第4話 アジト
人気のない路地裏の、複雑に入り組んだ道の先。
路地裏に面した二階建ての建物が、ルイたちのアジトだ。
建物と建物の間に埋もれる目立たない扉が入口だった。
路地裏の建物の一部は放置されているものもあり、浮浪児や犯罪者が隠れ家にしているのだ。
アシルが先頭に立って、四回ノックをしてから扉を開けて中に入る。ルイも続き、扉を閉めた。
階段を上がった二階がアジトになっている。
少し傾いた長方形型のテーブルと、何脚かの壊れそうな椅子。あとはお湯を沸かせる崩れかけた暖炉のようなものがひとつあるだけ。眠る場所も藁を重ねてボロボロの毛布を敷いただけのもの。
屋根があって最低限の寝泊まりができるというだけで、孤児のルイにとってはありがたい立派な家だった。
窓は路地裏の側にひとつある。ほとんど人が通らないから外から見られる心配もないが、念のため窓は監視用の隙間を作って板を打ちつけ、人も立たないようにしていた。
暖炉の前に立っていたレブラスがこちらを振り返った。
レブラスは淡い青のフロックコートを着た、金髪の少年だ。
日銭稼ぎ中や日中外にいるときは、フロックコートも黒い軍帽も脱いでいるが、それ以外ではほとんど着ている。大事なものらしい。
涼しい目元が、親しげに細められる。アシル曰く「顔だけはそれなりにいい」とのことだが、ルイもレブラスのようにかっこいい人はほとんど見たことがない。
「アシル、ルイ、おかえり」
「ただいま、レブラス!」
ルイは返事をして、レブラスの方へ駆け寄る。彼はぎょっと目を丸くした。
「ルイ、その怪我はどうしたんだ?」
忘れていた。頬には先ほど警棒で打たれた痕が残っているらしい。自分の顔を探るように触った。熱くてまだ痛む。
アシルがルイと並んで立つ。
「ルイの奴が無茶したんだ。警官から鞄を盗んだ」
「何だって?」
レブラスも、先ほどのアシルのように目くじらを立てる。思わずルイは身を竦めた。
「いや、説教は後だ。ミシェル!」
レブラスは部屋の奥に向かって声を張る。
白いシャツにベストとコートを重ねた眼鏡の少年が部屋の奥から現れた。くすんだ金髪をひとつに括っている。むっとした表情の神経質そうな少年だ。
「ルイが怪我してる。手当てしてやってくれ」
「また派手にやられたな。聞こえたぞ? 警官から鞄を盗んだって?」
ミシェルも顔を険しくする。
「とりあえず座れ」
言われた通り、椅子のひとつにちょんと座ると隣にミシェルが椅子を寄せて座った。
一度ルイの顔を見たミシェルが頬にそっと触れる。
「腫れているな。熱もある。頬は痛いか?」
「まだ、痛い」
「頭が痛くはないか? くらくらするとかは?」
「大丈夫」
「喋るとき、口や頬が痺れているような感じは?」
「それもないよ」
質問の意味はわかるが、意図はわからなかった。ミシェルはルイの頬を強く触った。痛みが走り、思わず顔を顰める。
「骨は大丈夫そうだな」
ミシェルは立ち上がり、部屋の奥へ引っ込んだ。すぐに薄い布の包みを持ったミシェルが戻ってきた。
「サフィアが作った溶けない氷だ。これでよく冷やせ」
サフィアとはルイたちの仲間のひとりで、魔法使いの血を引いている少女だ。
「わかった。ありがとう」
布を受け取ると、布を通して冷たさが手に伝わる。ルイは頬に布を押し当てた。冷たくて少し痛むくらいだ。けれどじんじん熱を持っていた頬が急激に冷えて気持ちいい。
ミシェルが眉を顰める。
「まったく、何でまたそんな無茶をした?」
「アシルを手伝おうと思って……」
「お前だって、フロッセの警官がどういう奴らか知ってるだろう? 僕たち犯罪者はゴミのような扱いをされるんだぞ。捕まったら生きて出られないかもしれないんだ。特に子供と女はロクな扱いを受けない。もうこんな無茶するな」
「うん……」
年長のミシェルに叱られるのが一番堪える。
ルイはしょんぼりと項垂れた。傍にアシルがやってくる。
「ルイは大丈夫なのか?」
「内出血してるみたいだ。脳震盪や骨折には至っていないから、冷やして安静にすれば大丈夫だろう」
ミシェルは何でもよく知っている。医者には会ったことないけれど、ミシェルみたいに颯爽としていて頭がいいのだろうとルイは思う。
四回ノックの音が聞こえる。最後の仲間が帰ってきた。
ブラウスにショートパンツ姿の、雪みたいに白い髪をポニーテール風に結い上げた少女だ。籠に野草や果物を入れているから、町の郊外に出て採取してきたのだろう。
「あれ、アシルとルイ、帰ってたの?」
「ああ。ただいま、サフィア」
アシルが手を軽く上げるとサフィアはにっこり笑い、それから眉を寄せた。
「……アシル、血の臭いがするんだけど」
アシルは笑みを浮かべたままサフィアから視線を逸らした。
「そ、そうか? 気のせいじゃないか?」
サフィアがアシルの元まで迫って、アシルの胸元に鼻先を近づける。
「やっぱりする。アシル、また何かしたでしょ」
「いや、オレはかすり傷ひとつないって。怪我したのはルイ」
次いでサフィアはルイの顔を見て、目を見開いた。
「ルイ、どうしたの、その怪我?」
「いや、これは……」
警察から盗んだなんて知ったらサフィアも怒るだろうなあと思ってルイが口篭っていると、レブラスの声が聞こえてきた。
「よし、全員集まったな」
レブラスがマグカップ五人分を片手に、そしてもう片手に小鍋をテーブルに持ってくる。それを見て、全員がテーブルに集まった。五つ分のマグカップに小鍋の中身が注がれると、甘い匂いが立ち昇った。
「やった、ココアだ!」
サフィアが早速カップを取る。続いて全員がカップを取って、熱々のココアをそれぞれのペースで飲んでいく。
温かくて甘い。空腹にどろりと注ぐ熱い液体が、ルイの頭を甘さで満たす。
コーヒーハウスの手伝いをして日銭を稼いでいるレブラスは、ココアを淹れるのが上手い。おまけにコーヒーハウスで余った分のココアの材料を持って帰ってきてくれるので、五人でココアを食事がわりに飲むのが日課になっていた。
この五人のメンバーは警察に追われていて、表を真っ当に歩けない者ばかりだ。そのため出自を問われない場所で日銭稼ぎや下働きをすることでしか金を稼げない。
だからいつも貧乏で、パンや果物、肉を買って食べることなんてまずできない。日々のパンにも困るから、レブラスが持ち帰ってきてくれるココアはとても大切なものなのだ。
「――そろそろ〈ルペシュール〉の会議を始めよう」
ミシェルはマグカップを一度テーブルに置いた。
まずアシルが口を開いた。
「色々調べてきたぜ。フロッセで起きている児童失踪事件だけど、子供が突然行方不明になったと親が警察に訴えたのは五件だった」
レブラスが頷く。
「こっちも、コーヒーハウスに保管されていた新聞を見返した。アシルの言う通り。新聞発表は概ね事実のようだな」
アシルはレブラスの言葉を受けて続ける。
「その五件の家庭や周辺も調べてきた。父親が会社や工場で働いていて、母親は主婦か女工。子供はどこも十歳前後だったな。裕福そうじゃなかったが、生活が逼迫してる風でもなかった。特に変わったところもないし、共通点もなかったぜ」
サフィアはココアを飲み干してほっと息を吐いた。
「他にわかったことはあるの?」
そうだな、と言いながらアシルは続ける。
「どこの子供も、いなくなったとき外にいたらしい。夕方くらいまで近所で友達と遊ぶか何かしてた。で、いつも帰ってくる夕飯時に帰ってこなくて、母親が捜しに行ったがどこにもいない。それきりどの子供も見つかっていないみたいだ」
児童失踪事件。
今月の頭から、間隔を置いて五人の子供が失踪した。十歳前後の子供が忽然と姿を消し、まだ見つかっていないという。
まだ真相は不明だが、ルイたちルペシュールのメンバーは子供を攫った何者かがいると考えて捜査を進めていた。
アシルは唇に人差し指を当てた。
「あと、警察が鵜呑みにしないような噂話がひとつある。五人が消えた近所の子供たちが話してた噂でさ」
アシルはそう前置きしてから、その奇妙な噂を語った。
「――夕方、真っ黒で大きな野獣が現れる。それに声をかけられた子供は、そのままその野獣に攫われてしまう――」
確かに、大人たちが信じなさそうな話だとルイは思う。
「その噂が、消えた五人の子の周辺で流れてたってことなのね。他のところでは流れてなかったの?」
サフィアの問いにアシルは難しい顔をして唸る。
「そうだな……。噂自体は多くの子供が知ってるみたいだったけど、他のところはわからないな。でも、路地裏の浮浪児たちは知らないみたいだ。親のいる一般家庭の子供が噂して、本当に怖がってるって感じだったな」
子供を攫う野獣の噂と、児童失踪事件。
「コーヒーハウスの話題にはそういう噂はなかったな。子供の間だけで広まってるんじゃないか」
レブラスはコーヒーハウスで下働きをしつつ、そこで交わされる大人たちの会話を聞き集めている。その中に必要な情報が混じっていることがあるのだ。
ミシェルは腕を組み、眼鏡の奥の瞳を細めた。
「嫌な符号だな。子供の想像にしては、今回の事件とリンクしすぎている。子供を攫う恐ろしい存在を、町の子供は本気で恐れている。それが子供の恐怖が作った想像ではないのなら、誰かが子供を攫う何者かを目撃していたのかもしれないな」
「二日で洗った情報はこんなものだな」
アシルは報告を締め括った。
「よく調べたな」
レブラスの言葉に、アシルが得意そうに鼻を鳴らす。
「情報収集は〈アサシン〉の基本だからな」
アシルは、五人の中で一番情報収集が得意だ。
アシルはターゲットを暗殺する以外に、暗殺するために必要な情報を集める術にも長けている。それを活かして、ほとんどの情報収集を行ってくれていた。
ナイフや銃を持って人を殺そうとするときのアシルはとても怖い。明るくて気さくな普段とは違って、ナイフみたいに目が鋭くなる。
そのときだけ、ルイはアシルが苦手になるのだった。
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