第5話 『好き』とは『好き』で、『好き』のうち




 放課後。終礼が終わって直後。

 廊下から秋夜さんを眺める。


「それでさぁ秋夜~」

「あ、飯田くんごめんね、私もう帰らなきゃいけないの」

「あ、じゃあ俺も――」

「じゃあね~!」

「あっ、おい――」


 聞こえてないフリ、というのには些か無理があると思う。だが秋夜さんは飯田くんの言葉を無理やり切って、席を立った。

 追いかけようと席を立った飯田くんだが、それは叶わない。

 何故ならつい数秒前、僕の前を通り過ぎた、クラスのリーダーみたいな誠実くんまことみのるに飯田くんがサボっていると告げ口したからだ。

 チクりは禁忌と思われてるが、そんなことはない。保証されるべき権利なのだ。


「おい飯田くん! 君は掃除当番なんだから帰ろうとするなよ!」

「るっせぇなっ! わーったよ!」


 飯田くんは大きくため息を吐いて、かったるそうに誠実くんから箒を受け取った。


 さて、そんな僕は廊下にいた。教室の外に出ていたものの、終礼中ずっと飯田くんに絡まれていた秋夜さんが気になって、少し廊下で待っていただけだ。

 別に恥ずかしいことじゃない。人待ちなんて普通のことだ。なにも変なことじゃない。そう自分に言い聞かせることで、周囲の存在しない視線に堪えていた。誰だって同じかもしれないが、注目されることは嫌いなのだ。


 ——とまぁ、そんな僕の恥ずかしい時間もこれで終わり。帰るか。

 秋夜さん解放されて良かった、と自分のことのようにほっとした僕は階段へと足を向けた直後、くいっと袖を引っ張られて体が止まる。

 振り返れば、秋夜さんが下から僕を見上げていた。ちょっと可愛い。いや、そのふくれっ面と不満げな声がマッチしてとても可愛い。人前じゃなかったらうっかり抱きしめそうだ。


「何勝手に帰ろうとしてるのよ」

「あれ? 機嫌悪い?」

「そりゃそうよ。もしあなたが私を待ちかねて帰ったりでもしたら――そう思ったら機嫌も悪くなるわ。もしそうなってたらあの無機物を殺してたかもしれないわ」


 部活動の備品移動や掃除のゴミ捨てその他諸々で混み合った廊下を階段の方へと進む。


 無機物とは――きっと飯田くんのことだろう。ひどい言い草だ。

 まぁでも、飯田くんの絡み方もちょっと度が過ぎてたし、不機嫌になるのもよくわかる。とにかく、僕にキレてる訳じゃなくてよかった——


「え? 何、僕と一緒に帰りたかったの?」

「っ――……別にっ、あ、あなたが待っていたから、私と帰りたいのかと思っただけよ。……まぁ、一緒に帰れたら嬉しいけれど」

「あ、そっか。いや、待ってたわけじゃなくて心配してただけだよ? 助け舟なんて出せる柄じゃないし。一般にこれを野次馬と言います」

「あら、クソマジメ誠実くんに告げ口したのはあなたでしょう? 鉛刀一割えんとういっかつ、いい仕事をしたわね。ありがとう」

「人を謙譲語で評価するのはどうかと思うんだけど。でもって——そろそろ袖を離してくれると嬉しいんだけど」


 秋夜さんは廊下とは一転して空いた階段についても、僕の袖を握って離さなかった。むしろ先ほどよりぎゅっと握っている。

 歩きにくいし、それに危ない。それぐらい分かるでしょ?

 階段を降りつつ視線で問えば、彼女は当然よ、と視線で答えた。


 無機物とは天と地ほどの差があるとはいえ、誠実くんをクソマジメ呼ばわりか。酷い言い草だ。さすが秋夜さん。

 呆れを通り越して尊敬しつつ、彼女のペースに合わせて階段を降りる。


 うん、――答えてくれたのに、未だ僕の袖が自由になる気配はない。

 仕方がないので立ち止まって、視線でもう一度問えば、彼女は肩をすくめた。


「これぐらい問題ないでしょ? 勝手に帰ろうとした罰よ。それにこれ、気に入ったわ」

「なにそれ。わけわかんない」


 わけわかんないのである。彼女の言う『罰』も、『気に入った』とか嬉しそうに笑いながら僕の袖を握る彼女も、腕に時々当たる秋夜さんの胸の柔らかい感触も。

 ——いや、これが『当ててんのよ』というやつか。


 煩悩を消すことは諦めている。性欲はあって然るべきものだ。

 よくラブコメの主人公のが起きるとヒロインにバレてR18直航便に搭乗するが、普通そんなことは起こりえない。ピチピチのジーンズならともかく、息子が高身長でもない限りズボン越しに見ただけでは分からないのである。

 ……一応言っておくと、僕の息子は健やかに寝ている。勘違いしないでよ?


 思考、もとい煩悩の海に潜りすぎて場に沈黙が生まれていた。

 校門を出て同じ制服を着た学生たちで溢れた道を歩く。

 秋夜さんがぶらぶら僕の腕を無理やり揺らすので、仕方なく話題を探った。

 ——ふと昨日漢和辞典を読んで見つけた熟語を思い出した。


「秋夜さんって魑魅魍魎ちみもうりょうだね」

「鬼で已己巳己いこみきしてる『魑魅魍魎』?」

「えと~鬼が四つで似たり寄ったりって意味ならそう」


 『魑魅魍魎』とは、いろいろな妖怪変化、化け物のことである。秋夜さんにピッタリの言葉だと思って覚えておいたのだ。

 ちなみに『已己巳己』は文字通り、似たり寄ったりの例えである。


 ——普通、僕が誰かと会話すると二分に一回くらい語彙の質問をされるのだが、秋夜さんとの会話はスムーズに進んでいることに気付いた。さすが語彙だけで飯田くんをズタボロにした女だ。

 いいな、秋夜さん。恋愛とは別の意味で好きになりそう。


 そんな浮かれたことを考えていると、袖が自由になり、直後手の中に小さくて冷たい手が入り込んでくる。

 柔らかい人肌の、暖かい感触にドキッとして動きが止まる。何が起きたのか理解して、心臓が早鐘を打ち始める。


「な、何を――」

「私が魑魅魍魎ね。殺すわよ?」


 聞けば、彼女は赤い顔の上に澄まし顔を作って、僕を睨んだ。

 そして人差し指の根元を小指で強く押さえられる。そこは僕が握力測定の直前で突き指をした人差し指である。


「ひぐぅっ……! つ、突き指まだ治ってないんだって!」

「知ってるわ。だからやったの」


 得意げな顔でそう言った彼女は何かに気付いた顔をして、空いてる手でポニーテールを下ろして髪を風になびかせ、ポケットから取り出したサングラスを掛ける。

 ――制服着てなかったらモデルにしか見えない。というか制服着ててもモデルにしか見えない。彼女のスタイルと胸のバランスは最高すぎるのだ。

 彼女の存在感が一気に増し、周りの注目を集めた。


 秋夜さんはそれを知ってか知らずか、僕の人差し指を小指で撫でて言う。その感触がくすぐったくて、恥ずかしい。


「私、これでも学年の聖女なのよ?」

「――とうとう自分で言ったか。でも変身とそれに何の関係が?」

「あなたと手を繋いでいるのが見られたら面倒でしょう? 変装よ」

「っ、じゃあ離してよ! てか校門からずっと変身しときなよ! あとっ、こっちの方が余計目立ってる!」


 脈絡のない変身に忘れていたが、僕は秋夜さんと手を繋いでいた。

 振りほどこうと腕を上げると、的確に人差し指を痛めつけられて、それを阻止される。無茶をすれば振り解けないこともないが、そこまでするほどのことでもない。

 ——とかなんとか言い訳することで、秋夜さんと手を繋いでいたい自分を正当化した。

 秋夜さんは黒いサングラスの中から鋭い目を見せて言う。


「これは私を妖怪呼ばわりした罰よ。手は繋ぐの。それと、一緒に帰ってる時点で噂は立つわ」

「じゃあ一緒に帰らなければ――」

「それは私が嫌。私、遠空くんと話すの気に入ってるの」

「はいっ……あ、うん、はい」


 突然の名前呼びに脳が動揺したせいで発言権が脊髄に下って、でも脊髄は馬鹿だからしどろもどろな返事しかできない。

 心臓がドキドキと跳ねて、顔が赤くなってしまう。

 そのクールな声で名前呼ぶのズルいよ……。


 意味のない返事がしてしまった僕を見て、秋夜さんは手櫛で陽光を受けてきらめく長い髪を梳き、口角を上げる。

 サングラスを少しだけ持ち上げ、目を覗かせて妖美に笑った。


「な、なに?」

「面白いスイッチ見つけちゃった。ふふ、ごめんね?」


 背伸びした彼女に耳元で囁かれる。

 恥ずかしさで頭がいっぱいになり、もう我慢できなくなって彼女を突き飛ばした。よろめいた彼女は即座に僕を肘でど突き返して僕を睨む。


 現状だけを見れば、僕が一方的にぶっ飛ばされた感じだ。なのに秋夜さんが被害者ヅラしてた。

 ——いや、それで正しいんだけど。


「何するのよッ」

「からかわないでよ! 恥ずかしいんだから!」

「からかったつもりなんて……最後の一ミリしかないわ」

「あるじゃんか! ホント、自分が何者か理解してるの!?」

「美少女よ」


 そこを即答するのが彼女の魅力であり、なんだか残念なポイントでもある。しかも自信満々に胸まで張っちゃってるせいで、山がくっきり強調されている。

 行き交う男の視線が釘付けだ。もちろん僕の視線も。


「真面目に言うわ。なんだか話が流れちゃったから。

 私は遠空くんとお喋りをするのが楽しいわ。遠空くんは語彙力があるから話がスムーズに進んで楽なの。遠空くんも同じと思っているのだけれど、違う?」

「まぁ、そうだけど……うぅ……」


 同じことを考えていたという偶然、それを見透かされていたという羞恥。恥ずかしさで顔を両手で押さえる。顔が赤いのなんてバレバレだろう。でも隠さずにはいられない。

 何が楽しいだよ、バカ。恥ずかしいんだよ、バカ。


 深呼吸を三回、思考をリセットする。

 恥ずかしさを消すためにも、自分からその話題を振る。


「名字呼びするんだね。スイッチがどうのこうのはいいの?」

「えぇ、まだもう一段階あるから。それに分かったのよ」

「え?」

「好きってなんだと思う?」


 このパターンか、と僕はため息をつく。

 秋夜さんはなぜか時々、この命題を僕に投げかけてくる。どうやら答えを求めているわけではなく、自分の説を語る前口上のようだ。

 秋夜さんは先ほどまで僕と繋いでいた手を見つめながらグーパーして、呟いた。


「その人と手を繋ぐと幸せになること、その人とお喋りすると楽しいこと、その人の名前を呼ぶと何故か私まで鼓動が速くなることよ」

「っ――なにそれ告白?」

「っ……さぁ? どうかしら?」


 秋夜さんは一瞬びくりとした後、両手を宙に放り上げ、サングラスを外す。流し目で僕を見て、意地悪に笑った。

 ドキリ、と心臓が跳ねる。それをかき消すために、ため息を吐く。


 人に見られてはいけない設定とかどこ行ったんだよ。サングラス掛けてた意味あったの? そう借問しゃもんするのも面倒で、僕はため息を吐く。

 すると秋夜さんは続けた。


畢竟ずるにひっきょう:つまり、一つ言えることがあるわ」

「何?」

「私……つ、月弥との……お喋りは、好き」


 突然、彼女の言葉から難しい『語彙力』そのものが消える。

 春の日はまだ高く、夕焼けはない。空はようやく赤みが差し始めた所。

 糸の長さの違う二つの振り子が、あるタイミング綺麗にでぶつかるように、ぽすり、と。

 赤い顔をした彼女の手が、僕の手の中に滑り込んだ。






PS:カンフル剤として、現状最大限のデレを書いてみた。

 『鉛刀一割えんとういっかつ』は『凡庸な人が時には力を発揮する』という謙譲語、『借問しゃもん』は『なんとなく質問する』的な意味です。

 お星様とかフォローとか、いっぱいしてくれると嬉しいです。

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