第35話 膨らませるのは胸か、浮き輪か、それとも——……
※やりすぎたかもです。ご注意
「ん~っ! ん~!」
「だから言ったのに……。私の言うことを聞かないからこんなことになるのよ。せいぜい苦しんで己の愚鈍さを知るがいいわ」
「んん~! ん~っ!」
さて、僕は秋夜さんに猿ぐつわを噛まされ、手を後ろに縛られて呻いていた。
――ってのはウソだ。必死こいて浮き輪を膨らませているのだが、全く膨らまなくて悪戦苦闘しているのである。
強いて言うなら、意地を張った自分に縛られている。このことを『自縛』と言います。今度テストに出します。
「はぁ……それでもやめないつもりね」
「ん〜! んがーっ! っはぁ、はぁ……」
秋夜さんは呆れ顔でやれやれ首を振り、スイカのビーチボールに息を吹き込む――……と、あっという間にそれは球体になって、秋夜さんの体に三つのスイカが生まれた。
うち二つは蠱惑な白色で、食べても美味しくないはずのに美味しく感じる魔法が掛けられていて――失礼、空気なんか入れなくても水に浮く優れものの浮き輪もとい、浮き球である。
――僕の思考を雰囲気から察知したのだろうか。秋夜さんに睨まれたので首をすくめて謝り、再び浮き輪に息を吹き込む。
が、膨らまないのはこの数分で学んだことだ。何故だろう。
「私がやってあげましょうか?」
「断るっ!」
即座にキッパリ返したのには、訳がある。
浮き輪に空気を入れた経験がある人ならば分かるのではないだろうか。時間をかければかけるほど、吹き込み口が涎まみれになるのだ。
――初めて浮き輪を膨らませたが、こんなに大変だとは思わなかった。
ともかく、秋夜さんにそんな僕の涎まみれの汚いモノを渡すわけにはいかないのだ。秋夜さんに嫌われたくない。
どうして空気が入らないんだ、おかしいなぁ、と首を傾げていると、秋夜さんは水に濡れて足の形をくっきり浮かべるパレオをつまみ上げ、落とし、
距離が近くなって、心拍数が少し上がったのを悟られたくなくてより一層強く息を吹き込んだ。
だが、一ミリリットルも入らなかった。
「じゃあ私は月弥の浮き輪を膨らませるわ」
「僕が膨らませるの! ふんがー!」
「違うわよ。月弥のもう一つ……いえ、もう二つ? 三つ? の浮き輪を膨らませると言ってるのよ」
「ぷはっ……はぁはぁ……そんなに持ってきてないんだけど?」
「簡単に膨らむ物が一つあるでしょう?」
聞けば、秋夜さんは怪しく指を動かしながら軽く僕の足の上に乗せ、怪しく笑った。その指はてくてくと山を登り、下り、僕の足の付け根の方へと近づく。
彼女が何を意味しているのか、その卑猥な動きだけで手に取るようにわかった。
「ば、バカ! 何言ってんだよ! 浮き輪じゃないし!」
「でも浮き輪より簡単に膨らむわ……多分。でしょ?」
「節操なしじゃないもん! 秋夜さんじゃないと――っ、い、いろんな意味で今のウソ!」
叫べば、秋夜さんは呆れ顔を作る。その寸前に赤味がかった頬と、不満げなふくれっ面を見た気がした。
『嘘ってわかってても嬉しいから、現実見せないで欲しかった』と言っている気がして、ドキッと心臓が跳ねる。
数拍間が空いて、このまま秋夜さんに発言権を譲ると揶揄されかねないので、思いつくままに言葉を重ねる。
「てかっ、膨らませるもんならやってみろよ~っだ! この耳年増し処女め!」
「月弥、いつ私が処女と誰が言ったの?」
「えっ……つ、付き合った人居ないって言ってたから、処女なのかと――」
「ね、確かめたい? 確かめたいわよね? ん、確かめさせてあげる。じゃあそのためには膨らませるモノ、膨らませないとね。じゃないと確かめられないもの」
秋夜さんは言って僕からゆっくり手を離し、水に濡れたパレオに足の陰影に添って指を滑らせ、その陰を深く黒くする。自分の方へ指を引き寄せて……指に釣られた目が最終到達地点に滑って――慌てて逸らした。
危ない危ない。秋夜さん相手だと理性の制御がすぐに飛びそうになる。
冷静に自己分析をするマンガの主人公みたいに頭の中でそう呟いて、現実でも同じように肩をすくめるポーズをとって、冷めた口調で言った。
「無駄だね。そんな誘導じゃなくて自主的に膨らませようとしてみなよ。秋夜さん、間接的な手段選んでたらいつまでたっても膨らまないぜ?」
「え、触っていいのっ!?」
即座に秋夜さんが高い声で聞き返す。
そのときには彼女は既に僕のブツに触れる寸前で、慌てて手首を掴んで引き離しつつ否定すれば、彼女は恨みがましい目で僕を睨み、ぷいっとそっぽ向いてしまった。
「だ、ダメに決まってるでしょ!」
「……ケチ。期待させておいて酷いわ。いいもん、私アイス食べるっ」
彼女の語尾が少々崩れかけているのはどうしてか。まるで感情が個性を先走っているような、そんな感じがする。
秋夜さんは先ほど買った練乳味の棒アイスを冷却バッグから取り出し、どこか手慣れたふうに袋を剥く。
そうだ、早く膨らませないと溶けちゃうんだった。
慌てて浮き輪の口に息を吹き込もうとすると――
「んちゅっ――……ずずっ、ずぞぉっ……んはぁ……美味しいわ……」
秋夜さんが控えめな、しかしアイスを食べるには不必要と思われる水音を出して、僕の耳の近くで色っぽい息と甘い声で空気を震わせた。
彼女がほんの数センチ足をずらすだけで、パレオに浮かぶ足の輪郭が変わり、より鮮明になり、その奥へと目が誘導されて――
「ぐっ……」
慌てて目を逸らす。くそ、なんてエロいんだ。いつものごとく恨めしい。深い影の中へと落ちそうになる視線を振り上げて秋夜さんを顔を睨めば、彼女は首を傾げて、舌っ足らずな声を出した。
「ん? どうひたの月弥ぃ?」
「な、なんでもない……」
「そぉ? れろぉ……ん……」
口内の熱に溶かされたアイスが雫となって側面を伝う。そのまま一番下に溜まり、滴り落ちそうになったのを、彼女の舌が舐めあげた。
白濁に染まった唾液でコーティングされた舌がれろぉっとアイスを舐めしゃぶる光景は宛ら意識的なように思えて、
「あ、えと……その、さ。海に誘ってくれてありがと」
「あぁ
アイスの先端を口の中に含め、きゅっと唇を締め、そこから一滴も零さぬように棒を抜く。今度は棒アイスの根元に舌を這わせててっぺんまで舐めあげると、舌と棒の隙間に溜まった雫にちゅうと唇で吸い付く。
僕の視線に今更気付いたような顔で、肩をすくめて聞く。その口端から白い雫が零れ落ちたのを、舌が追いかけ、口の中へと収める。
「ふふ、
羨ましい? 何が? 棒アイスが――……?
秋夜さんは艶っぽく、先ほどより一回り細くなったアイスを唇で扱きながら抜き、何度か口をもごもごさせ、それから喉を鳴らす。頬肉を持ち上げ、恍惚な笑みを浮かべる。
細くなったアイスを見れば、それ口内で如何程の扱いを受けたのか、舌に
「
「う……うら、やましい……」
舐め溶かされるアイスに耽溺して、つぶやく。
すると、秋夜さんは笑った。小悪魔のような、蠱惑な笑みだ。
羨ましい。アイスが羨ま――
——……ち、違うっ! アイスをなめている秋夜さんが羨ましいんだ! 凄いっ、良く気がついた僕!
残りわずかのろうそくのような理性はギリギリのところで気付き、我に返った僕は『我に返れた僕』を
そして、強気に返す。
「もちろん羨ましいね!」
「そぉ? じゃ、息を吹き込んであげるわ」
そう言って秋夜さんはアイスを宙に立たせて身を屈めて僕の足のくぼみに顔を近づけて――
慌てて彼女の濡れた髪を叩いた。
「バカ! 何やってんだよ!」
「あら、直接息を吹き込んだ方が速いと思ったのだけれど」
「秋夜さんが羨ましいんだよ! アイス舐めれてる秋夜さんが羨ましいの! 変なことしようとするな!
膨らませるならこの浮き輪にしろ!」
「っ……し、仕方ないわね」
何故か、呆れた表情の秋夜さんに、拳を固めて腕を引く残像が見えた気がした。その残像はガッツポーズに似てなくもない。
秋夜さんはまだ半分ほど残っているアイスにかじりつき、あっと言う間に食べ終えて、頭がキーンとしたのか足をバタバタしてから浮き輪を引ったくった。
そこで一瞬硬直し、顔を赤く染めた――ように見えた。
秋夜さんは肩をすくめ、一瞬で包んでいたものが消えて所在なさげなアイスの棒を僕に向ける。
「これ、捨ててきて」
「ったく……とは、言える立場じゃないか。分かった捨ててくるよ」
「えぇ、よろしく。そうそう、途中で舐めてもいいのよ」
「そんなことするかよバーカ!」
言い返して、ティーシャツの裾を摘まんで扇ぎつつパラソルから出る。僕の中の悪魔は、アツアツの砂に急かされて早足になって、意識がそちらに向いたのをいいことに、手の中の棒を見下ろす。
――理性は、なんとか働いた。
だが、自分のことに一杯一杯だから、背後からする小声なんて聞こえるわけがない。
「っ……さ、作戦成功……」
それが上擦って、恥じらいの籠もった
——てらりと唾液で光る浮き輪の口を、真っ赤な顔で見つめていた。
PS:アイス舐めてるだけ(・ω<)テヘペロ
今のが人生初の顔文字(『話のすり替え』とか言っちゃダメ)
月弥の浮き輪が膨らまなかった答え合わせは数話後。
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