第29話 見捨てない道

 ミシェルの思考は定まらずにずっと渦を巻いている。

 まさかルイが牢から出されてどこかに連れていかれているとは。いや、その可能性もあったのに、考えないようにして牢にいるはずのルイを助け出すことに躍起になっていた。

 これからどうすればいい。

 敵だらけの警備の網をすり抜けて、どこにいるのかわからないルイを捜し出してこっそり脱出するなんて至難の業だ。

 それなら諦めるのか。出直すべきなのか。それでルイが手遅れになったらどうする。

 どうするのが正解なのかわからない。ミシェルがこうしようと言えばきっとみんなは従ってくれる。

 全員の命がミシェルの判断にかかっている。

 ――どうすればいい? どうすれば全員助けられる?

 失敗したら、ミシェルのせいで全員死ぬ。

 それだけは嫌だ。もう失敗したくない。

 安全策を取って一旦帰るか。ルイだけ見捨てて、四人の命と安全のために一番小さな子を見捨てるのか。そんなことしたくないが、そうでもしなければ。

 五人全員を助けるなんて、ただの理想だ。

 ミシェルはもっと現実に即して物事を考えなければ、足元をすくわれてしまう。

 とん、とミシェルの肩が叩かれた。

 レブラスがミシェルの隣に立って、肩に手を置いていた。

「ミシェル。お前が何を考えてるかはわかるぜ。けど、安心しろよ。オレとアシルがいれば大抵は何とでもなる。〈黒猫〉相手にだって負けない。戦いになったら絶対にオレたちが何とかする。――この聖剣と、死んだ父にかけて誓う」

 レブラスは真っ直ぐミシェルを見た。

「お前が何度失敗したって、オレたちがついて支えてやる。だから言ってくれ。オレたちがこれからどうするべきか」

 レブラスは、いつだって真っ直ぐだ。いつも誠実で高潔な騎士であろうとする、純粋な少年だ。

 誰にも信じられなかったレブラスだからこそ、誠心を尽くすことの清らかさも難しさも知っている。ミシェルのような弱い奴にも手を伸ばし、剣を取って悪と戦う。強さと厳しさと、優しさでできた奴だ。

 そんな奴が、ミシェルを信じてくれている。

 他の二人もレブラスの言葉に同意するようなさっぱりした笑顔でミシェルの言葉を待っている。

 どんなに弱くても、失敗しても、きっとみんなはミシェルを笑わないし、恨んだりしない。

 信じて、背中を押してくれる。

 ミシェルは両手で軽く自分の両頬を叩いた。

 もし必ず誰かが犠牲になるなら、大勢助かる方か、関係ないひとりを助ける方か、どちらを選ぶか。

 そんな正解のない思考実験の命題がある。

 ミシェルは仲間の誰も見捨てない。

 現実的ではない答えでもいい。現実では叶わない悪人を倒して弱者を助けることが、ルペシュールの存在理由だ。

 ――ルイも助けて、五人全員で必ず脱出する!

 ミシェルは仲間を見回す。

「ルイが取り調べを受けているなら刑務所一階の部屋のどこかにいるはずだ。まずはそこを調査。そこにいれば即脱出する。いないのなら刑務所外を捜す。庭と警官のオフィスを順に調べる。戦闘は極力回避。警官に見つからないよう行動することが最優先だ。アシルが先頭。レブラスは最後尾で後方を警戒してくれ」

 二手に分かれて陽動を使う手なども考えたが、分かれた場合は相互の連絡や連携が取りにくくなるし、まだ潜入がばれていない時点で陽動などしても目立つだけだ。

 警官に見つからないよう細心の注意を払い、隠密行動を徹底する方が作戦成功の確率は高くなるはずだ。

「やっぱ、ここで帰るなんてできねえよな!」

 アシルが頷く。

「行こう! ルイを助けに」

 サフィアが上へ続く階段へ目を向けた。

 ミシェルが言った通り、アシルが先頭になる。サフィアが続いた。ミシェルは行く前に、レブラスに呟いた。

「レブラス、その、……ありがとう」

 人に真っ向からお礼なんて言ったことがない。ものすごく恥ずかしかったが、レブラスは快活な笑顔を見せた。

「お前は昔、手配されていたオレの命を救った。だからというわけじゃないが、お前の誠心には、オレは命をかけて誠心を返す。ひとりの騎士として、お前の友として」

 レブラスが、さあ行こう、とミシェルを急かす。

 先に行ったアシルとサフィアの後をミシェルは追った。

 仲間を助け出せたなら、ほんの少しでも、弱くて臆病な自分だとしても、今の自分でもいいと思える気がする。

 一階へ駆け上がる。まだミシェルたちの侵入は気づかれていない。なるべくこのまま誰にも見つからないままルイを見つけ出せれば一番いいが、それはわからない。

 一階の部屋を順番に見て回った。ルイは見つからない。

 刑務所の一階は巡回の警官すらおらず、静まり返っていて不気味なほどだった。取り調べで牢を出ていないのだとしたら、児童売買に巻き込まれたか。

 警察が児童売買に携わっているという噂は、この町に来て仲間たちと出会い、ルペシュールの活動を始めた頃にはもう聞こえていた。

 確実な証拠があるわけではない。けれどそれは裏社会では常識のように扱われていたし、路地裏に住み着いた孤児や浮浪児たちは、警察に捕まらないよう常に警戒していた。

 そして捕まった子供は、警察署に入ると出てこなかった。

 警察が〈孤児狩り〉で捕まえた子供は、保護の名目で里親が引き取るまで警察に勾留されるか、孤児院などの施設に引き取らせることになっている。だが、それなら何故売られたなどという不穏な噂が流れるのか。

 火のないところに煙は立たない。警察が児童売買に携わっている何かしらの状況証拠があったとみてもいいだろう。

 フロッセの裏社会が子供や若い女を禁止条例制定の後も売っているという話は聞いたことがあるが、それらは今まで事件としてはまったく表に出ていなかった。

 遠くの町から連れてきた子供や身寄りのない孤児を売っていたのだろうと思う。事件に発展しなかったのは、子供の捜索を依頼する者がいなかったからだ。

 この間の児童失踪事件が騒がれたのは、一般家庭の子供が攫われたからだ。

 そういえば、児童売買にまつわる失踪が騒がれたのは、児童失踪事件が最初ではなかったか。

 下層から中層までの、一般家庭の子供が行方不明になり、親が警察に被害届を出したが、警察は捜査に力を入れずに放置していた。

 ミシェルたちは新聞で事件のことを知り、子供を助けようと全員で決めて、児童失踪事件に関わることを決めた。

 あの事件は、手品師エルマー・フレッドが興行した際に子供を誘い出し、アルヴェンナ孤児院の職員に売っていた。

 アルヴェンナ孤児院で見つけた帳簿には、児童売買で得た利益が計上されていた。あれは管理職の机から見つけて懐に仕舞ったままだ。

 帳簿のリストは、児童失踪事件の被害者より数が多かった。

 つまり、公の事件になっていない誘拐もあるのだ。

 ――孤児院などの施設に引き取らせることになっている。

 ――フロッセの南。町に唯一ある孤児院だ。

 ――自分はあのとき、何と言った?

 ミシェルの足が止まる。

 背筋に這い寄った悪寒とは裏腹に、頭の中はミシェルが組み上げた恐ろしい予測と事実の整合性を照合し続けている。

「ミシェル、どうした?」

 突然止まったミシェルに、後ろから来ていたレブラスが追いついて止まる。

 警察が保護した子供を預けるのならば、里親の他にはアルヴェンナ孤児院以外ありえない。

 この町には、アルヴェンナ孤児院以外の孤児院はない。

 そして児童売買を行っていたのもアルヴェンナ孤児院だ。

 売買のリストをコートの中から取り出す。薄い冊子のような帳簿だ。それを取り出して、薄暗い中で開く。

「どうしたんだよ、こんなところで止まって」

 ミシェルが止まったことに気づいたアシルとサフィアも戻ってきた。

 帳簿を捲っていく。黒いインクで記された子供の名前と、その値段と、購入者の名前。吐き気がするような悪徳のリストを滑るように見ていく。子供を孤児院に売った者の名前も記されている。

 〈孤児狩り〉は有名な警察の仕事のひとつだ。今までそれなりの数の子供が捕まっているはず。それらの子を警察が孤児院に卸しているのなら、名前があるはず。

「……やっぱり、この名前が一番多い」

 ミシェルはこのリストで一番多く見かけた文字列を指差した。

 ――ライザ・シュペーマン。

 孤児院で帳簿を見たとき、ミシェルはこの名前に見覚えがあった。聞き覚えではなく、字を覚えていた。

 ――一番名前が多い奴がいる。お得意様から子供を安く仕入れているようだ。

 ――この名前の字面、どっかで見たことがあるような……。

 アシルもあのとき、字面を見たことがあると言った。

 そしてミシェルはようやく思い出した。

 ――偶然だな。

 ――新聞やアシルの調べと違うことは書いてないな。

 ――それにしても情報が少ない気がするが……。

 ――特に気になることは他に書いてないな。

 ――メモと署名まであるのに、内容は大したことがないのが少し妙だな。

 ――これが捜査資料だとしたら、お粗末だな。

 そう言いながら、あのとき資料を読んだ。

「そうだ。見覚えがあるはずだ。あのとき名前を見たんだ」

 アシルの顔つきが変わった。

「思い出した! あのときか!」

「だから児童失踪事件の初動捜査はお粗末だったんだ」

 ミシェルとアシルは頷き合うが、あのとき職員室にはいなかったレブラスとサフィアは首を傾げている。

「おい、二人して何をそんなに……」

 何発もの発砲音が聞こえた。

 そんなに遠くない。こちらの潜入がばれたか。

 ミシェルは帳簿を懐に仕舞った。

「多分外。あっちからよ!」

 サフィアが指を差す。ルイとは関係ないトラブルかもしれないが、それは確かめてみないとわからない。

「行ってみるしかない」

 ミシェルの言葉に全員が頷く。

 刑務所の廊下を曲がり、アシルが鍵を開けて外に出た。

 音がしたのはこの壁を曲がった先にある裏口近くの裏庭だ。周囲を警戒しながら壁から先を覗き込む。

 アシルが声を上げた。

「あれは、ルイ!」

 ルイは刑務所の脇にある木に張りつくようにして目の前で繰り広げられている戦いを見守っているようだ。

 ルイの横には、コートを脱いでいるが〈黒猫〉がいる。

 二人は警察官たちに囲われ銃口を向けられている。

 〈黒猫〉は拳銃を手に、警官たちの銃を持つ手を確実に撃って攻撃を防いでいるようだ。

 〈黒猫〉はリロードの隙をついて攻撃しているのでまだ銃弾を食らってはいないようだ。噂に違わない銃の腕だ。

 仲間割れだろうか。いずれにせよルイが危ない。いつ流れ弾に当たるかわからない。

「アシル、レブラス、行けるか? 僕がまず炎で援護する」

「任せろ! 絶対助けるぞ」

 レブラスは聖剣を抜き放った。アシルもナイフを取り出し、戦闘の意志があることを示す。

 ミシェルは炎を呼び出し、まずは周囲の警察官を追い払うべくルイとロビンを囲うようにして炎の壁を作った。

 明々と輝く真っ赤な壁が、ルイとロビンと、周囲の警官たちとを隔てる。

 警官たちは突然のことにパニックになっている。

 ミシェルは炎の輪を警官たちの方に迫るように広げていった。警官たちへ襲いかかるよう炎を操る。警官たちは何か声を上げながら炎から逃れようと四方八方へと逃げて行った。

 警官たちが逃げきったのを見計らって、アシルとレブラスが突撃していった。

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