第40話 舌打ち合戦




「文化祭ねぇ……」


 壁に掛けられた時計を見ると短針は二の文字を指している。かれこれもう一時間か、と続けて呟いた。

 僕は一人、コンクリートと悪臭に囲まれて、インベントリの装備欄に軍手だけをセットして作業を続けていた。


 最近クラスが騒がしいのは知っていたが、もう文化祭の時期だったのか……といっぱしの陰キャなことを考えてみる。――が、文化祭のあとは三連休なのでもう入学式のころからしっかりマークしていたのである。

 ちなみにその文化祭は明日だったりする。


 さて、文化祭の出し物と言えばメイドカフェだの巫女さんカフェだの、いろいろ無責任な案が上がっていたが、結局僕らのクラスは超詰まらない地域紹介の展示物となったのだった。

 だがこれが普通である。文化祭で『メイドカフェ』など現実ではそうそうお目にかかれない物なのでである。


 メイドプレイがしたいです! とか、巫女さんプレイを所望します! とか、勝手に脳内で秋夜さんを着せ替え人形にして叫んでいた記憶を消し去る。

 実現に手が届かなかった儚いはかない夢達よ、あぁ、人の夢は儚いのだと、思い知ったか。


「『儚』は暗いって意味の『夢』を音符にした愚かな人を表す形声文字。どこぞの三年B組の担任のような解釈をしないで。

 ちなみに『人』も人と人が支え合ってるわけでも、寄り掛かってるわけでもないわ。人を横から見た時の象形文字よ。金髪もどこぞの達観したつもりの青二才のラノベ主人公もバカね」

「それは言い過ぎ。って、あれ? 秋夜さんなんでここに?」

「サボりよ――きゃっ! ……な、何よ。ここにスイッチあるなんて聞いてないわよ」


 秋夜さんは悪い顔をしてペロッと舌を出しつつ、壁に凭れ掛かり、すると部屋が真っ暗になる。電気のスイッチを押してしまったようで、彼女は可愛らしい悲鳴を上げて、それから照れ隠しのように少し怒った声を出した。


 暖かい視線を向けると、彼女は僕から視線を逸らし、腕を組んで続けた。


「それにしても臭いわね」

「人の仕事場をそんなふうに言わないでよ」

「ごめんなさい。本当のことだから」


 さて、ここはどこかというとゴミ捨て場である。

 僕はクラスから邪魔者扱いされて捨てられたのである。――ウソだ。ただ運ばれてくるゴミを分別する仕事を押し付けられたのである。

 分別して捨てればいいのに、うちのクラスの文化祭委員はなんて愚かで――それこそ儚いんだ。


 閑話休題、僕と対象に達筆な秋夜さんは展示物の文章のほとんどの清書の仕事を押し付けられていたのである。

 能力の高い人が多くの仕事をして、能力の低い人と同じ対価を得る。『助け合いの精神』と言えば聞こえはいいが、ただの社会主義である。資本主義の国の学校で社会主義がまかり通るとはこれ如何に。


「言い過ぎ。小さい集団では社会主義の方が上手く纏まりやすいだけよ。家族内での交流に通貨や階級は必要ないでしょう?」

「そういう意味じゃなくて、能力ある秋夜さんが不遇な目に遭うのはなんか違う気がするし……」

「バカ。私は達筆な聖女の役割を果たしていたらクラスの権力を握れるからいいの。それよりも月弥よ。こんなところで対価もなしに働かされて……。

 あぁ、無駄話で目的忘れてたわ。月弥、来て」

「はいはい」


 『はい』は一回! と注意を受けつつ軍手を外してひっくり返して一つに丸め――ようとすると、その場に置いたままでいいと秋夜さんに言われたので、わかりやすい位置に掛けておく。


「こっちこっち」


 秋夜さんはそわそわした様子で僕を手招きして後ろ向きに歩く。連れられて廊下に出ると、秋夜さんはじゃじゃ~んと効果音を付けて手をヒラヒラさせて、壁に凭せかけられた僕のリュックを見せた。

 その隣には彼女の鞄もある。


 首を傾げれば、彼女はその場で一回転しつつその間に鞄を拾い上げ、回転が終わると同時にピタリと踵を鳴らして腕時計を見下ろした。

 なんだかテンションが高い。


「現在時刻は二時半。カラオケなら移動時間も含めて三時間は歌えるわ。ビリヤードなら四ゲームは堅いかしら。ときに月弥、門限とこの後の予定は?」

「予定はないよ。門限は十時が限界。――何が言いたいか理解した気がする」

「そ。じゃあご両親に夕飯はいらないと連絡して」

「ですよね~。なんかそうくると思った。何? このまま抜け出す気?」


 今日は文化祭準備日なので終礼はない。だからいつ帰っても、クラスメイトに殺されはするが、先生に怒られはしないのだ。


 秋夜さんの思惑が完全に読めて聞けば、彼女は仰々しく頷いて僕の手を掴もうとした。

 反射で手を引けば彼女は悲しそうな顔をして、そのあと自分の宙に浮いた手を眺めてビックリしたように手を引く。


「あ、その……手、洗ってないから」

「そ、そう……。別に、無意識で繋ごうとした訳じゃないから」


 文脈に対して微妙な齟齬がある返答――もとい、自白をした秋夜さんは、校門で待ってるから、と一言残して僕のリュックを持ち上げた。



 *



「夕飯いけるっぽい。許可もらった」

「よかった。それで、家族以外との夕食は初めて?」

「……かな? あ、ごめん。お金足りない」


 改札を並んでくぐり、ホームに滑り込んできた電車に乗り込んで並んで座りつつ喋る。

 ふと気になって財布を広げれば、野口くんが二人ほどしか見当たらなかった。これではビリヤードなりカラオケなり、何か遊んだらサンドイッチ一つしか頼めそうにない。


 正直秋夜さんに借りる手段しか考えてないが、最初から貸してもらえる前提で話を進めるのはデリカシーがないのである。

 当然、僕の読み通り秋夜さんは快諾してくれた。


「問題ないわ。靴裏のも合わせれば諭吉は二人いるから」

「――靴裏、ね。ナイフもありそうだけど……。貸してもらっていい?」

「えぇ勿論。トイチ十日一割で返してね」

「ヤミ金じゃあるまいし利息高すぎ。もっと安くして」


 そもそも明日返すから利息なんて関係ないが、そう文句を言えば、彼女は仕方ないわね、といった様子で肩をすくめた。


「ほっぺにちゅーで五百円分値引きしてあげる。国が正式に認めた借金減額方法であなたの借金も大幅減少するかもしれないわ」

「バカ、どこぞの広告の真似しないで。あれは破産宣告でしかないから。あとそれだと僕の得でしかないじゃん」

「じゃあする?」

「しないよ」


 くだらない冗談半分の話に付き合っていると、突然秋夜さんはトーンを一つ下げて、真面目な声音で言った。

 僕に、やけに頬を寄せてその白い肉で誘うように。


「してもいいのよ。この前みたいに熱烈に」

「ばかっ。あ、あれは秋夜さんが変な事したからその仕返しでっ――」

「じゃあ私がしたらしてくれるの?」

「しないよっ」


 否定したのにもかかわらず秋夜さんは顔を寄せてきたので、アイアンクローで押し返すと、彼女はぶるぶる顔を振って僕の手を払ったあと、ちぇっと舌打ちをした。


 クソ、ドキドキし始めちゃったじゃんか。

 心の中でそう呟いて舌打ちを返すと、秋夜さんがもう一度舌打ちをした。なんとなくムカつくので舌打ちを返す。


 それからバカみたいな舌打ち合戦が始まって、とてつもなく下らないことなのに興が乗ってしまって、近くに人がいなくて誰にも迷惑を掛けずに済んだのは、零れ幸いに過ぎない。

 舌打ちというのは耳に入るだけでも人の気分を害するものである。聞き続ける心がすさんでイライラしてしまい、思わず舌打ちをしてしまうようになる。まるで感染病のようなものだ。


 舌打ちを続けていると、間もなく駅に到着するアナウンスが入った。最後の舌打ちをどちらがするか、そんな心理戦が始まって、結局僕が負けた。


 負けたことは悔しい。

 だが、舌打ちをしたあとのコーヒーフィルターに残ったカスのような嫌な気持ちは一切ない。

 だって——


 するりと指の隙間に滑り込んできた秋夜さんの指を握る。この暖かくて細い指さえ繋がっていれば、秋夜さんといくら喧嘩しても幸せでいられる気がする。


 電車がトンネルの中に入る。車内が鉛の固まりが滑る音に包まれて、並んで話す声もかき消されてしまう。

 秋夜さんの口が動いた。


「――この前のラブレターのお返事なら全額免除よ」

「ごめん、なんて?」

「なんでもないわ……ちっ……」


 彼女のなぜか悔しそうな舌打ちに反応して舌打ちを返したら、再び終わりが見えない戦いに突入しそうだったので——先ほどと同じように黙って絡め合った指を握る。


 すると秋夜さんも先ほどと同じように、舌打ちと同時に指をぎゅっとして、握り返してきた。握りながら、彼女の滑らかな指を撫でる。くすぐったいと主張するように、彼女の指がもぞもぞと動く。


 この手がある限り、たかが舌打ちでイラついたりなんてしない。むしろ、もっと秋夜さんが好きになりそうだ。


 ——電車はトンネルを抜けきって、やがて駅へとたどり着いた。








PS:ごめんなさい。短いしあまり甘くない。文化祭ネタの前置き回と思ってくだせぇ……。

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