第15話 聖騎士

 その剣は国の至宝とされていた。

 邪と魔を祓い、光り輝く神聖なる剣――それが聖剣だった。

 聖剣を頂に置く騎士団は、国が興ったときから存在する由緒ある軍隊で、王城と王族を守り、戦争では精鋭部隊として活躍した。

 近代になって創立された国内の治安維持を目的とする警察とは、創立も意義も異なる存在だ。

 騎士になるには貴族の子弟でなければならないし、戦争で戦いに出る騎士たちは、自分たちこそ国を守るべき存在であるという誇りを持つ者が多かった。

 聖剣は、騎士たちの憧れの的だった。

 邪と魔を祓う聖剣は、どんなものでも斬れる破邪と正義の象徴。故に、聖剣を扱う者は正義と誠実と清廉さを心に持っていなければならない。

 聖剣はそうした心を持つ者のみを己の主として認めるのだ。

 聖剣から認められた者ではないと、剣を鞘から引き抜くことはできないし、そうした心持ちの者でなくては、聖剣は何も斬ることができないという。

 聖剣を扱える者だけが、国の最高位の騎士――聖騎士になれる。

 何でも斬れる国の至宝と、最高位の騎士という絶大な権威。

 それを狙って多くの騎士が聖剣を引き抜こうと試みた。しかし何十年もの間聖剣を扱える者はおらず、聖騎士は空位のままだった。夢を見る多くの騎士が聖剣を抜こうとして抜けず、夢破れることが当たり前になっていた。

 そうした状況の中、聖剣が引き抜かれたのは二年前だった。

 従騎士になったばかりの、まだ十二歳の伯爵子息が聖剣を抜こうと試みた。周りの騎士は、まだ従騎士の子供に聖剣が抜けるはずがないと、挑戦する少年を嘲笑った。

 少年はいとも簡単に、普通の剣をそうするように聖剣を鞘から抜き放った。破邪の力の証である青緑の光を帯びた美しい刀身は、従騎士の少年の前に晒された。

 それを見て、周りの騎士たちは肝を潰した。

 王都はにわかに騒がしくなった。

 数十年ぶりに聖剣を引き抜いた清廉な勇士が出現したという事実に、人々は沸いた。

 王は喜び、すぐにその従騎士を聖騎士の位に叙任した。そして伯爵家当主としても認め、騎士団の全権を委ねた。

 ただし年少であることから、経験豊富で老練な騎士が後見についた。

 聖騎士を輩出した伯爵家も、そして聖騎士になった少年自身も、そのことを素直に喜んだ。憧れの騎士どころか、聖剣に認められる最高の騎士になったことは少年の誇りになった。

 その様子を面白くなさそうに陰から見ていたのは、聖剣を引き抜けなかった他の騎士たちだった。

 あの頃のことを、レブラス・スペンサーはやるせない気持ちで思い返す。

 従騎士だった自分が、突然聖騎士になった。

 王も、家族もみんな涙を浮かべて喜んでくれた。

 嬉しくて、誇らしくて、あのときほど晴れ晴れとした気持ちになったことはない。伝統的な、淡い青の制服に袖を通したとき、そしてその身を鏡に映したときの誇らしい気持ちを、レブラスは生涯忘れない。

 しかし、騎士団の全権を持ったレブラスに待っていたのは、誇り高い騎士の使命と仕事ではなかった。

 聖騎士は、国内で様々な特例を認められている。政治に口出しはできないが軍務の最高責任者でもある。

 後見人がいて、軍務についてはほとんどその後見人が采配しているとはいっても、その事実は変わらない。

 十二歳のレブラスが背負う重責を利用しようとする大人も、妬み疎み失脚を狙う大人も大勢いた。レブラスがいたのは、王都の最深部。陰謀と策謀と政争とが渦巻く王宮内なのだ。

 曲がったことが嫌いで、正義感の強いレブラスは、そこで大人たちに利用され続け、摩耗して、最後には捨てられた。

 今でも忘れられない。

 レブラスが持っている正義感は、公明正大さは、真っ直ぐさは、大人の世界ではただ邪魔なものとして扱われること。

 周囲の騎士から妬まれ、疎まれたこと。大人たちが、利益を得るため自分を利用しようと近づいてきたこと。信頼していた大人たちに裏切られたこと。そして利益を得、気に食わない者を潰すために力を尽くす大人の世界に失望したこと。

 そうして孤立したレブラスは、レブラスを疎む者たちから王国簒奪の濡れ衣を着せられ、王からも信頼を失った。

 それでもレブラスは、誠実さは人の心に届くと信じていた。

 真実を訴えれば、誠心を尽くせば、証なき濡れ衣を晴らせると本気で思っていた。

 だから王の前で嫌疑を晴らすために潔く出頭しようとした。

 それは無駄だと、レブラスの両親は言った。

 そして逃げろ、と。

 元騎士の父は、老いてなお現役のときと変わらない、自他ともに厳しい態度でレブラスと向き合った。厳しさと優しさを持つ、レブラスが尊敬する騎士は言った。

「この世では、真実が正義となるわけではないのだ。そして誠心と正義とは、心根の腐った者には最も通じにくいものなのだ。レブラス、いや〈聖騎士〉よ。その腰の剣に恥じぬように生きよ。地べたを這い、手を血で汚しても、お前は己の信じる道を行け。聖剣が光を失わぬ限り、お前はこの国の範たる立派な騎士だ」

 そして父は、レブラスを聖剣とともに逃がした。

 周囲の者に利用された挙句に処刑されれば、騎士レブラスの名は地に堕ちる。そして汚名を雪ぐことは、死んでしまっては絶対にできない。手を汚し、剣を振るうことを恐れるなと、自分の正義を貫くために生きよと、父はそう言ったのだ。

 レブラスは大事な騎士の制服と帽子を身に着け、聖剣を腰に差し、そして王都を出奔した。

 そしてそれは、王都に残った両親、そして親族一同がレブラスのかわりに処刑されることを意味していた。

 それでも、後ろを振り向くことはしなかった。

 王都からの追手はレブラスをしつこく追ってきた。十二歳の、騎士の格好をした少年は目立ったからだ。

 何があっても、自分の正義を貫く。そのために生きる。

 そしてレブラスは逃げるために、追手のすべてを斬った。

 地を這い、両手を血で汚したその道の先に、己の信じる正義はあるのか。ただ命を受けた追手の騎士を殺すことは、レブラスの目指した騎士の姿なのか。

 結局レブラスは、王国簒奪を謀り、聖剣を盗んで逃げた犯罪者になった。

 理想を失い、道を失い、正義を見失った。

 こんな自分はまだ〈聖騎士〉なのか。

 聖剣はまだレブラスを主と認めるように、今も鞘からするりと抜ける。聖剣が纏う正義の光は消えない。

 物言わぬ剣は、レブラスの罪や進む道も問わない。

 ただレブラスの心根に添い、堅牢な石もどんな命も、一刀のうちに斬り捨てる。

 どうすることが騎士であるのか、何を守ることが正義であるのか、どう行動することが誠心を示すことなのか。

 十四歳になってもわからない。ルペシュールの面々と出会い、悪人だと思った者を何人斬ったところで、レブラスは何も変わっていない。

 目の前の困っている人を見捨てられない。悪人を許せない。

 しかし心に正直に生きて、悪人を斬り続けても、自分の罪が増えるだけだった。

 聖騎士。罪人。人殺し。ルペシュールのメンバー。正義のヒーロー。色々な自分になったし、そのすべてが自分自身ではあるのだけれど。

 自分は一体何を求めているのか。

 レブラスの目指す道は、未だわからないままだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る