第16話 山に潜む豚とは、つまり猪である




 さて遠足、山登りである。班長である僕が忘れないため、班員をおさらいしよう。

 先頭から関西チビこと西園寺さん、金髪ハーフでカタカナ英語が逆に喋れないぐらい発音が上手い金子さん、おっとり口調の原口さん、飯田くん、そして秋夜さんと僕の六人である。

 まだ五月なのに山の中は暑く、先日の雨のせいか少しじめっとしていた。秋夜さんの首には水色の涼しげなタオルが掛けられていて、聞けば気化熱で涼しくなるタオルらしい。僕も持ってくれば良かったと後悔する。


「はぁ……疲れる……」


 秋夜さんはやつれた顔で呟いた。それに反応した飯田くんが振り向いてニカリと笑う。そして木漏れ日をバックに秋夜さんに手を差し伸べた。


「秋夜! じゃあ俺が荷物持つぜ!」

「大丈夫だよ。ありがとね」

「遠慮すんなって! 俺力あるから!」


 飯田くんが力こぶを作って言うが、秋夜さんは心底嫌そうな顔を僕に向けてから、花のような笑顔を浮かべた聖女の仮面を被って返した。

 だが、そのこめかみはピクピクしている。イライラを隠せてないよ秋夜さ〜ん!


「大丈夫だって。ありがとね飯田くん」

「いやでも——」

「なぁ飯田、自分アンタ疲れてへんならウチの荷物持っといてぇや」

「え……」


 すると、前をずんずん歩いていた関西チビ――失礼、西園寺さんがいつの間にか僕らのところまで戻ってきていて、飯田くんに荷物を押し付けた。

 飯田くんの呆気にとられた声に、西園寺さんの顔が険しくなる。


「なんなん、柚菜っちの荷物は持ててウチの荷物は持てへんの? 自分アンタ下心で柚菜っちの荷物持とうとしてるんやないやろな」

「ち、違ぇよ! 分かった、俺は男だ! ドンと任せろ!」

「じゃあ飯田くんこれもよろしく~」

「お、おう……が、合点承知!」

「Hey pass! 飯田これよろしく!」

「わ、わかった……」


 あれよこれよと言う間に三人から荷物を持たされた飯田くんのペースはガクンと落ちてしまった。優しさというのは時に身を滅ぼすのである。

 さきほど原口さんが西園寺さんに『飯田くんに荷物持ってもらえばもっと楽じゃない?』と耳打ちしていた気がするが、僕の思い違いだろう。


 飯田くんを抜かして先を進む——が、絶え絶えな息遣いを聞こえないふりし続けるのは大変で、彼の横に行って声を掛けてみる。

 結果、ギロリと睨まれた。


「僕は飯田くんほど力持ちじゃないけど、手伝えることがあれば――」

「いらねぇよ! お前に女子の荷物預けられるか!」

「そ、そっか。ごめん」


 プライドが高いのだろうか。それともこうやって怒ることで僕を突き放し、自分一人で苦痛を背負おうとしているのか。どちらにしろ彼は聖人君子だと思うことにした。

 ——基本的に僕は性善説である。というか、そう考える方が余計な苛立ちを感じなくて済むから人生が楽になるのだ。


 歩調を速めて秋夜さんの隣に戻ると、秋夜さんが僕の袖を引いて、リュックのサイドポケットから水筒を取り出す。そしてお願いするように首を傾げた。


「月弥、これ持ってくれる?」

「ん? あぁ、いいよ。網ポケット入れといて」

「ありがとう。感謝してあげるわ」


 秋夜さんにリュックの網ポケットを向ければ、傲慢な感謝をされた。


 グルルルルゥ……と低い唸り声が後ろから聞こえたのは気のせいだろう。秋夜さんの水筒の分の重みを感じながら少し早足に急斜面を登る。


 飯田くんに荷物を預けたからか、関西チビは関西ザルと改名すべきかと迷うほど身軽になって、ショートカットと言わんばかりに獣道ですらない崖のような傾斜――というか崖をクライミングの要領でを軽々と登っていく。そんな彼女を眺めながら肩が軽そうに山道を歩く金子さんと原口さん。


 原口さんは僕たちを振り返ってサムズアップした。秋夜さんがサムズアップを返す。

 なんの合図だろうか。そういえば原口さんのことを秋夜さんは信用してるんだよな。何か現在進行形で彼女達の策略が水面下で成功へと歩みを進めているんだろうか。

 例えば、僕と秋夜さんを二人きりにするとか。——なんてね。そんな訳がない。僕と秋夜さんが二人っきりになってなんの得があるというのか。


 思考を切り、秋夜さんがリュックを背負い直したのを見て聞く。


「秋夜さんは荷物、飯田くんに預けなくていいの?」

「ナンセンスな質問ね。あの豚男の汗が私の純潔なリュックに染みるじゃない。巫女服を妖怪に渡すバカな神官がいるかしら? それが答えよ」

「妖怪変化は秋夜さんだけどね」


 戯れに返せば、秋夜さんは僕の顔に手を伸ばした。叩かれると思って目を瞑れば、頬にヒンヤリした柔らかい何かが当たる。

 見れば、秋夜さんのタオルだった。


 秋夜さんは優しい笑みを浮かべて僕の頬をタオルで撫でる。


「汗かいてる。これ涼しいでしょ?」

「っ……ご、ごめん」


 妖怪変化と彼女を呼ばわった自分が恥ずかしくなって謝ると、何に対してかは言わなくても秋夜さんには伝わったようで、彼女は首を横に振った。


「ごめん、よりもありがとうが欲しいわ」

「あ、ありがと。でもそのタオル秋夜さんも使うんだから僕の汗なんか拭ったら――」

「月弥の汗は神泉しんせんの水よりも綺麗だわ。少なくとも私にとってはね」


 僕の発言を遮るようにして彼女が言う。


 それは本気で言ってるのか、それとも気にするなという冗談か、秋夜さんの淡々とした口調からは判別しかねた。

 ただ、秋夜さんはその直後にタオルに顔を埋めた。タオルから覗く秋夜さんの耳は赤かった。それだけは分かった。



 *



「ほな見とときや~!」

「よっ、静ちゃん西園寺静香の生Circusサーカス!」

「いくで~!」


 山道の途中。高さ二メートルぐらいの大きな岩が道を阻んでいた。――というより、これが道なのだろう。岩に縄が打ち込まれていて、こちら側に垂れている。その奥の道は岩と同じ高さになっていた。

 金子さんの声援を受け、西園寺さんは助走をつけて岩に向かって走り、跳躍して岩に手をつき、勢いのまま空中で前転……前中して、一発で大岩の上に立った。つまり軽く二メートル跳んだということである。

 やはり改名、これからは彼女のことを『関西ザル』と敬意を込めてそう呼ぼう。


 続く金子さん、原口さんは無難に縄を支えにしつつ西園寺さんの手を借りて岩を登る。

 僕は縄を使う方が疲れそうだったので、荷物を西園寺さんに持ち上げてもらってから、ジャンプして岩に手をついて体を持ち上げる。そのまま泥臭く横転の要領で岩の上に身を乗り上げた。岩の上から見下ろせば、縄を手に首を傾げている秋夜さんがいた。


「上れそう?」

「えぇ、まぁ。でも豚男が来るまでに間に合うか……」


 秋夜さんは言いつつ、後ろを見やる。飯田くんはドドドドドッ! と猪のような足音を立てながら猛烈な速度で山道を駆け上がっていた。

 どうやら飯田くんに助けてもらうのは死んでも嫌らしい。

 不安げな目をして俯いた後、上目遣いで僕を見上げる。手伝って欲しい、ということらしい。お願いされなくても助けるつもりだったのに、と僕はため息を一つ、秋夜さんに手を差し伸べて掴んだ手を引っ張り上げる。


「んっと……ありがと」

「どういたしまして」


 手を離す瞬間、ちょっとだけ抵抗があった。

 首を傾げれば、秋夜さんは何でもないとかぶりを振る。そして服についた砂を払って、僕との距離を詰めた。

 山道で並んで歩くのは、それも互いの息遣いが鮮明に聞こえる距離で歩くのは危ない。肩が触れ合う。僕の腕の動きが強ばる。


 秋夜さんはふぅ、と息をついて腕を大きく振って歩く。なんだ、何がしたいんだ?

 目で問えば、秋夜さんは答える様子もなく関係のない話を切り出した。


「ときに月弥、今の気持ちはどうかしら?」

「正直に言うと、戸惑いとドキドキ。秋夜さんが近い」

「バカ、ハイキングの感想よ」


 冗談交じりにホントのことを答えると、秋夜さんは僕の肩を軽く叩く。暗に『離れてくれ』と伝えたつもりだったが、秋夜さんは知ってか知らずか逆にもっと僕と距離を詰め、僕に回答を促す。


 ドギマギに思考回路がブレて、抽象的な答えしかでない。


「えと……綺麗だなって思う」

「そうね。鳥の囀りと遠くの小川のせせらぎ、木の葉の揺れる音。新芽の青い匂いや踏みしめる土から上がる暖かい香り。春の山の心地よい風とだんだん上がってくる私たちの息遣い」


 秋夜さんは周りを眺め、楽しそうに、口ずさむように詠う。

 なにかの詩の引用だろうか? そう思っていると、次の節で違うと分かった。

 秋夜さんが僕をじっと見つめ、続ける。


「そして隣にいる月弥の声、匂い、気配」

「な、何が言いたいの? そんな見られると照れるんだけど……」

「私はもっと月弥を見ていたいし感じていたい。月弥といると楽しいし嬉しいし、それだけで胸が弾む。それは何故?」


 問うような口調で一度言葉を切り、一拍の間を置いて、いつもと違うパターンで彼女の定型句を繋げてきた。


「『好き』とは得てしてそういうものよ。そこに理由なんかない」

「っ……何、それ告白? ぼ、僕のことが好きってこと?」

「さぁ、どうかしら」


 秋夜さんは肩をすくめて話を終えた。木漏れ日が、彼女の顔が赤くなっていることを教えてくれる。


 期待し始めた心臓がドキドキと跳ねて、息が苦しくなる。

 隣にいる秋夜さんを見ること。彼女の声、匂い、気配を感じること。それだけで楽しくて、嬉しくて胸が弾んだ。さっきの秋夜さんの言葉を思い返して、恥ずかしさに悶える。


 赤い顔を見られたくないと、どうせ指の隙間や耳からバレるのに、左手で顔を覆って歩いた。——そんなんだから、僕はダメなのだ。


 彼女の右手が僕の左手を求めてぶらぶら揺れていることを、彼女の頬が不満げに膨れていて可愛いことを、気づけないでいる。

 一昨日の手を握る予行演習のことを、まるっきり忘れてしまっている。


 秋夜さんはバカと呟いたきり、次のチェックポイントまで口をきいてくれなかった。






PS:遠空くん、職務怠慢ですよ? ちゃんと手は繋ぎましょう。

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