第2話 小悪魔の哲学と帰り道の美少女




「健康診断ね……」


 どうやらこの学校の健康診断は文化祭形式のようである。各々が好きな順番で教室をまわり、検査を受けるとのことだ。——うん、なんというかこの学校には『統率』の二文字が欠けているらしい。よく言えば『自主自立』の四文字が備わっているので、足し引き計二文字分のメリットがある。


 は? なにその理論。


 待ち時間絶対暇だろうし、一緒に回る相手でもいればいいんだけどな。

 そう思って教室を見渡すが、僕と趣味が合いそうな人がいない。入学早々だし仕方ないか、と英単語帳をポケットに突っ込む。


 そこでふと、隣の席の秋夜さんが目に入った。一瞬、声を掛けようかと思ったが、いつもの女子メンバーの姦しい笑い声を聞いて声を掛けるのをやめる。女三人寄れば姦しいとはこのことである。

 ん? 秋夜さん含めて四人? いや、彼女は目が笑ってないのでカウント外だ。


 基本的に僕は『女子』という存在が、いや『JK』という存在が苦手だ。可愛いし、魅力的だし、やっぱなんてったって花のJKだけど、苦手だ。秋夜さんの本性が僕の苦手なタイプの女子かはともかく、彼女はだいたいに囲まれているのだ。声を掛けるのは至難の業だし、絡まれるのは避けたい。

 それに僕にとって彼女は高嶺の花で、彼女にとって僕は雑草と同じ。一緒に回ろうなんて無駄な思考だ。


 順路の書かれた紙を手に、教室を出た。

 まさか、僕が気付くはずもない。背中に向けられた彼女の鋭い視線なんて。——ふくれっ面のジト目なんて。



 *



「はい、後ろ向いて~……。うん、問題ないで~す」


 健康診断なんて意味があるんだろうか。

 僕は聴診器のひやりとした金属の感触が苦手だ。くすぐったさに変な声が出そうになる。秋夜さんはどうなんだろ、くすぐられると笑うのかな?

 そんなわけで、僕は健康診断の存在意義の有無を考える。一瞬、思考が秋夜さんに傾いたのは気のせいだ。


 ——それこそ意味のないこと、と答えが出たのは、持ち上げていた体操着を下ろした時。

 胸部聴診の項目にチェックの入った紙を受け取り、混み合った廊下に出る。どうやら隣の教室は女子の胸部聴診をしているらしい。『男子禁制』と言わんばかりの、扉に張られた『女子胸部聴診』の張り紙を見て頷く。確かに、男女別でやるものだよね。


 すると、廊下には退屈そうな顔をしてぼーっと窓の外を見てる秋夜さんが見えた。きっと、一緒に回ってる女子の検査が終わるのを待っているのだろう。

 人混みをかき分け、彼女の隣にさりげなく立って、話しかけてみる。


「あのさ……疲れない?」

「え? あぁ、遠空くんか。疲れるってどういう意味かな?」

「できればいつも通りの話してくれた方が……あぁ、ここ人前か。いや、なんでもない」

「…………行きましょ」

「え?」

「一緒に回ってあげてもいいわ、とそう言ってるのよ。そしたらあなたの質問に答えてあげるわ」


 まるでツンデレみたいな発言だが、そこにデレ要素はない。本心で『回って』と言っているのだろう。

 もし彼女と一緒に回れるなら――と考えて、指に挟んでいた英単語帳をポケットにねじ込む。

 こんなもの、いらない。僕は彼女に興味がある。彼女とたくさんお喋りしてみたい。


「あ、でも他の女子と回ってるんでしょ? いいの?」

「別に、問題ないわ。私はあなたと喋る方が楽しくて好きよ」

「わ、分かった。次はどこに行く予定だった?」

「ん~……胸部X線、行ってみる? ここから一番遠いのだけれど」

「やな予感するんだけど、なんで?」


 秋夜さんは小悪魔な笑みを浮かべて小首を傾げた。

 その妖美な笑みに心臓がドキドキし始める。

 秋夜さんは僕の耳に口を寄せ、手を添えて小さく囁いた。


「あれ、下着も脱がなきゃいけないの。知ってた?」

「っ——な、な……ば、バカ! なんてこと言うんだい!」

「ふふっ、想像した? 今想像した?」

「してないよ! ばかっ」


 ——ウソ。実はした。だから僕の目線は秋夜さんの胸にへばりついて離れない。

 秋夜さんはくすりともう一度笑い、僕の手を掴む。


「迷子にならないためにね?」


 秋夜さんはそう言って、僕がドキドキして反応できないうちに人通りの少ない階段まで僕を引っ張った。

 そして、僕の手首を見てからかうように言う。


「脈拍が速いわね。胸部聴診必要かしら?」

「い、いらない! 速いのはドキドキしてるからで——あ……」

「そ……。ま、行くわよ」


 秋夜さんはなぜか真面目な顔になって、僕の手を離して階段を降りる。

 長い髪から覗く耳がなぜか赤い。それをじっと見てると、彼女はぽつりと呟くように喋り始めた。慌てて僕も我に返り、話に耳をかたむける。


「私ね、この性格のせいでろくな目に遭わないのよ」

「確かにね。性格がゲスいの自覚してるんだ」

「——聞かなかったことにしてあげる。まぁそれで、加えてこの顔と体よ。あなたがさっき想像したね」

「してないって! ……まぁ殊色しゅしょくなのは認めるけどさ」

殊色素晴らしい美人なんて単語使う人初めて見たわ。驚き」


 対して驚いてない声でそう言った秋夜さんは、肩をすくめてから悲劇のヒロインみたいな顔をした。全然似合ってない。勝ち気な顔の方が彼女には似合うと思う。


「もう分かるでしょう? 美人の末路なんて」

「まぁ、その性格なら殊更よく分かるよ。やっかまれたんでしょ」

「そう。上履きを隠されたり、水をかけられたり。低俗な手段でいじめられたわ。全部やり返したのだけれど」

「たとえば?」

「そうね……私の体操着を切った女は、自分の体操着を切っていたりね」

「ごめん理解できない。切られたのは秋夜さんのでしょ?」

「違うわ。彼女のよ。元から交換しておいたの」


 心底呆れた目で、別に楽しそうでも嬉しそうでもなく、つまらなさそうな顔で彼女は言った。


「まぁ流石に一日中ずっと気を張るのは疲れたわ。だから教師にチクったのだけれど、そしたら話がどんどん大きくなって、最終的にパ――父が勝手に引っ越しを決めたの」

「……ハ行ア段の半濁音が聞こえたのは空耳にしとく」


 可愛い一面があるね、なんて付け足したら殺されかねないのでそこは言わないでおく。だけど秋夜さんは『ぶっ殺す』目で僕を睨んだ。


「殺すわよ。バカ」

「なんでぇっ!」


 せっかく言わないでおいてあげたのに! と逆ギレしかけたが、自分の発言が半分煽っているようなものだと気付いたのでやめた。

 体育館に入り、身長検査の長蛇の列に加わりながら聞いてみる。


「いや、あのさ。今の話だったら、僕に本性見せてる理由は何?」

「——最初のあなたの質問に答えるわ。仮面を被ることって疲れるのよ。あなた、水泳で百メートル泳ぐ間、どこかで息抜きできる場所が欲しいと思わない?」

「水泳で息抜いたら死ぬけど。まぁ言いたいことは分かる」

「それだけ——えぇ、それだけよ」

「なんか別の意味があるって言ってるようにしか聞こえないんですけど」

「そんなことないわっ。……いや、あるわ。聞く?」

「聞いていいなら」

「……一人くらい仲間が欲しいわ」


 て、照れくさくなるからやめてよ……。

 言えばもっと恥ずかしくなりそうだったし、彼女も照れくさそうに笑っていたからお互い様だ。何も言わずに列を詰める。

 数秒の沈黙の後、話題を探ってるうちに思い出した。


「そう言えば昨日はなんかごめん。何が悪かったのかよく分かってないんだけど」

「えぇ、別にいいわ。一晩寝ずに考えて自分に整理がついたもの」

「ならいいけど……」


 哲学か? 一晩掛けて考えることとか、それもう哲学の範囲じゃん。

 呆れて心の中でツッコむと、秋夜さんは至極真面目な顔で聞いてきた。


「ねぇ、『好き』ってなんだと思う?」

「はい?」

「告白は『好き』だからするんでしょう? でも『好き』は何かしら?」

「え、えと……その人のことを考えると、ドキドキするとか?」

「そう。やはりどこでも同じ答えしか出てこないのね。つまらないわ」


 彼女はそう言って、つまらなさそうに前髪を横に払った。

 なんだビックリした。一瞬告白するつもりなのかと思ったじゃん。びっくりするからやめてよ。

 そんな僕の心の声をよそに秋夜さんは人差し指を立てる。


「私は、こう考えるわ」

「は? 続くんだ」

「えぇ、続けるわ。昨日のあなたの恋愛論を元に考えたことだから。

 その人には自分の全てを見て欲しいということ。それが『好き』だと私は考えるわ」

「お、おう……。え?」


 いきなりどうしたんだ、という動揺と、何言ってんのこいつ、という困惑のせいで思考が遅れ、あやふやな返事しか漏れない。

 そこで、列の後ろの方から声が聞こえてきた。


「あ、ユナちゃんみっけ~! お~い」

「あら、もう見つかってしまったわ。じゃあ、また後で」

「う、うん……後で」


 秋夜さんは残念そうな顔をして僕に小さく手を振った後、ニコリと笑顔になって列から外れて後ろの方へと小走りで駆けていった。

 ごめ~ん、はぐれちゃったと思って先に来たらここにもいなくて~。よかった、会えて~!

 なんて明るい声が聞こえてきて、それが秋夜さんの声だと気付くまでに数秒、やっぱ表裏の落差がエグいな、魔物だな、と感想を抱くまでに数秒かかる。


 だって、彼女の言葉を思い返して、かっかと顔が赤くなるのが自分でもわかったから。

 好きだから本性を見せる。彼女は僕に本性を見せている。

 ——それって……それって、つまり……っ!


 自意識過剰な妄想は、青春やってんじゃ〜ん後輩くん、という後ろの先輩の声で切られた。慌てて、彼女に謝って僕のせいで止まっていた列を進めた。



 *



「勝手に帰るなんてどういう了見かしら」

「え? うわぁっ、ビックリしたぁっ……」


 各自健康診断が終わったら解散! と担任が言っていたので帰ることにした。教室に残っても駄弁る友達はいない。

 腕時計を見ると時刻は十一時。この時間帯ならMackマックも空いている。よし、急ごう。そう足早に校門を抜けると、後ろから不機嫌そうな聞き慣れた声が聞こえた。

 振り返って、秋夜さんの後ろを見て、そこにいつもの女子メンバーがいないのを見て、首を傾げる。


「あれ? いつもの女子とは?」

「彼女たちはこれから遊びに行くようよ。私は断っておいたわ」

「そ、そう」


 いや、なんで一緒に帰る雰囲気醸し出してんの? 下校イベント?

 動揺が声に出ていたのを察知してか、彼女は呆れたようにため息と共に言う。


「また後で。そう言ったわよね」

「あ、うん……あれそういう意味だったんだ」

「私は意味のない言葉を使わないわ。私がまた後で、と言ったならまた後で会うのよ」


 彼女はさも当然のこと、と言わんばかりに鷹揚に両目を瞑り、肩をすくめる。そんな彼女が格好よくて少し見ていると、彼女はこっそり自分のお腹に手を当てた。そして僕と目が合い、しまった! と目を見開く。


 音は聞こえなかったけど、どうやらお腹が鳴ったらしい。場の沈黙に堪えきれなくなって聞いてみる。


「これからご飯食べにいくんだけど、予定ある?」

「……どこで食べる予定?」

「マック」

「そ。じゃあ行きましょう」


 そう言って、秋夜さんは僕の隣を歩き始める。沈黙が生まれる。

 信号に着く。立ち止まる。ふと、手の甲が触れ合う。秋夜さんは反対の手でスマホを取り出して意味もなくホーム画面を延々スクロールした。

 信号が青になる。ピタッとくっついていた手の甲が離れる瞬間、胸に締め付けられたような痛みを覚えた。






PS:最後の書き方、好きなんだけどクドいんだよなぁ……。話の締め方の新パターンが欲しい……。

 お星様とかフォローとか、いっぱいしてくれると嬉しいです。

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