第22話 再起
いつの間にか眠っていたようだ。
ミシェルは突っ伏していた顔を上げ、ずれた眼鏡をかけ直した。どれくらい眠っていたのだろう。
立ち上がって奥の部屋を確認したが、誰もいなかった。
ミシェルも一応は追われる身だ。誰かが傍を通れば自然と目が覚める。それなのに一度も目が覚めなかったのは、余程疲れていたのか、もしくは誰も戻らなかったか。
打ちつけた窓の隙間からは陽が差している。日の入り加減から昼時くらいだとわかる。簡易キッチンの横にある水瓶の水をマグカップに掬って一杯飲んだ。
髪を手早く結い直す。きゅっと締めつけられるようで頭がすっきりした。熟睡できたのがよかったのかもしれない。
ルイを助けるための手を考えなければ。
ミシェルはコートを羽織って薄手の黒手袋をはめた。
みんなを捜しに外に出た瞬間、凍りつくような寒気に全身が震えた。雪がちらつくように降っていた。
ミシェルは当てもなく歩き出す。
ルイは孤児院に潜入しているところを緊急逮捕されている。
ルイは仲間たちのことで口を割るような子ではないが、相手は子供にも非道な警官。早く助けないと、拷問や暴行を受ける可能性が高かった。
大量の警官が詰める警察署内の奥まで潜入して、どこかに囚われているルイを助けることになる。下手をしたら、五人一緒に牢に入れられる、なんてことも起こるかもしれない。
今度こそ失敗は許されない。
手が震えた。手を握り込んでも震えは止まらない。
ミシェルはずっと、ルペシュールの参謀のようなポジションにいて、作戦を立てて仲間たちを引っ張ってきた。
ミシェルが失敗したからルイが捕まった。次に失敗したら危険な目に遭うのは仲間だ。失敗するのが怖かった。
昔、魔法が暴発して大勢の講師と生徒が焼け死んだ。失敗は、死を招く。罪悪感と責任感に押し潰されそうだった。
けれど、ここで恐れていてはルイを助けられない。
ミシェルがやらなければならないのだ。
ミシェルは自覚もなしにみんなの命を預かってきた。今も、ミシェルの双肩にはみんなの命と運命がかかっている。
町の大きな通りでは、雪の中を馬車と、コートを着込んだ大人たちが行き交っている。
町は何事もなかったかのように日常を送っている。
ミシェルの仲間が捕まったことなんて些事のように、町は何も変わっていない。誰が死のうが、誰が捕まろうが、町にとってはどうでもいいことなのだ。
この町にとってミシェルたちは、本当にちっぽけな子供だ。
ミシェルは歩いているうちに、レブラスがいつも働いている店の近くまで来ていた。
町にあるコーヒーハウスのひとつだ。レブラスはいつも、給仕の仕事と雑用を手伝いながら、日銭と余った食材を持ち帰ってくる。
窓から中を覗く。レブラスはいないようだった。真面目な奴だが、さすがに仕事は休んだようだ。
「ミシェル」
後ろからの声に振り返った。袋に買ったものを抱えたレブラスが立っていた。
「サボリかと思った」
「さすがに休めない。休みたくても理由言えないしな」
レブラスは少し疲れた顔で口を尖らせた。
「ちょっと待っててくれ。今日はこれで終わりなんだ。俺の顔見て、旦那が今日は早く上がって休めって言ってくれた」
「お前、ひどい顔してるからな」
「人のこと言えないだろ」
お互いに悪態をつきながら、レブラスは荷物を抱えて店に戻っていく。彼が出てくるのは思っていたより早かった。
さっきとは別の袋を抱えている。
「旦那が心配して色々分けてくれたんだ。郊外で食べようぜ」
頷きを返し、町の中心部から離れていく。
郊外まで行くと林がある。町の喧騒から離れて、武骨な石造りの町から突き出る多くの煙突が、黒い煙を絶え間なく吐き出しているのが見えるようになる。
町は石の城壁に囲われているものだが、今は城壁を壊して町の規模を拡大していっているらしい。林と町の間には、打ち崩されて放置された城壁が残っている。
誰もいなかった。寒いが、ミシェルもレブラスも真冬の中でじっとすることには慣れている。今までのルペシュールの仕事で、夜間に何時間も張り込んだことだってある。
中途半端に崩れた城壁に腰かけると、レブラスが袋からパンを取り出して渡してくれた。パンは二枚で、間に厚いハムとレタスとチーズが挟んであった。
豪華だ。顔色の悪いレブラスを心配して店の主人が用意してくれたのだとしたら、彼はよほど可愛がられているのだろう。普段の真面目な仕事ぶりの結晶だ。
パンにかぶりつくと、固形の食べ物を胃に含んだことが呼び水になって、食欲が湧いた。一気に平らげる。レブラスも同じようにパンにかぶりついていた。
「チーズなんて何年ぶりだろうな」
レブラスは若干頬を上気させていた。
ミシェルの家は貧乏だったから、まともにチーズを挟んだパンなど食べられなかった。それは今も同じだ。レブラスほどの伯爵家ならば日常的に食べていただろうが。
パンをすっかり食べてしまうと、レブラスが話し出した。
「……ずっと、考えてたんだ。オレは今まで何をしてきて、これから何をすべきなんだろうって。オレの目的は生きることだった。罪人として捕まらずに、逃げてでも生きて、戦って、自分の信じる道を進めば、何かがきっと見える。道は拓けるって……。でも、何もなくて。仲間も守れなくて」
レブラスは両手を組んで震えるほど力を込めていた。
彼が許せないのは理不尽な世間や悪人だけではなく、きっと自分自身なのだろう。
「殺しを繰り返しても、オレの罪が増えていくだけ。オレは何をしたいんだろう。悪い奴を殺して回りたいのか? 仲間の力になりたい? 潔白だと証明したいのか? 剣を捨てて穏やかに暮らしたいのか? みんなわからなくなった……」
「……僕も、色々考えた。どれだけ勉強できたって、魔法を使えたって、ルイは捕まった」
レブラスは意外そうに目を丸くした。
「お前が弱音を言うなんて珍しいな」
ミシェルは自嘲気味に笑った。
「いや、弱音っていうより、自覚したんだ。僕にできることはとても少なくて、僕は自分で思っていたよりも、ずっと大したことのない人間だった。それを知ったよ」
ミシェルはそこからずっと目を背けて、自分の力を誇示しようと魔法を使ってきた。それが強さだと思っていた。
「僕は弱い。恥ずかしいしかっこ悪いけど、もうそこから目を背けようとは思わない。とにかくルイを助けないと。それには全員の力が必要だ。ルペシュールの今後は、五人全員で集まってから決める。これからどうするのかを決めるには、ルイがいないとダメなんだ。大事な仲間だから」
本心を言うのは声が震えそうなほど怖かった。今まで、こんな弱くて情けないところを人に見せたことはない。
けれどレブラスは全部静かに聞いてくれたし、ミシェルの話を聞いたレブラス自身もどこかすっきりした顔をしていた。
「そうだな。とにかくルイを助けることからだ。ぐだぐだ悩むのはそれからにする。オレは自分の信じる道を行く。何度悩んでも、無様でも戦って、いつかは見つける。オレの正義を。今はルイを助けたい。もちろんお前もな、ミシェル」
歯を見せながら屈託なく笑ったレブラスに、ミシェルは笑い返した。
差し出されたレブラスの手を、ミシェルは取る。二人で立ち上がると、繋いだ手を一度離してハイタッチした。
これからどうやって生きていくのか。レブラスだけの問題ではない。全員で考えていかなければならない。
いつかは大人になる、自分たちのこれからのことを。
まずはアシルとサフィアを捜さなければならない。
あの二人はうじうじ悩むタイプではないのだが、自分の感情に素直な分、怒ったり落ち込んでいたりすると説得できるか少し不安だった。
だがやるしかない。ここで全員が集まり、慎重に動かなければルイを助けられない。
ミシェルは二人を捜すと言うと、レブラスは帰ってココアと夕飯の準備をするという。一度別れ、ミシェルはレブラスとは別方向で町へ戻った。
この町で初めて会ったときから、アシルもサフィアも怒りと痛みを含むぎらついた目と、人の死に関わった者特有の暗い感情を深く宿していた。
そういえば初めて会ったとき、二人は既に一緒にいた。
この町で出会ったのだと言っていたか。
ミシェルは町の路地裏を通って、二人を捜すべく進んだ。
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