第10話 雨降って、くっついて、一人は固まり、一人は溶ける




「へぇ、上手いじゃない」

「まぁ歌うこと自体は嫌いじゃないからね」

「え、えぇ、そうね。――英語が上手いって意味なだけだけれど……」


 さて、カラオケである。ビリヤードの次にカラオケとは、なんとも年代遡行な気もするが、そもそも僕らは高校生、ビリヤードをやっていることがおかしかったのだ。——それに最近の老人はよくカラオケにいくんだから。


 歌い慣れていないとは言いつつ、久しぶりにカラオケに行ってみたいという思いは強く、僕らは狭めのボックスの中に入った。


 人を恐怖のどん底に陥れる採点機能はつけていないので安心して歌えた。ちなみに曲はビートルズである。

 ボソッと呟いた秋夜さんの言葉は聞き取れなかったが、彼女に向かってちょっと乱暴な山なりでマイクを投げる。自分でもわかっている、少し音程が外れていたのだ……『少し』ではなく『かなり』だが。


 危なげなくマイクをキャッチした秋夜さんが席を立って小さく咳払いをする。

 何を歌うんだろ。アニソンとボカロは除外して――ラブソングとか? 意外とロックだったり……?


「上野発の夜行列車降りたときから~♪」


 バリバリの演歌だった。——渋い。

 そしてネタでも何でもなく、結構本気で楽しみながら歌っているようである。そして音程は外れ気味。聞くに堪えない音痴というわけではなく、ギリギリ『アレンジ』とも言い張れなくはないレベルなので僕とどっこいどっこいだろうか。


「津軽海峡冬景色ぃ~♪」


 最後はたくさんビブラートをつけて、満足そうに歌いきった。

 そして僕と目が合うと、怒ったようにぷいっとそっぽ向く。少し恥ずかしそうだ。


「別にヘタクソなのは自覚してるわよっ」

「いや上手かった上手かった」

「ウソ言わないで。心にもない言葉は嫌いよ」

「じゃあデュエットでもしてみる?」


 なにが『じゃあ』なのかと聞かれれば、なんてことはない。話の線路のポインタを切り替えたかっただけだ。彼女の歌を上手いと言えばそれは世辞になるのだ。

 秋夜さんはそれを知ってか知らずか、小さい女の子みたいに素直にコクリと小さく頷き、マイクをもう一本取って僕に緩やかに投げる。

 下手は下手なりに楽しみ方があるということだ。


 それから何曲かデュエットして、お昼時なこともあって疲れた僕たちは適当にご飯を頼んだ。

 すぐにフライドポテトと唐揚げがやってきた。


「ふぅ……意外と疲れるものなのね」

「歌い慣れてないからでしょ」


 採点機能はつけなくて良かったと、双方心の底から安心していた。口には出さないけれど。


 ポテトと唐揚げをつまみながら、お金がもったいないような気がしたので何曲か入れてみる。負けじと秋夜さんもタッチパネルを操作し始めた。

 予約順は勝手に交互に並べ替えてくれるだろう。


 結局、僕はずっと洋楽ばっかりを、秋夜さんは演歌ばっかりを歌っていた。そして再び疲れたので休憩。マイクを机に投げてソファーにどかりと座る。

 秋夜さんは靴を脱ぎ、足をぷらぷらさせながら言った。


「あなたビートルズ大好きね。渋いわ」

「まぁね。でも秋夜さんも演歌ばっかり。てか秋夜さんの方が渋いよ」

「いいじゃない、強く歌えるからストレス発散になるのよ」


 腕時計を見ればすでに二時間経っていた。

 カラオケボックスの中には時計が付いていないが、これは戦略か否か。そんなことに意識を取られていると、秋夜さんが僕の横にピタリとくっつた。


 何事かと彼女の方を見れば、口の中に唐揚げを突っ込まれる。割り箸を人の口に突っ込むな! と反射で咀嚼しつつ目で抗議すれば、彼女は何も挟んでいないその割り箸を自分の口の中に――

 慌てて唐揚げを飲み込んで叫ぶ。


「な、何やってるんだよ!」

「ふふ、ウブね。たかだか間接キスで恥ずかしがるかしら?」

「っ――こ、故意にしようとしてるからでっ! 別に間接キスは僕は気にしてないんだって!」

「そう。じゃあこのお箸で何かを食べれば――」


 秋夜さんは僕をからかっている。からかって遊んでいる。彼女の言葉は全く本気じゃない。彼女は僕のことを好きでも何でもない。

 ――僕は秋夜さんが好きなのに?

 イライラした。


 唐揚げに伸びていた秋夜さんの割り箸を奪い、それを机の上に転がし、その手で彼女の手首を掴み――ソファーの上に押し倒した。彼女の体は軽い。ほんの少し力を加えるだけで、簡単に秋夜さんは倒れた。


 恐怖を煽るように、彼女の手首を強くソファーに押し付ける。

 何が起こったのか理解できていないのか、きょとん、と秋夜さんが僕を見上げる。その顔にイライラする。


「あのさぁ、少しは警戒心持ちなよ! 知り合って一ヶ月だよ!? 僕がどんな人間かまだわかんないじゃん! こうやって押し倒されたら秋夜さんは抵抗できないんだからさっ、変に誘惑するのやめてよ!」


 秋夜さんは平然と僕の叫びを受けた。沈黙が数秒してから――それは僕の発言が終わったかを計るための沈黙かもしれないが――秋夜さんはつまらなさそうに言った。

 その目は、心底つまらなさそうだった。


「それで、襲うの? 私のこと」

「は? 襲うわけないに決まって――」

「そう。月弥は故意に私を傷つけたりしない。だって月弥は優しいもの。人助けの『優しい』じゃなくて、無為何もしないの『優しい』だもの」

「優しいって、まだ一ヶ月しか――」

「優しくて、臆病で、でも聡い。吹聴や逐鹿をしない。それが『無為の優しさ』の意味。そんな人が私を故意に傷つけられるとでも?

 私たちのファーストコンタクト、覚えてる?」

「……あまりしっかりとは覚えてない」


 秋夜さんは少し残念そうにため息を吐いて、僕をまっすぐに見上げた。その真摯な目に、押し付けていた彼女の手首を緩めてしまう。だけど、逆に秋夜さんが僕の手首を握って放さない。

 秋夜さんは僕の目の中のどこか遠くを眺めるようにして言う。


「私は聖女を装って挨拶したわ。とびっきりの笑顔と一緒にね。前の席の醜男飯田はそれでメロメロよ。でも月弥は違った。なんて言ったと思う?」

「――どうも、よろしく?」

分かってるから仮面を被っていることはやめて欲しい仮面を被るのを、よ。私が仮面をつけていることをすぐに気付いたのね。それを聞いて私は決めたの。月弥には本性を見せるって。だって私の仮面を見抜くような聡い人を遠ざけるなんて勿体ないもの。

 それで――」


 真面目につらつらと、僕の真下で言葉を紡ぐ秋夜さん。

 僕は堪えきれなくなって――吹き出した。秋夜さんが首を傾げる。


「くくくくっ、くはははっ、あはははははっ! バカじゃん! 秋夜さんめっちゃバカじゃん! 僕のこと何も分かってない!」

「え?」


 初めて、秋夜さんが怯えたような顔をした。その顔がおかしくて、笑いが止まらなくなる。秋夜さんって本当に自惚れ体質なんだな。そんでもって、ごく稀に思考が先走りするおっちょこちょい。

 本性に張り付いた『完璧』のレッテルが剥がれ落ちて『可愛い』が顔を覗かせた。


「『分かってた』のは秋夜さんの名前のこと。『やめて欲しい』のは喋ること。僕、女子の高い声苦手だからさ。

 別に秋夜さんの本性なんて見抜いてなかったんだけど」

「え……?」

「結論言ってあげよっか。ただの秋夜さんの勘違いだよ」

「っ――……そ。まぁ、知ってたけど」


 秋夜さんは目を見開いて白黒させた後、強がってそう言い張った。

 イライラは当然消えていた。むしろ優越感で気分は上々だ。追い打ちをかけるように言ってみる。


「へぇ、知ってたんだ。強がり可愛いね」

「っ――……もう一回、言って」

「へ?」

「い、今の、もう一回、言って……」

「秋夜さん強がり可愛いね」

「そ……」


 秋夜さんがぷいっと赤い顔を横に背けて、ふくれっ面をする。

 僕が物理的にも精神的にも上の筈なのに、なんだかとても恥ずかしくなってきた。それにこの体勢でいるのも恥ずかしくなってきて、起き上がろうとする。

 ——怒りだけが感情を一色に染め得る色だ、という誰かの言葉は正しかったようだ。


 のに、ぎゅっと秋夜さんが僕の手首を再び掴んだ。そのまま僕の腰後ろに足をかけ、がっちりとホールドする。

 呆気にとられた僕は、一瞬で秋夜さんの策に溺れた。


 グイッと手首を引き寄せられ、バランスを崩した僕は、秋夜さんの顔に横に倒れ込む。一拍も置かず肩に腕が回され、もちろん腰のホールドは強く締まって、完全に捕縛される。

 ソファーに広がった秋夜さんの髪に顔が埋まる。

 恨めしそうな声で、だんだんと怒ったような声になって彼女が言う。


「……仕返しよ。一ヶ月騙されてきた分、容赦しないわ。金輪際、月弥のことは月弥って呼ぶわ。せいぜい名前呼びにドキドキしなさいっ!」

「っ――だ、騙したつもりないしっ! それにか、カラオケって防犯カメラあって! こういうことしてると問題に――」

「ナニもしてないんだから問題ないわ。月弥のバカ、私を騙したのは高くつくわ」

「っ……」


 なんで、あの一瞬で形勢逆転するんだよ……。

 秋夜さんは飄々とした声で続ける。まさか、僕は知らない。暗くて見えないのだ。秋夜さんの未だに、いや先ほどに増して真っ赤になった耳は。


「あ、そうそう、マーキングしてくれたからには教えてあげなくちゃね。デートに誘った理由」


 そう言えばそんなことを言ってたな、と冷静な脳が思い出す。

 そして、さっきまでの勝利の甘味を覚えていた僕は無謀にも彼女を恥ずかしがらせようとして言った。


「こ、これデートなんだ。へ、へぇ〜。あと僕のこと離さなくていいの? 心音速いの聞こえてるよ?」


 もちろんウソである。秋夜さんの豊かな胸に阻まれて心音なんて聞こえもしない。一縷の望みにかけてカマをかけたのだ。


「そ、大辞林では異性同士の遊びが『デート』って書いてあるもの。だからこれはデート。

 それと、絶対に離さない。ずっと抱きしめてあげる」


 耳を直に震わせるような、ものすごく近い距離での蕩けたような囁きが僕の脳の溶かすように頭の中に入ってくる。ぎゅっと、抱きしめられる力だ強くなる。


「理由、教えてあげる。

 私、月弥とデートしたかったのよ。ちなみに私は新明解の方が好きよ」


 何のことか全く意味が分からなかったけど、とにかく僕の負けであることには違いなかった。それだけはわかった。

 秋夜さんだって大概溶けた声を出していたと気がついたのは、家についてからのことである。

 玄関にいたびしょ濡れの熊の縫いぐるみを抱えながら、その場で彼女の可愛さに悶えて、『会いたい』などと呟いて、また恥ずかしくて更に悶えた。






『大辞林』デート【date】

(名)スル

①日付。

②男女が前もって時間や場所を打ち合わせて、会うこと。「昨日彼女と――した」「――を申し込む」



『新明解』デート

[―する(自サ)]〔date=日付、年月日〕〔〕日時を決めて、各自の家以外の場所で会うこと。また、その約束。








PS:オチわかる? 一人かくれんぼのルールを調べてみてください。

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