第31話 フリーと呟く囚われの鳥
「秋夜さん、おは――よ……? 髪切ったんだ」
「うん、おはよ遠空くん。遅かったね!」
一学期終業式の朝。
学校に着くと秋夜さんの雰囲気がいつもと違った。
なんてことはない、髪の毛が短くなっているのだ。おかげで清廉というよりも、活発なイメージが強くなった。肩にギリギリ届いてないから――ボブカットか。
聖女モードも相まってとても可愛らしいが、本性の彼女もギャップ萌えですごく愛らしいことになるだろう。
ちなみに秋夜さんが聖女モードなのは、飯田くんがこの場にいるからだ。いつもは朝礼ギリギリの彼は、どうやら登校時間を間違えたらしい。終業式はいつもよりも集合時間が遅いのである。
聖女モードの彼女が『遅かったね!』と僕に言うときはだいたい『もっと早く来なさいよ』という意味である。理由は『
秋夜さんはきゅるんと首を傾げ、あざとさ全面に聞いてくる。
「ねぇ遠空くん、どうかな?」
「秋夜似合ってるぜ! 可愛いぜ!」
「ありがとう飯田くん。で、遠空くんは?」
「えと……い、良いと思う、けど」
「ぶーっ、もっと具体的に言ってよ~」
秋夜さんはこれまたあざとさマックスに頬袋をぷくっと膨らませると、席を立って軽く僕の腕を殴った――ようにみせて、実際はとても強く殴る。痛い。
飯田くんが何故か僕を睨んでくるけど、彼が秋夜さんのことを好きならむしろ喜ぶべきではなかろうか。もしかして彼は秋夜さんに殴られたいのだろうか――ドMなのかな?
「Hey柚菜ちゃん! 髪切ったね! 似合ってる!」
「あ、
そんなことを思いながら延々と僕を殴る秋夜さんのせいで吐血しそうになった頃、金髪ハーフこと金子さんがやってきた。秋夜さんが僕からようやく離れ、金子さんに挨拶をする。
ちなみに彼女の名前は金子有栖。ハーフらしい名前である。
「っ――お、俺トイレ行ってくる!」
「飯田が行くならアタシも行く~!」
「あっ、えっ、じょ、女子トイレは反対側だろ!?」
「んん~飯田に着いてく! Let's go!」
突然、飯田くんが焦ったように席を立って、明らかに逃げの一声を放つ。金子さんは彼を追いかけ、無理矢理肩を組んで教室から出て行った。
秋夜さんはほっとしたように息を吐き、そして首を傾げた。
「あの
シュウトン?
前々から思っていたが、豚男豚男と秋夜さんが呼ぶ割に、彼は全然太っていない。一体全体、とこから『豚』の一文字が出てきたのか――
「軽蔑の一文字よ。その分、豚には申し訳ないと思ってるわ」
口に出ていたのか、秋夜さんはそう答えてくれた。
なるほど、と合点がいったので秋夜さんの疑問に答えを上げることにした。
「金子さんが飯田くんのことを好きで、その飯田くんが秋夜さんのことを好きだと仮定したら、結構簡単に話は分かるよ。
金子さんがグイグイ来るから、秋夜さん目線、飯田くんは
「失礼ね。あの豚男のフリー判定なんてどうでもいいのよ」
「飯田くんの思考の話だから否定されても困るんだけど……」
そう呟くと、秋夜さんは短い髪をつまんでずらし、僕から横顔を顔を隠す。
その動きに、どきりと心臓が跳ねてしまう。
「月弥のフリー判定しか、興味ないんだから」
「ば、バカ。フリーに決まってるじゃん……」
「そ。どうでもいいけど、まぁ、良かったわ」
前言撤回が速すぎる。手の平返しでコンクリートも突き破れるんじゃないだろうか。そう皮肉を言いかけて、言ったら殺されると思って、口をつぐむ。
——そんなふうに不満タラタラな思考で、顔が赤くなりそうなのを抑えた。
口の中で言葉をもごもご捏ねくり回していると、口の中に溜まった歯磨き粉の混じった唾液みたいに、唇から零れ落ちた。
「秋夜さんは、フリー?」
場の空気が凍る。同時、自分の発言を理解しかけて心臓が跳ねた。慌てて訂正しようとすると、それに秋夜さんが言葉をかぶせる。
「……っ、ご、ごめん。なんでも――」
「さぁ、どうかしら?」
「そ、そっか……」
「えぇどうでしょうね」
秋夜さんがぎこちない動きで手の平を宙に放り、肩をすくめる。
そこで話が終わってしまった。
沈黙が生まれて、予鈴が鳴って、飯田くんが戻ってきて、担任が入ってくる。教室が煩くなった。
その雑音の中、彼女が唇を震わせた。
「好きな人がいるかって意味なら――もちろん、フリーじゃないわよ」
「えっ、なんて?」
「な、なんでもないわ。その、ただ……」
秋夜さんは首をぶんぶん横に振って、否定する。口ごもって、僕から目を逸らし、膝の上に置いた手を強く握りながら、絞り出すように小さな声で、彼女は何かを言った。
聞き返さなくても、なんとなく予想できてしまって、でもその言葉は僕の気持ちの悪い期待から生まれたように思えてしまって、罪悪感から僕は俯いて耳を塞いだ。
「好き、よ」
空耳か、否か。
塞いでいるはずの耳に響いたその言葉を確かめるのは、怖くて出来なかった。
*
「ねぇ月弥、これあげる」
「え? ――……何これ」
マックで秋夜さんとランチをしていると、突然、秋夜さんが鞄から茶封筒を取り出し、僕に突き出した。受け取ると、封筒の上からわしゃわしゃした感触を得る。——変な表現方法だけど、本当にわしゃわしゃしたのだ。
ジェスチャーだけで中を覗いて良いか聞けば、秋夜さんはぶんぶんと首を横に振ったので、そのままリュックの中に閉まった。
――という、短い回想を経た風呂上がり。
ベッドに腰掛け、茶封筒を開いて傾けると、一束の黒光りする糸が昔の納豆を包んでいた藁のように、両端を縛られた状態で滑り出てきた。
ぎょっとして身を引いた後、手に取ってみる。どうやら髪のようだ。突然どうして――もしかして何かの暗号だろうか。
首を傾げていると、膝の上に一枚の白いカードが落ちていた。
見れば、角の立った秋夜さんの達筆が粒をそろえて並んでいた。
『髪を切ったけれどウィッグ用に寄付するには長さが足りなかったから、月弥にあげる。嗅ぎながら寝なさい』
「っ――……何それ……おふざけ?」
茶封筒を投げ捨てるも、空気抵抗のせいでゴミ箱に全然届かない。——僕の力が抜けたわけじゃない。むしゃくしゃして床の茶封筒をそのまま放置し、カードを枕元の棚に避難させ、ベッドに転がった。
「僕はマジで変態だから使っちゃうけど、やってることマジで寒いよ、秋夜さん」
この場にいない彼女にそう呟く。
両端はかなりしっかり縛られていて、髪の毛本抜くのにもかなり力がいりそうだ。――まるで、寝ながら触ることを想定していたかのような縛り方だ。
こうなりゃヤケだと、部屋の電気のスイッチを消して布団を被る。
これは命令されたことだから。仕方がないことだから。秋夜さんが全部悪くて、僕に罪はないから。
責任転嫁を十分にしてから、髪の毛の束を顔に近づけた。
「柚菜、さん……」
呟いてみる。——彼女の前ではまだ言えそうもない。
美容室のシャンプーの香りが乗った秋夜さんの髪の毛を顔に当て、気持ち悪い行為をしている自分に吐き気を催しながら、僕は目をつむった。
睡眠不足になったのは言うまでもない。興奮して、ずっとドキドキして、夜が来たと思ったらすでに朝だった。
*
「はぁ……」
口から漏れた息は、自分でも驚くぐらいに熱っぽくて恍惚としていた。月弥を感じるものがないまま過ごす夜が早一週間以上続いて、頭がおかしくなりそうだった。
いや、実際頭がおかしくなったから、自分の切った後の髪がまとめられているのを見て、月弥にあげたくなったのだろう。
だけど……
クーラーに晒しているのにもかかわらず体は火照ったままで、胸の内からドキドキがあふれて止まず、ベッドの上でジタバタしても足の付け根がむずむずするような――
「月弥、嗅いでるかな……」
どうやら、私は気付いてしまったようだ。
顔を枕に押し付け、小さく叫び声を上げて、息が苦しくなって上を向く。五十メートルを全速力で駆け抜けた時のように息が乱れていた。
だけれども、体育の時とは違い、勝手に顔がニヤついてしまう。月弥を感じられなくても、月弥が私を感じていると思っただけで幸せになれるのだと。
彼に支配されなくとも、彼を支配するだけで私は満たされるのだと。——あぁ、月弥をもっといじめたい。
「ふふっ……それにしても、フリーなんだ。やっぱり」
『フリーに決まってる』『秋夜さん以外興味ない』『秋夜さん愛してる』
昼にもらった月弥の言葉がカタカタと正しい言葉に置き換えられていく。
それだけで、天にも昇るような胸の躍動を感じた。
嬉しい。好き。私も好き。
……そうだ、私は月弥を支配するんだ。月弥の言葉にドキドキするような乙女だと、月弥を完全に支配することはできない。
月弥、今度はフリーなんて言わせない。私のものだって言わせてあげる。そう意気込むべきだ。
——月弥、今頃何してるかな? 寝てるかな? 月弥を背後から抱きしめて驚かせたりしたいな。それで、月弥のことそのまま食べちゃいたい。
考えたら、胸が自然とドキドキしてしまった。
PS:ふと設定を見返したらタグに『ヤンデレ』とあったので、取って付けたようなヤンデレ要素。
場を繋げる回なので、ご容赦。むしろ半分寝ながら書いた私を褒めて欲しい。
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