第28話 警察署潜入

 雪が降るフロッセの、夜も更けた頃。

 出勤していた警察官たちは各々の過ごし方をする。

 業務を終えて帰路につく者。捜査を続ける者。捜査で外出する者。刑務所や門の夜間警備に当たる者など。

 警官によって行動はバラバラだが、夜間に警察署にいる者は昼間の半分ほどに減る。

 狙うならそこしかない、とミシェルは言っていた。

 本来なら警備の配置図や署内の位置図を手に入れ、慎重に作戦を立てるのだが今回はそうはいかない。

 ルイがどうなっているのかがまったくわからないからだ。

 表向きは犯罪者を捕えて治安を守るのが警察組織でも、裏社会から見ればその様相はまったく違って見える。

 犯罪者を捕まえれば窓もない狭い牢屋に押し込める。拷問が酷くて死ぬ者もいると聞くし、刑が決まっている者は少ない食事で労役につかされるという。こっそり犯罪者や孤児を奴隷として売っているという噂すらある。

 ルイが無事なうちに救出する必要がある。短い時間で、最低限の事前調査で、ルイを助け出さなければならなかった。

 警察署は高い塀に囲われており、出入り口の門は昼夜問わず警護されている。侵入するだけでも至難の業だった。

 そこでミシェルが考えた作戦は、突拍子もないものだった。

 アシルたちルペシュールは、暗い道をひたすら歩いている。

 水滴が滴る音が響く。湿っぽく、狭く、暗く、水の腐った臭いと汚物の臭い、それにカビ臭さが渾然としていた。

 湿った道を通りながら、ミシェルが魔法で炎を浮かべ、道の先を照らしていた。

 給水会社によって、町で公共の下水道が整備されたのはほんの数年前のことだ。

 それまでのフロッセは新鮮な水を満足に使うこともできず、町の横を流れる川で汚れたものを投げ捨てるか濯ぐかして生活していた。もちろんゴミやら汚物やらをそのまま川に捨てていたので汚いどころの話ではなかった。

 アシルが幼かった頃、町の地下に排水用の水道を張り巡らせる大工事を行い、フロッセの町の衛生面は多少なりとも向上したのだという。

 そういうわけで、できて数年ほどの下水道を進入路にするというのは、アシルには斬新に思えた。

 下水道は町中を巡っているはずだから、市中と署内が地下で繋がっている。そこを通って警察署に侵入することができるはずだ。おそらく、いかに〈黒猫〉といえど地下から侵入してくるなんて思わないだろう。

 これなら楽に警察署に侵入できるはず、ではあるが。

「はあ、臭いがきついよ……」

 愚痴を零しているのはサフィアだ。汚れた水やら汚物やらを流すのだから悪臭がするのは仕方がない。サフィアは五感の鋭い魔法使いだから、アシルたちよりよりきつい臭いを嗅ぎ取っているのだろう。

 仕方ないとはいえアシルも正直嫌だし、元貴族のミシェルとレブラスもこれには閉口している。

 もう少しで警察署に通じる下水道に着くはずだ。

 地下に巡る下水道の通路なら、警察署内の地図より苦労せずに図面を手に入れられる。アシルが給水会社に潜入して手に入れた図面を見て、全員が地下通路の道を叩き込んでいる。

 何かあって離れ離れになっても、ひとりで脱出できるように。

「あったぞ」

 ミシェルの炎がふわりと浮き上がり、かけ梯子が照らし出される。アシルがまず梯子を上がり、地上に繋がっている蓋をそっと開ける。ここで警察署内に出られるはずだ。

 少しだけ開けて、薄目で外の様子を窺う。拓けている。薄暗いが、いくつかの街灯が灯っている。

 ここは警察署内の裏庭のはずだ。裏口には警官が配備されているだろうが、周囲を見回したところ巡回や警備の警官は近くにいない。今なら外に出られる。

 片手で梯子に掴まりつつ、もう片方の手でハンドサインを使って上がっていいと仲間たちに伝える。

 アシルが蓋を持ち上げて地上に出ると、続いてサフィア、ミシェル、レブラスと出てきて蓋を閉める。

 四人は頷き合い、そのまま警察署の建物の陰へと隠れる。

 警察署の作りはどこも似たようなもののはずだとミシェルは言い、以前王都の警察署を視察したことがあるレブラスが警察署の構造を教えてくれた。

 レブラスが見た警察署は、正門すぐのところにある建物には、一般市民からの相談を受けつけるカウンターがあり、その横に警察官たちのオフィスがあるらしい。

 そして庭で隔てられた裏口側には刑務所がある。

 地下が囚人たちの牢になっており、一階部分には看守たちの執務室と取調室があるという。

 つまり、裏口の傍にあるこの建物こそ、刑務所。

 窓の向こうを窺うが人の気配はないし、明かりもついていない。ここから潜入して問題ないだろう。

 レブラスが立ち上がり、聖剣で窓ガラスを一閃した。

 ガラスはすっぱりと細かな破片に砕け、ばらばらと地面に落ちた。アシルがまず窓を乗り越えて中に入る。続いてレブラスが入る。彼が魔法使い二人を引っ張り上げた。

 牢は地下にある。まずは地下への階段を見つけねばならない。全員で足音を忍ばせ、身を低く保ちながら階段を探して廊下を進んだ。

 階段はすぐに見つかった。

 地下への暗闇に石の階段が溶け込んでいる。

 看守の守衛室も牢の入口にあるはずだ。音を立てないよう、慎重に階段を進む。アシルは暗闇でも足を滑らせることはない。少し足音が響いたみたいだが、大きな音を立てずに下へ降りることができた。仲間たちの気配も後ろにある。

 地下は暗い。ランプの類はない。唯一の光源は、階段のすぐ傍にある守衛室の窓から漏れる明かりだけだった。

 守衛室だ。扉はひとつ。

 壁の半分から上はガラス窓になっていて、階段と牢へ続く廊下を監視できるようになっているようだ。

 アシルは後ろを振り返り、仲間に目線だけで自分が牢の鍵を取ってくると伝える。最初からその手筈になっているから、目線を送るだけで仲間は頷いた。

 アシルは身を低く保ち、守衛室の扉へ忍び寄る。扉に背をつけ、中から見えないようガラス窓の向こうを覗き込んだ。

 二人の青服警官が、小さなテーブルで向かい合ってカードゲームで遊んでいる。

 夜通し囚人の監視をするのが退屈なのだろう。毎日この仕事をしていれば暇でゲームをしたくなるのもわかるが、守衛がこんなでは仕事にならないと思う。

 アシルはポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、口でその柄を銜える。これは万が一の備え。素手で警官二人を一瞬で気絶させ、鍵を奪いルイを助けるのが目的だ。

 無駄な殺しは避ける。

 ルイが捕まった後、アシルは思った。今まで殺してきた奴らと同じように、ルイが死んだらどうしよう、と。

 自分が今まで行ってきた仕事は、取り返しのつかないものを奪うものだった。初めてわかった。

 自分が大事にしたいと思う仲間や自分の命と、敵だと思ってきた者たちの命は、尊さも尊厳も何ひとつ変わらない、等価で、すぐ消せる、かわりのきかないものだったのだ。

 だから、アシルはもう殺さない。

 何をしたところでアシルが行ってきた行為の償いにはならない。だからといって、これからも殺し続けるのはただの開き直りだ。頭のよくない自分でも、それが間違っていることだけははっきりしている。

 もう誰も殺したくない。

 殺すより殺さない方がいい。それすらも自己満足でしかないことだと、ちゃんとわかっている。

 アシルにとって、倫理とか法律とか、社会を規定するあらゆる価値観はひどく無意味だ。そこから弾き出されて生きてきたアシルは、そんな物差しで世界を捉えない。

 だから、絶対に許せないものとか、どうしても通したい意地だとか、そういう感情に素直になることでしか前に進むことができない。

 今は、ただルイを助け出したい。なるべく人を殺さない。

 その気持ちだけで立っている。

 アシルは音を立てずに扉のノブを回して少しだけ開けた。

 警官たちの笑い声が漏れてくる。それから扉を指で押した。きい、と軋む音とともに扉が開いていく。

「何だ?」

 奥にいた警官が、扉が開いたのに気づいた。

 扉側にいる警官が立ち上がってこちらへ向かってくる。様子を見に出てきたところを襲うつもりだ。

 扉の脇で屈み、完全に気配を消して待つ。

 警官が扉を開けて廊下を見渡した。

「……風で開いたのか?」

 警官は守衛室から二、三歩出た。アシルの潜む場所の方を警官が振り向く。屈めていた身を乗り出した。その瞬間、アシルは右の拳を下から警官の顎へと叩き込んだ。

警官は声も上げずにその場に崩れ落ちた。

 倒れた音が聞こえたのか、もうひとりの警官が守衛室の外に消えた警官に声を投げかける。アシルは守衛室の脇へと身を潜めた。

「おい、どうしたんだ?」

 答えのない警官を案じてか、もうひとりの警官も外に出てくる。倒れている警官を見つけ、もうひとりが倒れた仲間に駆け寄る。彼は仲間の様子を探ろうと屈んだ。

「どうした? 何があった?」

 アシルは再度飛び出し、相手のこめかみに蹴りを叩き込んだ。警官はそのまま床に倒れ込む。

 息を吐く。スムーズにできてよかったが、うまくいくかは半々だった。殺さずに済ますというのは、ある意味では簡単で、ある意味では難しいのだ。

 アシルは階段に隠れた仲間たちの元へ戻った。

 守衛たちが起きる前に守衛室を物色することにする。

 牢と囚人のリストなんてあるのだろうかと思っていると、ミシェルがさっさと見つけ出してリストを照合した。こういう資料をスマートに探し出すのはミシェルが一番だ。

「ここだ、この廊下の手前」

 ミシェルが指差した牢の鍵を持ち出す。

「サフィア、他の囚人を刺激するのはまずい。周囲の者を眠らせられるか?」

「任せて」

 ミシェルに頷き返すサフィア。

 アシルとサフィアがルイを助けに向かう。ミシェルとレブラスは後詰兼見張りだ。

 サフィアの手から撒き散らされる眠りの粉が牢に広がっていく。睡眠導入用の薬を風の魔法で撒いているらしい。

 アシルは足早に牢へ向かい、目的の牢を見つける。

「ルイ!」

 ルイがいるはずの牢へ声をかける。

 狭い牢だ。暗すぎて、そこに人がいるのかわかりにくい。

 駆けつけたサフィアが牢を覗き込むが、彼女の戸惑った空気がアシルに伝わった。

「ほんとに、ここだよね? 誰もいないよ?」

 サフィアで見えないなら、本当にいないのだ。

「もぬけの殻? 何で……」

 考えてもいないものはいない。

 戻ってミシェルたちに報告しよう。二人で守衛室まで戻ってミシェルたちに事情を話した。

「牢にいないなら、どこに行ったんだ?」

 レブラスは牢の鍵をアシルから受け取って戻した。

 さすがのミシェルも険しい顔をした。

「……可能性は三つ。書類はフェイクで、元からこの地下牢には収容されなかった。もしくは、牢から出されて取り調べ中。三つ目、せっかく手に入れた子供を秘密裏に売り払う気かもしれない」

 警察署には、〈孤児狩り〉で捕まえた子供を秘密裏に奴隷として売り払っているという噂がある。もしかしてルイは、そのために〈黒猫〉に捕まったのではないだろうか。

「〈黒猫〉がそんなことを……!」

 レブラスも同じように考えていたらしい。

「奴がフロッセに来る前から警察の児童売買の噂はあった。奴が絡んでるかはまだわからん。だが楽観視はできない」

「この署内のどこかにいるルイを、捜し回らないといけないんだよな?」

 こんな広い、しかも敵だらけの場所を捜し回るとなると、隠密行動はほぼできなくなるに違いない。そうなれば全員が捕まるかもしれない。最悪の状況だった。

 こんな状況で、一体どうやってルイを見つければいいのだろう。誰もが言葉を吞み込んで、お互い顔を見合わせた。

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