第2話 ある警察官の朝

 初冬の空気は澄みきっていた。

 早朝のフロッセの町の駅に、濃紺の制服姿の警察官たちが溢れかえっている。

 遺留品を回収する者、現場を調べる者、発見者に聞き込みする者など、同僚たちはそれぞれの仕事をこなしていた。

 そんな中、ヘイゼル・ガードナーは遺体の前で屈み込む。

 目の前に広がる惨劇に、つい眉を顰める。

「……これは、ひどいですね」

 ヘイゼルの胸中を満たしたのは、命を奪われたこの痛ましい遺体への悲しみと悔しさだった。

 夜間の運行を終え、駅のホームに停まった列車の中。そのうち二つの車両から、血塗れの遺体が四つも見つかった。

 ひとつの車両に一体、そしてその隣の車両に三体。どの遺体も虚ろな目を虚空に向けている。

 隣で屈み込む相棒の警察官は、険しい表情を浮かべて遺体に顔を近づけた。ヘイゼルは死体を前に表情を崩さない相棒が何を思っているのか気になった。

「ブラック特別捜査官殿。何をお調べに?」

 相棒は遺体を観察しながら答える。

「ヘイゼルさん。私のことはロビンで結構です。年下相手にそう畏まらなくても結構ですよ」

 大人びた、ひどく落ち着いた声音である。

 彼は他の警察官とは違う。小柄な体格。濃紺の制服ではなく、グレー地に黒いラインが入った別の制服を着ている。

 何よりも異質なのは、腰が隠れる丈の黒コートである。頭を覆うフードは、黒い獣耳のように両端がぴんと立っていた。それが一際目立っている。

 ロバート・ブラック特別捜査官。

 通称〈黒猫〉のロビン。

 彼はまだ弱冠十六歳の少年であるにも関わらず、凶悪犯の逮捕を専門とした優秀な警察官だった。フロッセの町に蔓延る凶悪犯を捕えるため、ロビンは遠い王都からやってきた。

 ヘイゼルはフロッセの地元警察として、ロビンと組んで捜査をするよう上司から命令されている。

 王都勤めのエリート警官と組みたがる同僚はほとんどおらず、特に異論のなかったヘイゼルは、この役目を周囲から半ば押しつけられるような形で拝命した。

 三十近くになっても大した手柄を立てたことがないヘイゼルは、いくつもの功績を立てているロビンを素直に尊敬していた。話を聞くと、王都周辺で何人もの凶悪犯を捕縛して監獄送りにしてきたのだという。

 だからともに捜査できることは嬉しかったし、可能ならばその手腕を間近で見て、犯罪捜査についてよく学んでみたいと思っていた。

 ロビンは幼さを残した横顔に真剣な色を浮かべ、遺体を検めていた顔を上げた。

「四人のうち二人は首をナイフで切り裂かれ、もう二人は細長い剣かレイピアのようなもので心臓を貫かれていますね」

 そんな細かいところまで見ていたのかと感じ入った。死因くらいは遺体の状況から判別できるが、ヘイゼルは刃物の形状までわかっていなかった。

「この遺体からそんなことまでわかるなんて……」

 遺体のひとつを、ロビンは再び見下ろした。

「もっとわかることがありますよ。この遺体、衣服に乱れがありません。ひとりだけ手に刺し傷がありましたが、四人とも急所をひと突きです。それも全員銃を携帯したまま殺されている。鮮やかな手口です。随分慣れているようですね」

 ヘイゼルが一を知る間に、ロビンは十も手がかりを掴んでいるらしい。つい感嘆の息を漏らす。

 ヘイゼルは懐から手帳を出して開いた。

「被害者の身許が荷物の中身で判明しましたよ。被害者はメルセリオ・クラッカー。五十二歳。大手煙草会社を経営するクラッカーカンパニーの社長です」

 あとの三人はクラッカー氏の部下である。

 四人とも、昨日は商談のため離れた町に赴いていたらしい。早朝、車掌が駅についた列車を点検していたときに遺体を発見。警察に通報した。

 これから商談相手の会社にも事情を尋ねるだろうが、列車内で襲われたと考えて問題ないだろう。フロッセの町の治安が悪化しているとはいえ、列車内で殺人が起こるとは物騒だ。

 ヘイゼルは手帳を閉じるが、ロビンは考え込むようにしながら遺体の腕などに触れていた。

「車内に飛び散った血痕の量から、ここで殺されたのは間違いない。死後硬直はまだ始まって間もないですね。死後二時間から四時間程度でしょう。つまり夜間走行していた車内で殺されているはず。まずは車掌を含め乗車していた人物を調べる必要があります」

 てきぱきと遺体の状況を確認して、ロビンは立ち上がった。

 隣の車両へ向かうのでヘイゼルも後を追う。クラッカー氏の遺体の傍の壁に貼られた張り紙へ視線を向けた。

 張り紙には、荒々しい字でこう書かれていた。

『強欲の大罪人メルセリオ・クラッカー! 煙草に麻薬を混ぜて売り捌く売人。従業員を過労死するまで働かせる悪人。お前の罪を〈ルペシュール〉が裁いた!』

 ここに書かれていることが本当だとしたら、クラッカー氏はとんでもない悪人だということになる。

「ルペシュール――。あくどい商人や警察が未だ捕まえていない凶悪犯を裁いて回っている者たちだそうですね」

 表情を険しくさせるロビンに、ヘイゼルは頷く。

 ルペシュールは最近町で話題の義賊だ。

 この件がルペシュールの犯行なら、殺された者たちに苦しめられていた者がいたということになる。

 ヘイゼルは最近の小新聞の記事を思い出す。

「住民の中には、ヒーローのように思っている者もいるとか」

 ロビンの眉がぴくんと吊り上がる。

「ヒーロー、ね。どちらに正義があったかなどに意味はない。私刑は犯罪です。一般人が人を好き勝手に裁いては秩序が成り立ちません。それに、結局彼らがやっていることは人殺しです」

 ロビンはルペシュールへの嫌悪感も露に捲し立てた。

「とにかく、乗車していた人物の聞き込みを……」

 ロビンが捜査の話に戻そうとした矢先、こちらに上司が近づいてきた。ヘイゼルは敬礼して上司に向き直る。

「アンバー警部補、どうされましたか?」

 この殺人事件の指揮を取っている中年の警部補は、ヘイゼルとロビンを交互に見た。

「ガードナー君、ブラック特別捜査官殿、二人には別の事件の担当になってもらいたい。この事件の人手は足りているのでね」

「別の事件、ですか?」

 ヘイゼルは戸惑いを隠せずに問い返した。事件が起きたと報告があったから、他の警官がそうするように現場に駆けつけたというのに、現場検証をさせてから別の事件を任せるとはどういうことだろう。

「今町で起きている、児童失踪事件の方を頼むよ」

 ヘイゼルは、ロビンがいかに今回の事件解決に役立つだろうかを上司に説明しようと思った。

「アンバー警部補、その事件は別の者が担当していたはずです。ロビン殿は第一級の凶悪犯専門ですし、この殺人事件を担当された方が犯人逮捕にも……」

 ヘイゼルの言葉を制したのは、ロビンが広げた腕だった。

「アンバー警部補、捜査資料は署内にありますね?」

「ああ、あるとも。それでは、二人とも頼んだぞ」

 アンバー警部補はにやにや感じの悪い笑みを浮かべ、二人の元から立ち去っていった。

「では一度帰りましょう、ヘイゼルさん」

 早速帰ろうとしているロビンの背に呼びかける。

「いいのですか! この事件を解決するには……」

「ヘイゼルさん、私はアンバー警部補の指示に従うよう、フロッセの警察署長に言われています。捜査を外された以上は仕方ありません。警察機構の秩序とはそういうものです」

 冷静に話すロビンはさっさと現場を離れようとする。ヘイゼルは追いかけながら、焦れたように言葉を続ける。

「失礼ですが、アンバー警部補はロビン殿を快く思っておりません。ロビン殿を外したのだって、貴方への嫌がらせですよ」

「知っていますよ。子供のくせにと、私を嫌う人は多いですから。気にしていません。それに児童失踪事件だって、解決すべき深刻な事件です」

「ロビン殿は、もっと怒ったり、悔しがったりしてもいいと思います」

 ヘイゼルがそう漏らすと、ロビンは目を丸くした表情でこちらを見上げた。驚いているらしい。

 それから彼は目を細め、口元を笑ませた。

「ヘイゼルさんは優しいですね」

 手慣れた様子で検死をしていた年下の少年から柔らかい表情が出たことに、ヘイゼルは親近感を抱いた。

 現場を離れようとすると、駅のホームで現場を遠巻きに眺める市民がひそひそと言い交す声が聞こえてきた。

「見てごらんよ。ルペシュールの裁きだって」

「また悪党がその報いを受けたんだな」

「今話題の児童失踪事件だって、きっとルペシュールが解決してくれはずだよ」

 ヘイゼルは市民の声を背に、小走りでロビンと並ぶ。

「ロビン殿、一刻も早く署へ戻って事件を解決しましょう」

 フロッセの町の現状を見て、ヘイゼルは強くそう思った。

 最近は事件が多い。ルペシュールの犯行や児童失踪事件。他にも大小の犯罪が横行している。

 不安の中で暮らす一般市民は、ルペシュールを正義のヒーローだと囃し立てている。だがあの遺体を見ると、悪党であったとしてもあんな殺され方をされたのでは憐れだと思う。

 自分の生まれ育ったこの町で、これ以上悲しい事件は起きてほしくない。

「元よりそのつもりです」

 ロビンの鳶色の瞳に、強い意志が宿っている。ヘイゼルがロビンを尊敬しているのは、肩書きだけではない。

 組んで数日だが、凶悪犯罪を減らしたいと願い、そのために尽力を惜しまない彼を知って、彼を心から尊敬している。そんなロビンと組めたことを、ヘイゼルは幸いに思っていた。

 必ず事件を解決する。

 ヘイゼルはそう強く思い、歩くスピードを速めた。

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