第6話 手品師の人形劇
まだ街灯も灯らない、けれど決して明るくはない時間帯。
辺りの闇が濃くなり、夕暮れが夜に侵され始める頃だ。
フロッセの町では公共の乗合馬車が走るほか、富裕層私物の馬車も通るため、道が石できれいに舗装されている。だから道路と歩道は分かれている。大通りや公園、劇場などの公共施設がある通りは、歩道もそれなりに広い。
そんな広めの歩道で、手品師が集まる子供相手に興行していた。数人の子供たちが集まり、手品師を囲っている。
手品師はその辺の男の通行人と変わらないシャツにくすんだジャケットを合わせた服装だった。ただ、白いピエロ顔の仮面を被っている。目の周りは青い星形で、鼻の頭と唇が赤い。にんまり笑った仮面だけで、その人が手品師であることが遠目からでもわかる。
ルイの目にあの仮面は、素顔を隠した得体の知れない不気味なものとして映った。ルイは手品師の近くの建物と建物の狭い路地から、手品師の様子を窺っていた。
立てたトランクを舞台に見立て、トランクの上に真っ黒な獣の人形と少女の人形が向かい合って立っている。
手品師は人形を吊る糸を両手で器用に操り、人形劇をしているらしい。手品師が人形を操りながら、仰々しく台詞を読み上げていく。
「やあ、お嬢さん。どちらへ行くんだい? もうすっかり暗くなっているじゃないか。この辺りには、子供を攫う怪物が出るって言われているんだよ?」
「でも、わたし、おばあさんのお家に行かなくちゃならないのよ。おばあさんはご病気なの」
「それは大変だね。よかったら送っていってあげよう」
手品師が指を手繰り、少女の前を真っ黒な獣が先導する。
「ねえ、野獣さん。何だか人のいない道に入っていくわ」
「こっちの方が近道だよ、お嬢さん」
真っ黒な獣が少女に飛びかかり、その首に食らいついた。
「キャアー!」
少女の人形は、トランクの舞台の上でばったりと倒れた。子供たちの間でも怖がる声が上がる。
「――さあ、子供を攫って食らう野獣がまた子供を食べてしまった! そんな野獣をやっつけるのは……?」
少女を手繰っていた手が、別の人形を後ろから取り出した。黒い服を着た少年らしき人形だ。
「野獣を止めるべく現れたのは、大人顔負けの少年探偵! 探偵はどうやって野獣を捕まえるのか? さあ、続きはまた今度だよ!」
手品師の口上に、子供たちは「えーっ」と不満の声を上げる。手品師はにんまり顔の仮面で子供たちを見渡す。
「さあさ、日も暮れてきた。早く帰らないと、子供を攫う野獣が出てきてみんなを攫っちゃうよ!」
子供たちは半分楽しそうに、あとの半分は怖がって「きゃーっ」と言いながら手品師の前から散っていった。
ずっと様子を見ていたルイの傍に、アシルとサフィアが立つ。アシルが腕を組んで手品師を睨んだ。
「どうだ? 子供相手の人形芝居って、子供が次々襲われるような内容にするか? 調べた感じ、子供たちの間に広まってる野獣の噂、出どころはあの手品師かもしれないぜ」
「それ、ほんと?」
サフィアがアシルへ首を巡らせる。
アシルは頷いて、コートの内ポケットから折り畳んだ紙切れを取り出して広げる。
「あいつの部屋に行ってきた。そこにあった興行のスケジュール予定だ」
「盗んできたの?」
サフィアの疑うような視線に、アシルは不満げに眉を寄せながら紙片を広げて見せてくれた。
「書き写したんだ。さすがに盗ったらバレるだろ。それより見ろよ。あいつは手品の興行をするために、いくつかの地区を順番に巡ってる。内訳にもあるけど、あいつはその興行のすべてにあの人形芝居を入れてる」
「つまり、どういうことなの?」
ルイはアシルを見上げる。
「オレもミシェルから聞いただけだけど」
アシルは苦笑しながらそう前置いた。
「フロッセのあちこちの子供だけにあの野獣の噂話が広まってるのはおかしいだろ? フロッセは結構広いし、子供だけでそんなに遠く遊びに行けない。だから地区を跨いで移動して、噂を広めてる奴がいるかもしれないってミシェルが言ったのさ」
「そっか。それがあの手品師かもしれないってことね」
サフィアが手を打って納得した様子を見せる。
「ここからが本題。この興行スケジュールだと、十一月の頭からずっと人形劇をしている。五人の子供が消えた地区と、このスケジュールに書かれた興行場所と時期は一致するんだ」
今度はルイにもわかった。
「あ、わかった! その手品師が仕事した地区の子供が消えてるってことでしょ? だからあいつが怪しいんだ」
「まあ、そういうことだ」
アシルは笑ってルイの頭に軽く手を載せた。
「ミシェルとレブラスは別の場所であいつを張ってる。オレたちもあいつを追うぞ」
興行の終わった手品師が人形と仮面をトランクに仕舞い、トランクを手に移動を始めた。見失う前に動かねばまずい。
三人は一緒に、手品師から少し離れて尾行を始めた。
「ねえ、そういえば、あの手品師の名前は?」
サフィアが歩きながら尋ねる。アシルはたったひと言だけ。
「エルマー・フレッド」
勤め人が帰宅のために町に溢れる時間帯。
街灯が灯り始め、町が宵闇に沈む。工場で栄える町が治安の悪い夜の町へと変わっていく。昼は暗がりに潜んでいる危険な奴や犯罪者が、闇が広がるにつれて町に出てくるのだ。
慣れた路地裏でさえ不気味なものに変わる。
今はアシルたちがいるから大丈夫だが、ルイはひとりのとき、夜にアジトから出ないようにしている。
次第に日が暮れる。
空に残った残照さえ消えて、町に闇が立ち込める。
大通りにある街灯だけでは、闇にのさばる犯罪者を止めることはできない。
建物の窓から明かりが漏れている。
ルイは外から見る家の中の風景が苦手なので目を背ける。
手品師エルマー・フレッドはトランクを手にしたまま歩道を歩いていく。
ルイたちは少し離れ、路地裏を使ってエルマーを尾行した。
ミシェルとレブラスは、アジトを出る前ルイたちに言った。
エルマーは怪しいが、まだ犯人だと確定したわけではない。
だから、まずはエルマーが子供を攫っている犯人だという証拠を掴むか、犯行の現場を押さえるしかない、と。
犯人かそうでないのか、確信できるものが今は必要だった。
アシルはエルマーの部屋に侵入した際、色々探ったらしい。だが、決定的な証拠になるようなものは発見できなかったそうだ。探るには時間が少なく、何とか興行スケジュールのみ入手したのだという。
勤め人たちが歩く中にエルマーは紛れている。仮面を外せば、通りを歩く一般人と変わりない。
エルマーは一度ある建物に入った。
そこは手品師同士が集まる建物だとアシルが教えてくれた。どうやらそこで他の手品師仲間と交流したり、興行地区の分担を取り決めたりしているらしい。
しばらくするとエルマーが出てきた。
正面から初めて顔を見る。おじさんというほどでもない、それなりに若い茶髪の男だった。いよいよ空が暗くなってきた。彼を見失わないようにしながら追う。
公園の前をエルマーが通りかかる。公園には植え込みや植樹があるから、外から見ればすぐ公園だとわかる。
黒い鉄柵に囲われている小さな公園。子供たちが遊び、大人たちが緑に囲われてのんびりと憩う場所だ。昼間は賑やかな場所だが、夜間はほとんど人の出入りはないだろう。
街灯もないし、緑が覆っているせいで通りより暗い。
エルマーは辺りを一度見回してから、その公園へと素早く入り込んだ。
ルイたちは顔を見合わせる。明らかに寄り道だ。暗い、人気のなさそうな公園に一体何の用があるのだろう。
ルイたち三人は頷き合い、その公園に入ることにした。
植物が多いから、物音さえ立てなければ隠れて様子を窺うには申し分ない。ルイとサフィアは植え込みの低木の後ろに隠れ、アシルは木に背をぴたりとつけて公園内の様子を探る。
木々や低木、花壇が夜の中で黒い影と化している。
その向こうにエルマー・フレッドと、もうひとり別の大人がいることに気づく。二人は向き合って話をしている。
ルイは耳を澄ませるが、会話のすべてを聞き取ることは無理だった。
「……これで、この前の……」
「少なすぎじゃ……」
「いや、……子供の、値段としては……」
――子供の値段!
ルイは思わず身を乗り出して叫びそうになる。
サフィアが腕を引いてくれなければ叫んでいたかもしれない。けれど低木にルイの腕が触れ、枝葉が揺れてしまった。
二人の男がばっとこちらを振り返る。
「誰かいるのか!」
「……っ!」
ルイは口を両手で塞いで、息を詰めて身体を硬直させた。
静まり返る公園で、ぴんと張りつめた空気が場を支配する。
二人が気になってこっちを確認したらどうしよう。もし見つかったら、児童誘拐の決定的な証拠を掴めなくなるかもしれない。そうなったらルイのせいだ。
そのとき、ルイたちの後ろにある木から鳥が飛び出してきた。思わず心臓が跳ね上がる。
葉が揺れる音と鳥の羽ばたきの音が公園内に響いた。
「……何だ、鳥か」
男のどちらかがそう呟いた。どうやら難を逃れられたようだ。両手で口を塞いだまま、内心ほっと安堵する。
二人の男は話を再開した。
「とにかく、これで……」
名前もわからない男が、エルマーに封筒のようなものを渡している。エルマーは暗がりでもわかるほど口元ににやりと笑みを作った。
「助かるぜ」
「次の……、はいつだ?」
「次は地区を変えて……、それから……後で……」
「女が……。……に売れるから……」
「善処する」
男たちはいくつかやり取りを交わすと別れた。
男が去ってから、エルマーは貰った封筒の中身を取り出して確認する。暗いからわかりにくいが、形と確認の仕方から札束だろうと思われる。かなり分厚い。相当の金額だろう。
エルマーは札束を封筒に戻し、トランクの中に仕舞って公園を後にした。
残ったルイたちはエルマーが完全に見えなくなってから低木の陰から出る。
「あたし、ちゃんと聞こえた。『子供の値段はこれくらいが妥当だ』って!」
「決まったようなもんだな」
アシルとサフィアはエルマーの去った方向を睨んでいる。
「今のは取引だ。やっぱりエルマー・フレッドが子供を攫っている犯人だな。そして、攫った子供を売り飛ばして大金を貰ってるんだ!」
サフィアは頷き、両手で握り拳を作った。
「間違いないよ。許せない! 子供を物みたいに売るなんて」
ルイも同じ気持ちだ。アジトへ帰って報告をしよう。
もう、こんなことは終わらせるのだ。
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