番外編 第4話 街角の隣人たち
「ね、少し肌が浅黒い、これくらいの子を知らない?」
ルイは路地裏を回って浮浪児たちにナレシュのことを尋ねて回っていた。
手のひらを地面と平行にして、大体のナレシュの背を示す。
三人の浮浪児たちは疲れ切ったようなぼんやりした目でお互いに顔を見合わせると、緩慢な動作でゆるゆると首を横に振った。
ルイはお礼を言ってその場を立ち去る。
六回路地裏にいる子たちに話しかけてはみたけど、ナレシュを見たという子はまだいない。ルイと協力するために別行動はよくするが、今回は特にその予定もないし、ひとりで何も言わずにどこかへ行ってしまうなんて初めてだった。
ルイは手を握り込む。手のひらにぎゅっと爪が食い込む痛みがした。
――何で? どうして? どこに行ったの?
ルイは泣いて叫び出したかった。突然相棒が消えたパニックと不安とでぐちゃぐちゃに混ざり合った胸の内を外に吐き出したかった。
でも、そんなことをしたって誰も助けてはくれない。
今までひとりで食い繋いできたルイは、誰かに助けられるなんて起こりえないと、痛いほどよく知っていた。盗んで、捕まって、顔を殴られ、硬い革の靴で思いきり腹を蹴られ、身体を貫くような痛みを感じるたびに、そんなことはありえないのだと思い知っていた。
ナレシュは、力のない痩せた孤児のひとり。
警察や犯罪者に目をつけられる可能性だってあるし、何かがあっても誰も気にも留めない。餓死しようが殺されようが、その辺のゴミと同じ扱いをされるだけだ。
ルイが何もしなければ、ナレシュの生存がそれだけ絶望的になる。だからルイが捜さないといけないのだ。泣いて立ち止まるわけにはいかなかい。
ルイは立ち止まりそうな足を無理やり前へ進ませた。
「なあ、お前」
ルイの前方に五人くらいの少年の集団が立ちはだかった。
身なりからして彼らも路地裏の孤児たちだろう。だが、ルイを睨むように見る目線には他の子たちにはない活力のようなものが宿っている。痩せて髪もぼさぼさで、服も表通りをギリギリ歩けるかという程度だ。
おそらく彼らはお互いに協力して盗みをしたり、何かしらの日銭稼ぎをすることで食い繋いでいる子供たちなのだ。
孤児は二通りだ。飢えてぼうっと座っているだけの子と、死んでたまるかと言わんばかりに物を盗んだり小金を稼いだりして暮らしている子だ。ルイもそうだが、彼らも後者なのだろう。
「お前さ、さっきから孤児の誰かを捜してるんだろ?」
路地裏の子供によっては、子供同士で情報を交換し合う者もいる。きっと誰かから聞いたのだ。ルイは素直に頷く。
真ん中にいるリーダー格の少年がにや、と底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「最近、路地裏で起こってること、教えてやろうか? お前の捜してる奴、それに巻き込まれたかもしれないぜ」
「なに? どういうことだよ、それ?」
ルイが一歩踏み出そうとすると、少年は「おっと」と制止するように前へ手を突き出した。
「教えてやってもいいけど、タダじゃダメだぜ」
こういうところで生き抜いている子供はしたたかで図太い。
「見返りがほしいってわけ」
「お前、最近この辺で盗みやってるルイズだろ? オレらこんだけいるからさあ、何かと食っていくのも大変なんだよ」
つまりは、ルイに五人分の食料を盗んでこいというわけか。
そんなに大量の食糧を盗んだことはない。欲を出せば捕まる危険も増える。
けれどそんなことを言っている場合ではない。
生まれて初めての相棒に、何かあったかもしれないのだ。
「日暮れにまたここに来てよ。それまでに盗ってくる。そのかわり、情報は貰う」
ルイがそう言うと、少年は「いいだろう」と返事をした。
ルイは急いで表通りへ向かう。誰彼構わず盗むより、盗めそうなターゲットを吟味した方が早そうだ。
五人分盗むとなると、店に入るより買い物袋を持った通行人を狙った方がいい。それなら、潜みながらターゲットに近づける緑地公園が狙い目だ。
路地裏から一番近い公園へルイは向かった。
フロッセは急激に石造りの立派な建物をたくさん増やしたが、その分町に残っていた緑はほとんどなくなってしまったらしい。だから市民の憩いの場として緑がある小さな公園が町のあちこちにある。天気のいい日は子供が遊んだり、大人が犬を散歩させたり本を読んだりと、人々がリラックスして過ごす場所になっている。
木や低木の陰に潜んで待てば、買い物帰りの大人を待ち伏せできる。
正午を過ぎてもなかなかよさそうなターゲットは現れない。もう少し待ってみて来なかったら別の方法を考えよう。そう思っていた矢先。
パンが覗く買い物袋を抱えた主婦らしき女が公園に入ってくるのが見えた。ルイはその女の動向を注視する。公園に入ってきたその女は園内を進み、ルイから少し離れたベンチに腰かけた。買い物袋を隣に置く。
息を吐き、女はぼんやりとした様子で前方を見たままベンチに座っている。気もそぞろで隙だらけ。このポイントで待った甲斐があった。
ルイは木の陰で笑い、女の後ろへと回り込む。木々の陰を伝うようにして進めば公園内の誰にも気づかれない。女が座っているベンチの後ろに潜む。
ベンチの背もたれと女の背中に肉薄した。
彼女は気を抜いたまま座っている。ルイは気配を殺したまま腕を伸ばした。
ベンチの背もたれと座席部分の隙間に腕を差し入れ、置いてある買い物袋を掴むと音を立てないように手元に引き寄せた。ほんの一瞬だった。
流れるような動作で手元に寄せた買い物袋にはパンやハムや野菜が入っている。
ルイは気づかれないよう再び木々の陰の間を伝って公園から離れた。成功だ。
ルイは路地裏まで逃げる。ここまで来れば表通りの人間はほとんど入ってこない。
少年たちに渡す前にリンゴだけ先に取り出して食べた。ナレシュを捜していて今日の食事はまだだったからちょうどいい。
ルイは少年たちと会ったあの場所へと向かった。
日暮れまでにはまだ時間があるが、他にすることもない。少年たちと会った通りへ入ると、既に五人の少年たちはルイを待っていた。
「お、もう来たんだ。へえ、噂通りの腕じゃん」
端にいた少年がルイを見てにやにや笑っている。薄気味悪い態度だ。相手は五人だし、囲まれて食料だけ強奪されるなんてことがないよう気をつける必要がある。同じ子供だと思っているとおそらく出し抜かれる。
「食料、分け合えば五人分はあると思う。かわりのものを貰うよ」
「先に食料寄越せよ」
「そっちは五人だろ。無理やり盗られたらこっちが損じゃん。貰うもの貰わないと渡さない」
ルイは言葉に力を込めるように低く言い放つ。
多少は効果があったのか、少年たちはお互いに一度顔を見合わせた。
「ま、オレたちが損するわけじゃないからいいか。教えてやるぜ」
真ん中の少年がそう言ったことで、全員の意志がまとまったようだ。
「最近さ、オレらの仲間が見たんだよ。路地裏の子供に食べ物をあげて『もっと柔らかいパンや脂の乗ったベーコンをあげるよ』って言って、子供を連れていく大人がいる。何人かの子供は食べ物につられてついていっちゃうんだ」
ルイは話を聞きながらも、目の前が暗くなるような気がした。
毎日のように食べ物を差し入れて、一緒に食べていたナレシュ。
ルイといることを楽しいと彼は言ったが、もしかしたら、見た目以上にナレシュは表通りの人の暮らしに憧れていたのかもしれない。
――世の中にはさ、ふっくらした白いパンとか肉を食べて、夜には柔らかくてあったかいベッドで眠るのが普通なんだよね。
あの言葉が、本当はナレシュが焦がれるほど欲していたものだとしたら。
ナレシュは食べ物につられて大人についていってしまったのかもしれない。
路地裏で子供に話しかける大人は子供を捕まえるか利用しようとする者ばかり。
それを知っている子供は大人が来ると隠れるのが普通だ。けれど孤児の中には、路地裏暮らしが浅くて大人に騙される子供もいる。
ルイは最初から大人を信用していなかったから今の話を聞いても子供を釣り出すための嘘としか思えなかった。けれど、もしかしたらナレシュは、いい大人がいるかもしれないと思える何かを心の中に持っていたのかもしれない。
ルイはナレシュがどうやって路地裏に来たのか、何を考えて何を望んでいたのか、ほとんど彼のことを知らないことに気づいた。
咲いている花の、目に見えるところだけで友達にはなれる。
実際そうだった。でも、根に持っている部分なんか知らなくてもずっと一緒にいられるというのは、幻想なのかもしれない。
現にナレシュは路地裏にはいない。
ルイはひとり残された不安の中に、確かに「ナレシュに置いていかれた」と思っていたことに気づいた。
「……その大人、一体何のつもりで?」
ルイはくっきりと形を持った寂しさに蓋をしたまま尋ねた。
「さあ? 知らねえよ。でもわざわざ食べ物配って子供を連れ去ってるんだぜ。やっぱ売るんじゃん? 大人が子供に親切にするなんて裏があるに決まってる」
少年は嫌悪を思いきり顔に表しながら吐き捨てた。
「んじゃ、情報料払ってもらうぜ」
少年が片腕をルイへ伸ばした。ルイは頷き、盗んだ買い物袋を両手でその少年へ差し出した。
少年は袋を掴むとさっとそれを引き寄せ、すぐ中身を覗き込んだ。周りの子たちも同じようにする。「うわっ」「すげえ」と子供たちは喜びの声を上げる。
「気に入ったぜ、ルイズ。また何かあったら来いよ。同じ条件で情報でも何でも売ってやる!」
少年たちは笑顔を見せ、さっさと走り出した。戦利品を安全なところで分け合うためだろう。取引がうまくいってよかった。
心が落ち着いたルイだが、問題はまだ解決していない。
誰かがナレシュを連れ去った可能性がある。次は子供を連れ去る大人を見つけて、そいつが子供を連れてどこに何をしに行くのかを突き止めてやるのだ。
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