第11話 付箋の正しい使い方・人工芝の正しい遊び方
朝。教室には秋夜さん含め朝勉勢がポツポツ数人。そして朝練なのか、運動部の荷物が机の上に乱雑に置かれている。
「おはよ」
自室で一人かくれんぼをしたゴールデンウィーク最終日の翌日。
——別に、一人かくれんぼをしていたわけであって、布団の中で悶えていたわけじゃない。秋夜さんとのデートにドキドキキュンキュントゥクントゥクンしていたわけじゃない。断じてない。
「おはよう、月弥」
「……うん」
名前呼びの刑は忘れてくれていなかったようだ。
慣れなくて、返事の声が小さくなってしまう。秋夜さんはニヤリと小さく口角を上げるだけで、何も言わなかった。
この場合はからかってくれた方が恥ずかしくなかったと思う。そういうところに聡い秋夜さんは本当に手強い敵だ。——敵って何だ、敵って。殺伐としてるなぁ。
詠嘆表現を零しつつ、机のホックにリュックを掛け、席にどかりと腰を下ろす。
「何やってるの?」
「英単語帳。おとといのあなたの洋楽にムカついたから。上手すぎて――……発音がね。歌唱力はノーコメントよ」
「え、ムカつくの? 僕がムカついてきたんだけど」
「スルーするわね。今度の考査、英語であなたに負けるわ」
「まぁ、英語に関しては自信あるし。多分秋夜さんに勝つだろうね」
一位取る自信もあるし、とは自慢になるので続けない。ともかく、僕はバリバリの文系なのである。というか英語ガチ勢なのである。
といっても、理系ガチ勢が数学一位だわ~とか言っているようなレベルでの、英語で一位だわ~って自信でしかないが。つまりとてもよくできて二十位を越えるレベルでしかないが。
秋夜さんは僕をギッと睨んで単語帳に目を戻す。僕の余裕綽々の回答に自分で言っておいて腹が立ったらしい。
「で、私が誰かに劣っているなんて許せないわ。だから勉強してるの」
「秋夜さんってもしかしなくても負けず嫌い?」
「そうよ、何か悪い?」
図星だったのか、それに加えて自分で気にしていたことなのか、秋夜さんは僕を再び睥睨する。不機嫌オーラが彼女の周りに漂っていた。
なんか怒ってるなぁ、と思いつつ一昨日のことを思い出す。
あのままカラオケボックスでグダグダに時間を浪費して、気まずい雰囲気となった僕らのデートはお別れもお礼もおざなりのままお開きになってしまった。
あそこで空気をリセットできていたら、とは昨日ベッドの中で散々考えたことなので、頭を振って『たられば』を消す。
「――秋夜さん、楽しかった。ありがとね」
あのときは言えなかったし、とまで言うと不自然な気がしたのでそこは省略する。秋夜さんだってなんのことかは分かるだろうし。
小さくコクリと頷く彼女を横目に、リュックから水筒を取り出して傾ける。口の中に入ってきた氷の冷たさに顔を顰めつつゴリゴリと咀嚼して嚥下する。
すると、秋夜さんが面倒くさそうにため息を吐いて、筆箱の中から付箋を取り、ペタッと単語帳に貼り付けた。
彼女の筆箱はゴテゴテしいものではなく、凄く細身で質素だ。外見はテレビゲームリモコンを模した白い缶で、どうやらその会社の何かの記念品だと分かる。
中には極細のシャーペン二本とシャー芯、オレンジとピンクのボールペンに消しゴム。グッズらしい物を強いていえば定規と付箋ぐらいだろうか。僕の筆箱よりも中身が少ない。
折りたたみ式のホチキスやハサミとか、絶対筆箱に必要ないであろうランキング堂々の一位のボールペンの予備芯は入っていなかった。
ぺしっと頭を叩かれて現実に戻る。二つのジト目が僕を見ていた。
「人の筆箱覗き見るんじゃないわよ」
「ごめん、家の間取り集めるのが趣味で――」
答えになってない答えを返してしまったが、秋夜さんはそれで理解したのか、ふぅんと頷いた。
覗き魔ね、と彼女は続ける。
「ひ、ひどい!」
「だって覗き魔じゃない。家の間取り集めとか、将来有望の盗撮家候補よ。早めに警察を――あぁっ、また忘れた! あなたのせいよっ!」
「責任転嫁すぎるでしょ。付箋貼って覚え直せば?」
「はぁっ……付箋が増えるだけで不愉快なのよ」
「えらい沸点が低いというか……」
言いつつ、僕も英単語帳をポケットから取り出して広げる。
うん、ほとんどチェックは入っていない。なぜなら大体を中学時代の単語帳の方で覚えてしまっているから。——英単語帳はどの会社のものでも最低八百単語ほど被っているのだ。だから英単語帳は人生に一冊あればそれで十分なのである。
付箋のない僕の単語帳を睨みながら秋夜さんは言う。
「付箋って何のためにあるか知ってる?」
「栞みたいな感じでしょ? どこが良く間違えるか〜とか、どこからが試験範囲か〜とかすぐわかるし」
「そうね。でも使用方法はもう二つあるわ」
秋夜さんは付箋を二枚取り、一枚を単語帳に貼り付け、もう一つを人差し指に乗せ、椅子の上でくるりと回り、僕に体を向ける。
なんだか、嫌な予感がした。そして嫌な予感というものは良く当たるものである。その逆は然らず。
「一つ。すぐ見える位置に、忘れたくないことを記しておくための物」
秋夜さんが中腰で僕にぬいっと体を寄せて、僕のおでこにピタッと付箋を貼る。そして細身のシャーペンを手に取り、滑らかな動きでペンを回し、僕の額の付箋にその先を当てた。
抵抗したかったけど、動くと危ないので彼女の作業が終わるのを待つ。どうやら、付箋に何かを書いているようだ。
どうせやるにしても先に書いてから張って欲しかったものだ。
「二つ、大事な物にはしっかりマークをつけるための物」
そして嫌な予感がしたとき、そこに回避方法はない。
秋夜さんが何かを書き終えて、自分の『作品』を見て満足げに頷いた。すぐに付箋を引っぺがす。それを見る。そこには一言、額の上で書いたにしては角がキッチリとした荘厳な字で――
「なっ――」
「『好き』って忘れちゃダメな言葉でしょう?」
「っ――……」
「ふふ、別に誰も月弥が、とは言ってないわよ」
秋夜さんがにふふと笑う。
全く、書体と内容が噛み合っていない。こんなにカッコイイ『好き』は初めて見た。冷静な脳みそが平凡な感想を漏らした。
「そ、そうなんだ」
僕は筆箱から付箋を取り、手早く文字を書き込んで指に乗せる。突然の接近に固まった秋夜さんの綺麗な額に付箋を貼り付ける。
やられたことをやり返して何が悪い。それに、僕の言葉は全て本物だ。よっぽど僕の方が誠実だ。
理屈をこねくり回しながら、席に戻る。秋夜さんに背を向けて、それでも恥ずかしくて、単語帳で顔を隠さずにはいられなかった。
背を向けたまま言う。
「三つ。好きな人にこっそり想いを伝える手段」
「っ――」
ボフッ、と後ろで何かが爆発する音がした。同時、僕の頭の中でも同じ音が鳴った。
僕の指の中では、彼女の『好き』がピクピクと震えていた。
*
「何をやっているのかと思えば、くだらないわね」
開口一番、そんなことを言ったジャージ姿の秋夜さんは僕の隣に腰を下ろしてため息を吐く。
さて、体育の授業である。授業内容はサッカーである。僕はどこにいるかというとコート外である。戦力外なのを自覚した上でのこの行動は、きっとチームを勝利に導くだろう。
「
僕は黙って人工芝の中から穴の空いたチップを
その前に集中の糸を軽く緩め、短く答えた。
「暇つぶし」
「手伝うわ」
暇つぶしを手伝われても――と思ったのだが、仲間が増えるのはいいことだ。秋夜さんとならんで黙々と芝の一本にチップを通していく。
秋夜さんは一分で飽きた。ため息を吐いて足を投げ出し、チップを穿り返して手の中に溜めていく。ある程度溜まると、僕のあぐらの上に投げた。そして再びチップを穿る。
どうやら僕の暇つぶしのお手伝いをしてくれるようだ。
数分経って、秋夜さんはチップを集めるのにも飽きたのか、空を見上げ、そのまま僕の手元に目を向ける。
「良く飽きないわね」
「単純作業が好きだから。将来の夢は自動車工場の組み立て員」
「――……人の将来には何も言わないわ。でも、家族四人欲しいのよ? 私立校に行きたいって子供達が言い出したらどうするのよ」
「ん~そのときはそのときで――なんかこの会話さ、子持ち夫婦の予算会議にしか思えないんだけど」
「当然じゃない。将来の夫には頑張ってもらいたいもの」
「っ――……そ、そっか」
恥ずかしいけど、なんかちょっと面白くて、楽しかった。
秋夜さんが奥さんか。家に帰ったらツンデレみたくとげとげしい言葉を放ってくるのに、ちゃんと優しくて照れながら癒やしてくれるような――……うん、いいな。仕事頑張ろう。
というわけでチップを芝に通していく。
本気で自動車組み立ててみたかったんだけどなぁ、と思いつつ、他の職業を脳内検索してみる。あぁ、宮大工とかカッコ良くてやってみたいよなぁ。大学は土木学科かなぁ――いやお前文系だろ、などと考えていると、横からチップと一緒に秋夜さんのパンチが飛んできた。
「ちょっとは照れなさいよバカッ。私が恥ずかしくなるじゃない!」
「なんで勝手に恥ずかしがってんの? あと顔真っ赤だよ」
「う、うるさいわ! 一生自動車組み立ててなさい! 私がその分働くんだから!」
「――じゃあ主夫やってみたいな」
「そういう返しを求めてるんじゃないわよバカッ!」
真面目に返しているだけなのに、秋夜さんは赤い顔で怒って僕をもう一度殴り、すくっと立ち上がってどこかへ歩いて行ってしまった。
「あれ、僕なんかした?」
さながら、
数秒後、これまでの会話を思い返して顔が真っ赤になったのは秘密だ。
PS:主人公全勝回があってもいいじゃない。——良くないね。その分甘さが薄まっちゃうんだから。
昨日朝の1時まで夜更かししたせいで文が弛れてるかもしれません。謝罪。
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