番外編 第6話 襲撃者
「さて、知りたいことはちゃんと聞けたか?」
ミシェルはレブラスの後ろで様子を窺っていた少年に言葉を投げかける。
少年は目の前の展開が理解できないのか、戸惑った様子でミシェルたちを見返していた。けれどその中にもミシェルとレブラスを警戒する精神は持ち合わせているようで、緊張した面持ちでこちらを見つめてくる。
他に頼れるものがない孤児の少年は、ひとりで生きるためにも簡単に人を信用しないのだろう。まずは少年の警戒を和らげる必要がある。
「フレーテス病院か。フロッセに唯一ある病院だ。最新鋭の治療設備と病室があって、医者も信頼されているそうだ。どこでもそうだが医療費は高額らしい。さて、そんなところを取引相手にして子供や死体を売っている男がいるわけだが……、その子供や死体、病院にこっそり運び込んで何をするんだろうな」
ミシェルはレブラスと少年に問いかけるように、順を追って話す。
少年の様子を窺いながらも、レブラスがまず口を開く。
「死体は解剖や手術の実習に使ったりするって聞いたことがあるけど……」
「そうだ。昨今、医者や学者は人体の構造や働きを調べることで医療を発展させようとしている。だから新鮮な死体をわざわざ買うし、死体を掘り出して病院に売る者が出る。死者の尊厳を無視した扱いだが、金に困っている奴はごまんといるからそういう奴が出るのもまあ仕方ない」
ミシェルはレブラスの言葉を組み上げて話を進める。
「なら子供は? 食べ物を使って孤児を病院へ連れていってどうする? 炭鉱の労働者としてでもなく、人売りにでもなく? 病院で子供の労働力が必要になるとは思えない。では、病院の人間が人身売買をしている? もしそうなら病院に子供を引き入れれば第三者に見つかる危険もあるから違うと断言できる」
ミシェルは少しずつ少年に近づいていった。少年の肩が小さく震える。
ミシェルは少年の前で屈み、少年を見上げる格好になる。
「いくら新鮮だとしても、死体を使うには限度がある。動物を使ってもそうだ。それなら医者の中には、生きた人間を使いたいと考える者が出てもおかしくない」
「え……? 路地裏の、子供で? 解剖を……?」
少年の顔が驚きと悲愴でさっと青ざめる。
「しかも奴らにとって幸いなことに、孤児は町に溢れかえっている。身寄りもいないから連れ出してさえしまえば……」
「そんなことのために、ナレシュは……!」
少年の全身から、怒りと悲痛が入り混じった強烈な感情が瞬時に迸った。
ぎり、と歯ぎしりが聞こえた。少年の見開いた目に殺意がぎらつく。
ミシェルは少年を間近で見て、察した。
――この子、多分人を殺したことがある。
生涯のうち、どんなに人に怒りを覚え、殺してやりたいと思っても、殺害という一線を越える者はひと握りだ。
殺意が煮えたぎり、一線を越えてでも殺害へ踏み切った者は目の色が変わる。
人を手にかけた罪悪感で淀む目の奥で、精神を殺害に振り切らせた狂気が鈍く光るようになる。出会ったときのレブラスもそうだったし、あの事件の後の自分の顔もそうだった。
一度手を汚してしまえば、その感触を知ってしまえば、もう二度とその前には戻れない。
「子供を攫って、解剖のために殺しているのだとしたら、どうしたって許せない。俺たちで助けてやれないかな」
レブラスが少年に同情するように眉尻を下げた。
穏やかな潜伏生活を送りたいと言っていたのに、レブラスは理不尽のせいで困っている者を見捨てられないらしい。ミシェルは正直少年がこの後どうしようがあまり関心はないのだが、レブラスが少年を助けるつもりなら手を貸してもいい。
ミシェルは立ち上がった。
「それなら、連れ去られた子供が病院のどこにいるか、病院の誰が子供の連れ去りに関与しているかを調べなくてはな」
「……何で、オレを助けようとするの?」
少年は困惑した様子で小さく尋ねた。
「だって、何の関わりもないし、会ったばっかりだし、オレを助けても、あんたたちには得なんてないでしょ?」
少年の懸念はもっともだろう。一度でも人の悪意で傷つけられたことがある人間なら、親切にされれば裏がないかと疑うのは当然のことだ。
今度はレブラスが少年の前で屈み、軍帽を脱いで胸の前で抱える。
「そうだな。確かに関係はないよ。でも俺は、たったひとりで仲間を捜す君を見て、助けてあげたいと心から思ったんだ」
真正面から、真っ直ぐ少年に語りかけるレブラス。
「まだ俺たちを信用しきることはできないと思う。とりあえず病院まで一緒に行ってみないか? 場所の案内もできる」
少年はまだこちらを信用できないとでも言いたげに目を細めた。
「僕たちだってお前を信用しているわけじゃない。ひとまず病院までは案内しよう。もし不安ならいつでも僕たちを刺せるように一番後ろを歩いてくれていい」
刺す、という言葉に少年はぎょっとした。
その目にはあきらかに恐れのようなものが宿っている。人を殺したときに何かあったのかもしれないが、今はいい。
「では、フレーテス病院まで行こうか」
ミシェルの言葉を皮切りに、三人は倒れた男を残したまま墓地を後にした。
大通りを通って真っ直ぐ西の方へ向かう。ミシェルとレブラスの後ろでは、少し距離を開けて少年がついてくる。その距離感がミシェルたちへの警戒心を表しているようだった。
「この辺りだが……、ああ、あれだ」
ミシェルは前方に現れた建物を指差した。
白くて背が高い塀。その後ろで夜の暗がりぼんやり浮かぶ大きな建物がある。
「ミシェル、どうやって病院を調べるんだ? 潜入するにしても全員で行ってあちこちふらふらしてたら警備の人間とかにさすがにバレるだろ?」
レブラスの言う通り、いきなり潜入するのはリスクが大きすぎる。
「そうだな。闇雲に探るより、こういうときは外堀から……」
「ミシェル!」
レブラスが剣を引き抜いてミシェルの前に出る。
何かを弾くように剣を振るった。金属音が響く。ミシェルは慌てて身構える。
レブラスが弾いて地面に落としたのは投擲用の小さなナイフだった。これがミシェルに飛んできたのか。レブラスが防いでいなかったらと思うと背筋が寒くなる。
レブラスはナイフの飛んできた方向を見据えたまま、剣を構えた。
ミシェルは少し離れている少年の腕を軽く掴み、自分の傍に引き寄せた。ナイフが飛んできたことはわかっているので少年は抵抗しなかった。
襲撃者の目的はわからないが、何があってもこの少年を逃がせるようにしておかねば。二人でレブラスの後ろからもっと下がる。彼の邪魔になってはいけない。
「ミシェル、危ないと判断したらすぐその子を連れて逃げろ」
「わかってる。お前も油断するな」
敵が何人で、何が目的かもわからない。それでも敵の狙いを考えて動かなければ。
ふわ、と地面から風が巻き上がる。すぐにそれは突風となり、息が一瞬できなくなる。急に、地面から突然この強さの突風が起こるなんてありえない。
「レブラス、二人以上いる! ひとりは魔法使いだ! 攻撃がくるぞ!」
ミシェルは少年を片腕で抱えるようにして守りつつ、声を張り上げた。
この風でミシェルたちを吹き飛ばす気がないなら、これはレブラスの隙を作るための風だ。
レブラスは突風に吹かれながら剣を振るった。先ほどと同じような金属音がいくつも響いた。地面にナイフがいくつも落ちた。
「あーあ、今の読まれるなんて思わなかった。遠隔じゃ仕留められねえかな」
のんきな男の声がした。それもかなり若い、同じ年頃の少年の声だった。
病院の向かい側の建物の屋根から少年が降ってきて着地した。二階以上ある高さから軽やかに降りられるとは、かなりの身体能力のようだ。
黒いフードを目深にかぶった少年が立ち上がる。
体格はレブラスと同じくらいだろうか。フードのせいで口元しか見えない。暗がりの中で、にやりと笑った口元だけが浮かんでいた。
「まあいいや。ひとまずさあ、その子離してくれるんなら命だけは見逃してあげてもいいんだけど」
黒いグローブに覆われた手が少年を指差す。こいつはミシェルの傍にいる少年が目当てなのか。子供の連れ去りの仕事を請け負っている他の者だろうか。
「渡してもらうぜ」
「そう言われて、怪しい奴に渡す奴がいると思うか?」
レブラスの返しに、少年はそうかもなと呟き、一気に駆け出した。コートで隠れた腰から大振りのナイフを取り出し、レブラスの腕へ向けて振る。
レブラスはその動きを見切って躱す。少年は素早い動きと手数でナイフを振り続けるが、レブラスは剣を持ったまま攻撃を躱し続けた。
その様子を見ていた隣の少年が呟く。
「何であの人、反撃しないの?」
ミシェルは答えた。
「あいつの剣の切れ味、さっき見ただろう? 切ろうと思えば何でも切れる。切れすぎるんだ。一度振るったら相手の身体は真っ二つになる」
シャベルだろうが人体だろうが、使い手が切る意志を剣に伝えれば何でも切れてしまうのが、国の至宝とまで言われた聖剣の特徴だ。レブラスは意志で切るものと切らないものを明確に分けることで剣を振るっているのだ。
だから聖剣は自分の使い手を選ぶ。高潔で清廉で正義感の強い者を待つ。
使い手と認められていない者が持てば剣は輝きを失い、何も切れなくなる。力の使いどころを弁える者でなければ、聖剣は殺戮のための凶器に成り下がる。
レブラスは今まで自分の命を狙った者にしか聖剣を使っていない。
今も無闇に人を殺すことを避けようとしている。
ミシェルたちの会話が耳に入ったのか、フードの少年は再びにやりと笑った。
「へえ、そんな理由で攻撃されないわけ。舐められたもんだぜ!」
少年はナイフの柄を口に銜えると勢いよく逆立ちの姿勢に入った。宙に浮いた足がレブラスの首から顎を蹴りつける。
「くっ……!」
仰け反ったレブラスの隙をフードの少年は逃がさない。
片腕で身体を支えながら、銜えていたナイフをレブラスへ放った。白いナイフがレブラスの胸元へ吸い込まれるように向かっていく。
「レブラス!」
ミシェルは手を二人へ向けて突き出す。それが合図のように、ナイフが炎に包まれた。炎がナイフを食い尽くすように溶かしていく。焦げつき、刃先が溶け、曲がったナイフの残骸が地面に落ちた。
フードの少年は弾かれたようにレブラスと炎から離れた。
「すげえ……! 鈍臭そうで足手纏いっぽかった眼鏡の奴、魔法使いなのか?」
あいにく魔法使いではなく魔術師だが、説明してやる義理はない。それには答えず、ミシェルは口を開く。
「まだやるつもりか? 僕たち二人が相手では、さすがのお前も分が悪いだろう。この子を攫うのは諦めるんだな」
「……攫う? 人攫いはそっちだろ?」
フードの少年は心外だとでも言わんばかりに抗議した。声音が感情的になっているから嘘だとは思えないが、まさかこちらが人攫いだと思って襲撃してきたのか。
「僕たちはこの子をここに案内しに来ただけだ。もし孤児をここに連れ去った者と勘違いしているのなら、武器を収めてもらおうか」
「本当に人攫いじゃねえなら話聞いてやってもいいけど、そんな確証もねえし、こっちを騙してるかもしれねえじゃん。どうやって証明するんだよ?」
少年はコートのポケットから小さな投擲用のナイフを取り出し、ナイフの切っ先をこちらに向けた。
確かに証になるものは持っていないし、人攫いではないと証明する術はない。
するとずっと大人しくしていた少年が、ミシェルの腕からゆっくりと離れた。
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