第5話 子供を攫う野獣の噂

「それで、ルイは? 警官から何を盗んできたんだ?」

 レブラスに水を向けられて、ルイはずっと抱えていた黒革の鞄をテーブルの上に置いた。

「これが警察から盗んだ鞄だよ。大事そうに運んでいるのを見つけた。今回の事件に関係するものかはわからないけど」

「ルイったら、それで怪我したのね」

 サフィアが咎めるような視線を送ってくる。

「金輪際警察から何か盗むのは禁止だ」

 ミシェルにぴしゃりと釘を刺される。

「でもまあ、ルイのおかげで情報が倍になるかもしれないんだぜ? もう過ぎたことだろ?」

「アシルはルイに甘すぎないか? 下手したら捕まってたんだぞ?」

 レブラスも難色を示す。

 やっぱり無茶しすぎたのだと、ルイは心から反省する。

 弟のように可愛がってくれるみんなの役に立ちたいと思ってしたことだが、怒られたり、心配させたりするためにこんなことをしたのではない。

 ミシェルが鞄の中から紙束が入ったファイルを取り出す。そのままファイルを開いて中身を物色していく。

「……これは児童失踪事件の警察の捜査資料だ。偶然だな。新聞やアシルの調べと違うことは書いてないな。それにしても情報が少ない気がするが……」

 ミシェルは独り言を呟きながら、資料の内容に触れる。

 続いてレブラスがミシェルから資料を受け取って、目を通した。アシル、サフィア、ルイへと資料が回ってくる。

 ルイには、大人が書いた書類なんてほぼ何が書いてあるのかわからない。どうして大人は、小難しい言葉や言い回しばかり使いたがるのだろう。読む気が失せる文章なんて、何の意味もないのに。

 サフィアが独り言のように呟く。

「けど、何で一般家庭の子供なんて狙ったのかな。路地裏には孤児や浮浪児がたくさんいるのに」

 ミシェルが投げやりな動作で手元に戻ってきた資料をテーブルに置いた。

「孤児たちには警察が目を光らせている。〈孤児狩り〉が盛んなようだからな。かち合わせる危険があったのだろう」

 警察に捕まる危険があるから、孤児や浮浪児たちは路地裏の侵入者に常に気を配っている。警察や一般市民など、普段路地裏に入ってこない者が入れば素早く身を隠すものだ。孤児たちは一般家庭の子供より捕まえにくいのかもしれない。

「特に気になることは他に書いてないな。フロッセ市警の署長が直々に捜査しているのか。メモと署名まであるのに、内容は大したことがないのが少し妙だな。これが捜査資料だとしたら、お粗末だな」

 ミシェルはそう言い捨てた。

「そんなあ……」

 ルイはがっくりと肩を落とす。みんなの力になろうと盗んだのに、成果がないならほとんど無駄だったことになる。

「ほんとにもう何もないのかよ」

 アシルが黒革の鞄を手に取って、それを逆さにして上下に振った。すかさずサフィアが止める。

「アシルったら、そんなことしても資料は全部出して……」

 紙の切れ端が鞄からひらひら落ちてきた。折り畳まれたそれをレブラスが手に取って開いた。

「……『黒猫を捜査から省いてやろうぜ』? 何だこれ?」

「黒猫? 警察署って猫を飼ってるの? いいなあ」

 サフィアは一際明るい声を上げる。ルイもそうなのかと思ったが、レブラスはさっと顔色を変えた。

「〈黒猫〉だって? まさか、黒い制服の山猫のことじゃないだろうな。もしそうなら、王都からエリート警官が来たってことだぞ」

「どういうこと?」

 ルイはレブラスが動揺した意味がわからなかった。

「王都には第一級凶悪犯の逮捕を専門にする特別警官がいるんだ。黒い制服は奴らの特徴だ。その中でも最年少で入ったエリートが、通称〈黒猫〉のロバート。凶悪犯を次々捕まえて、手柄を立ててる優秀な警察官だって聞いたぞ」

 ミシェルがレブラスの言葉を受け取る。

「僕も〈黒猫〉のことは聞いたことがある。フロッセは近頃犯罪が増えてきたし、その対策で送られてきたのかもしれないな」

「もしかして、あたしたちも捕まっちゃう?」

 事態を把握したサフィアが不安そうにメンバーを見渡す。

 場が一度静まる。

 レブラスがまず口を開いた。

「なあ、仕事量を減らした方がいいんじゃないか? 〈黒猫〉がいる今、迂闊に動くと捕まりかねないぞ」

 アシルが腰を浮かせてレブラスを睨む。

「いや、この町には困ってる奴らがまだまだいるんだぞ。児童失踪事件だって解決してない。オレたちがやらなくて、誰が悪人をやっつけるんだよ」

「でも、警察はあたしたちをただの犯罪者だと思ってる。見つかったら逮捕されるんだよ?」

 サフィアがアシルの腕を引っ張った。

 警察にとって、ルペシュールはただの犯罪者集団だ。

 町の人たちはルペシュールを正義のヒーローだと思ってくれている。けれど、どんなに正義を掲げたって警察には伝わらない。捕まれば、ルペシュールはその時点でただの犯罪者になってしまう。

 再び場が静まる。

 みんな、何が正しいのかを考えているのだ。

 ミシェルが重々しく口を開く。

「……みんなはどうしたい? このままルペシュールとして活動を続けるか? それとも、これを機にやめてしまうか?」

 アシルが即答する。

「オレは続けたい。子供はまだ見つかってない。五人もの子供が急に消えるなんて、子供の個人的な事情だけだとは思えない。悪い大人が絡んでるに決まってる! オレは事件をどうにかして子供を助けたい!」

 ルイも頷く。

「オレも! オレもどうにかしたい。子供が消えてるのは、絶対に大人が関係してると思う。子供を利用する悪い大人がいるなら、オレ、黙ってられないよ!」

 嫌だった。力のない子供が大人に好き勝手に利用される状況がとてつもなく嫌だった。

 子供を食い物にして利益を貪る汚い大人。豚より貪欲で、猫より狡猾で、犬より利益に忠実で浅ましい。

 警棒で打たれた部分がどくどくと脈打つ。大人への純粋な怒りと軽蔑でルイの頭がかっと熱くなる。

 レブラスは真っ向から反対する。

「あの〈黒猫〉がいるんだ。今はまずい。事件をどうにかしたいのはオレも一緒だけど、捕まったら何もかも終わりなんだぞ! 少し様子を見るべきだ。今回はやめた方がいい」

 サフィアも遠慮がちに言い募る。

「あたしも、危ないことはやめた方がいいと思う。みんなで今まで通り一緒にいたいよ。捕まるのは嫌。犯罪者だって、勝手に決めつけられるのは嫌だよ!」

 四人の言い分が終わって、全員が最後のひとりに視線を集中させた。ミシェルは四人それぞれの意見を聞いて、そして全員を見渡して口を開いた。

「……今まで、僕たちはルペシュールとしてできることをしてきた。警察にはできないことをだ。この前だって麻薬密売を止めた。それは間違ったことじゃない。今回だってきっと止められる。その思いだけは全員一緒のはずだ」

 それには全員が頷く。

「サフィアもレブラスも、止めるのはリスクが大きいからだろう? 〈黒猫〉もいる。警察もルペシュールを捕まえようとしている。捕まるのが嫌なのも、全員一緒だ」

 ルイは今朝のことを思い出す。

 警察に捕まりかけて、殴られて、絶望しかけた。

 警察に屈するのも、ただの犯罪者として扱われるのも、殴られるのも牢屋に入るのも、嫌だ。

「まず、児童失踪事件の真相を突き止めないか? 子供は誰かに攫われたのか、他の要因があるのか。子供は今どこにいるのか。どこでどうやって行方をくらましたのか。そういう真実をまず突き止めよう。それからどうするか決めることだってできる。犯人に裁きを下すことも、それとなく警察に捕まるよう罠に嵌めることも。家出した子供を親元に返すだけになるかもしれない。真相によって、すべきことは変わるはずだ」

 レブラスは、確認するようにミシェルに問う。

「……もちろん、真相解明も慎重にやるよな?」

「当たり前だ。僕たちは誰も捕まらない。そのためにやるんだ」

「わかった。それならオレも納得できる」

 レブラスは頷き、真相解明まではやろうと言ってくれた。

 サフィアはまだ不安そうだ。捕まるのも嫌だと言っていたが、ひとりで作戦を外れることも嫌がるだろう。

 サフィアは寂しがり屋なところがある。男の中に混じって悪人を懲らしめるのを一緒にやると言ったくらい、サフィアは気丈だ。

 善良な市民や弱者が、富裕層や権威者に一方的に虐げられていることに、サフィアも憤っている。ただひとりぼっちになるのをいつも嫌がる。

「……わかった。みんなが決めたことなら、あたしもそうする。でも、危ないことは絶対ダメだよ」

 サフィアは四人に念を押す。

 話を切り替えるようにミシェルが切り出す。

「よし。それじゃ、もう少し情報を集めよう。レブラスは勤め先のコーヒーハウスでいつも通り情報収集。アシルは、子供が攫われた場所の周辺で何かなかったか洗ってくれ」

「んじゃ、早速当たってみるぜ」

 アシルが真っ先に立ち上がって先に行ってしまう。アシルがアジトから出ていってから、サフィアが首を傾げる。

「あたしとミシェルとルイは?」

「僕たちは待機だな。情報収集でできることは少ない」

「サボリだな」

 レブラスが叩いた軽口に、ミシェルの眼鏡の奥の瞳がきっと鋭くなる。レブラスは逃げるように、テーブルの上のカップを片づけにかかった。

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