第19話 家宝を奪われた聖女は、自ら果報を取りに行く




「……だめ。無理っ、ムリムリムリよこんなのっ!」


 私はジタバタ、布団の上で足を振って叫ぶ。

 舐めようとして、舐められなくて、でも舐めたい。

 わかるだろうか、この苦しさが。いや、誰もわかってくれないだろう。


 私の横には簡単に風呂敷に包まれたお弁当がある。私の膝にはお箸の細長いケースがある。私の手には一膳のお宝お箸がある。

 今日のお昼、月弥が使ったソレに違いない。そして私は、まさにソレを舐めようとしている。


 大きく深呼吸する。口を開ける。お箸を口に近づける。

 これを舐めれば、月弥と間接ディープキスをすることになる。そう考えるだけで、より一層心臓の音が大きくなる。

 あぁ、あと少しで——


 その瞬間、ドアがノックされた。慌ててお箸を下ろし、どうぞと声を出す。ドアから顔を覗かせたのは最近過保護なお父さんだ。

 そのせいか、リモートワークをしているようで、よく家にいることが多い。


「柚菜、お弁当出してくれ。今から食洗機回すから」

「え、あっ——わ、わかった。えと、これ、ごちそうさま」

「作ったのは母さんだけどな。ところで顔が赤いが大丈夫か? 学校で何か——」

「な、何もないからっ、ほ、ほら出てって!」

「す、すまん。んじゃ、夕飯できたら呼ぶから勉強しとけよ」


 そう言い残してお父さんが部屋から出て行く。

 ほっと息を吐いて、さぁお箸を舐ろうねぶろうと思って手元を見て、気がつく。

 家宝が、ない。

 慌てて部屋を飛び出れば、階下から死刑宣告のように冷淡な食洗機の電子音が響いてきた。

 その日、私はお父さんと一切口をきかなかった。



 *



「キス……ディープキス……間接ディープ……月弥ぃ……」

「はい、月弥です」

「キスを……所望するわ……。キスして……」


 朝。学校に着くと秋夜さんが壊れていた。

 机に突っ伏したまま、熱っぽい譫言うわごとをずっと呟いている。彼女の真横に立ってみても、彼女の机を支えにしゃがんでみても、腕の隙間から彼女の顔を観察しても、彼女は気付かない。

 むにゅむにゅと唇を動かして、む~と机に向かって唇を突き出し、キス待ち顔をしていた。


 『可愛い』よりも呆れが勝った。


「秋夜さ~ん? おはよーございま~す!」


 立ち上がって大きな声で挨拶をすると、彼女はすぐに顔を上げて目を見開く。そして僕を視認するとワンテンポ遅れて身を引く。


「きゃっ、いつからいたの!?」

「ついさっき。どうしたの? キスに飢えてるの?」

「い、いえっ、今のは月弥をドギマギさせる戯言たわごとにみせた本気の言葉――じゃなくてっ、本気に見せた戯言よ!」


 考察:人間焦ると、賢い人も愚かになる。

 それがよく分かったところでいい加減リュックをフックに引っかけ、席に腰を下ろす。発言の内容にドキッとしたものの、冗談だろうと聞き流すことにした。


 戯れはここまで、秋夜さんの様子が少し変だ。話を聞いてあげよう。聖人君子を目指す僕は肩をすくめ、彼女に聞いてみる。


「秋夜さん、何かあったの? いつもと様子が違うけど」

「……まぁ、あったわ。でも大したことではないから安心して。うちの食洗機と父を壊したい殺したいほど憎んでいるだけよ」

「物騒な割にさっきは凄いキスに飢えた――なんでもないです」


 『ぶっ殺す』視線に慌てて言葉を取り消すと、秋夜さんは横柄に頷いて話を続ける。ちなみに『ぶっ殺す』視線とは、目だけで人を殺せたら絶対に殺している人の目だ。


 秋夜さんは表情を一転、朗かに笑う。その理由は彼女から説明を始めた。


「反面、私はとても上機嫌なのよ」

「どうして?」

「名案が思いついたのよ。今日の授業を言ってごらんなさい」

「数学、現国、化学、剣道、世界史、英語……だよね? 至って楽しいことはないけど……」

「ふふっ、そうかしら。今日は楽しみにしてなさい」


 秋夜さんが席を立ち、ニヤッと笑って僕の肩をポンと叩き、教室から出て行った。妖美な物言いの犯行予告が、耳にへばりついて離れなかった。



 *



 秋夜さんの犯行予告に怯えながら過ごす学校も半分が過ぎ、四限。剣道の授業である。

 防具無しでの軽い型の練習の授業だ。先生が実演しているのを眺めていると、いつの間に僕の隣にいたんだろうか、秋夜さんが僕の耳元で囁く。


「ねぇ月弥、パンツ履く履かない論争って知ってる?」

「っ……脈絡なさ過ぎでしょっ、いきなり何!?」

「剣道の袴の下にパンツを履くか履かないかってことよ」


 小声で返すと秋夜さんは得意げな顔でそう返した。

 どうやらパンツを履くと蒸れるから履かない、ということらしい。そして彼女は僕にパンツを履いているのかと聞いてきた。もちろん僕は履いていると答える。

 雰囲気的に彼女にも聞き返してみる。すると秋夜さんは肩をすくめて袴の上から自分の腰を撫で、首を傾げた。

 その動きに、視線が彼女のおしりの方へと誘われる。


「さぁ、どうかしら? 履いてない、かもね」


 秋夜さんは嘯くうそぶく。そして僕の手首を掴み、自分の腰に誘導して――触れる寸前のところで止めた。

 試すような口調が、僕を弄んで楽しんでることを如実に示していた。あとは自分で触れ、ということだろうか。


「触って確かめてみる?」

「っ――バカッ、そんなことしないってっ!」

「そこ! 静かにしなさい!」


 先生に怒られた瞬間、秋夜さんは素知らぬ顔で僕から距離を取った。だけど僕の視線は秋夜さんの腰に釘付けで、結局先生の型は見ていなかった。


 しゅるり、と隣で袴帯が解かれる音がした。

 しゅるり、と誰かが僕の袴帯の蝶々結びを引っ張った。



 *



「ふぅ……」


 喉が渇いて剣道場からこっそり出て、すぐそばにある水道から直接水を飲んでいると、後ろから足音がした。

 口元を拭いつつ振り返れば、ローテールを揺らしながらとてとてと袴の裾を踏まないように持ち上げて、ペンギン歩きする可愛い小動物がいた。


 僕の前に来ると、にへへと笑う。

 なんだこの可愛い動物は! 抱き締めてしまいたい!


 誰と言うことはない、もちろん秋夜さんだ。彼女は僕と同じところで水を飲み、喉を潤し、口元を拭った。

 にへへとだらしなく、だけど可愛らしく笑う。


「どうして来たの?」

「月弥が出てったの見えたから、こっそり抜け出したの」

「そ、そっか。僕は水飲みたかっただけなんだけど」

「私は月弥を追いかけたかったの」

「そ、そっか……」


 やばい、照れる。可愛すぎる。


「あ、月弥。袴がずり落ちかけてる。危ない。結んであげるわ」


 先ほどまでの甘えの混じった可愛らしい声に気丈ぶったおませさんの声を加え、ピシッと僕の袴を指差す動作と共に彼女が言った。


 愛らしさに脳を溶かされた僕は彼女の異常性に気付いていながらも何の警戒もしない。なんて僕はバカなんだ。

 ――そんな訳ないじゃん! こんな可愛い秋夜さんが何かを企むなんて、そんな訳ないじゃん!

 冷えた僕の脳みその呟きに、僕は心から憤慨する。


 そして、心の赴くままにお願いした。


「じゃあ結んでもらおっかな?」


 秋夜さんが顔の影の部分でニヤッと笑っているとも知らず、僕は彼女の優しさに任せ、後ろを向く。

 秋夜さんが背後から僕の腰に手を回し、一度ヒモを解き、再び結び直してくれる。僕のお腹の方に手を回す度に彼女のふんわりした髪の毛や、柔らかい顔が、その頬が触れる。

 いつもなら加速するドキドキは今日はお休みなようで、代わりに多幸感がこみ上げてきた。


 がさつな姉じゃなくて兄想いな可愛い妹がいたらこんな感じだったのだろうか。真面目でおませさんな反面、甘えん坊な妹。あぁ、可愛い。


 そんなことを思っていると、背後からあどけない、しかしどこか不穏さを感じされる言葉が聞こえた気がした。


「ふふ、やった。見れた」

「え? どうかした?」

「んん、なんでもないよ月弥にぃ」


 月弥にぃか、あははははっ、なんて気分だ! 今日はサイコーの一日だ!

 僕の脳みそは完全に秋夜さんの支配下にあった。

 そう、これこそが今朝の秋夜さんが言っていた『名案』である。目的は分からないが、この後の秋夜さんはずっと色っぽかった。何か、過剰な言葉を使えばであると信じたいが……『発情』とか、そんな表現ができるような感じだった。


 キツすぎず緩すぎず、秋夜さんは丁度いい具合にヒモを締めてくれた。


「ん、できたわ」

「ありがと秋夜さん」

「どうしたしまして。ねぇ月弥、代わりにお願いがあるのだけれど……」

「いいよ、何?」


 溶けた脳は、秋夜さんの口調がいつも通りに戻っていることに気がつけないでいる。僕は警戒ゼロで聞く。

 すると彼女は、腰から垂れたヒモを持ち上げ、僕に見せた。


「私の方も、結んでくれるかしら?」

「分かった。後ろ向いてて」

「ふふ、ちょろいわね……」

「ん? どうかしたの?」

「うんん、なんでもないよ月弥にぃ」


 ニカッと笑う秋夜さんは純真無垢そのもので、きっと僕の空耳だろうと納得した。いや、思考停止した。

 秋夜さんのヒモを持ち、彼女のお腹の方に手を回して――ハッと我に返った。秋夜さんに触れる体、彼女の柔らかいお腹の感触、その上にあるずっしりとした圧倒的なの気配。


 ――これは、誰かに見られたら非常にまずい光景なのでは?


 そう思った瞬間、僕は手を離した。バランスを失ってたたらを踏み、尻餅をつく。

 ヒモが手を離れ、地面に落ちる。支えを失った袴は当然、重力にあらがう術を持たず、落ちていく。


「あっ――」


 秋夜さんの白い生足が目に映る。綺麗な太ももと脛。そこから少し顔を上げれば――

 その瞬間、耳の奥にへばりついていた彼女の声が聞こえた。


『履いてない、かもね』


 慌てて目を逸らす。目を手で覆う。床に蹲って絶対に見ないようにする。

 すると秋夜さんはゆっくり袴を持ち上げて、シュルシュルと器用に素早く結びながら、僕を振り返って言った。


「どうだったかしら? 私のパンツ」

「み、見てないから!」

「ちなみに今日は水色のショーツよ。ブルマ型の」

「いらない情報! 聞いてない! あと履いてるんじゃん!」

「いえ、別に履いてるとは言ってないわ。――まぁ、履いてないとも言ってないけれど」


 秋夜さんは僕を惑わせつつ、僕に手を差し出す。

 悔しくて、その手を振り払って一人で立てば、手を握られる。


「何!?」

「月弥、見せてあげてもいいのよ。水着と同じでたかだか布一枚なんだから」

「何を!」

「パンツ。私のショーツよ。まぁ、履いていたらだけど」

「何で!」

「私だけ見るの、不公平でしょう? ちなみに履いてなかったら、月弥のパンツを剥いで見るわ。それでこそ平等よ」

「何が言いたい!」

「ふふ、白と黒のしましま」


 秋夜さんは僕の耳元に口を寄せて囁き、小走りで剣道場の中へと戻っていった。肌に戦慄が走る。

 今日の僕のパンツは――白と黒の、しましまである。






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