第27話 小さいお子様をお連れのお客様は、手をつなぎステップの中央にお乗りください
「月弥、ジャンプして」
「え? なんで?」
「いいから。せ~のっ」
*
待ち合わせ場所で突然ジャンプさせられてから、電車に揺られて江ノ島の入り口である全長四百メートルの大橋まできて、再びジャンプさせられた。
意図がわからず首を傾げると、秋夜さんは柏手を打って言った。
「と、いうことで江ノ島に着いたわよ」
「あぁ―—動画編集でよくやる移動手段のジャンプワープね。わかりにくいよ」
「いいじゃない。少し興奮してるのよ」
秋夜さんは存外、半袖短パンスニーカーのラフな格好だ。頭にはジーンズ生地のキャップがあり、後ろからポニーテールが元気そうに跳ねている。
サングラスを小指で持ち上げて横目で僕を見る彼女は、楽しそうに目を三日月に歪めた。僕がドキってしてしまうほど、美しい笑顔だった。
「ほ、ほら行くよっ」
「はいはい。行きましょっか」
顔が赤くなるのが自分でも分かって、秋夜さんを急かすと、僕の意図を全て読み取った様子で苦笑した。
――だが、その笑みも長くは保たない。
赫く太陽にウンザリしながら歩く。秋夜さんは背を丸めてパタパタ高い竹扇子を揺らしていた。僕は僕で、ハンディファン持ってくれば良かったと後悔していた。
どうにも、
秋夜さんがダレた声で唐突に言った。
「ねぇ月弥」
「何?」
「ジャンプしましょ」
僕のため息が漏れる。それを合図に、僕らはジャンプした。
もちろん、動画みたいに目的地までひとっ飛びすることはなかった。
*
「試験休みって本当にサイコーね。一足先の夏休みってこんなにも素晴らしいのね」
「だね。やっぱ空いてる。それに、日陰は涼しいから今日はまだマシなのかな? 真夏だと日陰でも蒸し暑いよね」
「でしょうね」
「それ考えると、気温的にもサイコーだね」
江ノ島に入ってすぐの雑貨店で扇子を一本買った僕は、意味もなくペラペラ安い音を立てて振る。扇子を買ったくせに使わないのは癪なので、意地で使っている状況だ。
というのも、買った直後に日陰に入り、そしたらかなり涼しくて必要なくなったのだ。むしろ少し寒いまである。――絶対、開け放した店の扉からクーラーの冷気が漏れているせいだ。くそ、地球温暖化に貢献しやがって……。そう文句を垂れても電気代を払っている彼らに非はない。
というか罪を着せようとすれば僕まで泥を被りかねない。地球温暖化は世界のみんなの問題なのです。私たち一人一人が――
秋夜さんは呆れた様子でため息を吐き、サングラスを外して首元に掛ける。少しだけ首元の奥の白い山が露わになり、目が引かれてしまう。
慌てて目を逸らして扇子でガードした。初めて扇子が役に立った瞬間である。——扇子にとっては不名誉な初仕事であろう。ごめんな。こんなのが主人で。
「ん~……」
心の中で扇子に謝っていると、秋夜さんがむすっとした顔で声になっていない音を出し、ぶんぶんと腕を振る。そして『暑いなら少し休もう』と僕を道沿いのベンチに座らせた。
別に暑くはないのだが、不機嫌そうな彼女に口答えは禁物だ。黙って従っておく。
どうしたんだろうか。首を傾げていると、視界の端にアイスクリームの看板が見えた。あれが欲しいのかな? と思い、そういえば試験最終日にアイスを奢ってもらったことを思い出す。
基本は流れる歩行者達をターゲットにしているのか、店の外からドライブスルーの要領で買えるようになっていた。
「秋夜さん、アイス食べる?」
「え、あぁ、いいわね。行きましょう」
「いやいいよ。秋夜さんはここにいて。何味が良い?」
「私にとってはキャラメルが王道ね。でも折角だし一緒に——」
「あそこ
「え、あ……」
暑いなら休みましょう、と言った彼女だったが、もしかしたら彼女自身が暑さで疲れていたのかもしれない。もしそうなら、アイスクリームを食べたいのも納得出来る。
そんなことを考えつつ、アイスクリームの抹茶味とキャラメル味を注文する。やはり日陰は涼しいが日向は暑いようだ。扇子が役に立ってほっとする。
両手にアイスクリームを受け取り、人の波が薄くなってから道を横切り、秋夜さんの隣へ戻ると、なぜか彼女は謝った。
「ありがとう、ごめんなさいね」
「どうして?」
「私が少し不機嫌だったから。気を遣わせてしまったわね」
「あぁ、問題ないよ」
どうやら僕が買っている間に自分でなんしか反省をしていたようだ。不機嫌だったのは事実なので、謝罪を素直に受け取ることにした。
突然に、ベンチに置いた手に秋夜さんのヒンヤリした手が被さったのを感じる。ドキリと肩が跳ねたのをなんとか悟られないように体を強張らせる。
秋夜さんは僕の指の山谷を撫でて、アイスを舐めて、呟いた。
「私が不機嫌だった理由、聞いてくれる?」
「い、いいよ」
「月弥が扇子持ってたせいで手を繋げなかったこと。折角の二人きりのデートなのに、手を繋げないのは些か
「で、デートね……うん。あの、その……ごめん」
デートの定義に習えば、異性のお出かけなので間違いではない。ただ、やはりドキッとさせられるワードだし、彼女の発言はまるで『僕と手を繋ぎたい』と言っているようで――というかそれそのもので、心臓が早鐘を打ってしまう。
秋夜さんの横顔をこっそり見れば、彼女は満足そうな顔をしていた。——僕はドキドキしているのに、と悔しくなった。
アイスクリームにかじりついて頭をキーンとさせ、その痛みで理性が働かないうちに、撫でられている手をひっくり返す。彼女の手の平に、手の平を合わせる。
秋夜さんの手がビックリして固まっている間に、その手を握った。少しの硬直の後、秋夜さんが握り返してくる。
別に初めてのことじゃない。始まりはいつか忘れたが、気がついたら毎日の帰り道で、からかわれながら僕らは手を繋いでいた。だから、これはいつものことだ。
手を繋ぐなんて、大したことじゃない。そう自分に言い聞かせる。事実、少し慣れていたおかげでそこまで酷くはドキドキしなかった。
「っ……」
――やがて、アイスクリームが溶けてきた頃、指の間に、彼女の細い指が絡まって、僕の手の甲にしっかり指を這わせた。
彼女の指の振る舞いに気付かないフリをして、ふやけたコーンを一気に口の中に詰めた。キーンと、頭が痛くなった。それでも、頭の中にはドクドクと、心臓の音が響いていた。
*
デートコースは考えてあるの。
秋夜さんは自信満々にそう言って、僕の手を引いて行く。神社だったり、食べ歩きのお店だったり、昔ながらの街の中だったり。
興奮で速くなる秋夜さんの歩調と、恥ずかしさで遅くなる僕の歩調ずれが、絡まった指に
まるであなたの立ち位置は私の隣だと主張するように。それが恥ずかしくて、僕はほとんど俯きっぱなしだった。
「月弥、楽しめてる?」
「も、もちろん楽しめてるよ!?」
「――……ごめんなさい、私のせいね」
島の頂上に繋がる長い長いエスカレーターにて。
秋夜さんが一段高いところから僕を見下ろして、生まれかけていた沈黙を破ってそう聞く。慌てて我に返ってそう答えれば、彼女はしゅんと顔を俯かせて、そう謝ってくる。
意味が分からなくて首を傾げれば、秋夜さんは僕との手を解いた。胸に虚無感が生まれて、手が彼女の温もりを求めて宙を彷徨う。それに気付いて、慌てて僕は手を下げた。同時に、自分の脈拍が速くなっていたことにも気づいた。
秋夜さんは言い訳するように言う。
「月弥のことを恥ずかしがらせるつもりはないの。ただ、月弥と恋人繋ぎできたらって、そう思っただけなの」
「っ……いや、別にそこまで恥ずかしくないし? 手だって繋いでても別に良いし? だ、大丈夫だから」
「可愛くないウソは嫌いよ。いつも普通に手を繋ぐだけでドギマギしてる月弥が恋人繋ぎでドキドキしないわけがないわ。月弥が楽しんでくれないと私も楽しくないの」
「その……はい、ごめん」
事実を事実のまま言われて、意地を張っていることも見透かされていて、それが悔しくて言い返そうとした気持ちが、秋夜さんの最後の言葉で萎える。なんだかんだ言って、秋夜さんは優しい。
そう思ってしまったから、僕は項垂れて謝った。
なんというか、早漏なせいで彼女を楽しませられない男みたいな気分だ。――そんな気分知らないし、ただの想像だけど。申し訳なさを覚えつつ、手を繋いでいたときは鳴りっぱなしだった胸の早鐘がようやく収まってきたのを感じて、深呼吸をする。
秋夜さんは失った感触を思い出すかのように手を組み、エスカレーターの手すりに体を預ける。
ふと気になったことを聞いてみる――という
「あのさ、秋夜さん僕と恋人繋ぎしたいんだね」
「あっ、そ、それは――……わ、私だって恥ずかしかったわよ。ちょっと月弥をからかおうって思って恋人繋ぎしたけど、私にもハードルが高かったの。本当にっ、からかう目的だったのよっ」
「――へぇ」
「信じなさいよっ!」
「信じた信じた」
うんうんと頷くと、秋夜さんは地団駄を踏み、ぷいっと前を向いてしまう。胸がスカッとしたので、これ以上彼女を虐めるのはやめることにした。何事も引き際が大切である。――けど、もう一回だけ、からかいたい。
バカな僕は、そうやって引き際を間違えた。
「僕の心に余裕が出来たら、恋人繋ぎしてあげよっか?」
「……約束。月弥から、繋いで。恋人繋ぎして……」
彼女は顔を俯し、かの鳴くような小さな声で言い、後ろ手に僕に向かって小指を突き出した。数秒の沈黙の後、僕はその細い小指に小指をかけ、軽く曲げた。
そのまま、普通に手を繋いだ。
エスカレーターが『小さいお子様をお連れのお客様は——』と全国共通の自動音声を流した。ぎゅっと、強く握り合った。
PS:今スランプです……。ごめんなさい。
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