第41話 ストローから跳ねる飛沫を止めるためのマスク




「ふんふふんふふ~♪」


 調子っぱずれな鼻歌を歌う秋夜さんは目的地へと僕の手を引いて渋谷の街中を歩く。


 手を繋いでいるせいか、先ほどから周囲の視線を感じる。自意識過剰とか言ったやつは後で覚えてろ。本当にそう思ったんだ。

 恋人繋ぎじゃないのが不幸中の幸い……とか考えて恥ずかしさを紛らわせようとするが、全然紛れない。――実際は、お昼時の渋谷に制服を着た男女が二人歩いているから注目を集めているだけだが、そうとは思考は回らない。


 秋夜さんの少し後ろを歩いていると、僕の手を引いていた彼女が振り返ってニコッと笑った。


「ねぇねぇ月弥。何して遊ぶ?」

「え? 決めてたんじゃないの?」

「あっ、あそこの屋上あがれるみたいよっ、行きましょうっ。競争よっ」


 僕の質問に首を横に振りかけた秋夜さんはパッと視線を上げて、目の前のモールの屋上を指差した。そして手を離してバッと駆けだした。スカートが揺れた。

 ——刹那に見えた水色に興奮したが、スカートの裏地だと気がついて、その場に蹲った。



 *



「秋夜さん自分のスタミナぐらい把握しときなよ……」


 高さ約十五メートル、四階建ての建物の屋上。

 緑化計画か何か知らないが、屋上は芝生の広がる遊具のない公園のようになっていた。

 フェンスの手前にはベンチが等間隔で置かれており、ちらほらカップルやベビーカーを右手にボーッとしている人もいる。


 芝生の上では幼稚園児ほどの小さな子供がキャッキャと叫びながら駆け回っていた。わずか一分ほど前の秋夜さんの無邪気な姿と重なった。


 屋上にあったコンビニに入り、格好つけてブラックコーヒーを……なんてことを考えつつ、なけなしの千円札を崩し、紙パックのリンゴジュースを買う。

 ——お札が小銭に変わっただけで、ソウル宝石ジェムに穢れが貯まった。この気持ち、わかってくれるだろうか。


 誰にでもなく一人で心の中に話しかけながら秋夜さんが横たわるベンチへ戻る――と、彼女は三人の子供達に囲まれていた。


「ねーねー、なんでたおれてるのー?」

「けがー?」

「おれがまほうをつかってなおしてあげるよ!」


 本性で対応しようにも相手のレベルが低すぎて戸惑いを隠せず、聖女の仮面を被ろうにも体力が底をつきて、どうにも出来ない状況のようだ。

 秋夜さんは横たわったまま困った表情を浮かべている。


 ――え? なんで秋夜さんが体力切れかって? そりゃ、競争とか言って全速力で階段登ろうとしたからだよ。結局最後はふらふら歩いて、僕が勧めるままにベンチに横たわって、そのまま人の目を気にせずベンチをベッドに見立てていざ、ベッドイン——なんでもない。


 飽きずに馬鹿なことを考える僕の脳みそにため息をひとつ、僕は子供たちの前にしゃがみ、目線を同じ高さにして笑った。


「ん~とね、おねーちゃんは大怪獣と戦った後だから疲れてるんだよ」

「えーっ、そうなの!?」

「おねーちゃんありがとう!」

「すげー! かっこいいな!」

「だからそっとしておいてあげてね」

「わかったー! おいっ、あっちいくぞー!」


 テキトウに吐かれたウソを素直に信じて感謝までする子供の心の綺麗なことよ、もはや穢れきって魔女と化した彼女のソウルジェムも浄化されるだろうか。


 リーダーっぽい男の子がドタドタと走っていった。遠くの方から——彼らの保護者だろうか、視線で申し訳なさそうに会釈されたので、会釈を返しておく。


 それから秋夜さんを振り返る……と、いつの間にか僕の手からリンゴジュースを奪っていて、横目で僕を見上げながら寝転がったままコクコクと喉を鳴らしていた。

 そしてぷはぁっと若干のリンゴジュースの飛沫と共にストローから口を離して、ウ段音とイ段音の口の動きを見せた。なんだろうか、『好き』は文脈的にないとして……。


 それにしても飲み方が行儀悪いし汚い。ストローで飲んでるのに飛沫を上げるなんてわざとでしかない。


 睥睨を送ればどこ吹く風、秋夜さんは寝転んだまま肩をすくめた。


「月弥、子供の遇いあしらいもできるのね。意外」

「へへ、子供は誰かさんよりも素直で純真無垢な分、扱いが楽だからね」

「……月弥、さっきの子供への接し方について提言するわ。

 ああいうのは普段はチャラい幼馴染みの高身長爽やか系イケメンがやることであって、月弥みたいな百七十センチを偽る百六十後半の陰キャがすることじゃないの。

 身の丈を知りなさい。身長だけにね」

「上手いこと言ったつもり!? それに四捨五入で百七十だし!? 何か文句でも?」

「えぇ、座布団十枚自分に差し上げたいわ。それと小数第一位まで計ってるのになんで一の位を四捨五入するのよ」


 言ってからもう一度ストローを咥えた秋夜さんはゆっくり身体を起こし、自分の隣のスペースを叩いた。座れ、ということだろう。

 腰を下ろすと少し暖かくなっていた。秋夜さんが寝てたから暖まったのか……とか、なんとか。変態な思考が生まれてしまう。


 秋夜さんが少し反省したように呟いた。


「はしゃぎすぎたわ。平日の昼間に制服のまま遊ぶなんて初めてだから……」

「あぁ、走った理由?」

「そ。……月弥、詰まらないことに付き合わせたわね。ごめん」

「僕は秋夜さんと一緒だから楽しいし嬉しいけど? つまんなくなんかないよ」

「……そ。バカ」


 何故か暴言を吐かれた――などと天然っぽいことを言ってみたいが、勿論狙って言っている。が、それを悟られると恥ずかしいので飄々とした表情を作って肩をすくめたのである。

 狙い通り秋夜さんは頬を染め、暴言を吐く。


 そして照れ隠しのように秋夜さんはずぞぞぞぞっと行儀の悪い音を出しながら紙パックを畳み、ぺちゃんこに潰す。

 そして僕に返した。――が、ゴミでしかない。


「あげるわ。しっかり舐ってねぶって私の残肴ざんこう残香ざんこうを――それこそ残秋を味わい尽くしてから捨てなさい。ふふ、またしても上手いこと言ったわ」

「何も上手くないしっ、そんなリコーダーぺろぺろするみたいなキモいことしないからっ!」

「うぐっ……き、キモい…………そ、そうね。わ、私はしたことないけれど、月弥みたいな陰キャならありえそうね」

「陰キャに殺されてろっ!」


 近くにゴミ箱が見えたので立ち上がりつつ、世界中の全陰キャを敵に回す発言をした秋夜さんに叫ぶ。

 秋夜さんがやれやれと肩をすくめるのが気配で分かった。


「――秋夜さんに嫌われたくないし、するわけないじゃん……」


 若干危険な色の混じった発言は、当然秋夜さんに聞こえるはずがない。だが、後ろの方で何かの爆発音がした。可愛らしい音だった。



 *



「うわぁ……なんか沢山来てる。どうしよ……」

「クラスライン?」

「正確にはクラス女子ラインの方ね。でも麻衣がフォローしてくれてるみたいで私は問題ないわ」


 平日な事もあってかファミレスは空いていて、ボックス席に通された僕らはみっちり十分ほど悩んでから注文して、料理が来るまでの時間を潰していた。


 ふとスマホを開いた秋夜さんが、眉根を寄せてため息を吐く。

 その語尾から一瞬だけお嬢様口調が抜けたのが可愛かった。


 秋夜さんが鬱陶しげな顔をしてスマホをこちらに滑らせる。

 やはり秋夜さんは器用で、くるくる回りながら滑ってきたスマホは丁度僕の前で止まり、回転による上下も正しい方向になる。


 グループ名を見れば、彼女の言う通り女子グループと分かる。ここでどんな殴り合いと男子の悪口大会が繰り広げられているのだろうと、恐怖を覚えた。――って、そんなことではない。


 少しトークを遡れば、原口さんが『柚菜は風邪で早退したって〜』とチャットをしていて、そのおかげか秋夜さんへの非難の声は一切なく、むしろ気遣うようなチャットしかなかった。

 ——が、代わりに仕事をさぼった僕への悪口が大量にあった。少し萎える。ほとんどのクラスメイトは女子含め一切仕事をしていなかったのに、なんで僕だけなんだ。


 秋夜さんは『トイレ』と一言残して去ってしまった。どうやら僕を完全に信用してスマホを預けてくれるらしい。

 ――いいのか? 秋夜さんの写真とか勝手に入手しちゃうぞ?

 冗談でホームボタンに指を乗せれば、そのタイミングで画面上部からプッシュ通知が降りてきた。見れば、原口さんとの個人チャットである。


 『あとはお二人で末永くお幸せに〜。キスできたらいいね〜』


 ギクッとして、慌ててスマホの電源ボタンを押して秋夜さんの方に滑らせて戻した。

 数分後、トイレから帰ってきた秋夜さんはスマホを開き、ロック画面の通知に目を見開いて、ぎこちなく椅子に座る。


「んっ……んん……」


 わざとらし咳払いの後、秋夜さんはスマホをポケットに戻し、机に肘を突いて、僕を真正面に見据えた。

 判決を申し渡される被告人の気分が分かった気がした。


「ねぇ月弥、ファミレスで彼女のスマホを覗き見したらどんな罰を喰らうか知ってる?」

「えっ、いや、たまたま目に入っただけだしっ――」

「あのね、公開羞恥プレイよ。ファミレスならではの机の下で足コ――」

「やめようか」

「——キされながら注文するの。それでウェイターさんに不審に思われて——」

「これ以上続けたら帰るよ? 理由は秋夜さんなら何か間違ってやりかねないから」

「ちぇ、つまんないの。私を信用してくれないのね」


 秋夜さんは舌打ちをして悲しそうに頬杖を崩し、腕時計を一瞥してから表情を一転、ニコリと笑った。


「ねぇ月弥、明日の文化祭一緒に行きましょう」

「いや、登校するんだから一緒に行くも何も――」

「ちがうわ。来場者としてよ。私は風邪設定だから登校しなくても不自然じゃないし、月弥は罵られるだけで済むわ。

 大丈夫、それで性癖歪んでも私が愛してあげるから」

「なんか問題大有りな気がするし、良くないと思うんだけど」

「大丈夫大丈夫、私服でマスクつけたらバレないわ。ということでマスクつけてきてね」

「そういう問題?」


 人として、学生としての問題を提起したつもりが、秋夜さんは身バレしないための解決策を提示して、あっさり命題を切って捨ててしまった。


「えぇ、そういう問題よ。だって月弥、クラスの出し物に何も思い入れないでしょう?」

「まぁ、そうだけど……」

「じゃあ決まり。十時に校門前集合ね。ふふ、最近ちょっと覚えたワザがあるから、楽しみにしてて」


 秋夜さんが何か含みのある言い方をした時、丁度、頼んでいたプレートがやってきて、話は終わってしまった。


 斯くしてかくして、文化祭フラグは通常為らざる方向に建った。






 PS:一年前からやりたかったネタのフラグがようやく建った。(文化祭の方ではなく、また別の方)当時はご時世ネタのはずが、既に時代遅れという……。

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