第28話 雨夜の月を見るほどに、秋夜と月見は引き裂けない




 長い長いエスカレーターを降りた後。

 ちょいちょいと僕の袖を引いてもじもじする秋夜さんの為、トイレ休憩をとることにした。からかおうかと思ったが、事前に『ぶっ殺す』目で睨まれたのでやめておく。

 やはり女子と男子のトイレ事情は違うようで、僕が男子トイレを出た時はまだ、秋夜さんはトイレの外の行列に並んでいた。


 肩をすくめ、ゆっくりでいいよと目で伝え、辺りをぶらついてみる。視界に『タコ煎餅』の看板が見えて興味がわいたが、その下に長蛇の列を見が見えて肩が落ちた。


 だが——振り返って、お昼時なことも相まって外まで続く女子トイレの長い列を見て、結局僕もタコ煎餅の行列に並んだ。秋夜さんがトイレから戻ってきた時、タコ煎餅があったら喜ぶだろうなと思ったからだ。


 並ぶこと数分、スマホに『どこか知らないけどテラス席で待ってるわ』とプッシュ通知がきた時に丁度、僕の番がやってきた。

 どうせすぐ向かうのでレスポンスはせず、タコ煎餅を一枚注文する。


 顔の倍ぐらいある大きなタコ煎餅に感嘆の声が漏れる。持ち手の紙の部分はほんのお飾り程度と鼻で笑ってしまえそうなほど、タコ煎餅の大きさと比べれば小さかった。


 受け取って、落とさないように気をつけながら辺りを探すと、秋夜さんはすぐに見つけた。――が、隣に誰かがいる。


 近づいてみれば、どうやらナンパのようだ。わぁ、初めてナンパの場面見た。ホントにいるんだ、ナンパ師って。と、初めて生で実物を見て、変に感動してしまう。


 ナンパ師の彼は、僕と違って高身長で金髪で陽キャで、かなりのイケメンの大学生ぐらいだった。


「俺も一緒に回らせてよ~そのデートに」

「愚民と付き合うほど暇じゃないわ。他を当たってくれるかしら」

「えぇ~良いじゃん。ちゃんと邪魔はしないし、むしろ引き立て役もするよ~?」


 暖簾に腕押しをするように、秋夜さんの毒舌はあまり効果を発揮していない。


 すぐに助けるべきなんだろうけど、秋夜さんがどうやってこのナンパを切り抜けるのか、興味が沸いた。よろずの被ナンパ経験を持つ秋夜さんなら、これぐらいお手の物だろう。


 ――そう、理由を無理やり作って言い訳する。本当は僕の醜い嫉妬心が、秋夜さんを突き放したくなったのだ。自分で解決すれば? 経験豊富そうだし、それぐらい自分でできるでしょ、と。


 秋夜さんがナンパされていることに、秋夜さん自身にはなんの罪もないのは分かっている。それなのにこんなことをしている自分が嫌いだ。

 むしゃくしゃして、自分の喉を掻っ切ってしまいたいような、でもそんな度胸もなくて、そんな自分がもっと嫌いで——


 だけど――


「でもさぁ~君のその口調、彼氏さんもウンザリしてるんじゃない? それを俺がサポートしてさぁ~」


 ナンパ師の方が、もっと嫌いになりそうだ。


 秋夜さんは『秋夜さん』であって、僕はその『秋夜さん』の本性が好きで、大好きで。ゲスで悪魔で性悪な彼女が、好きで。

 それを否定されるのはこの気持ちが否定されるようで、なにより『秋夜さん』を否定するようで、嫌だ。

 なんて、舞台の上でしか言わないような、素面で言ってる人がいたら軽薄な僕なら笑ってしまいそうなそらぞらしい言葉が浮かんで、声を出しかけて、口をつぐんだ。


 『俺の彼女に手を出すな』なんて定型句は言い出せる気がしない。


 それから、子供っぽい言葉が浮かんで口を開くと――秋夜さんの楽しげな声で体が止まった。


「月弥が聞いたらどんな反応するでしょうね。ふふっ、月弥が怒るの見てみたいわね。よしいいわ。月弥が戻ってくるまで好きに口説きなさい。それで月弥が最高に怒ってくれる舞台を作るの」

「え……? あぁ、なに~俺もしかしてダシに使われる感じぃ? まぁいいけどさ。それで一緒に行かせてよ〜。俺、実は結構良物件だったりするんだよ? 親とか、学歴とか。この後の費用全額負担したっていいよ〜」

「雨夜の月を見たとしたら、考えてあげなくもないわ」

「なんか難しそうな単語知ってるね~。でも雨の夜に月、俺なら頑張って見せるよ? ヘリとか自家用で持ってるし、雲の上まで行けばさぁ」

「ふふっ、私のお気に入りの慣用句なの。——ねぇ月弥? 月弥なら当然知ってるわよね?」


 上機嫌に笑いながら突然秋夜さんは振り返り、がらんどうな瞳で僕を見つめて確認するように聞いた。まるで、ずっと前から僕がいたことを知っていたような顔で。

 晴れやかな笑顔の中で唯一笑ってないその目にゾクッと背筋が強ばる。反射で、口から答えが漏れた。


「不可能、の意味です。もしくはその例え……」

「月弥の正解」


 だがその怖いのも一瞬。秋夜さんはベンチから立って僕に駆け寄り、タコ煎餅に齧り付いてからナンパ師を振り返った。その顔には、先ほどと異なり明らかに残虐な笑みが浮かんでいる。


「私を口説くなんて時間の無駄だったわね。私はもう彼の物なの」

「秋夜さん変なこと言わないでっ!」

「月弥と私は相性がピッタリなの。ね~月弥♪」

「やめてよ! あと腕組まないで! タコ煎餅落ちちゃう!」

「じゃあ食べちゃいましょ。あっちの方が景色綺麗よ」


 るんるん気分の秋夜さんは、僕の腕を抱き締めたままスキップせんばかりの勢いで僕を引っ張った。

 ナンパ師が呆気にとられた表情で固まったまま、一切の追従してこなかったのは僕にとっては嬉しいことだった。——情けないことに、先の子供っぽい煽り文句以外、警察を呼ぶぐらいしか対抗手段が見当たらなかったので。



 *



「――で、お説教タイムよ」

「ごめん。秋夜さんのナンパ回避スキルを見たくなって……」

「人でなし。そんなことするなんてデート相手失格ね」


 秋夜さんが一方的に僕の持つタコ煎餅を囓りながら、腕を組んで怒ったポーズを取る。しゅん、と効果音をつけておどけつつも本気で反省して俯けば、秋夜さんは意外にも暖かい声を出した。


「それとも私を試したかったのかしら」

「べ、別にそんなつもりはっ——!」

「いいわよ。不安になるのも仕方ないわ。百三十八億年に一人の美少女が――」

「宇宙誕生してから一人じゃん」

「えぇ……まぁ、そんな私が決して半年に一人のイケメンとさえ言えないあなたと遊んでいるなんて有り得ないことだもの。それこそ、雨夜の月を見るようなね」


 相変わらず高すぎる自己評価に呆れつつ、秋夜さんのセリフに恥ずかしくなって顔を下に向けると、それを肯定と受け取ったのか、秋夜さんはニコリと優しく笑った。

 ――事実、『不安になった』と彼女が言う通りなのだが、それを認めたくなくて僕は全身の筋肉を固める。


 秋夜さんは僕を安心させるように、なだめるように優しく言う。


「でもね、私は雨夜じゃなくて秋夜。この意味が分かる?」

「……どういうこと?」

「中秋の名月と言うように、月弥と私は相性抜群なの。月が一番綺麗にられるのは秋夜で、秋夜と言えばお月見が一番なの。運命みたいでしょう?

 だから大丈夫。私は月弥から離れたりなんてしないし、できないわ」

「っ……そ、そんなの違ったら違ったで、別の理論でこじつけるだけじゃん! 別に運命じゃなくてっ、偶然性を無理矢理見いだしてるだけじゃんっ! 占いとか予言とかと一緒じゃん!」


 事実、秋夜さんの『運命』はこじつけで、彼女自身それを理解した上で僕をからかうために言っている。でも、秋夜さんの言う『運命』を一瞬感じてしまった僕がいて、それが恥ずかしくて、マジレスしてしまう。


 秋夜さんはへぇ~とニヤニヤ笑い、タコ煎餅を囓った。そして首をかしげる。


「月弥は食べないの?」

「えっ、あ、頂きます……」


 見れば、僕の顔の二倍近くあったタコ煎餅は既に半分近くまで減っていた。タコ煎餅を折るべく手をかけようとすると、秋夜さんが押しとどめる。


「何やってるのよ、そのまま齧り付きなさいよ。手は汚れてるんだから」

「で、でもそしたら――」

「あら、間接キスなんてまだ気にしてるの? ぷっ、子供ね」


 秋夜さんはわざとらしく口に手を当てて吹き出す真似をした。

 ムカついて、一瞬だけ理性のスイッチが切れる。イライラを燃料に走る僕の暴走機関車は、体を乗っ取って無理矢理動かす。


 気付いたら、舌にタコ煎餅のみりんと醤油の甘塩っぱい味を感じた。タコ煎餅の淵に舌を滑らせると、秋夜さんの歯形か、でこぼこした輪郭をなぞった。


「っ……月弥、ばか……。そんな、急に間接キスなんて……」


 秋夜さんが何かを呟いた。だが、それを聞き取るほどの余裕は僕にない。ただ、僕の唾液を吸ってふやけるタコ煎餅を意味もなく噛みしめるだけ。


 秋夜さんはもぞもぞと座り直して、ほとんど独り言のように何かを語り始めた。


「私も、少し不安だったわ。あの男に言われたこと、図星だったから。その……私の性格に、ウンザリしてる、ってとこ」

「そんなわけっ――ないよ……」

「ふふっ、ありがとう。月弥は素直だから、即答してくれるのね」

「っ……ばか。別に、ホントのこと、言っただけだし……」


 そう返すと、秋夜さんは静かに笑った。

 沈黙が数秒、タコ煎餅をかじる音だけが聞こえた後。

 『今は歩いてないから』と、彼女はそう言い訳してから僕の手に手を被せ、指の隙間に指をねじ込んだ。


 抵抗したいのに、抵抗できなかった。彼女から離れることを、僕の体は許してくれなかった。

 理性では制御できない僕の本心が恥ずかしくて、思考を消すためにタコ煎餅を咥え、折り取る。だが、タコ煎餅が変なところで折れたようで、大きな一枚になって僕の唇についていって本体から離れた。


 どうしよう? とそう目線で問いたくて彼女の方を見れば――


「ん――っ……」


 タコ煎餅の反対側に、秋夜さんの顔が見えた。

 咥えたタコ煎餅を通じて、彼女の唇の動きが、その振動が伝わってくる。秋夜さんの視線が、タコ煎餅と平行にその位置をなし、僕の視線と重なる。

 秋夜さんが僕の手を持ち上げ、手の平を合わせて指を絡める。


 それはさぞかし間抜けな光景だっただろう。一組の男女が向かい合い、恋人繋ぎをして、同じタコ煎餅を咥えている。

 冷やかしよりも笑いの声が上がってしまいそうな、奇妙な構図。


 だのに、当事者の僕には全く笑えない。

 心臓の高鳴りが頭の中で煩く響いて、耳から入る雑音をかき消す。秋夜さんの双眸に吸い込まれて、目が離せなくなる。甘塩っぱいタコ煎餅が、口の中でふやける。


 長い間の後、一囓りした秋夜さんの顔が僕に近づく。

 気付けば、繋いでいない方の手で肩を掴んでいて、逃げられないようにされていた。——もとより、逃げることなんて選択肢の中に浮かんでいなかったが。


 歯に挟んでいたところが唾液を吸ってふやけ、口から零れそうになる。反射でタコ煎餅を囓り、秋夜さんとの距離がまた少し縮まる。


 屈折したガラス玉のような、溶けてやや濁ったような、上気して潤んだような、そんな目が僕をじっと見つめている。絡む指が、その撫でる手の甲の奥へ奥へとを求めるように蠢く。


 ――まるで、本当に情熱的なキスをしているかのようで。

 でも唇が触れ合うのは、きっとずっともっと先のことで、でも必ず起こり得ることだと、彼女と僕の唇を繋ぐタコ煎餅が、教えてくれる。


 だから――……


 理性すらもが溶けてしまった僕の中には、本能の突き動かす衝動しか残っていない。――そう、最後の言い訳を理性が譫言うわごとのように呟いた。


 タコ煎餅を囓った。

 秋夜さんもタコ煎餅を囓った。

 一つ、距離が縮まった。

 二つ、距離が縮まった。







PS:敢えてこの先は書かない意地悪なライターを許しておくれ。






【考えていた月弥のナンパ師への煽り】


「げ、現役のJKナンパして恥ずかしくないのかっ、やーいロリコンっ」


 ——なんとも、子供っぽい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る