第13話 箸に乗る、唇が触れる
昼休み。食堂である。僕は学食勢なので毎日ここに来ているのだが、メニューの更新頻度が高く、飽きることはない。少し塩辛いが。
ちなみに今日は最近お気に入りの塩バターラーメンだ。
金色のコーンの山の頂に座するバター。それがスープから上がる暖かい湯気で溶け、甘いコーンの山の中を伝い、そこに塩味を残しながらスープの中へと染み出ていく。そうしてまろやかになったスープが麺にとろりと絡み、口の中に入れると鶏ガラの塩とコクのあるバターの塩がじゅわりとあふれ出る。そこに
中途半端な茹で加減の麺が、バターが溶ける頃には丁度良くなっているのがミソだ。おかげで邪魔な野菜たちを片付けるための時間ができる。
バターが溶けるまでの間にもやしなどの苦手な具材を食べ終え、さぁ麺に取りかかろうとしたとき、僕の前に誰かが座った。
『食堂が混む』とよく言われるが、あれは二台しかない券売機に並ぶ学生の列の話であり、大量に並べられたこの長い食卓の話ではない。むしろ長机はどんなに繁盛していても満席になることはないぐらいに多い。
だのに、何故僕の前に座る人がいるのか――
顔を上げれば秋夜さんが僕に向かって軽く手を挙げ、前失礼するわ、と短く言った。彼女の前には小さな水筒と、可愛らしいキャラクターの描かれた風呂敷がある。
初めて真正面から秋夜さんを見たが——胸が大きい。それに加え僕が貸したジャンパーはウエストのところはダボっているのに胸のところは少しキツそうで、大きさが強調されていてヤヴァイ。
って、そんなことじゃない。慌てて目をそらす。
「やっぱり食堂にいたのね。都合がいいわ」
「どうしたの? 秋夜さんはお弁当勢だから教室で食べてるんじゃ――」
「別にどこで食べても校則違反じゃないもの。それにね、知ってる?」
『知ってる?』と聞かれたら『知らない』と即答するのが会話のキャッチボールの定石である。
我慢できなくてこの会話の間にラーメンに手をつけていた僕は、一度それを切って口の中に収めた後、首を横に振る。すると秋夜さんは拍を置かず答えを出した。
「ご飯だってなんだってそう。好きな人と一緒に同じ事をするのは、それだけで幸せで楽しいことなのよ」
「っ――そ、そっか。あっ、ジャンパー汚さないでよ?」
「もちろんよ。本気を出したらこの学校で一番に行儀いいと自負してるわ」
秋夜さんはぐっと胸の山を張って自信ありげに言い、風呂敷の包みを開けた。強調された胸に目を釘付けにされつつ、彼女の方に汁が飛ばないよう細心の注意を払ってラーメンを啜る。
彼女の言葉にドキッと跳ねた心臓を隠すべく話題を変えてみたが、秋夜さんは上手く乗ってくれた。——いや、僕の思惑を見通した上で乗ってくれたのかもしれない。だって秋夜さん、珍しく楽しそうな顔してるし。どうせ僕をからかって楽しんでるんだ。
——彼女の言葉通りに論理を組み立てられるほど、僕は素直じゃなかった。
頂きます、と定型の呪文を唱えた秋夜さんは卵焼きを頬張り、顔を綻ばせる。何度か咀嚼して飲み込んだ後、僕のどんぶりを物欲しげに眺めた。
「じゅる……」
音に反応して顔を上げれば、秋夜さんが口元をティッシュで拭う。
危機感を感じてラーメンの器を抱くようにして守りながら彼女に鋭い視線を送って聞く。だが、彼女の視線は僕のどんぶりに釘付けだ。
「――何?」
「月弥のラーメン、美味しそうね」
「渡さないよ? お気に入りなんだから」
「ふふ、じゃあこの唐揚げと交換よ」
餌で釣ろうというのか、秋夜さんは左手で頬杖を突き、僕の目の前で唐揚げをぶら下げて揺らした。天ぷらのような薄いキツネ色の衣は見るからに僕の知らない唐揚げで、サクサクで美味しそうで、喉が鳴る。
だけど僕のラーメンは唐揚げ一個で買えるほど安くないのだ!
それに——事実、不愉快に感じるようなことは一つもなかったが、行儀がいいと自負した割には案外マナーがなっていない。
そんな意味も込めて彼女をジト目で見れば、秋夜さんはつまらなさそうに唐揚げを口の中に放り込んだ。
そっぽ向いて咀嚼し、そのくせ未だ、横目で僕のラーメンに熱い視線を送ってくる。悩ましげなため息が彼女の口から漏れた。
このまま問答をしていたら上手く言いくるめられてラーメンを奪われかねない。そう思った僕はすかさず質問を投げてみる。
「いつもの女子メンバーは? いつもお弁当一緒に食べてるんでしょ?」
「問題ないわ。麻衣が良きに取り計らってくれたもの」
「麻衣……? 西園寺さんのこと?」
「原口麻衣。間延びした声の、何考えてるのか分からない女」
「あぁ、そっか。あとすっごい悪口に聞こえるけど、秋夜さんが名前呼びするって事は信頼してる人?」
「いえ、信じ用いるのみよ。頼りはしないわ。あと関西チビの名前は静香よ」
秋夜さんはお弁当箱の小さいスペースの中で魚の小骨を容易に
信用と信頼の違いは彼女の説明の通り、まさしく文字通りである。
原口麻衣、と頭のプロフ帳に彼女の名前を登録しておく。ついでに西園寺さんのページには『関西チビ』と書き加えた。ちなみにその上の段には『
『良きに計らう』の具体的な意味が分からなかったが、とにかく問題はないらしい。ふぅん、と適当にうなずいて提起した話題を終えると、秋夜さんはカチカチと箸を鳴らして言った。
「私は月弥の質問に一つ答えたわ。だから対価を頂戴」
「うわぁ、そういうこと言う?」
「えぇ、月弥の唾液――んんっ」
「え、なんて?」
「噛んだけよ。月弥のラーメンにはそれほどの価値があるの」
「じゃあ一つ話を聞いてくれる?」
「えぇ、もちろん。それで食べさせてくれるなら」
ラーメンを餌に最後のチャンスと話題を提示すれば、餌につられた秋夜さんは枝豆をパクパク器用な箸捌きで口の中に運びながら身を乗り出してくる。
そこまでして僕のラーメンを食べたいらしい。だがこの話をすればきっとラーメンを諦めてくれるに違いない。
悲しげな表情を作り、目線を彼女の顔から少し下……胸の辺りは変態さんになるので更にその下のお弁当を見る。上に行こうとする視線を制御するのに少し手間取った。
「僕ラーメン食べるの得意じゃなくてさ、啜りかけのものを途中で切って咀嚼したりしてるんだよ。だからぶつ切りラーメンばっかだし、コーンもスープの中に散らばってるし、結構汚いんだよ。
だからやめておいた方が――」
よし、秋夜さんからの評価が下がるのはとても口惜しいが、これで彼女はラーメンを諦めてくれるだろう。代償は大きいが、得られるものもあるのだ。いやむしろ『生命存続』の代償としては等価原則に基づけば安上がりなのかもしれない。
——死んでも秋夜さんと間接キスなんてしたくないのは、そんなことしたら死んでしまう自信があるから。間接キスして死ぬなら死んでも間接キスなんてしたくない。しかも死因が『恥ずかし死』だなんて姉に爆笑されるに決まってる。
そんな期待を胸の奥に、彼女の胸に釘付けになっていた視線を上げて彼女を見れば——
「じゅる……」
秋夜さんが口元を拭う。その光景にデジャブを感じる。
彼女の前には、お弁当がない。見れば、横にずらされている。
その二つの事態の認識に一瞬の時間が必要だった。そしてその一瞬が終わる頃には、僕の前からラーメンが消えていた。
「あっ! ちょっ――」
「ふふ、我慢できなかったわ」
秋夜さんは妖美に笑って、箸をラーメンの中に浸ける。ちゃぷ、と箸を中心に水面が揺れる。
綿飴を作るように箸をどんぶりの中でくるくると回してラーメンを箸に絡めた秋夜さんはそれを持ち上げて――……横髪を耳の後ろに掛けた状態で固まった。
その顔が、どんどん赤く染まっていく。
「な、なに? 恥ずかしいんだったらやめたほうが——」
「そ、そんなことないわ! 心の準備をしてただけよ!」
反射で発した言葉は秋夜さんをムキにさせただけの完全な悪手だった。だかそれに気付いても、将棋や囲碁のように待ったはできない。
秋夜さんは意を決したようにラーメンを啜った。
あぁ、僕はあのラーメンを食べたら絶対に死ぬ。死ねる。食べられる分にはいいけど、僕が食べたら死んでしまう。もういいや、諦めよう
こめかみを押さえて呻いたあと、顔が赤いのはもうお構いなしに、投げやりに言った。
「――もう全部食べていいよ。てか食べて。あげる」
「えっ……いいのっ?」
「うん、いいよ」
「ふふっ、ありがとう月弥。嬉しいわ」
はにかんだ秋夜さんはティッシュで口元を拭い、ふと思い出したように自分の弁当から最後の唐揚げをつまんで、僕に向けた。
そっか、そういえば交換条件だったな、と思い出す。
何も深いことは考えずに僕はそれに食いついた。
じゅわり、と冷えた唐揚げから旨味のある肉汁があふれて口の中を満たす。サクサクの衣を割ると、中はちゃんと柔らかい肉がある。
顔を引いて箸を口の中から抜き、彼女の唐揚げを味わって食べる。秋夜さんは僕を背景にぽーっとお箸を見つめていた。
美味しいね、とサムズアップすれば、秋夜さんは我に返ったように慌てて、真っ赤な顔でバタバタして、ラーメンを啜るのに逃げた。
どうしたのか――そう首を傾げかけたとき、僕は気付いてしまった。いや、今まで気付かなかったのが不思議なぐらいだ。
ラーメンを食べた秋夜さんの箸で、あ~んされつつ間接キスをした、という事実に気付いてしまった。
――机に突っ伏す。
全然、死ななかった。僕はピンピン、心臓はバクバク、普通に生きていた。至って健康、何も悪いところはなかった。
むしろ、死んだ方がマシだったかも知れない。
PS:知ってた? 本作のヒロインは変態さんです。その癖、いざチャンスが来ると恥ずかしくなって固まる。典型的な天の邪鬼。
みなさんのおかげでジャンル日間ランクが24位でした! ありがとうございます! コメント、レビュー、ハート、お星様、お願いします!
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