第15話 手=『傷・手段・演奏・平仮名』
さて、今私の手元には二つの依り代がある。宿り木、と呼んでも間違いではない。とにかく、月弥成分を含むもののことだ。
私はベッドの上に広げた二つの依り代を眺めてうんと頷いた。
夜、自室でのことである。時刻は十時、良い子はもう寝る時間だ。そして私は月弥のことが大好きな良い子なのでもう寝る。明後日から試験だけれど、もう寝る。――別に月弥と寝るのが我慢できなくなったわけじゃない。
さて、本日の依り代は今日返しそびれた月弥のジャンパーと、月弥が今日ずっと着ていたセーターである。
ジャンパーは明日手放さなければならないし、二日目ということで匂いを薄れているのが
よし、これで快眠が取れる。
一度パジャマの下のヒートテックを脱ぎ、それからパジャマの上にセーターを着る。――月弥の匂いがした。うん、好き。
でも、月弥がもっともっと大大大好きな私はやはりセーターを脱ぎ、今度はパジャマも脱いで、下着の上から直にセーターを着た。自分が変態みたいで、でも月弥に生肌を抱き締められている気がしてドキドキする。
下着も脱ごうかと思ったが、そうするとこれから寝ようというのにナニが始まってしまいそうでやめた。
五月の夜とは言え、三枚重ねで寝るのは暑い。それに汗をかいたら私の臭いで月弥の匂いが薄まってしまう。それは許されないことだ。
掛け布団を床に下ろし、ジャンパーを大きくベッドに広げる。
私は壁いっぱいまで下がって、助走をつけてダイブした。月弥の匂いに包まれ、それと一緒に柔らかいベッドに体が沈む。
すぅぅぅ……はぁぁぁ……幸せ……。好きぃ……。
*
「――ってなことで、試験が終わりましたけども。全教科八割越えを宣言していた秋夜さん、如何ですか?」
ボリボリ、ボリボリ。
中間試験最終日。放課後。
疲れ果てた僕は終礼の後も教室に残ってうだうだしていた。同じく秋夜さんも僕の隣でうだうだしている。教室にはもう僕らしかいない。みんな試験という
秋夜さんは最初は気だるげに、だんだん怒った声で答えた。
「初日の数学は八割を切ったかも知れないわ。それもこれも月弥のせいよ! 試験二日前の貴重な朝を寝過ごしたわ!」
「なんでぇ!? 僕が何かした!?」
「月弥が一緒に寝ようって誘惑してきたのよ!」
「――……秋夜さんってむっつりスケベ? 妄想激しすぎ」
「っ、今のナシよっ、忘れなさい!」
ボリボリ、ボリボリ。
秋夜さんの顔がしまった! ってなった気がしたけど、きっと冗談なんだろう。僕に責任転嫁してプライドを守りたいのかと思いつき、
まさか秋夜さんが『僕と寝る』なんて妄想をする訳がない。
あぁ、尊厳というものは社会秩序を構成する一方、人を天邪鬼にさせるのだなぁ、と詠嘆の気持ちを胸に吐いた。
頭が先ほどの古文の試験から切り替わっていない。
ボリボリ、ボリボリ。
「はぁ……」
「月弥は元気ないわね」
「今日の最後の古典あったじゃん? 文系科目は全部自信があったんだけどさ、古典単語の『手』の答えの『手段』が頭からどっか行っちゃって。めっちゃ簡単なのに……チャイム鳴った瞬間答え分かったんだけど……」
「
ボリボリ、ボリボリ。
寝不足でぼんやりした頭を叩く。気を抜いた瞬間にこのまま寝てしまいそうだ。そして寝たが最後、秋夜さんにどんな悪戯をされるか分かったものじゃない。
「それに、ふぁ~……失礼。昨日勉強してたら日付跨いでて眠いんだ」
「ふふ、あくび可愛ぃ……ラッキー♪」
口の前を隠してあくび混じりで喋っていると、秋夜さんが頬杖の上でにふふと目を細めて何かを言った。
「え? なんて言った?」
「何でもないわ。月弥は夜に勉強するのね。私は十一時寝、七時起きよ」
「早くない? あと八時間って沢山寝るね……」
「そう? これぐらいが普通よ――夜食を食べると零時になってたりするけれど」
「夜食!? 早寝早起きのJKが!? 太るよ!?」
「煩いわね……お腹空くのよ。それに運動してるから問題ないわ」
ボリボリ、ボリボリ。
運動していると言う割にはスタミナがないけど……。でもスリムだよな。着痩せするタイプとも思えないし。どんな人体マジックだ?
彼女を上から下に見て首を傾げる。
もしかして食べても太らない体質なのか――このことが知られたら秋夜さんが世の女性に磨り潰されて丸薬にされてしまう! うぅ、怖いヒミツを知ってしまった。墓場まで持って行こう。
ボリボリ、ボリボリ。
さて、ツッコむタイミングを失ってスルーしていたが良い機会だ。
先ほどから演奏みたいにリズミカルに聞こえてくるボリボリという咀嚼音。それは僕の持ってきた
説明をしている間に秋夜さんが僕の方に手を伸ばしてきた。彼女の狙いは僕の手の中のポッキーである。最初は合計二十本あったのだが、そのうちの四本は僕が食べ、十五本が秋夜さんの胃の中に消えていった。
つまり残り一本である。
僕は腕を引いてメッと彼女を睨む。秋夜さんはちぇっと舌打ちして物欲しげに僕のポッキーを見た。無視して最後のポッキーを口の中に入れる。
「寝食共に凄い勢いなようで。お裾分けされたポッキーでは飽き足らず人の分まで手を出すとは大層面の皮が厚いね」
「えぇ、私は三大欲求に忠実な生き物なのよ」
「――性欲は?」
戯れに、ポッキーをほとんど食べられた恨みで聞けば時が止まる。
るっさいわ変態、とでも罵って笑ってくれれば良かったのに秋夜さんは固まって赤い顔を俯かせた。彼女はフローリングの木目に目を逃がして、つんつんと人差し指を突き合わせる。
「そこそこ、よ」
「っ……へ、へぇ……」
どう反応するのが正解なのか知っている人がいたら教えてくれ!
>>週何でオ○ってるか聞けば^_^
>>ホテル連れ込んでホントか確認したらwww
リプを全て通報して、アカウントも全てブロックして、僕はため息を吐いた。もうあからさまでも話題変えた方がいい気がする。
秋夜さんもホッとした様子で僕の話に乗っかった。
「あのさ、明後日……は遠足だから明明後日か。確かプール開きだよね」
「え、えぇ。室内プールって聞いたわ」
「レーンは別だけど男女混合らしいね。ちょっと意外。男女別だと思ってた」
「そうね……月弥の水着が見放題……」
目を剥いて彼女を見れば、秋夜さんはハッと身を引いて辺りをキョロキョロ見たあと、自分の後ろを見た。よくある『え? 俺? 俺の後ろだよね?』みたいな動きだ。そしてその動きをした相手には定型のツッコミがある。
「いや、秋夜さんだよ。あと発言通り性欲旺盛なJKだね」
「……どうせ月弥の聞き間違いに決まってるわ。もしくは私の冗談――そうっ、これは冗談! 月弥をドキドキさせるための冗談よ!」
「あ、は、はい」
秋夜さんはしれっとした顔で呆れたようにそう言い、うまい言い訳を思いついた少女のように、呆れ顔の仮面を取って強情に言い張った。
人をドキドキさせる冗談として成立していないと僕は思う。
人を揶揄するなら徹底的に真意をぼかすのだ。そうやって相手にいろいろ妄想させて、ドキドキさせるのだ。そしたら私みたいに一発ゲットだと、そう母がのろけ話をしていたのを思い出す。初めて
役に立ったとて、僕の前でバタバタしている秋夜さんをどうこうできるわけもなく。
見ていて憐憫の情を催したので、分かった分かったと頷き助け舟を出すことにした。
「か、帰ろっか」
「え、えぇ! 帰るわよ!」
秋夜さんは真っ赤な顔で鞄を振り上げ、ずかずかと教室から出て行く。そして僕を振り返り、早くしろと手招きした。
*
「明後日遠足ね」
「だね。班員はいつもの女子メンバーと飯田くんだっけ」
「班長なのに班員を覚えてないのね。豚男は班員じゃないわ、訂正しなさい。間違えたら豚男に失礼よ」
秋夜さんが白い目で僕を見た。
人としてサイテーな理由で呆れられた気がする。秋夜さんこそ白い目で見られるべきだと僕は思う。飯田くんだって立派な班員だ。——超強引に班に入ってきたけれども。
秋夜さんはとにかく飯田くんの話を嫌うので、バカみたいな冗談から話を展開することにした。
「バナナはおやつに入るのかな? 秋夜さんは何持ってくの?」
「そもそもおやつに制限はないわ。私はアメ玉とかポッキーとかポテチとかを持っていくつもりよ」
「ここでも暴食が出たね。あとポテチは嵩張るけど? 山頂だから膨らむよ?」
「真空圧縮すれば問題ないわ」
「それバリバリに割れてるけど」
試験が終わってからかれこれ一時間ぐらい経っていて、いつもは同じ制服で埋め尽くされたこの道からは、すっかり学生の姿が消えている。
明日の休みを挟んで明後日が遠足だ。一年生ということで課題はないから山登りを楽しんでこい! と担任が言っていたが、つまりは来年以降の遠足には課題がつきまとうらしい。
あと山登りは普通に嫌いだ。疲れる。
「月弥は何を持って行くの?」
「干し柿と煎餅かな。渋い抹茶があれば最高なんだけど流石に無理かな」
「ジジくさいわね。でも私好きよ」
「っ……あぁ。干し柿がね。やめてよ、勘違いしかけたじゃん」
「月弥がよ。ジジくさい月弥も好きだって話」
勘違いのせいで勝手にドキドキしていた心臓が、秋夜さんの平然とした訂正で再加速する。
直後、手が秋夜さんの柔らかくてスベスベした手に包まれた。
「なっ!? ちょっ、この手はなに!?」
「『手』は手段の意味よ。さっき嘆いていたじゃない」
「そうじゃなくて! なんで繋いでるんだって!」
「だから手段よ。『好き』を伝えるね♡」
ハートマークが語尾に見えるほど甘い声で彼女は言い、パチリとウインクした。
ドキッとして歩みが止まると、秋夜さんはくふふと笑い、僕を引っ張る。我に返ってゼンマイ仕掛けの人形みたくぎこちなく歩けば、秋夜さんは僕の手をぎゅっと握り、自分の顔の前で『ちゃうちゃう』と関西人がやるように手を振った。
今の発言が冗談だとでも言いたいのだろうか。だのに、僕の手は未だ握られたまま。冗談だとして、手を握り続けるってことはつまり——
意識が思考の渦に囚われかけたのを、秋夜さんの少し恥じらうような、平仮名ばかりの声が引っ張り上げる。現実に戻す。
「えんそくでにぎってほしいな」
「は?」
「好きは冗談。これは練習よ」
「え、遠足に手を握る試験なんてないって!」
「遠足で私と手を繋ぐための練習よ。
「いやいやっ、山登りだから危ないし、それに手を繋ぐとかありえないし――」
「現に今、繋いでるじゃない。ふふ、心拍数凄く速いわね」
秋夜さんは楽しそうに笑いながら親指を僕の手首に這わせて動脈に触れる。恥ずかしいし、ドキドキしちゃってるし、僕の動脈からそれはバレちゃってるし、もう嫌だけど――彼女と手を繋げているのが嬉しくて、僕は黙って俯いて歩く。
脈拍は親指じゃなくて三本指で測るんだぞと、そんなツッコミをする余裕は僕にはなかった。
別に、ツッコんだら手が離れてしまいそうだとか、そんな恥ずかしいことは考えてない。ないったらない。
PS:初めて書く前に軽くプロットを作った。とても書きやすいが、文章が長くなることが分かりました。うん、私には大変。
タイトルの意味がわからない人は『古典単語・手・意味』と調べましょう。——答え言っちゃった。
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