第7話 麻薬風呂と血生臭い三角系




「柚菜っちと遠空て仲ええよね」

「え?」


 朝。陰鬱になりそうな雨を眺めながら単語帳を開いていると目の前に女子メンバーが一人、ちっちゃい関西弁使いこと、西園寺さんがいた。名前を覚えていたのは、彼女たちの会話に聞き耳を立てていたせいだ。——秋夜さんがお喋りしているのだから気になるのは仕方ない、とここに言い訳しておく。


 彼女は僕の前の机に腰を乗せ、首をコキコキ鳴らしながら唐突に言った。

 足広げるとパンツ見えるから気をつけた方が――……言ったら逆に意識してるみたいに思われそうだ。言わぬが花。


 そんな僕の思考の一方、彼女は御パンツ様のことなど気にしていないのか普通に御開帳した。スカートの中身が丸見えだ。――まぁ、体操着だったので意気消沈だが。

 西園寺さんはあくびをする。


「見とったらさ、授業中よう二人でこそこそ喋っとるし、柚菜っち自分と喋る時はなんか心の底から楽しんどる言うか……」


 関西人は二人称が『自分』だったりするからややこしくて困る。

 文意を理解するのに数秒かかった後、戦慄した。ちょっと待って、西園寺さんは秋夜さんの本性について喋ろうとしてるのか? 気づいてしまったのか!? あのゲスの本性に!


 警戒レベルを上げて、無駄なことを言わないように気をつけつつ探りを入れてみる。


「それは秋夜さんがウソついてるってこと?」

「ちゃうちゃう、そこまで言うてへんやん。なんちゅうか、柚菜っちはアンタのこと好きなんちゃうかって思ったんよ。それで、友達の恋は応援するんが正義やろ?」

「っ――」

「え? 顔赤いやん。もしかして自分柚菜っちのことが――」

「ち、違う違う! ちょっと恥ずかしくなっただけでっ」


 ならええんやけど……。

 彼女の声がつまらなさそうに聞こえたのは気のせいだと信じたい。

 ——いや、スルーしてたけど、推測の域を出ない友達の恋を応援するのは友達としてどうなんだ? それを人は『ありがた迷惑』と言うのでは?

 西園寺さんは僕の顔をじっと見る。そして首を傾げた。


「ん~……こんなんのどこがええんかわからんな」

「おい!」

「いや、しゃーないやん。日蝕の時はなんか……まぁ、カッコ良かったけどさ。ウチのタイプではないから――」

「ほっとけ! 僕は秋夜さんのタイプであれたらそれで十分――……あ」


 ノリで言ってしまった。いや、それは問題ない。だって彼女は関西人。売り言葉に買い言葉で言った冗談だと説明すれば納得してくれるのだから。

 ただ――


 ガラガラガラ、と僕の声と同時にしたのは教室の扉の開く音。そちらの方に顔を向ければ――噂をすれば影が差すとはこのことである。

 傘を右手に、しっとりとした髪の毛を左手のハンドタオルで拭く秋夜さんがいた。意外と乱暴なのか、足で扉を開けた体勢になっている。


「――……ウチお花摘んでくる」

「この学校洋式トイレしかないよ~!」


 場の気まずさに逃げる西園寺さん。ヤケクソで揚げ足を取る僕。

 秋夜さんは『おはよ』と西園寺さんに手を振って、自席に近づきながら僕に挨拶する。


「おはよ、遠空くん」

「あ、あぁ。おはよ」

「静ちゃんと仲いいんだね。よく話すんだ」

「あ、いや、今日初めて」

「そ」


 不満げな声で話す秋夜さんに、ヤキモチ焼いてる? とかそんな冗談は投げ掛けることができない。だって、彼女が不機嫌なのは僕の余計な発言のせいなのだから。——推測でしかないけど、多分絶対にそう。


 ちなみに全く静かじゃない西園寺さんの下の名前は『静香』である。


 秋夜さんは傘を教室の窓の手すりに引っかけ、鞄を机のホックにかけ、スカートに手を添えながら丁寧に席に座った。

 気まずくって英単語帳で顔を隠しつつ、秋夜さんを覗く――と、丁度ピッタリ目が合う。ふぁさり、と彼女が結っていた髪を解き、聖女の仮面を外す。

 周りに聞かれないようにか少し小声で、その分距離が近くなる。


「何の話をしていたのかしら?」

「えと……ふ、フーリエ解析について!」

「そ。じゃあお話ししましょ、フーリエ解析について。

 範囲はどこかしら。離散スペクトラム、連続スペクトラム、それともラプラス変換への応用?」

「ちょっ、何で知ってんの?」

「初歩よ、これぐらい。一日勉強したら分かること。さ、本当は何について話してたの?」


 秋夜さんは椅子ごと僕に体を向けて、う~んと伸びをした。

 話を誤魔化そうとした目論見が外れる。なんでフーリエ解析について知ってるんだ。大学数学だろ!?

 驚愕しつつ、逃げ切れそうにないので白旗を揚げた。


「その……聞いてた通りです」

「それをもう一度言って欲しいのだけれど」

「……僕は、秋夜さんのタイプになれたら十分、です」


 鋭く貫くような視線は全てを察しているようで、逃げることができない僕は素直に答えるしかなかった。

 秋夜さんは興味のなさそうな表情——をしているつもりなのだろうが、ニマニマの隠せてない顔で言う。


「つまりあなたにとって『好き』とは、その人のタイプになりたい、ということかしら?」

「違う! そうじゃないよ! 人に好かれたいならその人のタイプになるのが手っ取り早いからっってだけで、別に『好き』の証拠になるわけじゃないしっ――」

「つまりあなたは私に好かれたいのね」

「あ……」


 本日二度目の失言。

 固まると、秋夜さんがくすりと息を漏らすようにして笑った。


「私を惚れさせて何がしたかったの?」

「別に、何も……」

「付き合いたかった?」

「――さぁ? 知らない」


 シラを切ると、秋夜さんは大きくため息を吐いた。

 それと一緒にツヤのある髪の毛が揺れ、目が惹かれてしまう。


「ま、いろいろと聞かなかったことにしてあげるわ」

「そりゃどうも」

「その代わり一つ教えなさい。あなたの好きなタイプの女性は? どんな人かしら? 例示でもいいわ」

「え? そりゃ秋夜さんみたいな人、かな?」


 素直に、何を分かりきったことを聞いているんだと思って答えてしまう。――場が完全に硬直した。

 硬直から数秒後、本日三度目の失言に気づいた僕は焦った。焦った結果、どうしたか。

 先達あらまほしきことかな何事にも先駆者はいて欲しいものである。そして僕にはその先達がいる。西園寺さんだ。


「えと、化粧直しに――いや、手水ちょうずに参る!」


 『化粧直しに行く』とは女性限定のトイレ表現である。それに対し『手水』とは神社にある柄杓で手を洗うところのことで、男女両用トイレ表現でもある。

 僕は時代遅れの謙譲語を叫び、ダダダダダッと教室から走り出た。



 *



「わ、私……?」


 ズキりと胸が痛む――いや、切なさを覚える。

 直後、ドクドクと心音が頭の中で響き、顔が真っ赤になっていくのを感じる。彼に見られないという安心感が、表情の抑制を妨げる。頬が緩み、どうしてもにやついてしまう。それを誰かに見られないために、机に突っ伏して顔を隠した。


 彼に好かれたくて、彼のタイプを聞いてみたのに、彼にとっては私がタイプで——つまりそれって、だから私のことが——

 ……あの関西チビに嫉妬した私が馬鹿みたいじゃない。私の馬鹿。


 『好きとは何か』を考えることで自分の気持ちを整理し、理解する。彼とそれを共有することで、自分の結論の答えあわせをする。そのついでに、彼に私のこの想いが伝わってくれないかと期待する。

 そんないつもの目的とは別に考えてみる。


 好きとは何か。

 ――……多分、今の私の感情のことだ。


 少し、命題の答えに近づいた気がする。

 この胸の疼きを忘れないよう、記憶に深く刻み込む。


「はぁ……月弥ぃ……すきぃ……」


 疼きが引いていくその時の甘ったるさと、溢れ出る多幸感の麻薬風呂に浸りつつ、私はため息を吐き、小声で想いを呟いてみる。胸の疼きが強くなる。

 疼くと痛い。でも心地いい。


 もっとドキドキしてみたい。もっと彼に触れてみたい。そうしたら、この胸の疼きはどれだけのものになるんだろうか。

 怖い反面、とても興味がわいた。



 *



「なぁ秋夜~明日からゴールデンウィークだな! 秋夜はなんか予定あるか?」


 終礼前。教室がまだざわついているとき。

 秋夜さんが飯田くんに話しかけられた。それと同時に、彼女は机の下で左手の親指を立てて、右手の手のひらで外側から自分側に向かって2回叩いた。

 手話は少し勉強したことがあるからわかる。あれは『助けて』だ。

 しかし何から助ければいいのかわからないので、とりあえず窓の外に悪の組織がいないか探してみる。うん、校庭でパンツ一枚で裸踊りしている上級生しか見えなかった。


 その間にも話は進む。


「ん~特にないかなぁ」

「じゃあさ、木曜に俺と遊びに――」

「あっ! ごめん、予定があったの忘れてた!」


 飯田くんの発言を遮るようにして、ポンと手を打つ秋夜さん。いや、絶対に今作ったでしょ。どれだけ飯田くんのことが嫌いなんだ。

 しかし諦めない飯田くん。うん、君のいいところはそのガッツだ。


「じゃあその日以外で――」

「えっとゴメンね。私ゴールデンウィークは遊びに行くの。それで、お小遣いあまりないから節約したくて――」

「……へぇ、そうか。誰と行くんだ?」


 明らかに不機嫌になった飯田くんが、ふて腐れたように聞いた。

 秋夜さんはぶっ殺す目で『テメェに教える義理なんかねぇよミジンコ』と口パクで僕に言う。その間、約一秒。飯田くんは秋夜さんの豹変に気付いてないようだ。


 僕にフラストレーションをぶつけるのは是非とも辞めてほしいものだ。僕に非があるように思えて、繊細な僕は傷ついてしまうのだから。


「――その……遠空くんと」

「はぁ!?」

「はぁ!?」


 秋夜さんが頬を赤らめて下を向き、人差し指をツンツンさせてか細く言う。沈黙が数秒あって、息ピッタリに飯田くんと僕の声が被った。

 飯田くんが僕をぶっ殺す目で睨んでくる。でも僕だって被害者だ。でもって、何故僕が飯田くんに詰問されているのか訳が分からない。だから僕は秋夜さんを睨む。その秋夜さんは飯田くんを百回ぶっ殺す目で睨んでいた。

 これぞ三角関係である。——血生臭いけれど。確定で僕が最初に死ぬけど。


「なんで!? どういうことだよ遠空!」

「あのね、遠空くんが誘ってくれたの。ごめんね、先約だからさ」

「――おい遠空! てめぇっ!」

「いや、あの……まぁね、スカトロジーが神話に多いのと同じで、彼女が誰と出かけようがそれは彼女の趣味嗜好性癖の自由であってさ。あ、遊びに行くのは僕か。えと……」

「お前が言うな! チッ、ド陰キャぼっちのくせに調子に乗りやがって」

「そんなこと言わないでよ! ボッチだって人間なんだよ! てか飯田くんじゃあ友達になろう! うん、そしたら僕はボッチじゃない!」

「いや断る」

「ふぇ……ふぇぇぇええん!」


 未だに友達ができないので最近それを気にしていた分、余計に傷つく。飯田くんの捨て台詞に涙ちょちょ切れだ。

 ゴシゴシと袖で涙を拭っていると、秋夜さんが唐突に言った。


「遠空くんはボッチじゃないよ」

「え? いや、あいつボッチじゃん。秋夜もあいつと出かけても何も楽しくないからやめとけよ」

「なんで? 私、遠空くんの友達だもん」

「は?」

「私好きだよ、遠空くんのこと。頭いいし、話してて楽しいし。私にとってすっごく大事な人」

「え? おい、ちょっ、秋夜!?」

「だからやめて欲しいな。遠空くんのこと悪く言うの」

「あ……あ、あぁ、おう」


 飯田くんが戸惑いを隠せない表情で頷いて、体を前に向けた。

 秋夜さんは僕を見てクールな顔でサムズアップする。けど、僕はそんなの見ていなかった。

 彼女の言葉が嬉しくて、恥ずかしくて、僕は顔を伏せていたからだ。すると、床に影が差し、耳元で囁かれる。


「全部ホントの事。あなたは私の大事な人よ」


 その言葉だけで舞い上がってしまうような僕は、きっとレベルが低いのだろう。

 自席に戻る秋夜さんの影を見つめながら、彼女の吐息や言葉の残っている耳を押さえた。僕にとっては彼女のくれた全てが大事で、その彼女自身なんて、もっと大事な人なのだ。






PS:もちろんフラグ。ちなみにタイトルは誤字じゃないです。

 登場人物二人だけの世界もいいけど、こうやってキャラが多いのも悪かないね!(まだ五人+人間冷房の佐々木の六人しか名前付いてないけど)

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