第19話 黒猫
静かになった。レブラスが「今度こそもう大丈夫だ」と声をかけてきたのでルイは小部屋から礼拝堂へと出た。
レブラスが殺した孤児院の院長と、職員二人の死体が礼拝堂に転がっている。
レブラスの聖剣が血を滴らせながら淡く光を放っていた。
血を流しているのに青緑色の刀身はとてもきれいで、レブラスが行った所業とあまりにそぐわない。
サフィアは奥で子供を連れ出しているところだろう。
ルイも当初の目的のとおり、退路を確保しようと思った。そのことをレブラスに話してから行こう。
そのとき、礼拝堂の端の方にあった扉が開け放たれた。
「フロッセ市警です! 全員その場で両手を上げて止まりなさい!」
銃を持った男二人が突入してきた。
――警察!
ルイの身体が瞬時に固まる。
礼拝堂の大きな窓から降り注ぐ月光が、血塗れの剣を持つレブラスを照らし出している。
レブラスは剣を手にしたまま動かず、静かに銃口を向ける警官たちに向き直る。
入ってきた警察は二人のようだ。
「さあ、武器を捨てて両手を上げて!」
黒いフードをかぶった小柄な男が銃をレブラスに向ける。
「ルイ、サフィアと先に逃げろ。ここはオレが食い止める」
「でも、レブラスは?」
「警察の銃ごときで、オレは殺せない」
レブラスは聖剣の切っ先を警官たちに向けた。
心配だったけれど、ルイはレブラスがどれくらい強いか知っている。頷いて、ルイはサフィアの元へ走った。
背後で発砲音が響いた。思いきり身体が縮まるような気持ちがした。けれど止まらずに走った。銃弾はルイに当たらなかった。きっとレブラスが斬ったのだ。
ルイはサフィアの元へ向かった。奥の部屋で、サフィアが子供を支えるようにして立っていた。
「サフィア、レブラスが食い止めてるから早く逃げよう」
サフィアは泣きそうな顔になった。そしてようやく立っているだけの子供を見下ろした。
「警察がいる中で、子供を連れて逃げるなんて無茶よ」
でも子供を置いて逃げるわけにもいかない。
「……警察だったら、親のいる子供をちゃんと保護してくれるよね。失踪事件の被害者だもの。孤児みたいにひどい扱い、しないよね?」
警察が子供をどう扱うのか、ルイには答えられない。
警察は捕まえた孤児を牢に入れる。
そしてその孤児は永遠に警察署から出ないといわれている。
だから捕まえた孤児はどこかへこっそり護送されるか、売り飛ばされているなんて噂が囁かれていた。
とにかく、警察がルペシュールの正体に気づいて手配されてはまずいことになる。何とか正体を隠しながらここから逃げないといけない。そのことをサフィアに伝える。
「逃げるなら、あたしに任せて」
サフィアは手のひらを宙に浮かべ、手のひらに息を吹きかけた。サフィアの手のひらから白い雪が、冷たい風と一緒に吹き始めた。それらは一気に礼拝堂の中へ広がっていく。
礼拝堂は白い霧に包まれるように雪が吹き荒れた。
さっきレブラスを助けたときにも出した吹雪だ。ほとんど前が見えなくなる。
「うわ、雪……っ?」
警官のひとりが明らかにたじろいでいる声がする。サフィアはこんな中でもきっと進む方向がわかるはずだ。
ルイは先へ進み始めたサフィアの後ろに続く。
「そこから動くな!」
鋭い制止と同時に銃弾がすぐ傍に飛んできた。
「きゃっ!」
サフィアが短い悲鳴とともに止まった。こんな吹雪の中でどうやって動いているルイたちを見つけたのだろう。
サフィアの集中が途切れたためか、吹雪が一瞬で止んだ。視界が拓ける。
レブラスが黒いフードの警官に距離を詰め、剣を振るう。
よく見たら、相手の警官の制服も青ではなく黒だ。
黒服は剣の間合いからギリギリ逃れ、銃を撃つ。至近距離の発砲だった。
レブラスは反応した。聖剣を翻し、銃弾を斬り捨てる。そのままレブラスは踏み出し、剣を振るった。黒服がナイフで剣を受け止めていた。
聖剣は何でも斬れる。だから斬るものはレブラスの意思で細かくコントロールしているらしい。
突如出現したナイフにレブラスは反応していなかったから、剣を受け止められてしまったのだろう。
「その剣、まさか……!」
黒服が目を見開く。
黒服は突然身を逸らし、ナイフを捨てた。
レブラスの剣が、黒服のいた場所を斬る。黒服の持っていたナイフは聖剣で真っ二つになっていた。
レブラスは視線を黒服に定めたまま、剣を翻す。
黒服は銃口をレブラスの足元に落とす。
銃口の移動に気づいたレブラスは前へと跳び込み、そのまま黒服へ向かって走る。
黒服もレブラスを逃すまいと銃を撃った。が、発砲を予期したレブラスが駆け抜けたので、銃弾は地面を穿っただけだった。
「ロビン殿!」
もうひとりの警官がレブラスに発砲する。レブラスは銃弾をすべて斬って捨てた。銃を持った警官二人を相手にできるなんて、やっぱりレブラスは強い。
そう思って黒服へ視線を移す。ルイはぎょっとした。
黒服はこの隙に銃のリロードを済ませていた。
そういえば、拳銃は何発か弾込めをして撃つのだ。
レブラス相手に圧倒的に隙が生まれる銃のリロードを助けるために、もうひとりの警官が割って入ってきたのだ。
黒服が拳銃をレブラスに構え直す。
レブラスは剣を構え、黒服と向き直る。
「……お前が〈黒猫〉か」
あれが、王都から来た警官〈黒猫〉だったのか。
「ええ、そう呼ばれています。それより、抵抗は止めて武器を捨てなさい。事情聴取はしますが手荒な真似はしません。大人しくしてもらいましょう」
「――それは嘘だな」
突然、警官二人を囲うように炎の壁が現れた。
炎熱を吹き上げながら、二人を炎が閉じ込める。
「お前は先程その剣を見て、剣とそいつの正体に勘づいた。ならば事情聴取で済むわけがない。逮捕するためなら嘘も吐くか、〈黒猫〉」
この炎と声は、きっとミシェルだ。
「なっ……! これはまさか、魔法……!」
「あまり喋ると喉が焼けるぞ、山猫ども」
轟然と燃え上がる炎の勢いが強まる。ただ、炎は警官を囲いこそすれ、その矛先を中の警官や周囲に及ぼすことはしないようだ。
教会の入口に手のひらを翳すミシェルの姿があった。アシルも一緒だ。
「出るぞ! 早く来い!」
ミシェルの号令でルイもサフィアもレブラスも出口めがけて駆け出した。助かった。どうにか無事に脱出できそうだ。
礼拝堂の出入口にさっきまでいたアシルがいない。
多分脱出ルートを確保しに行ったのだろう。サフィアとルイが出入り口に到達する。レブラスは警官たちを警戒して、剣を抜き放ったままミシェルと並んだ。
「悪いな」
「今はとにかく逃げられればいい」
二人で短いやり取りをする。
ルイも思わず止まった。二人を置いて先に行くのは気が引ける。レブラスはミシェルと並んだままだ。
「ミシェル、早く外へ」
「炎の制御をしたままでは動けない。魔法を解いた瞬間に走るぞ」
猛然と盛る炎の熱がこちらにまで迫る。明々と眩しく、頬が熱い。ミシェルが「三……、二……、一……」と合図を三人にしか聞こえない声でカウントする。
「今だ!」
ミシェルの炎がふっと消えた瞬間に三人が一斉に礼拝堂の出口へ駆け出す。多分、突然のことで黒猫たちはルイたちが逃げたことに反応が遅れるはずだ。
ルイの黒いマントが後ろへ引っ張られる。
振り返ると、マントを縫いつけるように壁にナイフが刺さっていた。あと少しで逃げられたのに。
素早く駆けてきた黒猫に、ルイはすぐ捕まってしまった。
逃げようと思っても腕を捻り上げられて動けなかった。
「ルイ!」
逃げるために走っていたレブラスが剣を手にこちらに駆け出そうとするが、黒猫は銃を二丁持っていた。片方をルイの頭に、もう片方をレブラスに、それぞれ銃口を定める。
「動くな! そのまま投降しなさい!」
レブラスは剣を手にしたまま固まり、顔に怒りを露にする。
「子供相手に卑怯な……!」
「ヘイゼルさん、この少年をお願いします」
黒猫がそう言うと、もうひとりのヘイゼルという警官が駆け寄ってきてルイの両腕に手錠をかける。そのまま手錠と腕を掴まれ、逃げることができない。
黒猫がルイから離れると、レブラスに二丁とも銃を向ける。
黒猫とレブラスたちの様子を、ルイは息を詰めて見つめた。ミシェルはレブラスの後ろでじっと黒猫を睨んでいる。
ミシェルの口元が動いた。その瞬間、レブラスと黒猫の周りを再び炎の壁が囲んだ。また炎で黒猫を閉じ込めるのかと思ったが、炎はすぐに消えた。
ミシェルの力はもう残っていないのだろうか。不安に思ったとき、その理由がわかった。
炎が出現して消える合間に、レブラスが姿を消していた。
炎を目くらましにしたんだと気づいたときには、一瞬のうちに距離を詰めたレブラスが黒猫の右手の銃を一丁真っ二つに斬っていた。
「しまった!」
黒猫はまったくレブラスの動きに反応できていなかった。
黒猫が左手の銃を撃つが、撃たれたレブラスは銃弾を剣で斬り捨てる。再びレブラスを炎が包んだ。
炎とともにレブラスの姿がまた消える。
黒猫は弾かれたように後ろを振り返った。
「ヘイゼルさん! 後ろ!」
ルイの腕を掴んでいたヘイゼルが後ろを振り返った。ルイもつられて後ろを見た。剣を突き出すレブラスがいた。
「ルイズ! 動くなよ!」
ルイはレブラスの叫びに身体を固くした。ルイの両腕の手錠の鎖が、レブラスの剣ですっぱり断たれる。
ヘイゼルという警官は驚いたのかルイを掴んだ手を離した。
後ろから発砲音が響く。ルイを助けようとしたレブラスの右肩から血が飛び散った。銃がレブラスに当たってしまった。
レブラスは顔を歪めて動きを止めた。
「まずい!」
反対側でミシェルの焦った声がした。
レブラスを再び炎が包んだ。
「逃がさない!」
黒猫が懐から別の銃を取り出して構える。
が、炎が掻き消えたとき、レブラスもミシェルもいなかった。礼拝堂は一転して静まり返った。
「……逃げられましたか。仕方ない」
――逃げた? 二人が?
その場から動けずにいたルイはあっさりと黒猫に再度手錠をかけられ、ヘイゼルという警官にアルヴェンナ孤児院から連れ出された。
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