第37話 ロリ巨乳の重力加速度




 二学期初回の体育の授業。体育館。

 これからは台風と残暑の季節――と思いきや突然の寒波に九月上旬ながらジャージを着ていた僕らである。


 秋夜さんはあぐらを組んで目を瞑り、右手の親指と人差し指を伸ばし、天井を指すようにして印相いんぞうを組んでいた。左手は一般的に知られる禅定印ぜんじょういんと同じだ。

 人差し指を地面につけて神を呼んで悪魔を祓う『降魔印』こと『触地印』とは人差し指の向きが上下で反対だ。僕の知らない印相だろうか。なんだか逆にである。


 なぜ印相について詳しいのかというと、古き頃の厨二チックな僕が色々調べたからだ。


 そんな彼女の横で足を伸ばして座り、壁にもたれてピンポン球を指で弾き、キャッチする僕がいる。——肩の高さが並んでいるのは僕がチビだからではなく、僕の座高が低いだけだ。つまりは足が長いだけだ。


 ちょっとしたコンプレックスに勝手にいじけていると、つい今までの思考とはまったく正反対のことにふと気がついた。


「あのさ、僕、成長した気がする?」

「――それがどうかしたの?」

「いや……秋夜さんは小さくなったなぁ、と」


 独り言のように話しかければ、秋夜さんは目を瞑ったまま返してくれた。


 そんな彼女は今、とてもキューティクルである。

 少し伸びた髪の毛をポニーテールに括って目を瞑り、凛とした顔つきとまっすぐな姿勢が相まって清廉とした雰囲気を醸し出している。

 だが、ジャージのニックに顎が埋まっていて、萌え袖状態の袖口からは小さな指先だけが覗き、足の裾も絡げているからげる:折り上げるのにそれでもくるぶしまで隠れている。


 感想。なんか可愛い。ロリっぽい。ロリ可愛い。


 ロリコンではなくとも、ロリを可愛いと思うのは全人類共通だと信じている。なんだか守りたくなるような、暖かい目を向けたくなるような、この感情、分かってくれるだろうか。

 誰にでもなく語る僕は、ロリ顔とすら見えてしまう彼女から視線を下げ――視界にロリにしては大きい胸が入ってきた。


 ロリ巨乳って犯罪臭が否めないよな。


 ――話が逸れた。何故自分が成長したかのように感じたのか。

 僕に対してジャージが小さくなった気がするのだ。成長を見越して大きめのサイズを買ったため、一学期の頃は萌え袖が簡単にできたのだが、今では萌え袖をしようとするとジャージが伸びそうになる。


 何が言いたいのか。


「秋夜さん、高身長の男っていい物件だよ」

「何? 好きになれと? たかだか高身長なことをウリに?」

「うっ……そこまで高身長でもないし、ごめんなさい……」


 冗談のつもりが冷たくあしらわれて、しかもそれが正論なので返しようがなく、項垂れて謝ることしか出来ない。

 秋夜さんは仏道に精神を統一して極楽浄土のための悟りを開いているのだ。軽口を叩くなど、しかも仏道を妨げる色恋沙汰の冗談など言語道断、彼女の邪魔してはいけない。


「――月弥じゃないと買わないわよ。逆に月弥ならいくらでも金を積むわ」


 この尼、色恋沙汰は好むようだ。


「なにそれ、僕となら金払ってでも付き合いたいの?」

「ある意味その通り……だけど違うわ。金を払わないと付き合ってくれない男は――私自身を見てくれない男には失望するから」

「それさ、僕は別として秋夜さんのこと好きな男子、秋夜さんが本性見せてないのにどうやって本性を見ろって言うのさ」

「だから見なくていいのよ」


 秋夜さんの論理には矛盾が過ぎる。

 意味不明で筋の通らない議論に花を咲かせるのがいい加減アホらしくなってきて、肩をすくめて話は終わりだと告げる。

 目を瞑っていても、気配で話が切れたことは悟っただろうに、秋夜さんは小さく続けた。


「——月弥にだけ見てもらえれば十分なのよ」

「――……へぇ」


 僕の上擦ったやる気ない相槌にも秋夜さんは依然目を瞑ったまま動かない。

 クソ、無意識の秋夜さんに恥ずかしがってるのかよ。

 赤くなった顔を軽く叩き、唇を噛む。


 純粋な秋夜さんの言葉にドキドキさせられたのが悔しくて、仕返したくなる。何か弱点はないかと秋夜さんを検すれば、僕のステータスウィンドウに『秋夜柚菜・十五歳:ロリ巨乳』と【鑑定】スキルの結果が表示される。


 同時、僕の中から憎しみや邪念が綺麗に浄化された。

 同時、ロリ巨乳が呟いた。


「ロリコン」

「ちがっ――な、なんだよいきなり!」

「図星ね。顔がロリコンのそれだったわ。見てないけど」

「ろ、ロリコンはロリコンでも秋夜さん専門のロリコンだしっ――……い、今のナシ!」

「っ……。……月弥にぃ……。肩、貸して……」


 すっと赤味が差した頬を逸らす沈黙。

 もごもごと口を動かし、言葉を零すか迷う沈黙。

 言った後の恥ずかしさへの沈黙。

 消え入るような声がフェードアウトしたあとの沈黙。


 ストン、と秋夜さんの頭が僕の肩に乗った。

 どちらかというと、僕にもたれ掛かるような姿勢での肩枕。


 ロリ相手にドキドキし始めてしまった僕は慌ててあぐらを組み、降魔印を組む。

 だが、仏道を妨げる悪魔を祓う神は現れそうにない。現れていたとしても、悪魔が去りそうにはない。雑念は消えそうにない。

 何故か。それの理由は――


「ふふ……月弥にぃ……」


 きっと誰かが、悪魔を出現させているからだろう。



 *



「重力加速度なんて常識をなんで計測する必要があるのさ……」


 お昼前のお腹が空いて授業に集中できなくなる四限。物理実験の授業。

 先生の話をちくわ耳で右から左に聞き流し、手元の記録タイマーの紙テープをくるくる巻きながら不満を零す。

 紙テープで鶴を折った先輩の話とか、チャンバラを始めた先輩の話とかどうでもいい。そもそも実験なんていらない。


 秋夜さんは呆れ顔を作って僕を窘めた。


「それが実験という物よ。総じて物理は身の周りの物理現象を数式化する学問。数式を操るには実測的な経験が必要なのよ。月弥、あなた物理の成績は?」

「うっ……平均以下……です。でもっ――」

「私は上位二割よ。愚民は賢者の言葉に従いなさい」

「で、でも言葉を操るなら僕の方が上だしっ。だから僕の方が強いです~! だから喋る時は全部賢い僕にお伺いを取りましょ~ね~!」


 国語、英語の成績は共に僕の方が若干高い。今のところ秋夜さんには負け無しだ。大人げないと言われても、僕らは同年代。マウントを取られてマウントを取り返すのは、道理から外れることはないだろう。

 ——相手はロリ巨乳じゃなくて高校生である。合法ロリではないが。


「ほとんどタイだから次は勝つのっ」

「へぇ~できるものどうぞ~」


 ちなみに総合得点はいつでも負けている。

 そこを指摘しないのは秋夜さんの隠れた優しさだ。


 さて、実験である。

 スタンドに滑車をつけ、一端に重りをつけた糸の他端に紙テープをつけ、重りを落下させる。あとは紙テープの点の距離を読み取り、重力加速度を計算するだけだ。


 不満タラタラではあるものの、秋夜さんに睨まれてテキパキ実験を進めたおかげでかなり時間が余った。実験プリントは実験前にまとめておいたのですることもない。

 英単語帳も教室に置いてきてしまった。


 ぼーっとしていると、秋夜さんがちょんちょんと僕をつつく。


「ねぇ月弥、追加実験しましょう?」

「断りたいんだけど……だめかな?」

「いいわ。私一人でやっておくから」

「そう。興味がわいたら手伝うよ」


 面白いことなら参加させてよ? と言外にサイテーな尻馬に乗る宣言をして角椅子に座り、実験机を彼女に譲る。


 だが、秋夜さんは角椅子を滑らせて僕の隣に静かに付け、ちょこんとその上に座った。彼女の手にはストップウォッチがある。


「手、出して」

「はい——……って何する気?」

「実験よ。落下速度の」


 言いつつ、秋夜さんは僕の手に手を重ね、指の隙間に指を折り込む。

 それと同時にピッという電子音と拍を合わせてドキッと心臓が高鳴って、信号が全身に弾け、脊髄が反射して、肩が跳ね、腕を伝って秋夜さんに揺れが伝わる。

 大して高くもない小さな電子音が耳に引っ掻き傷を残した。


「進んだ距離は――どうしましょう。心拍数の変化かしら。ん~……今は百二十毎分だから変化量は……」

「な、何をっ――」

「だから実験って言ってるじゃない。恋の落下速度の計測よ。

 二秒で脈拍が八十から百二十に上がったから……私の場合、変化量は二十拍毎秒ね。月弥と触れ合った時間で心拍数の変化量を割ったの。 ふふ……」


 聞くだけでも恥ずかしい言葉の合間に理系っぽい意味不明な計算結果を述べた秋夜さんは、言った後で頬を染めて恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑って、手を離した。

 空いてしまった彼女の指の感覚が恋しい。

 その純粋な笑みに心臓がドキッと跳ねる。


「っ――……なんだよそのバカっぽい実験」

「月弥もやってみる? 意外に楽しいわよ?」


 秋夜さんは意地悪な笑みを浮かべる。ため息とともに溢れた僕の呟きが、秋夜さんに微かに聞こえたのだろうか。


「落ちるとこまで落ちきってるし……重力より速いし……」


 加速度と速度は別物。そんな基礎理解も疑うような発言が口から零れ出る。


「えっ? なんて?」

「……なんでもない」


 もう一度言う気にはなれなくて、黙って秋夜さんの手を握った。秋夜さんの手からストップウォッチが、その電子音を鳴らしながら滑り落ちていった。

 重力加速度は九・八メートル毎秒毎秒。落下時間は〇・四秒だった。


 彼女にとっての僕の重力加速度はいくらなんだろうか。万有引力定数をGとして――なんて、気持ち悪い詩文体のことばが浮かんで、慌てて書き消した。






PS:しょうもないことをネタにするスキルが復活してきた……気がする。果たしていいことなのか……?

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