第30話 船に酔い、約束に酔いしれる——つまり酔う




「うわぁ……洞窟だ。初めて見た」

「私も初めてよ。生成種類によって全然違うらしいけれど。ここは侵食洞窟ね。ちなみに山口の秋芳洞は溶食洞窟よ」

「調べたの?」

「当然よ。デートコースの話持たせも計画者の仕事だもの」


 洞窟の中。僕らはかなり快活にお喋りをしていた。

 何故かというと、この僕らを繋いでいる手に原因がある。指と指を絡める恋人繋ぎが問題だ。

 互いの指の温もりが交差し、その存在を生々しい『肉』として感じる握り方。腕の腹が擦れ合ってくすぐったく、思わず指から力を抜けば、逃げないように、逃がさないようにと互いの指を握ってしまう、なにかそんな神様が宿っているのではないかと考えてしまう握り方。


 横を見れば、目の下が少し赤い。秋夜さんだって恥ずかしいんだ。

 そう思えば少し心に余裕が出来て、恋人繋ぎをしていることを忘れようと積極的にお喋りをするようになり、巧まずに『観光の質』は上がった。


「月弥、洞窟って意外と綺麗なのね」

「そ、そうだね。なんがゴツゴツしてて、すごいよね」


 ――果たして本当に『質』は上がったのか。些か疑問ではあるが……難しいことは考えないことに決めた。


 とまぁ、洞窟内の装飾品やライトアップされた変な像だったりを眺め、軽~く洞窟を通って僕らは外に出る。

 感想:うん、洞窟だった。


 そして海を片手に橋を歩き、山を越え、谷を越え――って程でもなく、岩場に出た。


 桟橋があるのを見れば、どうやら船着き場らしい。自然と秋夜さんと手を離し、海に近づく。

 秋夜さんは傾いてきた太陽を睨み、サングラスを掛け、そのまま腕時計に目を落とした。


「ん~……予定よりも少し早いわね」

「どれぐらい? あとこの後はどんな予定?」

「質問は一つになさいよ。三十分ほど早いわ。この後は遊覧船――というより水上シャトルバスに乗って島の反対側……北側に戻るわ。歩くと小一時間かかるから。それで終わりかしらね」


 遊覧船と言ってから彼女が言い直したのは、明らかに僕の悲劇を叫ぶような顔を見たからだろう。具体的には『そんなお金持ってないよ!?』という顔だ。

 秋夜さんは呆れた顔で肩をすくめ、ふと周りを見渡して、ハッと何かに気付いた顔をする。僕が首を傾げれば、秋夜さんは舌打ちをして言う。


「月弥、私気付いちゃったわ」

「何?」

「月弥と約束したでしょう? 水着姿見せるって」

「あぁ……なんか言ってたね」

「すっかり忘れてたわ。あぁしまった、こんなことなら海水浴場も調べておいたら良かったわ……」


 秋夜さんが額を押さえて呻き、スマホを開いて何かを検索し始める。そこまで残念がることなのか甚だ疑問だが……と僕は首を傾げるフリをして、その場にしゃがんで頭を抱えた。


 くそっ! 何で忘れたんだよ秋夜さんのバカ! デートコース丸投げした僕はもっとバカだけど、秋夜さんのバカ! 忘れてた僕が言うのもなんだけど、期待してたのに!


「――……下心丸見えね。まぁいいわ、今度適当に考えておくから。とりあえず、船に乗るわよ」


 言いつつ、秋夜さんはスマホを閉じて、向こうからやってきた遊覧船を指差した。

 どうやら、予定より一本早いものに乗れるようだ。



 *



「酔った……わ」

「まぁ横揺れってあんまり日常生活で経験しないし」


 水上シャトルバスで直接神奈川本土に戻ってきた僕は、青い顔の秋夜さんを近くのベンチに座らせて、ショルダーポーチからコンビニ袋を取り出す。

 たまたま日付が印字されている物で、見れば五年前の物だった。どうやらいつか入れた時のままだったようだ。五年も眠らせた熟成コンビニ袋、さぞかし役に立つのだろう。


 秋夜さんはそれを受け取って、その中に重苦しいため息を吐く。気持ちが悪い時のため息を吐きたくなる気分、とてもよく分かる。

 僕は彼女の斜め前に突っ立って、ぼーっとしていた。話しかけるだけでも酔ってる人には大きな振動に感じられるのだ。


 僕らを乗せてきた水上バスが行って、再び帰ってきた頃、コンビニ袋に顔を突っ込んだままの秋夜さんが呟く。

 ガサガサとコンビニ袋が揺れた。


「トイレに……行きたいわ」

「――……出るのは上から? 下から?」

「死ね……」


 一応のために聞くと、秋夜さんが最も単純で人を呪う言葉を吐く。当たり前の質問でもあったので、呪われても仕方がないか。


 少し周りを見渡し、それっぽい建物を見つけて走り寄って中に入ってみると、ちゃんとトイレだった――が、なかなかに汚い。

 男の小便は例えどんなトイレでも可能だが、女性は便座に座る必要があるので大小無関係に不快感が否めないだろう。

 もう少し遠くへ歩き、再びトイレらしきものを見つける。こちらは駅に近いので汚くなさそうだ。


 秋夜さんの元へ駆け足で戻り、咳払いを一つ。

 結果報告をしかけて――秋夜さんの顔色が普通に戻っていた。


「――あれ? あ、えと、三分我慢できたら綺麗なトイレも行けそうだけど……」

「あらどうしたの?」

「いや、こっちのセリフ。吐きそうだったんじゃないの?」

「もう治ったわ。行きましょう」


 秋夜さんは晴れ晴れとした顔で肩をすくめる。

 その体の影から、熟成期間五年物の灰色のコンビニ袋が覗いた。——その口は縛られている。彼女は僕の視線から隠すように、コンビニ袋を動かした。


 トイレに行きたい、と言ったのはどうやら僕を離れさせる方便だったらしい。何を言えば良いか迷った後、丁度良い台詞を思いついた。


「――……今度来るときは、遊覧船には乗らないようにしよっか」

「……その、聴覚視覚共に、気分の良いものじゃないでしょう? ツルの恩返しと同じよ……」


 答えになってない言い訳をして、秋夜さんは体の後ろに両手でコンビニ袋を持ち直して、隠す。

 嘔吐の場面というのは、やはり見られたくないものだ。

 なるべく事務的な口調で聞くことにした。


「うがいは?」

「したわ。その、手も一応ティッシュで拭いたり――」


 言い訳がましい口調でそう続ける秋夜さんに僕はため息を一つ、ショルダーポーチからアルコールティッシュを取り出し、彼女の口元を適当に拭う。

 別に汚れがあったわけじゃないが、ポケットティッシュだけだと嘔吐の後の不快感は拭いきれないだろう。遠慮したように顔を引く彼女の頭を後頭部から押さえ、逃げられないようにして拭く。


 後頭部を押さえ、顔を寄せて秋夜さんの唇を拭く。

 この構図に何かおかしな点でもあるのか、秋夜さんの頬にすっと赤色が差す。キスが如何の斯うの、のよりドキドキするだの、訳のわからないことをブツブツ呟いていた。

 どうやら大量のMINNTIAミンティアを食べたのだろう。レモンの甘い匂いがする。


 その後、もう一枚取り出して秋夜さんに押し付け、代わりに中身の入ったコンビニ袋を奪う。——この中に秋夜さんの体にさっきまで入っていたものが……いや、変な性癖に目覚めそうだ。考えないようにしよう。


「あっ、ちょっ――」

「僕が持つのが不快なら返すけど」

「別にそういうわけじゃないけれど、でも――……流石に、それは私が持ちたい」

「そ。じゃあ返す。行くよ?」


 手を念入りに拭いていた秋夜さんにコンビニ袋を返し、受け取って僕と反対側の手に持ち替えた隙に、彼女の手を奪う。

 逃げようとするのを制止するために強く握りかけて、手をずらし、指の隙間に指をねじ込み、握る。


 ぶわぁ、と隣で何かが燃え上がった。


 ふわふわ宙を漂っていた僕の指に挟まれた彼女の指が、僕の手の甲を捕らえ、少し滑り、指の根元を押さえる。

 真っ赤になった横顔を見惚れていると、彼女がこちらを見て謝る。


「ごめんなさい。デートの最後に嫌な思いさせたわね……」

「そう嫌でもないよ? 当然、愉快でもないけど」


 秋夜さんが気分悪くなったのに、愉快になれるわけがない。

 そう続けようとして、なんだか恥ずかしくなって、そこで言い切ってしまい、言葉が僕の真意とは別の意味で取れるようになってしまう。

 慌てて、付け加える。


「その、秋夜さんは、何も気にしないで。僕は秋夜さんのこと大事だし、傷つけようとかそんなつもりはなくて――」

「わ、分かったわ」

「んで、その……いつか、縁があったらまた来よう。アイスクリーム食べて、綺麗な景色見ながらタコ煎餅食べて、それから南京錠にも名前書いて――船はゴメンだから、徒歩で帰ろう」

「わ、分かったからっ、もうっ……お、お腹いっぱい。やめて」


 両手が塞がっているから顔を隠せないとばかりに僕から顔を背けた秋夜さんが、上擦った声で言う。

 真っ赤な耳が、見えない彼女の表情が如何程のものなのかハッキリ物語っていた。


 ——ぎゅっと手を握る。

 数年後の約束に、胸が躍った。コンビニ袋が音を立てた。






PS:私の投稿ペースにも山あり谷ありだった江ノ島編、終了です。ここで一つ質問。この話、夏休み中に完結できるかな……?

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