小指、出して」

「え?」

「——……江ノ島また来る、約束」


 約束のスロットってなんだよ! 指切りするとか告白かよ!


 理性が大声で叫ぶ。

 猛烈に恥ずかしい。顔から火が吹き出てるし、心臓はさっきから煩いし、立ちくらみがして倒れそうだし。でも――

 繋いでない方の手の小指を突き出して、体の前に出す。秋夜さんがゆっくり、少し震えながらそこに小指を掛けた。


「ゆ、ゆ~びき~りげんまん……」

「うそついたら、はりせんぼん、の~ます……」


 ゆびきった。

 同時に呟き、早々に小指の交わりを解く。

 それから、何も言わずに階段を降りた。


 指が絡むこの感触だけでもう十分だった。






PS:賛否両論ですね。『無責任に『永遠の愛』とか恥ずかしいこと言ってもいい。気持ちが変わったら気持ちが変わったで、忘れてしまえ』のスタイルが前作。本作は義理堅くて堅物スタイルのカップル。

 一応、違いはあるんですよ? エスパーがあるか否かってだけじゃないんですよ?


 少し話が冗長になったかも。どちゃエロい回、今週中に出します。

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