第14話 氷の魔女

「いいかい。人前で決して魔法を使ってはいけない。自分が魔法使いであることを明かしてもいけない。そんなことをすれば、きっとお前の命はありませんよ」

 どれだけ幼くても、それは正しいことなのだと頭ではちゃんとわかっていた。

「どうしても? どんなに、いい人でも?」

 それでも、そう訊かずにはいられなかった。

「その人が『いい人』なのは、お前が魔法使いだと知らないからです。知れば、きっとお前のことを嫌いになって、死刑台送りにしてしまいますよ」

 母の言葉は、実感の篭った厳しい声音をしていた。

「サフィア。お前は純血の魔法使いの血を受け継ぐ、素晴らしい子です。でも、この国は魔法使いを決して認めはしない。けれど屈しはしない。父さんと母さんは外の警察と刺し違える覚悟で戦って、最期まで魔法使いの誇りを守ります。でも、お前だけは逃げなさい。逃げ延びて、生きなさい!」

 母は、家の床下の隠しにまだ幼いサフィアを押し込んで、その扉を閉めた。暗がりがサフィアの頭上に降り注ぐと同時に、扉を破られた音がした。

 上では警察の怒鳴る声と、父さんと母さんの声がしていた。

 それは激しい争いの声と音になった。サフィアは決して声を上げないように口を両手で押さえて、自分でもわかるほど震えていた。ぎゅっと目を閉じても、聞こえてくる。

 警察の声と、父さんと母さんの悲鳴。いくつもの銃声。

 怖くて、上で何があったのかを知りたくなくて、静かになってもその場から動くことができなかった。

 何故、魔法使いというだけで、追われ、殺されなければならないのだろう。両親もサフィアも、悪いことなど何もしていない、ただの一般市民だった。魔法使いは家族と普通の生活をすることすら許されないというのか。

 サフィアは、生まれたときから犯罪者だった。

 蒸気機関の煙で国中が覆われた世界にひとり取り残されたサフィアは、母の言葉がいかに正しかったのかを知ることとなった。

 出会ったどの人も最初は優しかった。ひとりきりのサフィアを助けてくれたし、食べ物や水を分けてくれた。

 こんな優しい人ならきっと大丈夫だと、サフィアが魔法使いであることを打ち明けると、誰もが手のひらを返したように冷たくなった。得体の知れない化け物を見るような視線を寄越され、サフィアを追い出した。

 早く出ていけと、出ていかないなら警察に突き出すと脅され、どこにも安住することはできなかった。

 母の言う通りだった。魔法使いはどこへ行っても嫌われる。

 こんな世界大嫌い。人間なんて大嫌いだ。

 二年以上は、人のいない森や荒野を彷徨った。

 ようやく辿り着いたのが北の辺境の町フロッセだった。

 町で出会ったルペシュールの仲間はサフィアを受け入れてくれた。魔法使いと知っても助けてくれて、友達になってくれた。

 人間の大半はサフィアを怖がるだろうが、いい人だって、きっとどこかにいるとみんなは思わせてくれた。

 魔法とは、本来は自然と人との間に立って、お互いのバランスを保ち、守るもの。そして人を助けるためのもの。

 だからサフィアは、人を助ける魔法使いになりたかった。

 そして人に好かれたかった。

 仲間たちと一緒にいたかったし、悪者をやっつけて人を助けられるルペシュールの活動を手伝うのも自分の意志だ。

 サフィアが力を使うのは仲間のためもあるが、何より困っている人の助けになりたいから。

 だから、子供が大人の都合で人身売買されているなんて、絶対に許せないし、そんな子供をどうしても助けたかった。

 深夜のアルヴェンナ孤児院に着いた。

 フロッセの南方は工場が少ない。町中に工場の煙が噴き出ているが、南側は工場が廃棄されるガスの臭いが薄い。

 この辺りは工場が遠いせいで開発されていないのだろう。昔ながらの背の低い建物も多く、のどかな雰囲気がある。木造の建物や生垣なども多い。

 月が皓々と白い光を落としている。辺りの生垣や建物が青白く染められていた。この辺りには街灯がないが、月の光だけで何があるか大体わかる。

 人工の光より、石造りの建物より、月と植物がある景色の方が落ち着く。サフィアは魔法の力を持って生まれてきたから、自然にあるものの方が落ち着くのだ。

 それに夜目も利くから暗すぎても怖くはない。

 孤児院の横に狭い林がある。サフィアたちルペシュールの五人は、林に身を潜めながら孤児院に近づいていく。

 アルヴェンナ孤児院。

 アシルの調べでは、この孤児院は相当広いらしい。四方を囲う塀も高く門の施錠もそれなりに厳重だという。

 外から簡単に侵入されないようにしているとのことだが、外から見ると、まるで牢獄のようだとサフィアは思った。

 孤児院には多くの孤児たちがいる。子供たちに危害が及ばないように密かに潜入し、目的を達しなければならない。

 攫われた五人の子供は孤児院内にはいないとアシルは言った。ただ、子供がひとり礼拝堂の奥の小部屋に監禁されていたという。孤児院で子供が監禁されているというのは普通に考えておかしい。孤児院の疑念は確信に変わりつつある。

 誘拐され、四人は既に売られてしまい、残るひとりは引き渡されるときを待っているということなのかもしれない。

 アシルが手に入れた地図を元に、子供の救出作戦を立てた。

 子供を救出するチームと職員について調べるチームの二手に分かれる。子供を救出した後で全職員の反応を見る狙いがあるが、できるだけ職員のことも調べたいとミシェルが言い、五人で二手に分かれて孤児院内を探ることになった。

 サフィアはルイ、レブラスとともに子供を救出する。

 アシルとミシェルは職員を調べるという。二人は先に潜入する手筈だ。

「それじゃ、後でな」

 二人が潜入してしばらく経ってから、サフィアたちも潜入する。これも作戦のとおりだ。

 サフィアたちを先導してくれるのはルイだ。ルイは、自分はただの盗人で、何もすごいことはできないと言う。それでも仲間を助けようといつも一生懸命に手伝ってくれる。

 ルイはとても身軽だし、アシルに教わって鍵開けや潜入もできるようになっている。いつも支えてくれるルイを見ていると、暗殺や魔法だけが力ではないのだとサフィアは思う。

 潜入は初めてだろうが、ルイはサフィアたちの前に立って、頭に詰め込んだはずの潜入経路を安定した様子で辿っていく。

 孤児院は子供たちの部屋に教室、外で身体を動かすための運動場など部屋や区画が分けられている。子供と職員の宿舎は、礼拝堂とは別方向だ。こっそり動けば、孤児院の子供たちに危害を加えずに子供の救出ができる。

 礼拝堂に一番近い裏口で、ルイは開錠操作を簡単にこなす。音もなく中へ入るルイに、サフィアとレブラスも続く。

 明かりが落とされた院内の廊下は、窓から差し込む月の光だけが照らしている。サフィアにとっては、それだけで十分すぎるほどの光量だ。

 足音をあまり立てないように、先を確認しながら進む。

 レブラスもサフィアも、アシルが手に入れてきた孤児院の見取り図を頭に叩き込んできている。ルイが先導する道を、自分の中の地図と照らし合わせながら先へ進んだ。

 これもアシルが調べ上げた情報だが、孤児院の職員は大半が住み込みで、敷地内の宿舎に戻って寝る。職員室やその他の部屋にいる可能性は低い。

 ただ職員は、夜間の院内の出歩きを禁止されているわけではない。密かに何かを行うのに都合がいい環境ではある。

 白い壁。月の光。殺風景な孤児院の廊下。いくつか見かけた木造の扉。それらをいくつも通り過ぎると、うっすら声が聞こえてきた。こんな深夜に話すなんて、誰かに聞かれてはまずい会話をしているかもしれない。

 ルイもレブラスも、サフィアを見ている。二人も声が聞こえるのだろう。頷くと、二人も頷き返した。

 サフィアたちは声のする扉の近くまで向かった。

「……そん、……ません……!」

「これは……、…………なのだ……!」

 若い女の声と、年配の男の声。声量は押さえているが、お互いに怒りの篭った声色で言い争っているようだ。

 徐々に近づくにつれて、会話の内容が拾えるようになる。

「どうかやめてください! こんな、人の倫に外れるようなこと、到底許されることではありません!」

「人の倫だと? そんなものを守って、本当に理想を実現できると思うのか? 誰に許されぬというのだ!」

「法も神も、このようなことはお許しにはならない! なるはずがない! 子供たちは物ではないのですよ!」

「その子供が生きるために必要なことなのだ! 金というのは、どこからともなく湧いてくるものではないのだぞ。誰かが汗水垂らして働いて、稼がねばならんのだ! 私は子供たちのためにそれを成しているに過ぎん! お前にはできるというのか! 増えていく子供たちが飢えず、苦しまず、生きていけるだけの金を用立てることができるというのか!」

 年配の男の、それでも抑えるだけ抑えた怒鳴り声が扉の外へ漏れてくる。もうひとりは若い女性らしい。金に関する揉め事のようだが、一体何の言い争いをしているのか。

「その守るべき子供たちが、そのために苦しめられてもよいというのですか?」

「どうしても納得できんと申すか」

「当たり前です! 孤児院で保護した子供を売るなんて、人倫に悖る行いではありませんか!」

 サフィアたちは思わず息を呑んだ。

 エルマー・フレッドは誘拐した子供を孤児院の職員に売り飛ばし、職員は買った子供をこっそり売っているのだと思っていた。だが、女性の言い方では孤児院で保護されている子供すら売り飛ばされているような口振りだ。

 途切れていた会話が、再開した。

「……お前の言いたいことはよくわかった。それではお前が、子供たちを守るために金を用意するんだな」

「どういう意味ですか?」

「お前はまだ若い。子供を売るより簡単に金を作れるだろう」

 がたん、と椅子か机を動かすような音がした。

「な、何をするのです!」

 慌ただしく物が動く音が大きくなっていく。逼迫した女性の声も漏れ聞こえてくる。見ていなくても、女性が乱暴されそうなのは確かだ。

 止めたい。けれど、今サフィアたちが出ていけば潜入がバレてしまう。騒ぎになる。みんなにも迷惑がかかる。慎重に行動するために潜入捜査をしているのに。

 無視して進むか。それとも助けに入るか。

 仕事を優先するなら、無視するべきだ。例え見知らぬ人が危ない目に遭っていたって、助けたところで侵入者として捕まるだけだ。でも、見捨てていいのだろうか。声の女性は子供を売ることに対して抗議している。きっといい人だ。

 ――いい人。

 急に母と別れたときの言葉がサフィアの脳裏に蘇った。

 わかっている。答えは決まっている。

 サフィアは扉に近づいて勢いよく開けた。

 白と黒の制服を着た年配の男が、似たような制服を着た年若い女性を床に引き倒していた。

「な、何だ!」

 サフィアは手から氷柱を出し、年配の男に向けて放った。

 男は上着の襟元を氷柱で貫かれ、奥の壁にそのまま縫い取られた。男は驚愕の表情で動こうとする。

「きゃっ……!」

 女性は突然の闖入者に大きく身体を震わせ、サフィアを見上げた。女性はサフィアを震えながら両手で口を塞いだ。

 その表情は恐怖に引き攣っていた。

 サフィアはそれを見て、ポケットに詰めてきた小さな袋から自分で作った眠り薬を取り出し、部屋に散布した。

 年輩の男と女性は糸が切れたようにその場に倒れた。

 サフィアは部屋が静まり返ったのを確認して部屋を出た。廊下には驚いたルイと、苦笑したレブラスが待っていた。

「……ごめんなさい。どうしても、見過ごせなかったよ」

 魔法使いは決して好かれない。最初からわかっている。

 魔法で人を助けて好かれるなんて、ただの夢だ。

 レブラスはサフィアの肩を叩いた。

「襲われている女性を助けることは、正しいことだと思う」

「びっくりはしたけどね」

 ルイもサフィアの行いを怒ったりしなかった。仲間たちのこういう態度が、いつもサフィアに勇気をくれる。

 サフィアは許してくれる二人の顔を見つめた。

「急いで礼拝堂に行かないと。子供たちを奴隷商人に売ってる職員が本当にいるみたい」

「よし、行くぞ」

 レブラスの言葉に頷き、扉を閉めてからルイとともに彼の後ろを追った。

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