番外編 第3話 アサシンと魔女

 警官に追われていた少女を助けたのは偶然だった。

 建物の屋根の上から見下ろした狭い路地裏で、濃紺の制服を着た二人の警察官が少女らしき小柄な子供を追っていたのだ。

 ポニーテール気味に結い上げられた雪みたいに白い髪が、少女の走りに合わせて激しく揺れていた。少女は身軽で警官たちから逃げ続けているが、警官も離れず追い続けている。そのうち捕まるかもしれない。

 路地裏の屋根の上を移動して見かけたその光景に、アシルは不愉快げに目を細めた。

 アシルは十四歳ながら町では〈アサシン〉としてそれなりに名前が通っていて、あるとき雇われ主に裏切られて警察に売られかけてからは大人が大嫌いなのだ。

 特に子供を食い物にしようとする大人には虫唾が走って、肚の底から煮え切らない苛々が喉元へ込み上げてくる。

 アシルは彼らを屋根伝いに追った。

 逃げる少女が迷路のような路地裏を抜けていくが、やがて袋小路に嵌って警官に追い詰められてしまう。少女は壁を背にして、警官二人が迫ってくるのになす術もなく立ち尽くすしかなさそうだった。

 アシルは音を立てずに屋根から地面に着地する。二階の高さくらいなら気配を殺したまま着地できる。

「悪くない顔立ちだな」

「ああ。女衒に売ればけっこういい値がつきそうだ」

 下卑た笑い声を上げる警官たち。そのときアシルの心は決まった。

 少女を食い物にするような汚い大人は殺すべきだ。

 アシルは腰を低くしたまま気配を殺し、警官の背後に迫る。真後ろについても気づかれる気配すらない。立ち上がる。一気に警官の口を手で塞いだ。

 そのままポケットから取り出したナイフを警官の脇腹に差し込む。

「うぐっ……!」

 呻き声だけを零して、警官の身体は糸が切れたように崩れ落ちた。

 そうなってようやく少女ももうひとりの警官もアシルを認識した。警官はこちらを振り返って驚きに目を見開く。

「な、何だ……!」

 警官が腰の銃に手を伸ばす。が、銃を構える時間も与える気はない。

 アシルはポケットから投擲用の小さなナイフを放った。警官が銃を構える前に、警官の首にはナイフが刺さった。口と首から大量の血をごぼ、と吐き出しながら警官は倒れた。

「…………ふう」

 静かになってようやく息を吐く。地面も壁も血が飛び散っていた。警官の服でナイフの血を拭う。ナイフを黒いコートのポケットに突っ込むと、怯えた様子の少女と目が合った。少女は両手をアシルに向けて突き出した。

「こ、来ないで!」

 少女の両手から氷柱が飛び出し、アシル目がけて飛んできた。

 思わず身を逸らして避ける。後ろで氷柱が壁にぶつかって砕ける音がした。

「へえ、珍しいな。魔法使い、だっけ? それで警官に追われてたんだな」

「あたしも殺すつもり?」

 目の前で二人も殺しておいて、警戒されないとは思っていないが。

「殺さねえよ。オレは子供を食い物にする大人とか金持ちが嫌いなだけ。じゃあな」

 アシルは手を振って少女の前から去ろうとする。

「ど、どうして? あたし、魔法使いなんだよ。捕まえないの?」

「だから、子供は殺したくねえの。青服どもも嫌いだから捕まえたりもしねえ」

 アシルが少女に背を向けて歩き出すと、少女が追いかけてくる気配が近づいた。

「ま、待って!」

 アシルは振り返る。目の前の少女はどうやら同じ年頃のようだ。

 マント風のフードつきのコートからはショートパンツと黒タイツが覗いている。スカート姿の女しか見たことがないから、彼女の出で立ちはかなり珍しい。

「あなた、名前は? あたしはサフィア」

「オレはアシル。〈アサシン〉だ」

 師は好んで〈アサシン〉という看板を使っていたが、要は殺し屋だ。金を受け取ってターゲットを殺す仕事をしている。

 コートの中やベストの中、腰回りやブーツの中はナイフと銃をいくつも隠し持っている。濃いグレーの髪に赤い瞳という目立たない容姿は、仕事をするうえで都合がよくて気に入っている。

「助けてくれたことにはお礼を言うけど、あんなふうに殺すのは……」

 アシルが人を殺したことを咎めるような口振りだった。サフィアは地面に転がる警官の死体から痛みを堪えるような顔で目を逸らした。

 アシルは他人の価値観に口を出す気はない。そのかわり、アシルの考えに否定的になられても改める気はまったくなかった。今までアシルが培った技術も知識も経験も、すべてアシルが仕事をするために得たものだ。

 その経験からいって、大人は汚いものであることと、殺すのを躊躇うとこっちが死ぬというのはアシルの中で絶対的な不文律でしかなかった。

「で、他に言いたいことは?」

 アシルが睨むようにサフィアを見つめると、彼女はきゅっと口を引き結んだ。

 アシルの良心にまったく響いていないのがわかったのか、それ以上アシルの考え方に口を挟むのは控えたようだ。

「あの、お腹空かない? あたし、森で食べ物を採ってこようと思うんだけど」

 サフィアは話を切り替えるように声色を明るいものに変えた。

「何かお礼もしたいし」

「ふーん」

 簡単には信用できないが、例え魔法を使えるとしてもアシルの腕なら簡単にサフィアを始末できる。アシルは殺しの依頼がないと仕事料が懐に入らないので、稼ぎにはムラがある。お礼で空腹が満たされるのならそれも悪くないと思った。

 フロッセの郊外には森が広がっているから、サフィアはそこのことを言っているのだろう。二人で町の外へ向けて歩き出した。




 森も町もあまり変わらない気がする。

 それは建物が林立して空が遠いフロッセの町も、背の高い木々が密集しているせいで空が狭く暗く感じる森も、ほとんど似たものに思えるからだ。

 唯一違うのは自然にしかない緑の色と、煙が立ち込めている町とは違って空気が若干澄んでいるところくらいだろうか。

 両手をポケットに突っ込みながら、アシルは森を進むサフィアについてきた。

 アシルは森というものに大した感傷は持たないが、サフィアは森が好きなのか足取りが軽い。彼女のポニーテールが楽しげに左右に揺れていた。

「見つけた! ほら、リンゴの木よ」

 サフィアが目の前の木を指差す。野生にこんなふうに食べられるものがあるなら、金を稼ぐより安定して食べていけるかもしれない。実っているリンゴが少し高い場所にある。どうやって採ろうとリンゴの木を見上げたサフィアを尻目に、アシルは軽やかに木を登っていってリンゴを二つ採って戻った。

「すごい! アシルは本当に身軽なのね」

 純粋に喜ぶサフィアに少し調子が狂う。人を殺すためだけに培ってきたこんな技術を、こんなふうに褒められるとは思ってもみなかった。

 さっきもそうだったかもしれない。アシルは結果的に警官二人を殺したが、殺すことでひとりの少女を助けたというのは初めての経験だった。

 何だかひどく、胸の奥がそわそわと落ち着かない。

 それを覚られないようアシルはリンゴにかぶりついた。少し酸っぱいがしゃっきりしたリンゴの食感と甘みのある果汁が美味しい。アシルは食にこだわりはないが、貴重なものや美味しいものは素直にありがたい。

「サフィアはさ、何でこんな町に来たんだ? フロッセはお世辞にも治安がいいとは言えない町だぜ」

 リンゴを食べながらそう水を向けると、サフィアは両手で持って食べていたリンゴを口元から少し離した。

「あたし、魔法使いだから。どこに行っても誰にも歓迎されないの。だから、静かに暮らせる場所を探して旅してる。気がついたらこんな北まで来てたみたい」

「そっか。オレはずっとフロッセで殺しの仕事してる。だから言っておくけど、警官は女子供を捕まえようと必死だし、潜伏した犯罪者があちこちにいる。静かに暮らすにはおすすめしない。少し休んだら他所に行った方がいいと思う」

「そうなんだ。新天地を探すのって、なかなかうまくいかないね」

 サフィアは寂しそうに小さく笑うと、再びリンゴに口をつけた。

「魔法使いって魔法使えるだけなんだろ? 法で取り締まる理由も町で歓迎されない理由も、オレにはわからねえな」

 するとサフィアは宝でも見つけたように目を輝かせ、頬を赤く染めた。

「……いたんだ。アシルみたいに思ってくれる人も」

 サフィアは口元を緩ませながら嬉しそうにリンゴを齧った。

 正直何が彼女の気に沿ったのかわからなかったが、落ち込んだり苦しんだりするよりはいいだろうと思った。

 しばらくリンゴの咀嚼音だけが響く。そしてリンゴをすっかり食べてしまうと、「これからどうしようかな」とサフィアは呟いた。

「来たばかりで疲れてるなら、少し滞在するくらいはいいかもな」

 またどこかへ旅をするにしても、旅に必要な物を揃えてからでも遅くはない。

 アシルはふと人の気配を感じてその方向を振り返った。

「どうしたの?」

「しっ! 誰か来る!」

 アシルはサフィアの腕を引っ張って木と草叢の陰に屈んで隠れた。

 木々の向こうを見つめながら待っていると、男が何かを持って歩いていくのが見えた。あまり若くはない。痩せぎすだが髭も生えた中年くらいの男のようだ。

 手に持っているのは植物だ。森で何かを採取したといったところだろうか。

 男は町の方へ向けて歩いていってしまう。

 見た感じは堅気だったが、堅気の人間がこんな森の中に来ること自体稀だから何かあるに違いない。

 男がすっかり見えなくなってから、サフィアが呟いた。

「あれ、確か毒草だと思うんだけど……」

「あんなに遠かったのに、植物の種類までわかったのか?」

「うん。あたし、目はいい方だから」

「へえ。それにしても、どうするんだろうな。毒草なんて持ち帰って」

 わざわざ摘みに来たのだから、用途なんてひとつしかないだろうが。

「何か、怪しいね。気にならない?」

 お互いに不審な引っかかりを覚えながらも、アシルもサフィアは男が去った方向を見つめるだけだった。

「わざわざ首突っ込むわけ?」

「森は自然の、あたしたちの領分だもの。もし私利私欲で、それも人を害するために使うのなら、黙ってられない」

 森の、植物のために怒るなんて変わった奴だとアシルは思った。男が去った方向を睨むサフィアの横顔を見て、アシルは面白いかもしれないと笑った。

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