第14話 ヘタレへのご褒美




「あ、秋夜さんおはよ」

「あらおはよう」


 朝、登校中。

 駅でSuikaスイカにチャージし終えて振り返ると、秋夜さんとばったり出くわした。秋夜さんは開いていた単語帳を閉じ、ポケットに入れる。

 試験が近いから勉強しているのか、それとも登校中に勉強するのが彼女のスタイルなのか。——どうでもいいことだ。

 並んで改札を抜け、一緒に歩く。


「いつもこの時間帯なんだ」

「月弥はもう少し遅いの?」

「うん、一本か二本ね。今日はチャージする予定で早めに出たんだけど忘れててさ、つい今やってた所」

「へぇ、帰りにすればいいのに不思議ね」

「秋夜さんと帰るのにさ、丁度電車が来てたらお別れしなきゃ行けなくなるじゃん? 僕の駅のチャージできる場所、微妙に改札から遠くて足が重いんだよね。だいたい十メートルぐらい?」

「あんまり嬉しくさせるようなこと言うとデレるわよ?」


 秋夜さんがどすっと僕の腕を軽く殴ってぷいっとそっぽ向いた。本気で言ってるわけではなく、ただの軽口だろう。すぐに肩をすくめて息を漏らすように笑った。

 最近、秋夜さんが柔らかくなった気がする。物理的意味じゃない、態度が丸くなったという意味だ。気のせいかも知れないが。


「ねぇ秋夜さん。昨日言われた遠足の班決めあるじゃんか? あれってもう決めたりしてる?」

「いえ、まだ何も。いつもの取り巻きから誘いは来てるけど未読スルーよ」


 五月末の遠足の班決めをするように、と昨日の終礼で言われたのを思い出して、そう問いかければ秋夜さんはかぶりを振った。

 期待と不安で心臓が脈打ち始める。喉から声を絞り出す。放つ言葉が上擦る。発言に文意を無視した区切りが生まれる。


「じゃあさ……あの、良かっ、たら一緒に班、組まない?」

「……デレたわ。月弥、好きよ」

「ちょっ、公衆の面前で何言い出すかと思えばっ――!」

「デレるって言ったじゃない。宣言通りデレただけよ」

「デレなくていいから! っ……それで、いいの?」

「もちろんよ。組みましょう」


 鷹揚に頷いた秋夜さんは僕と腕を組んで、すぐに離した。無自覚でやって、恥ずかしくなったのだろうか、そっぽを向いてしまった。一瞬だけ腕に感じた彼女の胸の感触に鼻の下が伸びかける。

 秋夜さんが、失礼だけど――と続けたから慌てて意識を現実に戻した。


「軟弱者でヘタレの月弥が私を自分から誘った理由を聞かせてくれる? 何か意識が変わったのかしら」

「……ホントに失礼だね。まぁ秋夜さんのおかげだよ」

「私? 何かしたかしら? 記憶にないわ」

「昨日のお昼の——……秋夜さんの、言葉」

「っ――……」


 僕らの空気が一瞬で気まずいものと変わる。昨日の、間接キス事件のことを思い出したのだ。

 ちなみに、あの場での喚くような僕らの言い訳から、あれは両者なんの策謀も計略もなしに起こった事件であると結論が出された。

 思い出した僕は恥ずかしさで両手で顔を覆い、秋夜さんはボフッと爆発する。そのくせ彼女は僕に続きを促すので、もっと恥ずかしいことになりそうだけど……と前置きして答えた。


「その……好きな人と、一緒に何かをするのは楽しいことだって、秋夜さん言ってたから」

「っ……何、好きなの? 私のこと」

「……まぁ」

「そ、それは人として? それとも……」


 期待するような眼差しで僕を見上げた秋夜さんが首を傾げる。

 その言葉の続きは聞かなくても分かる。それに答えてしまえばどんなに楽だろうか。だけど、答えた瞬間に僕らの関係は変化してしまう。それは期待と不安が裏表に張り付いたコインを弾くようなもので――彼女が言うように、ヘタレな僕にはそれをする勇気が出ない。


「し、知らない! 僕学校でやらなきゃ行けないことあるからっ、先行くね!」


 結局、僕はその言葉とともに彼女を残して全速力で学校に向かった。

 走りながら、ポカポカと自分の頭を殴る高校生は、朝の通学路にはとても奇妙に見えただろう。



 *



 僕が教室に着いてから数分後、顔の熱もほとぼりが冷めたころ、秋夜さんが遅れてやってきた。

 先ほどのことはなかったこととしてもう一度朝の挨拶を交わし、他愛もない話をする。そのとき、曇り空が教室の窓を通して僕らに風を吹きかけた。

 寒がりな僕にとっては冷たい風が、ワイシャツの薄い生地の目をくぐり僕の肌を冷やした。


「へくしっ……うぅ……」

「あら、寒そうね。月弥のジャンパーは?」

「僕に借りたまま持ち帰ったのは誰? そしてまさか持ってくるのを忘れたんじゃ――……えぇ? 持ってきてないの? 忘れたの?」


 秋夜さんを睨み付けて聞けば、彼女はうっと身を引いた。バツが悪そうに僕から顔を逸らし、油を差し忘れた古い機械仕掛けの人形みたいに滑り悪く頷いた。


 覚えているだろうか。僕は昨日の朝に秋夜さんにジャンパーを貸したのだが、まぁ昨日はいろいろあったせいで僕も彼女もそのことを忘れていた。それに関してはまぁいい、仕方のないことだと理解できる。

 ただ——今日持ってくるのを忘れられたとなると、ちょっと困ってしまう。今日は曇りでちょっと寒いし。


 というか――


「なんで忘れる事ができるのか理解できない」

「それは、倫理観的な話かしら。そういう意味なら素直に謝罪するわ」

「いや、ジャンパー着たまま帰って。あっ、着たままだ! って気付いて、鞄に入れる。うん、そこからどうやって忘れるのか甚だ手段が見当たらない」

「……それは、だって、あれよ。着たまま寝たのよ」

「はぁ? 制服脱いでお風呂入って、部屋着になって。それでもう一回僕のジャンパーを着たと?」

「――っ! と、とにかくいろいろあったのよ! 月弥と寝たりなんてしてないわ!」

「ちょっ、誤解を生む発言を大声でしないで!」


 クラスの視線が一気に僕らに集まる。目を剥いて僕を睨み付ける男子達、あり得ないと目を丸くする女子達。僕は彼らに向かって大きく腕を振ってないないとジェスチャーし、元凶である秋夜さんを睨む。

 秋夜さんはふんっと鼻息荒く、席を立った。そして紺の長袖のセーターの首元のボタンをプチプチ外してを脱ぎつつ、僕に命令する。


「目を瞑って両手を挙げなさい」

「……何する気?」

「いいから、悪いようにはしないわ」


 なんて僕は察しが悪いのだろう。数秒後の僕はそう思っていた。

 命令通り両手を挙げて目を瞑ると、秋夜さんの気配を背後に感じる。腕に何かが通された直後、人肌のように暖かい布地に体が包まれる。

 閉じたまぶたの裏の世界が暗くなり、秋夜さんの匂いで噎せ返りそうになるほど彼女の匂いで頭を包まれる。知らないけど、まるで麻薬のように頭がクラクラして思考が鈍る。

 スポッと、まぶたの裏の世界にあかりが戻った。目を開く。

 僕は紺のセーターを着ていた。


 僕が呟けたのは一言、意味のない言葉。


「何これ」


 ウソだ。もうわかりきっている。これは――秋夜さんがさっきまで着ていたセーターだ。おかげで秋夜さんの熱で温まってぬくぬくしているし、秋夜さんの匂いが下から昇ってくるし、心なしか胸の辺りが変にぶかぶかな気もする。そのくせ腰回りは少しキツい。


 自分の胸囲はわかんないけど、男子高校生の平均が八十幾つかで、僕は小柄だからその少し下。つまり秋夜さんの胸の大きさは――やめよう。秋夜さんに勘付かれたら殺される。

 頭をフリフリ思考を消すと、秋夜さんが高飛車な態度で言う。


「ふふ、私のセーター。貸してあげるわ」

「……あの、いいよ別に。寒いったって我慢できないわけじゃないし」

「寒いと授業に集中できないでしょう?」


 こっちの方が集中できないって! そう返したいのは山々だが、秋夜さんに僕を揶揄するような意図は感じられない。純粋な厚意だけで僕にセーターを貸しているっぽいし、断るのは申し訳ない。

 それに秋夜さんのこの匂いから離れるのは――

 はっ、いけない! 秋夜さんの麻薬匂いに思考がブレていた!


 我に返った僕は慌てて拒否を示す。

 僕にとっての最適解は授業に集中するためにセーターを返すことだ。試験が近いのにぼーっとしてたら重要なところを聞き漏らしてしまう。


「いいって! マジでっ、返すよ!」

「……昨日の私と同じ気持ちなの?」

「え? 昨日?」

豚男飯田くんにジャンパー押し付けられた時の私みたいな……」


 秋夜さんの声がしょんぼりしたものに変わっていく。そこにはどこか不安げな、そして怯えるような声音が混じっていて、ドキリと心臓が跳ねた。胸が痛んだ。

 そんなわけがない。秋夜さんが汚物なわけがない。そんなふうに僕が思うわけがない。清廉潔白というには心が穢れすぎているが、物理的に汚いなんてことはない。もちろん飯田くんも清潔——んん、が。


「……別に、そうじゃない。分かったよ、借りるよ」

「ホント? 良かったわ。ありがとう」


 一転して嬉しそうな声が後ろからする。

 それと同時、首筋に髪の毛が掛かった。後ろから伸びてきた腕が僕の胸元の前で止まる。耳の後ろにふっと息が掛けられて、僕の体は堪え性もなく跳ねた。


「な、なにっ!?」

「ボタン、留めてあげるわ。ここも留めるともっとあったかいのよ」


 秋夜さんの指が妖しく動き一つ一つ丁寧に、緩慢な動きでボタンを留めていく。全てを留め終えると、トンと僕の肩を叩くだけで、何も悪戯はせず、自席に戻っていった。

 ――物足りなさは断じて感じていない。決して思ってない。別に、もっと触られたかったとか考えてない。


 思考を振り切るため、適当に話題を探す。ワイシャツ一枚の秋夜さんが視界に入った。


「秋夜さんは寒くないの?」

「えぇ、問題ないわ。羽織り物があるから」


 そう言って、秋夜さんは鞄の中から丁寧に畳まれた、ゴールデンウィークの時にも着ていた青い羽織り物を取り出した。

 一瞬、思考が停止する。ナゼボクハセーターヲアタエラレタ?


「そっち貸してよ! 僕そっちがいい!」

「断るわ。あのね、同じ苦しみを味わうからこそ、真の友となれるのよ」

「どういう意味!?」

「ドキドキで授業に集中できないもどかしさ、抗い難い誘惑、麻薬のような禁断症状。この苦しみ、月弥にも是非知ってもらいたいものよ。

 あと、班に誘ってくれたヘタレへのご褒美」


 秋夜さんはにやぁッと汚く笑い、羽織り物に袖を通して襟を正した。

 その意味を理解するまでに、少し時間がかかった。そして、昨日の秋夜さんの気持ちが推し量られて、悶えた。そんな僕を秋夜さんはニヤニヤ見つめていた。






PS:高飛車と居丈高が混ざって『居飛車』って書いてて自分の目を疑った。過去の私、大丈夫か?

 レビュー、ハート、コメント等、宜しくお願いします。

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