第16話 十字架の下の戦い

 細長い廊下が伸びている。

 レブラスは腰の剣に手をかけながら、廊下の先の気配を探る。静まり返った夜の気配。人気はなさそうだ。

 後ろの二人に目配せする。三人で廊下の先へ進んだ。窓から差し込む月光が、礼拝堂への道を等間隔に照らしている。

 闇の中をひた進む。

 廊下の先から光が漏れている。レブラスは目を細めた。

 木製の大きな観音扉が薄く開いていて、そこから光が漏れているのだ。

 この先が礼拝堂だ。レブラスが剣の柄を握りしめながら扉に背を張りつけ、中の様子を窺った。サフィアもルイと一緒にレブラスの傍で耳をそばだてた。

 人の気配はない。早く子供を助けよう。レブラスは扉を静かに押し開けた。扉が軋む音が少しだけ響く。

 礼拝堂には、真っ白な月光が降り注いでいた。

 大きな広間に十字架。そして孤児院の人々が礼拝するための長椅子がいくつも並べられていた。十字架の背後には大きな窓がある。月の光はそこから差し込んでいるらしい。

 燦と降る清らかな白い光は、厳かな冷たい空気となって礼拝堂に降り注いでいる。この光に触れると、ここで攫った子供を売買していることがすべて嘘のように感じられる。そう思えるくらい、礼拝堂は神聖な息吹に満ちていた。

「早く子供を捜そう」

 レブラスは振り返りながら呟いた。

 堂内に入ってきたサフィアとルイが頷く。アシルは礼拝堂の奥の部屋に子供が監禁されていると言った。まず礼拝堂から続く小部屋を探す必要がある。

「レブラス」

 サフィアが一点を指差す。礼拝堂の、入口から見て左奥に目立たないように木造の扉があった。

 扉のノブを引っ張ってみても開かない。鍵がかかっているのだ。ルイが早速鍵開けを試みた。ルイは緊張した様子もなく、冷静に鍵と向き合っている。

 元々は生きていくために何度も修羅場を潜っていた盗人だ。

 盗みをする孤児や浮浪児は何人もいるが、ルイほど場数を踏んでいる子供は少ないかもしれない。そう考えると、ルイはプレッシャーに対してけっこう度胸のある行動ができるのかもしれない。今までバックアップが多かったから、ルイの仕事をこうやって観察するのもほぼ初めてな気がする。

「開いたよ」

 ルイがやりきった顔でレブラスを見上げた。

「助かる」

 レブラスは前に出て扉を開けた。闇に沈む部屋の奥に、月の光が差し込む。中は倉庫のようになっているのか、木箱や布包みなどが積まれていた。

 部屋の真ん中に大きな箱が置いてあった。箱というより、大きな生き物を入れておく檻のようだった。一面だけ鉄格子になっている。

 レブラスはその大きな檻に近づいた。暗さに目が慣れる。

 生気の抜けた顔をした子供がひとり、檻の真ん中にぺたりと座り込んでいる。まだ十歳前後くらいだ。子供はぼんやりとした眼差しで、覗き込むレブラスを見返した。

 服は襤褸というほどではない。町を歩いている普通の子供と変わりない。この子が攫われた子供なのだろう。

「この子、何だか元気ないね」

 サフィアがレブラスの斜め後ろから檻を覗き込んだ。

「まともなものを食べさせられていないのかもな。こんな暗い場所で監禁されて精神がおかしくなっているのかも」

 もしくは、変な薬か麻薬でも投与されて外界からの反応に鈍くなっているという可能性もある。子供に麻薬を与えるなんて、泣く赤子を黙らせるために酒を飲ませることよりおぞましい。

 レブラスは腰の聖剣を抜き放ち、檻の扉に巻きついている鎖と南京錠を斬った。どんなに頑丈なものだろうと、聖剣には斬れないものはない。鍵が壊れ、扉がすんなり開いた。

「さあ、出ておいで」

 レブラスは剣を収めてから檻の中の子供に手を伸ばす。

 子供はレブラスを認識しているみたいだが、まるで反応を見せない。腕の服を軽く引っ張ってみるが、子供はレブラスの言動を無視するかのようにただレブラスを見返している。

 仕方なく、子供を抱えて檻から出してやる。子供はかなり軽かった。食べ物をあまり与えられていないのだろう。

 檻から出すとサフィアが子供の隣に屈んだ。

「病気とか怪我とかはなさそうだけれど、様子が変ね」

 月の光を目にした子供は、少し目の焦点が合った。そのままサフィアを見上げる。

「立てる? さあ、お母さんとお父さんのところに帰ろうね」

 サフィアは子供に笑いかけ、子供の手を掴んでゆっくり立ち上がった。子供もサフィアに倣うようによろよろと立ち上がった。これなら何とか外に連れ出せそうだ。

「オレ、先に裏口の方に行ってるよ。ついでに誰もいないか確認してくる」

 ルイもほっとした表情で、礼拝堂の入口へ指を差した。

「助かるよ。ありがとうな、ルイ」

 レブラスの言葉に、ルイは嬉しそうに笑った。

 ルイが駆け出そうと部屋の入口に立って、ぴたりと止まった。すぐに引き返してくる。ただならぬルイの様子にレブラスは表情が強張るのを感じた。

「人が来た」

 短く呟いて後ろへ下がるルイ。サフィアは緊張に身を固くし、子供を抱きしめながら部屋の端へ移動した。ルイも一緒に物陰に隠れた。レブラスは瞬時に入口の脇に背を張りつけ、外の様子を窺う。自然と剣の柄を握る。

 全員の間に緊張が走った。

 張りつめた緊張は沈黙となってメンバーの間を流れる。

 白と黒の制服を着た二人の男が礼拝堂の真ん中の通路を歩いてくるのが、月光でよく見えた。まずい。ここの職員だ。今は隠密にことを運ばなければならないのに。

 礼拝堂からひっそりと言い交す声が漏れ聞こえてくる。

「……あの子は……、……渡しが……」

「……それに、……値…………」

 レブラスの心臓が大きく鳴る。

 これは児童売買の話ではないのか。

 サフィアの方を振り返る。耳のいい彼女にはちゃんと聞こえたのか、唇を動かした。――きょうはんしゃ、と。

 レブラスは、本当は信じたくなかった。孤児を保護して面倒を見ている子供を守るべき孤児院の職員が、子供を商売の道具にして暴利を貪っているなど。けれどここに来て、疑念は晴れるどころか罪の証が出てくるばかり。

 許せない。何の罪もない、関係ない子供を自分の利益のためだけに利用する奴らが。

 レブラスは〈聖騎士〉だ。

 自分の誇りとこの聖剣にかけて、目の前で虐げられている者を見捨てはしないし、虐げる者を許しはしない。

 意味のない人殺しは嫌いだ。だが斬る理由が明らかなとき、レブラスは迷わない。斬る覚悟だけを持っていく。

「お前たちはここで隠れてろよ」

 レブラスはサフィアたちにそう言い置き、礼拝堂にいる男たちを睨みつけた。そして青緑色に輝く剣を抜き放ち、礼拝堂へと躍り出ていった。

 月光が降り注ぐ青い礼拝堂内を二人の職員が歩いている。

 こんな静謐な光を浴びても、脂ぎった浅黒い肌をした男たちの下品さは清められない。男たちは突如小部屋から現れたレブラスを見て目を剥いている。

「お、お前、どこから?」

 レブラスは剣を抜いたまま相手を睨みつける。

「そんなことはどうでもいい。ここに子供を隠していたのはお前たちだな?」

 レブラスのいう子供が攫った子供を指し示していると、男たちは瞬時に理解したようだ。男たちは顔色を変えた。ひとりが懐から拳銃を取り出し、言葉をぼそりと吐き捨てる。

「どうやってこのことを……。この野郎、生きて帰さねえぞ」

 レブラスはそれを聞いて口元だけで暗く笑った。

「……行くぞ、相棒」

 構えた聖剣が、月の光よりも澄んだ青白い光を帯びた。

 レブラスを主と認める、正義を執行する光だ。

 ひとりが銃をこちらに向ける。銃口を向けて引き金を引くだけのつまらない武器だ。

 銃弾の発射速度は早いが、見切れないほどではない。

 男の指が引き金にかかる。指の僅かな動きと銃声が重なる。

 真正面に飛んでくる銃弾へ剣を振るった。

 斬った。手応えはある。後ろで床に何かがめり込んだ音がした。銃弾の欠片が落ちた音だろう。

 男が引き金に手をかけ直す。これ以上撃たれたら音で誰かが気づきかねない。

 レブラスは身を低くして相手の懐に飛び込んだ。腕を振り上げる。銃に剣の刃が食い込んだ。

 真っ二つに斬った銃が地面に転がった。

 銃を持っていた男は尻餅をつく。見守っていたもうひとりが慌てて逃げ出そうとした。

 逃がして誰か呼ばれるのは面倒だ。レブラスは逃げた方を追った。無闇に殺すのは嫌いだが、すべきことのためなら手を汚すことは厭わない。

 レブラスは逃げた男の背に聖剣を振った。

 背から噴き出した血が、地面に飛び散る。前のめりに倒れ込んだ男は、そのまま動かなくなった。

 レブラスは呆然と座り込んでいる男の前に立った。

 男はこれでもかというほど目を見開き、レブラスを見上げて傍目からでもわかるほど震えていた。

 レブラスが男の胸に突き立てた剣を、男はゆっくりと見下ろし、仰向けに倒れて血溜まりを広げた。

 すべては子供を守るという正義のため。

 レブラスは聖剣の血を払い、隠れているルイたちの方に声をかけた。

「もう出てきて大丈夫――」

 そう言ったとき、レブラスの後方で人が動く気配がした。

 反射的に振り返る。銃口がこちらを向いていた。

 レブラスは横へ飛び込む。発砲音が同時に轟いた。

 倒れ込みながらも起き上がり、片膝をついた状態で剣を構えて次の銃撃に備える。

 銃弾はレブラスのいた場所へ撃ち込まれていた。気づくのが少しでも遅れていたら撃たれていた。

 礼拝堂の入口に年輩の男が立っていた。

 彼は先ほど、女性職員と言い争いをしてサフィアに眠らされたにされた男だ。もう目が覚めたのか。

 髭を生やし、皴の刻まれた顔と佇まいには貫禄のようなものがある。制服も他の職員より立派そうだ。

「まったく、妙な小娘がいたから驚いたが、まさか他にも侵入者がいたとはな」

 小娘とはサフィアのことか。この男が児童売買に関わっているのは女性職員との会話からも窺える。侵入者に気づいて子供を隠している礼拝堂まで様子を見に来たといったところだろう。

 侵入に気づかれたとなれば、この男も殺すしかない。

 レブラスは身を低くしたまま、男の隙を窺う。が、男はこちらに銃口を定めたまま撃とうとしない。

 次に撃たせるわけにはいかない。さすがに発砲音が何度も響けば他の者に気づかれてしまう。

 どう動くか思案していると、屋内なのに霧のような吹雪が唐突に吹き荒れた。

「な、何だ!」

 サフィアの援護だ。新手が来たのを見かねて手助けしてくれたのだ。吹雪に身を隠し、レブラスは地を蹴った。

 男の居場所もこちらからは見えないが、うっすら黒い影が浮かび上がっているのが見えた。レブラスは回り込む。

 肉薄すると男の輪郭がはっきりした。レブラスの接近に驚いている男の心臓に聖剣を突き立てた。

 人の肉を剣で突く手応えが確かにある。肉を食い破る感覚と、胸の肉が剣を圧迫する感覚。

 男の呻き声がする。地面に血が滴る。剣を更に深く食い込ませると、男は苦しげに口から血泡を吐いてその場に崩れ落ちた。剣を男から抜き取り、血を払う。

 吹雪が止んだ。サフィアとルイが顔を覗かせてこちらに手を振っている。レブラスはそれに手を振り返した。

 胸元に名札がついていた。

 「アンフェル院長」とある。

 子供を平然と売り飛ばし、人に銃を向け、女性に乱暴しようとしていたのがここの院長だったとはレブラスも思わなかった。だが、これで院長をはじめ何人もの人間が児童売買に関与していることが知れた。

 これから孤児院がどうなってしまうのか、そのことが少し思いやられた。

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