第34話 日焼け止めクリームは、胸焼け予防はしてくれない




 白いデッキチェアに寝転がり、黒光りするサングラスを掛け、優雅に日の光を浴びながら穏やかな風を受ける。

 ――そんな妄想をしていると、当然デッキチェアなんて存在しないので、つまりは背もたれがないので後ろに転け、砂の中に頭が落ちた。

 振る度にベリベリ変な音がする安い扇子を閉じ、リュックの開いた口へ戻す。ついでにサングラスも外し、太陽光を遮るパラソルの裏地を眺めた。


 さて、ここはどこかなんて言わずもがなである。

 ある海水浴場の一角の、レンタルパラソルの下である。


 一人でボーッとしているのが暇だったので、金持ちのビーチの過ごし方を妄想して真似てみたのだが、少々難があったようだ。

 デッキチェアはレンタルできるけど高いし、風は自分で扇がなきゃいけないし、日の光はパラソルが遮るし――かといって、日向に出ると太陽光に焼かれた砂が熱くて日光浴を楽しむ余裕なんてない。


「はぁぁぁ……」

「随分と大きなため息ね。詰まらないなら帰ってもいいのよ?」

「やだよ。秋夜さんと離れたくないし」


 ままならない現実にため息を履けば、視界の右上から人影が差し、僕の隣に座った。彼女――更衣室から帰ってきた秋夜さんに言葉に返事をしつつ足を上げて下ろし、その反動で体を起こす。


 三角座りをした秋夜さんは、顔を逸らして小さく呟いた。


「そ……」

「――なんか恥ずかしいこと言ったから取り消す。忘れて」

「嫌よ。忘れない。言葉は大事な贈り物なんだから」

「……好きにしたら?」


 自分の顔が赤くなった気がしてもう一度ため息を吐くと、秋夜さんはおもむろに体を僕の方に向けた。ぽすん、と三角座りの足が小さく砂煙を立たせる。

 彼女は三角座りの山を自分の胸に寄せて体を隠しながら、横髪を耳の後ろに掛けつつ、恥じらうように足元を見つめた。


「その……ど、どうかしら? その、水着、期待外れかしら」

「そうやって隠されると恥ずかしがってる秋夜さんが可愛い、としか言えないんだけど」

「っ――……ワザと言ってるでしょバカ」

「さぁ?」


 頬を朱に染めた秋夜さんが覇気のない目で僕を睥睨して言うので肩をすくめて返せば、彼女はじりじりと足を伸ばし、胸の前でクロスさせていた腕をゆっくり広げ、中途半端な位置で宙に漂わせる。


 目をぎゅっとバッテンになるぐらいに強く閉じていて、見ているこちらにも恥ずかしさが伝染しそうだった。


 水玉入りの水色のビキニの上に同じく水色のパレオ。——パレオとは、簡単に言えばビキニの上から腰に巻くバスタオルサイズの布、またはそのタイプの水着のことである。

 そのパレオが腰骨のところで結ばれているせいで、片方の足がチャイナドレスから覗くそれのように見え隠れして、エロい。

 加え、ビキニから零れる白い胸が単純にエロい。


 喉から『エロい。エロすぎる』の二言が飛び出そうになるのを寸前で飲み込んで言い直す。


「い、いいんじゃない? 似合ってる」

「あ、ありがと。その、月弥も――」

「僕は海パンとティーシャツだからなんとも、お世辞はいいよ。秋夜さんが十分綺麗だから、釣り合ってなくてゴメンね」

「っ……そ、その……ひ、日焼け止め塗りましょう」


 何故か僕の言葉を受けてより顔を赤くした秋夜さんは、矢継ぎ早に上擦った声で鞄から日焼け止めのクリームを取り出して僕に突き出してきた。


 一瞬、硬直する。

 日焼け止めクリームイベントというものは水着イベントに付随して発生する、互いにクリームを塗り合うことでエチエチを楽しみつつヒロインとの仲を深めることを主題とした――

 そうやって妄想を敢えて膨らませることで胸の中の『期待』を押しつぶし、掻き消す。


 彼女の言葉に『日焼け止めを塗り合う』なんて意味はなく、ただ単に日焼け止めを貸してあげるという意味しかない。

 余計で過度な期待は虚しい思いを残すだけなのである。——それに、塗り合いっこなんて恥ずかしくて出来るわけがない。


 そう思っていると、シャツが捲られ、背中に冷たい何かが手の形で張り付いた。


「ひぅっ――」

「ふふっ、面白い声を出すわね」

「えっ、ちょっ――何やってるの!? 日焼け止めクリームなら自分で塗れるから! 背中も手は届くから!」

「将来的に月弥が皮膚ガンになったら困るのは誰? 私でしょう? なら私が塗るべきよ」


 当たり前だと言わんばかりの秋夜さんの物言いにドキッとして体が固まる。彼女の意味深な言葉が頭の中でグルグル渦巻いて、ドキドキが加速していく。

 思考が渦の底へ底へ、深いところへと飲み込まれた時、ふと気がついた。


 視界にあったクリームのボトルを取り、手にクリームを絞り出して体ごと振り向く。膝立ちしていた秋夜さんがビックリしたように肩を跳ねさせ、それから首を傾げた。

 そんな彼女の秋夜さんの手首を掴んで百八十度回転させ、僕に背中を向けさせる。そのまま、手の中のクリームを彼女の背中に塗り広げた。


「ひゃっ――」


 可愛らしい悲鳴と共にその肩が跳ねる。

 そのまま首筋に指を立てて細かく動かす。


「きゃっ、ちょっ――やめっ、やめてっ――なんで!?」

「秋夜さんが将来的に皮膚ガンになったら困るの僕だからさ。僕が塗るよ」

「いやっ、わ、脇はやめて――! よ、弱いからっ――」

「ダメだよ。脇も大事でしょ? そこだけ塗らなかったせいで秋夜さんが皮膚ガンになったら僕一生後悔するから」


 なんてことはない、俗称『こしょこしょ』である。

 自ら弱点を晒した彼女にお応えして容赦なく脇に手を滑らせ、くすぐる。そうすること一分ほど。ひぃひぃ笑い声をあげる秋夜さんを調子に乗ってくすぐり続けると、誤って水着の紐に指が掛かり、そのまま滑り落ちた。


 同時、秋夜さんの片胸から水着が外れる。

 秋夜さんは慌てて水着を受け止め、すぐに肩に掛け直す。


「ご、ごめんっ……! ホントにゴメン! えとっ、見てないのでっ、許してください!」

「いいわ、月弥含め誰にも見られていないようだから」

「えとっ――何をすればっ、この罪は消えますかっ!」


 慌てて土下座する僕に向き直った秋夜さんは、僕に日焼け止めクリームを突き出して、目の下を赤く染め、そっぽ向きながら言った。


「……じゃあ、全部塗って。全身、余すことなく塗って」

「え?」

「塗って。足も、腕も、指の隙間も、お腹も足の付け根も、胸も、全部塗って。月弥が私のこと大事なら、全部塗って欲しいわ」

「はい?」


 彼女の意図がわからず体を起こして固まれば、秋夜さんは先ほどの赤い顔から一転、ニヤリと悪魔の笑みを浮かべて僕の手首を掴み、押し倒した。


 そのままお腹の上に馬乗りになって僕の動きを制限し、手の上でクリームを広げながら笑う。

 全身の警報が鳴り響く中、お腹に感じる彼女のおしりの感触を感じたり、ましてや楽しむ余裕なんてなかった。


「月弥の言葉がウソでも、私の言葉はウソじゃないから、塗ってあげる。全身くまなくね」

「っ――や、やめっ――! あぎゅっ——」


 数分後。全身の筋肉が疲労でピクピク笑い、死んだカエルのように仰向けにひっくり返った、白いクリームでぐちゃぐちゃにされた情けない僕の姿があった。


 そんな僕を鼻で笑いながら、秋夜さんは自分の腕にクリームを塗り広げた。

 満足げな顔で、相変わらず僕のお腹の上に乗って……。



 *



「さてと、無駄な体力を使ったわ」

「ごめんなさい」

「別に怒ってないわ。気が済むまで仕返しが出来たんだから」


 秋夜さんは肩をすくめ、サングラスを鞄から出したり入れたりして、海とサングラスを交互に見比べた。

 どうやら掛けるか外すか悩んでいるらしい。最初は適当に泳ぐつもりだから掛けない方が――と言えば、秋夜さんはコクリと頷いてサングラスを鞄に戻して立ち上がった。


「行きましょう」

「うん」


 財布などの貴重品はコインロッカーに入れてあるので、荷物はこのまま置いていっていいだろう。唯一の貴重品であるスマホを防水袋に入れ、水着の内ポケットにしっかり固定されているのを確認して、パラソルの外に出る。

 足下の砂はやはり長時間熱した鉄板のように熱い。思わず駆け出したくなったが、突然、秋夜さんが僕の腕を取って、片脇に抱いたせいで僕は動きを止めた。


「ど、どうしたの?」


 腕に当たる感触がいつもよりも柔らかくて生々しい。僕の腕に押されて形を変えているのが、視界の端に写る。目が釘付けにされてしまう。

 聞けば、秋夜さんが短くバツが悪そうに言った。


「周りの視線がね」

「あ――あぁ、ナンパ防止?」


 言われて見渡せば、僕を睨む視線が多い。――秋夜さんのせいで余計に睨まれているのでは? とは思ったが、黙っておいた。


「本当はビキニで月弥をメロメロにしたかったのだけれど、愚民共に見せるのは勘弁。だから今日はパレオよ」

「そ、そうなんだ――……」


 完全に食い違っている僕らの会話。

 指摘するともっと齟齬が生まれそうだったし、何より彼女の言葉にドキドキしたしで、曖昧な返事をすると、秋夜さんは僕の腕をぎゅっと更に強く抱いた。

 その分、腕が柔らかい物により一層包まれて、周囲からの『ぶっ殺す』視線が強くなる。耐えきれなくなって今すぐ駆け出したくなるけど、秋夜さんが僕の腕を抱くせいでそれは叶わない。


「な、何? や、やりすぎだし――ぼ、僕だとナンパ防止には意味ないと思うけど――」

「意味ないけど、こうしたいからするの。ダメ?」


 彼女が最初に言っていたこととは矛盾しているのに、僕はそれに気がつけない。ただ、カマトトぶった作り物の上目遣いにドキドキしてしまった僕は、彼女の要望を受け入れることしかできない。


「っ――ダメ、じゃない」

「じゃあもっとするわ」


 絞り出すように返せば、彼女は嬉しそうに言って、僕の肩にピトリと頭を乗せて、幸せそうに頬を緩めた。


 やばい。今すぐ走って海に飛び込みたい……。


 足の裏は、相変わらず焼けるように熱くて、秋夜さん同様、ビーチサンダルを履けばよかったと後悔した。







PS:お久しぶりです。お待たせしました。ごめんなさい。



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