第30話 ライザ・シュペーマン

 ルイは木の陰から動けなかった。

 ロビンは拳銃で警官の腕だけを狙い、警官たちを無力化させている。銃を弾き飛ばされた警官は血塗れの手を抱えるようにしてどこかへと駆け去っていく。

 ロビンがルペシュールのメンバーと戦っていたときは、レブラス相手によく戦えるとしかルイは思っていなかった。

 今、ロビンは銃を持った警官に素早く正確な射撃を行い、どんどん警官たちを戦闘不能にしていっている。レブラスが言っていた〈黒猫〉というもののすごさが今になってやっとわかった気がする。

 ロビンがあのいけ好かないアンバーとかいう警官の腕を撃ったときだった。

 突然、ルイとロビンを囲うように炎が出現した。

 炎が厚い壁を作る。ルイたちと警官たちの間に炎が巡り、その猛火の輪を警官たちの方へと広げていく。

 ――この炎は、もしかして!

 炎がふっと消えた。

 ルイたちを囲んでいた警官がいなくなっている。警官たちは炎から逃れようとルイたちの前から逃げて行ったようだ。

「ルイ!」

 こちらに駆けてくる見覚えのある姿が四つあった。

「みんな!」

 確かに仲間たち四人の顔だ。もうずっと離れていた気分だ。こんな危ないところまで迎えに来てくれるなんて。

「お仲間ですね」

「うん!」

 ロビンもほっとしたような様子だった。ロビンがルイを助けて、ここまで連れてきてくれたおかげだ。

「〈黒猫〉! ルイを離せ!」

 レブラスが剣を構えた。

 既にアシルは動いていた。ロビンの側面へ回っている。

 彼の手にはナイフ。仕事中のアシルの目だった。レブラスが正面から向かってくる。挟み撃ちにする気だ。

「待って、二人とも!」

 ルイの静止なんて聞かない。みんなはまだ、ロビンがルイを助けてくれたことを知らない。

「危ない、下がって!」

 ルイは駆け寄ろうとするが、ロビンは手だけでルイを制した。ロビンにアシルとレブラスが襲いかかる。このままではロビンが危ない。

 ロビンは銃をわざわざホルスターに突っ込んだ。ルイの仲間と敵対する気がないのだ。

 レブラスとアシルの挟撃に、ロビンは飛び込むようにして避けた。すぐに体勢を立て直して、二人に向き直る。

「待って、お願い二人とも!」

「危ねえから下がってろよ、ルイ!」

 アシルはそう言ったきり、ルイの言葉を聞く気はなさそうだ。ロビンに連れ去られたことを思うとみんながこうするのも仕方ないかもしれないが、どうにか戦いをやめさせないと。

 アシルとレブラスの猛攻をロビンはひたすら避けていた。

 レブラスの剣を避けるも、他所から迫るアシルのナイフが時折ロビンの肩や腕を切り裂いていく。ロビンはそれでも反撃しなかった。

 このままじゃロビンが殺されてしまう。

 ルイは立ち上がって、ロビンの方へ走っていく。

 こうなったらこれしかない。割って入ろうとするルイに気づいてか、アシルたちの動きが止まった。

 ロビンがルイの方を振り返り、ひどく焦った顔でこちらへ走ってきた。何が何だかわからないうちに、ロビンはルイを抱きしめながら倒れ込んできた。

 発砲音が炸裂した。

 起き上がったロビンは眉をきつく顰めていた。

「怪我は、ないですか?」

 ロビンは苦しそうに呻いた。もしかして。

 ルイは起き上がってロビンの背を覗き込んだ。肩と背の間くらいに、制服に小さな丸い穴が開いている。

 黒い制服が黒く塗れていた。そこに触るとぬるっとした感触。ルイの手が真っ赤になった。

「あ……っ」

 今の銃声とこの怪我。ルイを庇ったせいだ。

「ろ、ロビン! しっかりしてよ! 何でオレなんて庇ったのさ!」

 ルイはロビンの顔を覗き込んだ。

 ロビンは痛みに堪えながらも、ルイに笑みを向けた。

「大したことないですよ。今までだってこんな怪我……」

 ロビンが小さく呻いた。額から脂汗が滴った。

 警官がひとりだけ裏庭に立っていた。

 みんなさっき逃げたと思っていたのに。

 壮年の、大柄の男だった。青服ではない。私服の警官にしては身綺麗だった。さっきはこんな奴いなかった。

 その男が煙を上げる銃口をこちらに向けていた。

 アシルとレブラスがその男に対峙する。撃たれて動けないロビンより、新たに現れた敵と戦うつもりらしい。

 ロビンは苦しそうだった。どうしてこんなになってまで、ルイを助けるのだろう。

 ロビンは取調室で会ったときからずっと笑顔を崩さず、ルイに最大限気を遣って接してくれた。そういう、子供にも誠実で対等な対応がいちいちルイの心に沁みた。

 この人は、他の警官と違うかもしれないと思わせてくれた。

「サフィア! ロビンを助けて!」

 サフィアより先にミシェルが動いた。膝をつくロビンを支えるルイと、ミシェルは向かい合うように立った。

「ミシェル……?」

 ――もしかして、弱ったロビンに何かするつもりじゃ。

 ミシェルは屈んだ。

「傷を癒す前に銃創を何とかしないといけない。サフィア、手伝え!」

「う、うん!」

 呼ばれてサフィアも駆けつけてくれる。

「ありがとう、二人とも」

 よかった。ロビンを助けてくれるのだ。

「身をもって仲間を庇われては、助けないわけにはいかない」

 ミシェルは、コートの中から小奇麗な薄手の手袋と厚手のガーゼを取り出した。ミシェルは両手に手袋を嵌め、傷口の部分の服を割き、ガーゼを傷口に当てる。

「まず止血する。こんな場所では銃弾の摘出手術はできないから、応急処置だけだ。消毒液と鎮痛剤はあるから、事が済んだらちゃんとした病院で診てもらえ」

「たす、かります……」

 ロビンは苦しそうな吐息混じりにそう答えた。

 サフィアが光を作って傷口を照らす。ミシェルはガーゼを離す。白い布はすっかり血塗れになっていた。

 次にミシェルは懐から小さな革袋を取り出し、その中身でロビンの傷口を濯いだ。そしてその傷口を別のガーゼで優しく拭う。ミシェルが傷を洗うために持ち歩いているきれいな水だ。ロビンは何度も苦しそうに呻き声を上げた。ルイはロビンの肩を支えることしかできなかった。

 再び発砲音がした。ルイはぎゅっと目を瞑った。目を開けても周囲に変化はない。

「続けろ、ミシェル! 銃は全部オレが防ぐ!」

 レブラスが剣を手にミシェルたちを守ってくれたのだ。

 ミシェルは着々と処置を続けた。血は止まったのか、ガーゼはあまり血に汚れなかった。最後に鎮痛剤を打ち、傷口にまた真新しいガーゼを当ててテープで固定した。

「これでいい。早めに病院に連れて行かないといけないが」

ミシェルは血塗れの手袋を脱いで、使い終わったガーゼと一緒にコートのポケットに突っ込んだ。

「サフィアの魔法で傷を癒すわけにはいかないの?」

「ルイ、銃弾が身体に残っている状態で傷を塞いだら、後から摘出できなくなる。こんな場所で摘出手術をすると悪い病気になるかもしれないから、今はこれがせいいっぱいの処置なんだ」

 ミシェルはルイに言い聞かせるようにそう言った。

 ミシェルは今までずっとメンバーの傷を癒してきてくれた。ミシェルが言うのだから、きっとその通りなのだろう。

 ロビンは苦しそうに呼吸を何度か繰り返した。だが先ほどよりずっと楽そうな顔をしていた。

「……十分です。感謝、します」

 そんな言葉がロビンから漏れた。

「よかった」

 ロビンはルイに笑みを向けた。

「死にませんよ。君を無事に仲間の元に帰すと、約束しましたからね」

 ルイは頷いた。ロビンが立ち上がろうとするので、ルイはロビンを支えるようにしながら一緒に立ち上がった。ロビンはひとりで立ち、自分を撃った壮年の男と向き直った。

「……これはどういうことですか、シュペーマン署長。何故無関係の子供に向けて発砲を?」

 ――署長?

 壮年の男はにやりと笑った。まるで悪党の元締めのような強面だ。本当にこの町の警察の署長なのか。

 アシルがナイフを構えたまま口を開く。

「やっぱりか。ミシェルのいやーな予想が当たっちまったな」

 ミシェルは頷いた。

「警察が〈孤児狩り〉で捕まえた子供は、保護の名目でアルヴェンナ孤児院に売り払っていたんだ。ルイが盗んだ児童失踪事件の捜査資料に署名があった。――ライザ・シュペーマン。児童失踪事件の捜査を自分で行い、捜査が行き詰まるようにしたな。お前が警察の児童売買の犯人だ」

 ロビンは驚きと怒りが混ざった顔でライザを睨みつけた。

「署長が、児童売買の犯人……? なるほど、ヘイゼルさんが言えなかったのはこういう理由ですか」

「ブラック特別捜査官。アンバー警部補から報告を受けてきてみれば、ここで不法侵入したガキどもと何をしているのかね。それもフロッセ市警に銃を向けたそうじゃないか。犯罪者の味方をするとはどういうつもりだ!」

 まるで空気が怒っているような怒鳴り声だった。ルイはつい委縮するが、ロビンは彼を真っ向から睨み返す。

「私の任務はフロッセの犯罪を検挙すること。そのための手段と判断は、最終的には私が決めることになっている。貴方が犯罪者なら、逮捕するのが捜査官の務めです」

「何をバカな。私が犯罪者などと、まさかそこの侵入者たちの証言が証拠になると思うのか? 不法侵入者で、身分すら不確かな、たかが子供の言うことなど誰が信じる?」

「嘘を吐く子供かそうでないかは話を聞けばわかる。捜査官に必要なスキルです。その見分けもできずに子供という理由で証言能力がないと判断するのは、捜査官として劣っている証拠にほかなりませんよ」

 ロビンはルイと話すときは全然違う、硬質な声音で大人と対峙している。ロビンはああやって、子供だからという理由でバカにしてくる大人たちと戦ってきたのだろう。

 ミシェルがライザと向き直る。

「本当に証拠がないと思うのか? お前の取引先の院長のマメな性格と証拠を残す間抜けさに感謝しておくとしよう」

「何だと? 何のことを言っている!」

 ライザは少し動揺したようだ。

 ミシェルは人名らしき名前と金額を五つほど諳んじた。

 ライザの顔色はみるみるうちに蒼くなった。どうやら覚えのある名前らしい。売った子供の名前なのかもしれない。

「な、何故、証拠は全部消せと命じて……!」

 ミシェルは目を細めて笑った。

「何なら全部暗唱してそこの〈黒猫〉に覚えてもらっても、こちらとしては一向に構わんが。子供と思って甘く見たな」

「さっすが王立学院主席」

「おい、人の来歴を捜査官の前でばらすな」

 レブラスの野次にミシェルが釘を刺す。

「王立学院主席……って、まさか〈炎の魔術師〉!」

 ロビンが驚いた顔でミシェルを見た。やれやれといった様子でミシェルは肩を竦めている。

 ライザの見開かれた両目が血走っている。

「このガキども……! 警察は町の治安を第一に考える義務がある! ボロの浮浪児や犯罪者どもが闊歩していては治安に関わる。牢屋に奴らがいるだけでどれだけ金を食うと思っているのだ! それもロクに働くこともできんタダ飯食らいだ! だから引き取り先を探してやって仕事をさせているのだ! それで作った金を有効に使っているだけだ!」

 ミシェルがライザを睨みつける。

「金を得て引き取り先を探す行為を人身売買と言うのだ。子供が不当に働かされ、捨てられている状態では、〈孤児狩り〉をしたところで根本の解決にはならん。結局は危険なわりに低賃金で働く警察官の仕事をするより、簡単に稼げる児童売買に手を出しただけだ。正義で粉飾して自分を正当化しないと立っていられないのか?」

「そうよ。貴方の言うことは、みんな貴方の身勝手な言い分じゃない!」

 サフィアがライザを追撃する。

 エルマー・フレッドは貧しかったから、アルヴェンナ孤児院は経営が苦しかったから、ライザは低賃金だから、犯罪とわかっていて儲かる児童売買に手を出した。

 人は簡単に生きていけない。金がないと自分の生活も守れない。魔法使いというだけで捕まる。大人に利用されて見捨てられる――。

 色々な理由があって人が最後に選ぶ道。

 選ばざるを得なくて罪に走る。そんな道を選ばせるこの世界の仕組みだって理不尽だ。人を守ってくれるはずの法も罰からも、あぶれる者がいる。

 全員、色々な事情があってここに立っている。ライザだけが悪いわけじゃないのかもしれない。

 でも、犯罪を選ぶのは罪を犯した人たち自身だから、何かのせいにするのは間違っている。盗んだものも、ナイフで人を殺したのも、ルイが犯した罪だ。

 誰もが、正しいと思うことや譲れないものがある。

 叶えたい夢があったり、人生の目標があったり、守りたい家族や仲間がいたり、金や家を持って豊かになりたいと思っていたりする。

 きっと生きている人の分だけ正しいものがある。

 正しいもの同士がぶつかって、どっちかが負けたら、負けた方が悪者にされる。そうして表の道から追いやられて、そこから出られなくなってしまう。

 だからルイたちは、暗い路地裏で捻じ曲がった憎悪と悲しみと力を研ぎ澄ませてきた。いつか、自分たちを虐げてきた正義を壊すために。

 正義なんて、誰かが押し通した一方的な自己主張だ。

 ルイたちはずっと、「悪い奴を倒して弱者を助ける」という自分たちの思いを一方的に通して罪を犯してきたエゴイストだ。

 正義のヒーローなんてどこにもいなかった。

 ルイたちは、やっぱり悪者だ。

 そしてこいつらだって悪者だ。

 結局ルイたちは、誠実さとか、誰かを思いやることとか、悲しいことだとか、恨んだこととか、そういう心から湧くものしか持っていなくて、そこから湧き上がるどうしても譲れないもののために、戦い続けることしかできない。

 ルイは目の前の男を見据える。

 ルイのような親がいない子供を奴隷として売って、死ぬまで働かせて利益をむしり取る大人。

 ――こいつだけは許せない!

 はっきりしているのは、今はそれだけだ。

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