第23話 殺意
例え昼間だろうと、人に見つからずに人を殺す方法などいくらでもある。
アシルは路地裏から路地裏へ、屋根から屋根へと動き、外をうろつく警官を路地裏に誘い出し、隙をついて後ろから昏倒させた。昏倒させた青服の両手足を縛り上げて口を塞いだところで、路地裏から突然サフィアが現れた。
「アシル」
「サフィア、どうしてここに?」
サフィアはアシルと縛られて転がる警官を見て、眉を吊り上げた。
まずい。サフィアは乱暴なことを人にすると怒るのだ。
どうやって誤魔化そうかと思っていると、サフィアはつかつかとアシルに近づいてきた。
「アシル、その人、どうするの?」
誤魔化すともっと怒りそうな雰囲気だった。
「ああ、それは……、ちょっとこの警官を拷問して警察署のことを聞き出そうかと……」
署内の地図や警官の人数や警備、ルイがどうしているか、〈黒猫〉のことなど、色々聞き出せばルイを助ける手助けになると思ったのだが。
拷問など人を傷つける行為をサフィアは嫌う。怒られると思ったのだが、サフィアは予想外のことを言い出した。
「それ、あたしにもやらせて」
「はっ……?」
訊き間違いかと思った。だがサフィアの目は真剣だ。
まさか、穏便な行動をするよう諫める側だったサフィアが、本当に警官を拷問する気だろうか。
「ルイを助けるんでしょ? あたしも手伝う。そのためなら、何だってしてやるんだから」
サフィアの目は、憎しみの光がぎらついている。
「お前らしくないぜ。どうしたんだよ?」
サフィアは、アシルの黒コートの裾を掴んだ。
「もう、どうでもいい。あたしが傷つけないようどれだけ心を砕いたって、相手はそんなこと気にしない。それなら、あたしだって最初からあいつらの命なんてどうでもいいよ!」
コートを掴む手に力が入る。
「早くやろうよ。どっかの暗い空家がいいかな」
アシルはサフィアの剣幕に押されるまま、警官を近くの廃屋に運び込む。窓は一箇所で特に家具もない殺風景な部屋だ。
冷たい床に転がる警官を見下ろすサフィアの横顔がいつもと違う。アシルを常に止める側のサフィアがこんなことを率先して行おうとするなんて。
このままでは、サフィアは魔法で人を傷つけてしまう。
アシルは、あまりそういうサフィアを見たくない。
手が既に血塗れなアシルとは違って、サフィアはそういう手を汚すようなことをしてはいけない気がする。理屈ではよくわからないが、アシルはそんなサフィアを見たくないのだ。
「なあ、やっぱりオレがどうにかするから、サフィアは先に帰ってろよ」
「嫌よ。あたしだってこいつらと同じように殺してやるの」
「お前がそんなこと言うなよ!」
つい大きな声が出た。サフィアの口から出た言葉が信じられなかった。アシルはサフィアの両肩を掴んだ。
「人を殺したら、もう後戻りできねえんだぞ! 殺したら、殺す前にはもう戻れなくなる。殺した奴だってもう二度と帰ってこない。殺す方も殺される方も、決して取り返しがつかなくなるんだ。わかってるのかよ!」
「わかってるよ!」
「わかってねえ! そう簡単に殺すなんて言葉が出る奴は、わかってねえんだよ!」
そう、少し前の自分のように。
何もわかっていなかった。今まで奪ってきたものが本当は何なのか。今までサフィアやレブラスが言っていた「命は何よりも尊いもの」という言葉の意味すらわからずに、アシルは人の命を奪ってきた。
自分も仲間も、今まで殺してきた奴らと変わらない、何物にもかえられないたったひとつの命だったのだ。
縛り上げられていた警官が呻いた。気がついたのかもしれない。騒がれるのはまずい。だが殺すのは早い。逡巡する間にも横倒れの警官が首をもたげて起き上がろうとする。
サフィアは両手に氷の塊を出現させ、警官相手に放とうとする。警官に気を取られ、アシルはサフィアの動きに出遅れた。
「バカ! やめろ!」
氷は刃のように先端を尖らせ、銃弾のように飛び出した。
駆け出すが、今から飛び出していっても止められない。
警官に刃が届く寸前。
突然炎の塊が氷の刃を包み込んだ。
猛然と盛る炎は氷を溶かし、地面に水滴となって水溜まりを作った。炎の魔法だ。アシルは出入口を振り返った。
手のひらをこちらに向けてかざすミシェルが立っていた。
「アシル、もう一度眠らせろ!」
ミシェルの指示に身体を打たれ、アシルはすぐに警官に駆け寄ってもう一度気絶させた。
目を覚ましかけた警官は呻きながら再び横倒れになった。
何とかなった。今までで一番焦ったかもしれない。思いきり身体から力が抜ける。
サフィアは渾身の一撃が阻まれたのを呆然と見ていた。そのまま彼女はその場に座り込んでしまう。
「どうして……。どうして邪魔するの……?」
呟くサフィアにミシェルが足早に歩み寄って片膝をつき、その頬を打った。
「お前が親に託された魔法使いの矜持とは何だ? 人助けか? ただの人殺しなのか? お前の親が命をかけて守り、またお前も清く守ってきたものをみんな無駄にするつもりなのか?」
サフィアはミシェルを睨んだ。
「人間なんかに何がわかるのよ! あたしたちの苦しみの何がわかるっていうのよ!」
ミシェルは苦しそうな顔で首を横に振った。
「お前は何も悪くない。だが、自分の不幸を他人のせいにするのはやめろ! 誰かに冷たくされたら、関係ない人にも冷たくするのか? 大切な人が殺されれば、別の誰かを殺すのか? それでお前の何が救われるんだ!」
サフィアは睨んでいた顔を歪めて、瞳からぼろぼろ大粒の涙を流した。
「だって、だってぇ……!」
サフィアは目元に両袖を押し当てながら幼子のように泣き声を上げた。
アシルは二人に近づいていった。
「ミシェル、助かった」
ミシェルが立ち上がる。心配と安堵が入り混じった瞳がアシルを見つめる。
「まったく、捜したんだぞ」
「レブラスは?」
「食事の用意をしに先に帰ってる。僕たちも帰るぞ。話し合わなければならないことが山ほどある」
アシルは頷いた。ミシェルもレブラスも、きっとルイを助けるために色々考えているはずだ。それなのに、感情に任せてひとりで突っ走ろうとしていた自分が情けない。
今まで何度、メンバーにフォローされてきたのか数えきれない。サフィアを止めることすらできなかった。
このままでは駄目だ。ミシェルが最初に言ったように、ルイを助けるには全員の協力が必要だ。
もう、後先考えずにただ力を振るうだけではいけない。アシルの行動ひとつが仲間の危機に繋がるかもしれないのだ。
もう、目の前で仲間が危ない目に遭うのはご免だ。
「先に戻っていてくれ。警官を解放した後、サフィアと帰る」
「わかった。……その前に」
頷くミシェルだが、突然ポケットから何かの小瓶を取り出した。中には透明な液体が入っている。嫌な予感がする。
「何だ、それ?」
「薬だ。まだ試薬段階の。二、三日耐え難い頭痛が襲い、記憶と意識が混濁する」
「毒じゃねえか!」
「バカめ。薬と毒は表裏一体だ。これでお前に昏倒させられた前後の記憶をしばらく曖昧にさせてもらう。死にはしないし、そのうち意識もはっきりするようになる」
ミシェルはその小瓶をアシルに渡した。
「殺すな。情報を抜いたら飲ませろ」
「わかった」
アシルは小瓶を軽く握り込んだ。
確かに少しでもアシルとサフィアのことを覚えられていたら厄介だから、必要な措置なのかもしれない。死にはしないと言っていたしこの警官には可哀想だが我慢してもらおう。
サフィアは先程よりずっと小さくなった嗚咽を、座ったまま漏らし続けている。
アシルはサフィアの前に屈み込んだ。サフィアの目元も鼻の頭もすっかり赤く腫れている。
彼女と初めて会ったときもこんなふうに泣いていた。
魔法使いのサフィアは警官から逃れてフロッセまでやってきた。ひとりで裏通りをうろつく少女に女衒が目をつけたのだ。サフィアは破落戸に囲まれてもうすぐ売り払われるところだった。
子供を食い物にしている大人を目にしたアシルが破落戸どもを全員殺して、サフィアを助け出した。
大人と見ればすぐに牙を剥く手負いの獣のようだったアシルは、人を殺し慣れている。
それなのに、そのとき少女を助けた感覚だけは、ずっと新鮮な心持ちで手の内に残っていた。
心の底でむず痒いと思っていたその新鮮さが何なのか、アシルにはずっとわからなかった。でも今ならわかるような気がする。
ただの殺し屋としてターゲットを狩るだけだったアシルが、初めて人を助けた経験がサフィアだった。
アシルは少女を助けたとき、殺し屋ではない自分を少女から見出されたような気がした。
アシルはそれが、とても嬉しかったのだ。
「サフィア、帰ろうぜ。情報収集が終わってからだけど」
アシルはサフィアの顔を覗き込む。
サフィアは泣きじゃくりながらもこくこくと頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます