第6話 日を食む月。空を覆う秋。




「突然顔真っ赤でキレる。翌日突然エロくなる。かと思えばやっぱりエグい――筈なのに甘え屋な部分もある。んでもって普通に可愛い」


 ノートに書き上げて、改めて首を捻る。なんだこれ。多重人格者か? 

 ——今書き連ねたのは秋夜さんのこれまでの行動パターン。見れば見るほど複雑怪奇。理解不能だ。

 ぬっと横から迫る影に論なし。言わずもがなの秋夜さんである。


「何かいてるの?」

「っ――な、なにもっ!?」

「おいそこ、静かにしろ!」

「す、すいませんっ……」


 ただいま、授業中である。鬼教師の佐々木先生は、講義中は静かに、だが自分がギャグを言った時はみんながどっと笑わないと怒るのだ。ちなみに最新の冷房よりも彼のギャグは夏の暑さに効く。


 閑話休題それはさておき

 慌てて書いてたページを引きちぎってくしゃくしゃに丸め、なんでもないと首を振る。秋夜さんにこんなの見られたら絶対に怒られる。

 そう思った矢先、手の中から紙の手応えが消えた。横を見れば、ノートの切れ端は忽然と姿を消し、マジックショーのように秋夜さんの手の中にあるではないか――!? なんで奪われたの!? どうやって!?


 秋夜さんはそれを広げ、眺め、僕を見た。それは呆れた目に違いない。

 言い訳はできない。なぜなら一番上の行に堂々と『秋夜さんの行動パターン』とタイトルがあるからだ。誰だよタイトルまでつけたバカは。——うん、僕だな。


「何これ。私のこと馬鹿にしてるのかしら?」


 秋夜さんのため息混じりの声に僕は縮こまり、首をすくめて謝る。


「あのねぇ、人が試行錯誤してるのよ? ついこの間会得した概念恋愛に翻弄されるわ、伝えようとしても伝わらないわ……いろいろ必死なのよ。その努力を多重人格者とか言わないで」

「ごめん。あのさ、その概念すごく気にな――なんでもないです」

「えぇ、正しい判断ね」


 コンパスの針向けられて言葉続けられるわけないじゃんか!

 鷹揚おうように頷く秋夜さんはコンパスの股に指を掛けてくるくると回しながら紙を片手で潰し、僕に投げ返した。これを他の誰かに見られるのは嫌なので、すぐにリュックの奥底にねじ込む。


 秋夜さんはつまらなさそうに頬杖を突いてグラウンドの方に目を向けてしまった。――別段何もした記憶ないのに、なんか悪いことした気分。あの紙に『秋夜さん大好きぃぃぃ!』とでも書いておけばよかったのか?

 ——あ、いいこと思いついた。……でもなんかキザすぎてキモいな。やめとこうかな? でも渾身のネタだし、このネタは今日しかできないんだし……。

 うじうじ悩んで数分、思いついたことをやってみる。


「ん……?」


 秋夜さんが、僕が投げたくしゃくしゃの紙を見て首を傾げた。視線を寄越されたので、そっぽを向いて返すと、背中で紙を広げる音がする。


 書いたのは一言。『秋夜さんを見たい』


 数秒の沈黙の後、くすりと秋夜さんの笑い声がして、僕の机に紙が返ってきた。

 まさかその沈黙の間に『ぼわぁっ』みたいな効果音が流れていたことを僕は知らない。

 紙を広げて見れば、僕のうねうねした続け字の下に、秋夜さんの角のある達筆な字でこう書かれていた。


『遠い空のお月様が見せてくれるわ』


 なるほど、僕より一枚上手。だけどまたこれも一興。

 ちょっと悔しくて秋夜さんを見れば、彼女は肩をすくめて、堪えきれなかったように吹き出す。つられて僕も笑ってしまった。


 たしか朝のニュースではそろそろだったはず。

 教室の時計を見て、正確な時間を調べるためにスマホを取り出した。隣でも、同じように秋夜さんがこっそりスマホを開いていた。

 ちなみにもちろん、校内スマホは厳禁である。



 *



 授業が終わったと同時に体操着を持って教室を飛び出て、男子更衣室ですぐに着替えて校庭に出る。次の授業は体育だが、僕が体育の授業にやる気を持ってるわけじゃない。

 むしろ今日も怪我して見学したかったぐらいだ。


 校庭を見回してどこにしようか。少し悩んでから隅っこに足を向ける。

 空を見上げて——うん、ここが良さそうだ。

 そう思った瞬間、背後に誰かの気配を感じた。だがすでに遅い。


「わっ」

「うわぁっ!」

「あ、転けた。ふふ、無様ね。ほら、手を貸してあげるわ」

「上機嫌だねっ――と」


 ふっと肩にかかった手にビックリして転けると、ジャージ姿の秋夜さんが僕を見下ろしてしてやったりと笑う。

 立ち上がるために差し出された手を掴んで、そのまま引っ張ると秋夜さんも転けた。仕返し成功、これで一対一、平等だ。


 秋夜さんは無言で僕の肩を殴り、ぷいっと空を方を見てしまう。

 争いは争いを生む。僕は肩の痛みを我慢して、人工芝に足を伸ばして空を見上げた。


「ん〜それにしても秋夜さん、流石に引っかからなかったか」

「私を馬鹿にしてるの? あれぐらいの謎が解けなくて誰が『秋夜柚菜』というのかしら」


 自信に満ち溢れた言葉にちょっと引きつつ、それが秋夜さんのいいところだと少し惚れる。

 さて、今の話題は授業中の僕の投げ手紙だ。単なる謎かけだというのは秋夜さんもすぐに気付いたようだ。


 実は今日は皆既日食の日なのである。ニュースでは騒がれていたが、学校では誰も何も言わなかったので、みんな興味がないのかも知れない。

 ――まぁ、僕だってさっきまでは興味なかったし。


 明るさは日没三十分後でだいたい二等星までなら肉眼で視認できる。そして折節おりふしは春、つまり肝心の見える星っていうのは――


「『秋夜さんが見たい』。あれは秋の夜、つまり秋の星座を見たいってことよね?」

「正解。ちなみに僕の名前は『月弥』であって『月見』じゃないから」

「それぐらい分かってるわよ——……だっていつも見てるんだし」

「え? なんか言った?」

「いえ、何も」


 秋夜さんの答えにマルを返して、聞き漏らした言葉を拾おうとするが、別に大したことではなかったらしい。


 さて、普段は太陽が明るすぎて見えないだけで、日中、この青空にはその季節とは反対の季節の星座が広がっているのである。

 そして、それを地球から見る為の唯一の手段は――


「——皆既日食。いい謎かけだったわ。最初は訳が分からずにドキッとしたもの」

「うそだぁ、全然いい反応しなかったじゃん」

「さぁ、真実はどうかしら。あなた私に背をむけてたもの」


 あれ? いつもより秋夜さんが柔らかい? 遅まきながら気付く。

 いつもはもっと、表情や態度の緩急が激しいのに、今は凄く穏やかで落ち着いているように見える。

 どうしたんだろう、何かいいことでもあったのかな?

 ニコニコと聖女の仮面を被ってるわけでもないのに笑顔な彼女は、僕を目が合うと首をかしげて聞いた。


「『好き』って何のことか知ってる?」

「またそれ?」

「いいじゃない。でね、私思ったのよ。その一瞬一瞬に胸が躍るものだって。じゃあ『愛』は何だと思う?」

「またこれは哲学みたいな問題だね。……で、秋夜さんの持論は?」

「ふふ、『愛』はね、揺れていた水面が、その人のことを考えたり、その人と一緒にいると一瞬で収まって、落ち着く……気が和むことを言うのよ」


 言葉に詰まる。

 今僕が抱いているのは、まさに彼女が説明した感情だった。じゃあまるで僕が秋夜さんを――あ、ああ、愛してるって!?

 高校生が出会って数週間の相手に抱く感情としては些か大げさすぎる。『愛』なんてものは普段の軽口の中に訪れるような、特別なスキンシップがなくても心の中に芽生えるような、そんな――


 そこまで自分の心に言い聞かせていて、固まった。

 まさに今、この現状がそれに当てはまる可能性があるのではないだろうか。いや、でもこれは秋夜さんの持論だ。僕にとって『愛』とは——


 宇宙の原点よりも複雑な哲学論に入り込んだ僕は黙ってしまう。そうして僕の長い沈黙をいぶかしんだ秋夜さんが、僕の顔を綺麗な双眸で覗き込んだ瞬間、校庭の入り口から騒がしい声が聞こえた。


「あっ、柚菜~いたいた」

「ユナちゃん急に教室飛び出たからびっくりしたじゃん!」

「柚菜っちどしたん? なんかあったん?」


 秋夜さんは僕から顔を離して舌打ちを一つ。立ち上がらずに手を振って答えた。もちろん、この一瞬で聖女の仮面は着用済みだ。


「ちょっとね~! 遠空くんが面白い物見せてくれるんだ!」

「え、なになに? 手品?」

「なわけあるか! なぁなぁ遠空、自分何見せてくれるん?」

「遠空くんと柚菜って仲いいんだね~」

「あ、えと――……そろそろ、かな?」


 名前を呼ばれて意識が現実に戻る。

 腕時計に目を下ろすと同時、空が暗くなり始めた。


「えっ!? ホントに手品!?」

「あっ、せや今日は日蝕やん! 今からか! タイミングばっちしやな!」

「そういえばそうだったね~。そういうことか~」


 空が薄暗くなり、ぞろぞろと校庭に出てきていた生徒達がどよめき始める。もしかしたら日蝕のニュースをしらない生徒もいたのかも知れない。

 地面に置いた手に、ふわりと誰かの手がかぶせられる。見れば、その手は秋夜さんの手だった。びっくりして払いのけようとすると、ぎゅっと手が握られる。


「ちょっ――!」

「しー、暗いからバレないわ。むしろ騒ぐとバレるわよ」


 そう言われると、黙るしかない。でも空はまだ日没前ぐらいの明るさで、視界に入ったらバレる可能性だってある。

 というかなんで手なんか繋いでるんだよ!


 僕のドキドキをよそに秋夜さんは空を見上げていた。

 人生の内に一回あるかないかの皆既日蝕をこんなハプニングで逃すのは馬鹿らしい。そう割り切って、僕も空を見る。空がどんどん暗くなっていく。

 太陽がついに欠け始めて、ダイヤモンドリングが見えた。周りから感嘆の声が上がる。それは僕も、隣の彼女も例外ではない。

 そのとき、耳元で囁かれた。


「きっと世のカップルは言うのよ。あれをあなたに捧げます、とか。佐々木のギャグより寒いわね。太陽は誰の物でもないというのに」

「冷めてるのは秋夜さんだよ。夢がないなぁ」

「そ。じゃあ、友達としてあなたにあげるわ。義理よ」

「っ……そ、そっか。ありがと」


 日蝕はいいなぁ、と思う。

 隣の美少女が手を握って囁いてくるし、友達だなんて嬉しいことを言ってくれるし――。太陽がすっぽり隠れて、太陽コロナが見えてすぐ、再びダイヤモンドリングが見えた。

 今度は僕が言う番だ。気負いもなく、冗談めかして言う。


「じゃあ、友達としてあの指輪あげるよ。もちろん義理だけど」

「ふふ、そう。受け取ってあげる」


 ちなみに秋の夜空はあまり見えなかった。冬か夏ならもっとよく見えたかも知れないけど、やっぱり秋は特徴的な星がないから仕方ない。

 だんだん太陽が満ちていって、空の明るさがいつものものに戻った。


 しみじみと余韻に浸る。

 元は興味なかったけど、ちゃんと見てよかった。きっかけを作ってくれた秋夜さんに感謝しないと。


「ありがと、秋夜さん」

「えぇ、こちらこそ」

「ん? あっ、柚菜っち手ェ握っとる~!」

「あ、ホントだ~。なんかイチャついてるね~」


 後ろの女子が僕と秋夜さんの間を指さす。見れば、そこには繋がった僕らの手があった。それも神の悪戯か、指と指が絡まるなんていう恋人つなぎなんてものを——

 慌てて彼女と手を離してそのまま距離を取る。

 弁明してくれたのは僕と同じで真っ赤な顔の秋夜さんだった。その声は珍しく上ずっている。


「ちょっ、これは間違いでっ――」

「じゃあ二人とも顔赤いのどうして!?」

「ホンマや! 顔真っ赤やん!」

「あ~暗いのいいことにやらしぃことしてた~?」

「ちがっ、私そんなことしないよ!? ちょっと間違えて気付かなかっただけでっ!」

「恋人つなぎって間違えてするものなんだ〜へ〜」

「違うって! 本当に!」


 事後処理は秋夜さんに任せよう。

 僕は気配を消して、こっそりとその場から離れた。

 ちょうど、タイミングよく三限の始まりを知らせるチャイムがなった。






PS:書きダメが気に入らなくて全部消した。そして一時間ぐらい二人の名前眺めてて思いついたネタ。前回は自分的に甘かったのでオットリ回にしました。

 ようやく舞台がそろったし、調子も出てきた、って感じです。次回からは『ぼくはな』みたく軽やかな展開ができるはず……。

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