番外編 第5話 湿った墓場から

 夜間の町に人の姿はほとんどなく、白い外灯が等間隔に灯っていた。

 日中は貧しさや犯罪を路地裏の暗がりに押し込めたような町だが、夜になると違う顔を見せるようになる。路地裏から闇が溢れ出すように、犯罪者たちが動き出し、薬の売人や法に触れる取引を行う商人、街娼などが通りに出てくる。

 人通りが少ない道を通って、ミシェルたちは隠れ家への道を歩いていた。

 近郊の森に薬草や食べるものを採りに行った帰りである。すっかり日が暮れたフロッセの町には、怪しげな人影が往来しているようだった。他の犯罪者たちに目をつけられないうちに隠れ家に戻らなければならない。

「不気味な町だな」

 レブラスが前を見据えつつ呟いた。

 黒い軍帽に薄青いフロックコート、腰には青緑色の細身の剣を吊っている。見る人が見れば〈聖騎士〉だとすぐにわかる恰好なのだが、レブラスは変装もしないし偽名も使わない。制服も名前もひっくるめて、騎士の誇りを大切にしているのだ。

「裏通りはもっと治安が悪いみたいだ。強盗や通り魔には気をつけねばな」

 ミシェルも前を見たまま小さく言葉を返す。

「ミシェル」

 レブラスが鋭い声とともに立ち止まった。ミシェルも気づいた。

 近くで何か音がする。ミシェルは周囲を見回す。ひんやりとした夜の町は霧でうっすらと覆われていた。

「ミシェル、あっちだ」

 レブラスが剣の柄を握りながら指を差した。隣の塀の先だ。レブラスと顔を見合わせ、ミシェルは塀に沿って歩き出す。道を折れたところに塀の入口があった。黒く細い鉄柵で門が作られているが、門は人が余裕に通れるくらい開いていた。

 柵に触れないよう、レブラスが門の中へ入る。ミシェルも続いた。

 中は外灯の明かりがほとんど届かず、宵闇の中に物の輪郭が沈んでいる。少し進むと、そこは土が剥き出しになっている墓場だとわかった。湿った土の匂いがする。

 土に石の墓標を立てたもの、盛り上げた土に十字を組んだ木の棒を突き立てたもの、様々な墓が間隔もまばらに作られていた。

 足音を殺して墓場を進む。霧の中にぼんやりとした小さな光が灯っていた。

 その方向から先ほどの音がしているようだ。等間隔なその音が何か、ミシェルにもようやくわかるようになった。

 土を掘る音だ。ざっ、ざっ、と黒い土を掘り返す音と、シャベルを動かす人影が連動して動いていた。こんな夜間に墓場で土を掘る理由は二つくらいしかない。

 ここは様々な立場の者が死者を弔っているらしい。それは形も素材もバラバラな墓を見れば想像つく。表沙汰にできない死体を人目につかない夜に埋めている者がいてもおかしくない。そこで穴を掘っているのは人殺しか、犯罪者かもしれない。

 レブラスに続いてもう少し近づいてみると、明かりの正体が見えるほどになった。二人で石の墓標の陰に隠れた。

 光源のランプの光がやけに眩しく感じられる。

 ランプを地面に置いたまま、男が墓標の前で穴を掘っている。シャベルに足をかけて土を掘り起こし、掘った土をすぐ横へ積み上げていく。

 男はひたすら土を掘り返している。積まれた土はそれなりの山を築いている。

 男の身なりは小奇麗とはほど遠い。ジャケットもズボンも薄汚れ、ズボンは裾がほつれている。ランプに照らされた男の顔には無精髭が生え、落ち窪んだような目元が疲労を感じさせた。それがなければ年相応の、若い男に見えるだろう。

 男の瞳孔が開いた。男の口から興奮したような息が漏れる。男はシャベルを投げ出し、地面に置いておいたらしき大型の金属製のフックを手にした。よく見ると地面にはロープとボロ布も置いてある。フックは掘り出した棺の蓋に引っかけてこじ開けるために使うのだろう。これを見れば、彼が何をしているかは明らかだ。

 彼がしているのは、死体盗掘だ。

 蒸気機関が発達してからというもの、あらゆる分野の技術が急激に向上し始めた。その中には医術ももちろん含まれているが、解剖実習用の検体に使用する死体が近頃不足がちであるらしい。

 そのため死んで日が浅い死体を掘り出し、医学校や解剖学者などに売るのだ。

 そうやって金を稼ぐ者もこのご時世にはいる。汚水や排泄物を流した川に入って金目の物や死体を浚う仕事があるくらいだ。どんなに残酷だろうが汚かろうが、金は無理やり作って生き抜くしかないのが現実だった。

 ミシェルだって毒や薬を、一般人だろうが犯罪者だろうが売ってきた。だから死体盗掘をしている者を見ても、ミシェルは仕方ないとしか思えない。

 隣をちらと見る。レブラスは眉間に皴を寄せ、男を睨んでいる。その目には強い怒りが宿っている。彼は曲がったことや人道に外れた行いを嫌う。だから金のために尊厳があるはずの死体をいじり回すようなことを許せない。

 だが、レブラスは正義感や綺麗ごとだけで世を渡っていけるとは思っていない。

 彼に降りかかった不条理な経験の濁流が、正義感や清廉さで鋭くなっていた圭角を削り取ってしまったのだ。だから怒っていても、あの男を止めることはしない。

 棺の蓋をこじ開けた男が大きく息を吐いた。

「よし、これで明日は何か食えそうだな」

 ランプに照らされた男の顔に笑みが浮かび、棺の中から死体を抱えてボロ布に巻き始めた。その音に混じって「うっ……」と小さく細い声が闇の中から聞こえた。

 レブラスでもミシェルでもない。まだこの墓場に誰かいるのか。

「誰だ!」

 男は素早くシャベルを拾い、それを両手で持つ。スコップの部分を上にしているのは武器にするためだ。

 しんと張りつめた空気が満ちる。

 声を上げた者は観念したのか、ミシェルたちとは別の墓の傍から出て立ち上がった。それなりに近い位置にいたのに、ミシェルたちに一切気配を気取らせなかったのか。一体何者だろう。ミシェルはその人物を注視した。

 その風貌にミシェルは内心驚き、男に至っては警戒を解いてシャベルを持った手をだらりと下げた。

「……何だ、ガキかよ」

 薄汚れたシャツにふくらはぎが見えている丈のズボン、薄い革の靴、ぼさぼさの茶髪。細すぎる四肢と小柄な体格。歳は十二前後か、もう少し幼いかもしれない。

 どこからどう見ても路地裏にいる浮浪児のひとりだろう。

 ただ、浮浪児にしては珍しい薄い革のショルダーバッグを肩にかけている。

「……あんたに訊きたいことがある」

 少年は警戒も露な、押し殺した低い声で口を開いた。

「訊きたいことだあ? オレは忙しいんだ。つまんねえ用件だったらぶっ殺すぞ」

 逆に警戒を解いた男は横柄な態度になる。

「路地裏の孤児たちに食べ物を分け与えている大人って、あんたのことだよね。肌の浅黒い、これくらいの背の子にもあげた?」

 少年はこれくらい、と背の高さを示すように手のひらを首の辺りで地面と水平にする。男はだらりと下げていた両腕を持ち上げ、シャベルの柄を握りしめた。

 あの意思と緊張にぎらついた目はまずい。少年に危害を加える気だ。

「ああ、覚えているよ! その子の友達かい? 捜しているなら案内してあげる。その子のように美味しいものをたくさんあげるよ」

 男は人攫いのような甘い言葉をぺらぺらと口にするが、少年はそれが偽りの甘言だと知っているのか、男を思いきり睨む。

「そうやって食べ物で釣った子供を連れ去って、どうするつもりなのさ」

 少年の呻くような低い声に、ミシェルは大方の事情を察した。あの男は死体盗掘だけではなく、路地裏の子供を連れ去る仕事も請け負っているらしい。あの少年は仲間を捜しに、あの男をずっと尾行していたのではないだろうか。

 男は少年が口車には乗らないと覚り、口角を引きつらせた。

「……そんなに知りたいなら身をもって教えてやる!」

 男はシャベルを振り上げた。少年へ襲いかかる気だ。

 駆け出す男と、驚いた表情の少年。ミシェルより先にレブラスが動いた。

 レブラスは聖剣を抜き、一足で前に出ると男のシャベルを二つに割った。

 突然目の前に現れたレブラスに、男も少年も驚いて口を開けている。シャベルは地面に投げ出され、男は驚いて仰け反った拍子に地面に尻餅をつく。

 レブラスは男の喉元に聖剣の切っ先を突きつけた。レブラスは少年が襲われたらすぐに出るつもりで様子を窺っていたのだろう。それがあの素早い動きに繋がったのだ。少年には怪我もない。

「なっ……!」

 口を開こうとする男の喉に、剣の切っ先が触れる。男は押し黙る。

「その子の質問に答えろ。連れ去った子供をどこに連れて行った?」

「そ、そんなこと喋ったら、オレの命が……!」

 引き渡し相手に脅されているのだろうか。確かに、後ろ盾がなく大人から無視され続けている浮浪児とはいえ、悪事に使っているのがバレればさすがに捕まる。世間の評判に大きな傷がつく。知られたくないのは当然だ。

 ずっと潜んでいたミシェルも立ち上がり、男に近づく。

「こういう相手は、訊くより喋らせる方がいい」

「どうするつもりだ?」

 レブラスは男から目を逸らさず尋ねるが、言うよりやってしまう方が手っ取り早い。ミシェルは男の後ろに回ると、鞄の中から液体の入った小瓶を取り出す。

「暴れたり大きな声は上げたりするなよ。そうすると剣が喉に刺さるぞ」

 レブラスの剣で男の動きを封じているのをいいことに、ミシェルは蓋を外した小瓶を男の口に無理やり突っ込んだ。液体を飲み込むまで小瓶をあてがう。

「な、何しやがっ……!」

 男は呻きながらもそれを飲み込むしかない。

「今のは毒だ。おおよそ二十分くらいで死ぬ。さあ、解毒薬が欲しかったら子供をどこへ連れ去ったのか、どうして連れ去ったのかを話してもらおうか」

 ミシェルが男から手を離すと、男は息も切れ切れに顔から汗を噴き出した。嘘だろうと疑ってはいるものの動揺は隠せていない。もうひと押し必要だ。

「毒が本物かどうか疑っているのなら喋らずにいるといい。二十分後にどうなるかはお前が身をもって証明するだろう。言っておくが、お前の雇い主はお前が死んでも別の者を使って子供を攫うだけだ。そんな奴に義理立てすることもあるまい。命だけは助けてやるぞ」

 ミシェルは相手の耳元で揺さぶりをかける。相手の弱みや欲しいものを握ってしまえば人は動かせる。

 ――そうだ。人間なんて、弱みさえ握れば思い通りにできる。

 ――弱さは、生きるために邪魔なものでしかない。

 レブラスが剣で生殺与奪の権利を握っているのもこちらの強みだ。

 交渉とは、話し合い、握手することではない。凶器を相手の身体に突きつけて要求を呑ませることだ。

「あ、あの、西の大通りの、フレーテス、病院……!」

「なるほど。どの医師が買っているんだ?」

「……う、あ……、べ、ベイカー……!」

「他には?」

「い、いや……、そいつしか、知らない……!」

「そうか」

 ミシェルは鞄から取り出した別の小瓶の蓋を取り、男の口元に当てる。呻くような声が漏れるが、口に注ぎ込んだ液体を飲むまで瓶をあてがった。

 男は力が抜けたようにその場に倒れた。

「お前、本当に毒薬なんて飲ませたのか?」

「最初のは人体に無害なただのハーブを煮出したもので、今のは睡眠薬だ。記憶が混濁する成分も入っている。お前の顔と剣を見られたのはまずいからな」

「だからってお前、毒じゃないってバレたらどうするつもりだったんだよ」

「人に何かを信じ込ませるのは案外簡単だ。それらしい言葉と、あとは考える時間を与えないことができればいいのだ」

 ミシェルは空の瓶を二つとも鞄に仕舞った。

 本当に、相手がミシェルの脅しを信じてくれるような小心な男でよかった。無理だったら本気で殺すつもりで脅すしかなかった。

 ミシェルだって、好きで人殺しはしない。

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