第20話 四人は

 今のところ、アジトが割れている様子はないらしい。

 警察がルペシュールを追うなら、闇雲に捜査するより捕まえたルイに仲間の居場所を吐かせる方が楽だし、確実だ。

 ただ、ルイは一番年少ながらメンバーの中で一番大人を憎んでいるといってもいい。メンバーを兄姉のように慕う素直で純朴な性格の中に、大人への激情を燻らせている。

 だから警察から何か訊かれても、自分の意地とメンバーのために、絶対に口を割ることはしないだろう。

 問題は、拷問や薬などで無理やり吐かされた場合だ。

 そのときはルイの身も危ういし、このアジトにも警察が大勢雪崩れ込んでくるとみて間違いない。

 いかにこちらに魔法使いが二人いて、戦闘の達人が二人いるとしても、多勢に無勢では勝てる見込みは少ない。

 ミシェルは打ちつけた窓の隙間から外を窺っていた。

 有事のために外から中は見られないようにしているのだが、今のところ入口に面した裏通りは静かだ。

 後ろを振り返ると、アシルもサフィアもレブラスも消沈していた。項垂れるようにして椅子に座り込んでいる。

 誰も何も言わなかった。

 各々水だけ飲んだが、それ以降身じろぎひとつしていない。

 昨夜遅く、四人で何とかアジトまで帰ってこられた。アシルがずっと尾行を警戒していたから、アジトの位置を探られてはいないだろう。

 帰ると、アシルはアジトの入口でほぼ寝ずの番をして備えていた。他の三人はテーブルで向かい合いながらも何も喋らず、各々で仮眠を取ったりして夜を過ごした。

 ミシェルもレブラスの肩の傷の手当てをした以外は、ほとんど動いていない。

 朝になってからも会話はなかった。

 偶然居合わせた〈黒猫〉から逃げることしかできず、仕事も失敗。大事な、それも一番小さな仲間を警察に奪われた。

 大失態だった。

 警察署に連れていかれたルイをどうやって助ければいいのか、まだ方策は立てられていない。

 フロッセの警察署は、凶悪犯ばかりに目を光らせる好戦的な警官ばかりだし、敷地が広い。侵入者や脱走者にはかなり厳しいだろう。銃を持った大勢の警官がいる敵の本拠地にルイを助けに行くのは、正直無謀でしかない。

 どうすればいい。こんなときこそ、年長で頭脳的に頼られるミシェルがしっかりしなければならないのに。

「くそっ!」

 アシルがテーブルを乱暴に叩き、椅子を鳴らして立ち上がった。ミシェルは振り返り、アシルの前に立ちはだかった。

「どこへ行く気だ?」

「決まってんだろ! ルイを助けに行くんだよ!」

「冷静になれ! ひとりで闇雲に警察署へ行っても無駄だ」

「無駄だと!」

 アシルの両手がミシェルの胸倉を掴み上げる。

「こうしている間にもルイは青服どもに何されてるか……。奴らは犯罪者を人扱いしない。暴力や拷問のせいで死ぬかもしれないし、子供だから奴隷として売られるかもしれないんだ。早く助けないと!」

「だからこそ……!」

 呼吸が苦しい。ミシェルはアシルの手を掴んで襟元を緩め、声を絞り出した。

「だからこそ冷静になれ! ひとりで警察署に行ってルイを助けられると思ってるのか? 〈黒猫〉もいるんだぞ。お前まで捕まったら、誰がルイを助けるんだ! 警察署に行ってルイを助けるには全員の力がいるんだ!」

 アシルは苦渋を飲み込んだような苦々しい顔で歯を食いしばった。それからミシェルを掴む手を離した。

「……わかってるよ。でも、心配、なんだ」

 アシルは自分の両の手のひらへ視線を落とした。

「だって、人間は簡単に死ぬんだぞ! 喉、胸、脇腹、頭。急所があんなにあるんだ! オレが殺してきた奴らみたいに、あいつが死んだら……!」

 アシルの顔色がさっと青くなった。

 その赤い瞳が、驚愕と絶望と悔恨とで見開かれた。

「オレが、今まで、殺してきたのは……?」

 アシルは片手で顔を覆うようにして、ふらりと揺れたかと思うと、そのまま外へと向かっていってしまった。

 サフィアとレブラスが、アシルが消えた方角を心配そうに見つめていた。

 自覚してしまったのだろうか。

 今まで自分が罪の意識もなしに奪ってきたものが、一体何なのかを。

 アシルは今まで、ターゲットも仕事の邪魔になるものも、罪悪感も持たずにひたすら仕留めてきた。

 アシルにとって大人は悪人で、暗殺すべきものとしてしか見ていなかった。しかし、今ルイが命の危険と隣り合わせになっていることで、自分がしてきたことがどういうことだったのかを実感してしまったのに違いない。

 サフィアが急に立ち上がった。

「サフィア?」

「ルイのこと、助けに行かなきゃね。あたし、そのためならこの力で人を傷つけても構わない。もう、そんなことにこだわらないよ」

 今まで魔法で人を傷つけることを控えてきたサフィアが、決意の篭った声で告げる。

 サフィアは、魔法で相手を怯ませたり気絶させたりすることは何度もしてきた。しかし怪我をさせたことはない。絶対に人を傷つけないようにしてきたし、ミシェルたちもサフィアには手を汚させないように苦心してきた。

 普段も、できるだけ穏便にことを運ばせようとするところがある。彼女がその一線を振り切ろうとしているということは、余程思いつめているということだ。

 ミシェルはサフィアの肩を掴んだ。

「落ち着け、サフィア。魔法で思いきり人を傷つけてしまったら、お前まで後戻りできない犯罪者になる」

 サフィアには、ミシェルのような、魔法で人を傷つけた過去など負わせたくない。

しかしサフィアは凄まじい形相でミシェルを睨み上げた。

「だったら……!」

 その瞳から涙が零れていた。

「警察なんてみんな犯罪者じゃない! 孤児のルイを捕まえた! 何もしてない父さんと母さんを殺した! あたしを〈魔女〉だと呼んだあいつらは何だっていうの! 奴ら人間がどうなろうが、もう知ったことじゃない! 人間どもがあたしたちを根絶やしにするというのなら、あたしももう容赦しない!」

 サフィアは頬を濡らしながら激しい憎悪を込めて叫ぶと、そして階下へ行ってしまった。

 レブラスは痛ましげな顔をしてサフィアが行ってしまった階段を見つめていた。

 サフィアは、一度も犯罪に手を染めていない。

 ルペシュールの中で、元々唯一手を汚していなかった。

 ただ本物の魔法使いだというだけで、ずっと命を狙われて、逃げて、日陰で生きてきたのだ。

 サフィアは、魔法の力で人の役に立つことを夢見ていた優しい少女だ。魔法の力を持つ者たちへの迫害によってどれだけ傷ついても、弱い人たちを助けるためにルペシュールに入り、そのためだけに力を使ってきた。

 けれどどれだけ人を助けても、魔法使いを見る目が変わるわけではない。町の人が魔法使いのサフィアに心を開いてくれるわけでもない。

 表に出さずとも、理想と現実のギャップにサフィアはずっと悩んでいたのだと思う。

 簡単に魔法使いが人々に受け入れられるようになるとは、ミシェルは微塵も思っていなかった。

 それほど現実は優しくない。けれどサフィアの夢を馬鹿馬鹿しいとは一度も思わなかった。

 諦めてしまったのだろうか。

 今のこの世の中で、魔法で人の役に立って、魔法使いが受け入れられるような世の中になることなど、決してないのだと。

 しばらくミシェルもレブラスも口を開かず、重たい沈黙が暗い部屋を満たしていた。

「……正義って、何なんだろう」

 突然、レブラスが重々しくぽつりと漏らした。

「みんな許せないものがあって、ずっと戦ってきたのに……。こうなった以上、オレたちがやってきたことはみんな、無駄になる。何もできないまま、オレは……」

 レブラスはずっとかぶっていた軍帽を掴んでずるずると引き摺るようにして脱いだ。

 そしてフロックコートを脱いで、帽子と一緒に椅子の上に置いて立ち上がった。腰のベルトに聖剣は吊ったままだ。いつも外出するように、剣を布で巻いて隠した。

「お前までどこに行くんだ!」

「……少し、ひとりで考えたいんだ」

 レブラスはそう言うととぼとぼとアジトを出ていった。

 ミシェルは、たったひとりになったアジトで、ひとり立ち尽くしていた。

 両手を握りしめる。

 どれだけ強く握っても、手は痛くならない。ミシェルは力が弱い。どれだけがんばっても誰かに勝てた試しがない。

 どうしていつも、こんなに無力なのだろう。

 ミシェルが馬鹿な計画なんて立てなければ、孤児院なんかに行かなければ、〈黒猫〉と戦ったとき、もっと冷静に場を見て全員を逃がすことができたら。

「くそ!」

 テーブルを拳で叩いた。拳の方がずっと痛い。

 ミシェルは眼鏡を外して、椅子に座り直した。

 こんなに弱い自分が、人助けのためにルペシュールを引っ張っていくなんて、やっぱり無理だったのだろうか。

 ミシェルはテーブルに突っ伏した。

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