第24話 ラブレターを斬る指を切る




「え~今回はタマネギ切るのにカミソリの刃を使うんで! 怪我した人は教卓に絆創膏と消毒液置いとくんで勝手に使ってくださ~い!」

「ねぇ月弥、それで、ラブレターは読んでくれたのかしら」


 僕のジャージを着た秋夜さんが萌え袖で頬杖をつき、先生の話も聞かずにそう言う。先生の言葉に一瞬ゾッとしたが、秋夜さんの言葉に意識が引っ張られた。


 本人は、『萌え袖はぶりっ子がすることなのでそれってつまり月弥の嫌いなことだし……不本意だが、やはり体格差も相まって萌え袖は不可避なのだ』と言い訳していた。

 萌え袖=ぶりっ子の等式が成り立つ彼女の感性に首を傾げていた、生物実験の授業。タマネギの細胞観察。


 ちなみに、僕が懇願したおかげで彼女は今、ちゃんとブラジャーをつけている。――どうでもいい話だが。

 ため息を一つ、僕は怒りを堪えて静かに言った。


「自分からその話題出すってことは、死ぬ覚悟は出来てるってこと? 僕あえて何も言わずにいたんだけど」

「あら物騒ね。気に入らなかった? 私のラブレター」

「っ……あぁそうとも気に入らなかったとも! 人のドキドキわくわくのトキメキを弄びもてあそびやがって!」

「ふふ、えらく期待してたのね。ごめんなさい。でも私にとってあれはラブレターなの」


 秋夜さんは悪びれた様子を見せず、実験プリントを片手に顕微鏡を手慰めにする。まだ嘘を言う気なのだろうか。


 ラブレター? いいや、そんな物じゃない。あれはただの商品引換券だ。もっと言おう、東京郊外の商店街の福引きの三等(ぬいぐるみ)の当たりだ。しかも七年前のもの。加えて、『交換済み』のスタンプが堂々と押されていたのである。


 秋夜さんは懐かしむように遠い目をして話す。


「私にとっての思い出なのよ。そう、商店街で福引き券をもらってガラガラ抽選器の列に並んでいたわ。そしたら前にいた同い年ぐらいの男の子が私の狙っていた三等を引いてね。

 当時は若かったから悔しさで号泣したわ。なにせ数量限定の最後の一品だったし、加えて当時にして久方ぶりの敗北だったもの」

「はぁ? なんでそんな物を僕に……?」

「泣いてた私に彼がぬいぐるみと引換券をくれたのよ。それが私の初めての『好き』よ。尤ももっとも、当時はそんな概念知らなかったし、勿論『恋』と呼ぶには若すぎたけれど」


 なんだか言葉遣いに還暦並みの年の功を感じるが、彼女はれっきとしたJKである。


 ――というか、地味にムカついた。ラブレターとか言いながら、僕とは関係ない男との思い出じゃないか。僕に寝取り寝取られの趣味はない。そもそも秋夜さんは僕の『人』でもないが。

 でもそれを伝えるのは恥ずかしくて、視線に言葉を乗せて彼女を睨めば、心を読んだのか否か、秋夜さんは肩をすくめた。


「それで、捨ててくれた? シュレッダーにかけてくれた?」

「いや……まぁ、なんとなく、捨ててないけど。別に秋夜さんの贈り物だからとか、そういう意味はないけどね? うん。てかなんで捨ててほしいのさ」


 ――秋夜さんの贈り物だからと保管しているわけではなくて、偽りのラブレターに腹が立ったので自室の勉強机のナイロンの下に滑り込ませておいただけだ。


 そこのところの事実をハッキリ伝えたつもりが、秋夜さんは誤認してしまったようだ。


「人からの贈り物を大事にする男はモテるわね。ウソが下手なのも浮気の心配が必要なくて好感度高いわ」

「ウソじゃなくてっ、ほ、保管してるのは別に理由があるんだって――!」

「……わかったそういうことにしましょう」


 秋夜さんは呆れた様に呟く。

 だが、これで秋夜さんは信用してくれたようだ。うん、話を流された気もしなくもないが、それは考えないことにする。


 タマネギを薄く切るために配られたカミソリの刃を摘まんで、その鋭さに顔を引きつつ、そうやって真実から目を背けた。

 秋夜さんは脱線した話を戻すべく、パンと手を打って言う。


「捨ててくれて構わないわ。いえ、むしろ捨てて頂戴」

「だったら自分で捨てれば良かったのに。なんなのさ」

「けじめ、とでも言えば良いかしら。もう思い出は必要ないのよ。そういう意味のラブレターよ」

「どうして?」

「――……『好き』って何のことだと思う?」


 秋夜さんは数秒思考して、定型句を口から出す。

 久しぶりの質問に少し戸惑いつつ、彼女の答えを待つ。


「過去の恋を捨て、その人との思い出だけを愛することよ」


 真顔でそう言って、秋夜さんは表情を一転、ふにゃりとだらしない笑みを浮かべ、ジャージに肌をこすりつけた。

 それを眺めながら、カミソリのを手慰めに触って――ふと、彼女の言葉の真意に、『ラブレター』の意味に気がついた。直後、カミソリのやいばが親指の上を薄く滑った。


 僕が痛みに顔を顰め、声を上げるよりも先に、秋夜さんが動いた。



 *



「あ、秋夜さん!?」


 月弥の驚いた声を無視して、私は彼の親指を口の中に含み、傷口を舐めると共に強く吸う。

 口の中に月弥の血の味が広がる。鉄臭い、だが病み付きになるような独特な味。味わえば味わうほどそれは甘美な味を表に出す。治療目的を忘れ、もっともっとと要求してしまう。


 好きだ。月弥の血が好きだ。もっと欲しい。


「うっ……くっ……ちょっ、ちょっと……」


 月弥が悶絶した声で私をめようとする。だがそれは余計に私の嗜虐心を煽り、彼の血を吸う力を強くする。


 嚥下すれば体中の血が沸騰するように騒ぎ、体内に取り込もうと体中の器官が働き出す。一滴も漏らさず、一滴でも多く、私は私を構成する全てに月弥を刻み付けようとする。


 月弥に支配される。月弥色に染められる。月弥が私を構成する。

 考えただけで恍惚とするような、憧れるだけで愉悦を産むような、逃がしきれない快感が当てもなく全身を走り、体中の細胞が震え上がる。


「んんっ……んっ……はぁ……あっ――」


 口から漏れる吐息が、甘ったるくなってしまう。


 外部から力がかかり、私の口からが抜けていく。

 そこでふと我に返り、私は状況を整理した。

 カミソリの刃で遊んでいた月弥が親指を怪我して、私は仕方なく月弥の止血に一役買って出た。

 ――よし、私の行動に不自然な点は一切ない。


 まるでこんな未来を予期し、月弥の指を吸うことを狙っていたかと疑うほど、月弥の怪我に誰よりもいち早く気がついたことも。月弥の血の味に溺れ、快感に身を委ねていたかと疑うほど、月弥の止血に手間取っていたことも。

 それは単なる偶然であると、私は自分の心に告げる。


 この間、約一ミクロ秒。百万分の一秒だ。

 そこから同じく一ミクロ秒を掛け、言い訳を考え、思いつく。


「ふぅ、思ったより止血に手間取ったわ」

「ばっ、バカ! ホントバカ! 止血はこんな原始的じゃなくてっ、もっと簡単で医学的な方法が――」

「こっちの方が手っ取り早いのよ。さ、水で傷を洗って。消毒するわよ」

「っ……」


 そう言えば、月弥は黙って俯く。その顔は赤い。

 俯いたのは恥ずかしいからか、それとも――


 私の唾液でコーティングされ、てらりと蛍光灯の光を怪しく写す指を、粘液が手を伝うのもそのままに見つめている。その目は、少し蕩けているように見えた



 *



「月弥はズルいわ」


 秋夜さんは言いつつ、手際よくタマネギをスライスしてスライドガラスに乗せ、酢酸オルセインを垂らし、プレパラートを完成させる。


 それをお手本に僕もカバーガラスをかけながら聞く。


「どういう意味?」

「月弥だけ私に止血してもらうの、それってズルくない?」

「つまり自分の仕事に対価が欲しいと……」

「まぁ、間違いではないわ。でも平等に、同じことをして欲しいだけよ」


 親指に乗った絆創膏を眺める。あのあと、秋夜さんが甲斐甲斐しく貼ってくれたものだ。力を掛けると傷口が痛む。


 勝手に人の傷口吸っといて、何が仕事なんだか。

 そう彼女を罵る元気は僕にない。さっきから思考がフワフワして落ち着かないのだ。心が甘く溶けたような、そんな気分だ。

 だから、思った言葉がすぐに口を滑った。


「じゃあ今度、秋夜さんが望んだらやるよ」

「あら、優しいのね。じゃあ言質は取ったから、今度お願いするわよ?」


 魔性の笑みを浮かべる彼女に、僕はあやふやに頷くことしか出来なかった。秋夜さんは、心の底から嬉しそうな顔をした。






PS:もちろん、秋夜さんの思い出話の男は月弥じゃありません。そこが月弥だと、この七流作品が八流に成り下がる。

 (伏線のない『再会』系のネタやデレは、キャラの深層心理に『感動』が混じるクセして読者は置いてかれるから、一番しょーもない作品になる(主観))

 ——ラブコメディなんだから、おバカちっくな運命性を求めようぜ? 例えば超能力が主人公の周りでしか使えないとか、そんな感じの。


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