第7話 アサシン

 アシルは元々、フロッセの町の成金に買われた奴隷だった。

 戦災孤児だったアシルには身寄りがなく、行く先々で売買を繰り返され、フロッセに辿り着いた。

 奴隷は大人も子供も悲惨な生活を送る。工場で疲れ果てても働かされ、まともに食べることも眠ることもできない。

 家畜でも飼うような狭い寝所に他の奴隷と一緒に押し込まれ、鞭で叩かれながら死ぬまで働かされる。

 アシルがそんな生活から脱したのは、師との出会いがきっかけだった。

 成金の元で働いていた凄腕のアサシン。それが師だった。

 老いていた師は、自分の知識と技術を受け継ぐ者を探していて、無数の奴隷の中からアシルを選んだ。

 惨めな奴隷の生活から脱することができたことと、ひとりでも生きていく力を手に入れたことに関しては、アシルは師に感謝している。

 だが、よき師、よき親がわりではなかった。

 師はひたすら技術を継承させることだけを考えていた。

 だから何かを教えられるとき以外に会話はなく、失敗すれば激しく叱られ、殴られた。

 読み書き、格闘術、ナイフ術、銃の扱い方、潜入の仕方、相手に気づかれない歩き方、情報収集の仕方、サバイバル術、人体の構造、急所の場所、人の殺し方、拷問の仕方……。

 多岐にわたる教育は短期間でアシルに叩き込まれた。そうしてアシルは、凄腕と呼ばれた師の技術を受け継いだ。

 引退した師にかわり、アシルは成金からの依頼で暗殺や情報収集を行うようになった。アシルが仕事に慣れた頃、師は老衰で死んだ。悲しくはなかった。

 いくつもの仕事をこなし、アサシンとして名の上がったアシルを捕まえようと警察が動き出した頃、アシルは雇い主から切られ、警察に売られた。

 居場所をリークされ、危うく捕まりかけたのだ。

 利用されるだけされて、アシルは捨てられた。大人の都合で売られ、働かされ、訓練を受け、殺し、凶悪犯になった。

 奴隷だった頃と何も変わらない。

 アシルはどこにいても、大人の道具だった。

 アシルは雇い主と追ってきた警官を殺して、そのまま町に住みついた。食べていくためにアサシンの仕事も自分の意志で行い、生計とした。罪は重なるだけ重なっていった。

 そのうち、警察に追われていたサフィアを助け、ミシェルやレブラス、ルイとも出会い、五人でルペシュールを作った。

 そのとき、誓い合った。

 自分たちと同じような子供や弱い立場の人たちを、悪いことをしている大人から助けよう、と。

 アシルたちはみんな、大人の都合と勝手で犯罪者に仕立て上げられ、人生を捻じ曲げられた。

 メンバーは境遇を同じくする大切な仲間だった。

 奴隷の売買や奴隷を使った工場経営などで富を得る成金や豪商、子供や女性を狙う人攫い、あらゆる犯罪者。

 とにかく悪いことをしている奴らを、この力で懲らしめてやると決めた。

 ルペシュールはそのために作られた。

 アシルはそのために行動する。

 児童失踪事件を追うのも、犯人がか弱い子供を攫っているからだ。悪い奴だから、ルペシュールとして犯人を見つける。

 アシルは自分の意志で悪い奴と戦う、ルペシュールの毎日を気に入っている。

 ルペシュールは仕事をするとき誰かから依頼を受けるわけではないから、報奨金などは一切手に入らない。町で起きている事件の中から未逮捕で、大人が関わっているものを選んで仕事にしているのだ。アサシンの頃と比べて稼ぎはほとんどないが、仕事をやっていこうと思える。

 ルペシュールが活動を始めてほぼ半年。これまでも連続殺人鬼や麻薬の密売人などを見つけて戦ってきた。

 次のターゲットは児童失踪事件の犯人。これまでと同じように、アシルはターゲットになった者と戦うだけだ。

 自分の持ちうる力を使って戦って、そして殺す。

 ルペシュールとして、アサシンとして、狙った者は警察に捕まえさせるか、殺す。情報を集めるのも、効率よく殺すための下準備に過ぎない。

 そして殺すことは、アシルにとってはただの仕事だ。

 簡単な、時には難しい、アサシンという職業として必ずやり遂げるべき仕事の成果に過ぎない。

 レブラスやサフィアは、殺すのはやりすぎだとよく言う。

 二人は、人の命を他の何にもかえられない、大切なものだと思っている。

 アシルにはその考え方がよくわからない。

 たくさんいる人間の、クズばかりの大人の命の一体何が大切なのか。大人など、子供を食い物にして金と腹を肥やすだけの汚い奴ばかりだ。

 アシルを雇っていた成金も、今まで殺してきた富豪や会社員も、師すらも。そして凶悪犯を捕まえるべき警察も。今まで見てきた大人でまともな奴はひとりとしていなかった。

 だから躊躇わない。しかるべき場所にナイフを突き立てるだけで潰える命という脆いものを、アシルは顧みたりしない。

 ポケットから、一番使い慣れた折り畳み式のナイフを取り出す。

 黒コートの中には外から見えないようナイフや暗器、銃をいくつも仕込んでいる。銃はひと通り扱えるが、小さい銃しか持ち歩いていないし、状況によっては発砲音を気にしなければいけない。よく使うのは音もなく殺せるナイフだった。

 月光を受けて銀色に光るナイフを見つめる。

 仕事の前の緊張感は嫌いじゃない。冬の夜より冷たく研ぎ澄ました殺意と張りつめた緊張感が、アシルの手のナイフに映し取られるように冷たく光っている。

 夜のフロッセは、アシルにとって馴染んだ景色だ。

 身を隠すための暗がりも、同じように暗がりから暗がりへ移動するような犯罪者たちの姿も、息を詰めて殺意を高める自分自身も、みんな夜のフロッセの景色のひとつだ。

 故郷のないアシルには、犯罪者たちも、闇も、汚泥とカビの臭いも、この世で一番馴染みのある光景だ。

 一緒に路地裏に潜むルイは、不安そうな顔をしている。

 メンバー最年少で、元々奴隷だった盗人のルイを、アシルたち他の四人は弟のように思っていた。

 協力はしてくれるが、殺しとなるとルイとサフィアには手伝わせないようにしていた。これまで二人だけは手を汚したことがないので、ルペシュールの仕事でも汚れ仕事はさせないと他の三人で話し合って決めているのだ。

 夜のフロッセを出歩くことが少ないからか、ルイは気味悪そうに、しきりに周囲を気にしている。震えているようだ。

 十一月に入って少し経つ。フロッセは北の辺境にあるから、かなり寒い。アシルはナイフを扱う手さえ動かせれば寒さは気にならないが、ルイは違うのだろう。

「そうだ、ルイ」

 アシルは気にかかってルイに声をかける。ポケットから小さいナイフを取り出して見せた。

 途端に、ルイの顔が青白くなったように見えた。ルイは目の前で刃物を扱われるのが苦手らしい。

「……なに? なんでナイフ?」

「お前も一応武器を持ってた方がいいかもしれないぜ」

 ルイが前線に立つことはないだろうが、護身用にはなる。

 アシルは銀色に輝くナイフをルイに突き出すが、ルイはぶるぶる首を横に振った。

「む、無理。オレ、ナイフの使い方なんか知らないし」

「大丈夫だって。すぐ慣れるよ」

「や、オレ、ナイフとか刃物、ほんと苦手だから」

「わかったよ」

 不安が紛れるかと思ったが、逆効果だったみたいだ。

 アシルはナイフをポケットに仕舞った。ナイフが目の前から消えて、ルイはほっと息を吐く。

 本当に苦手みたいだ。人を殺す道具だから怖がるのはわかるが、それにしても怖がりすぎている気がする。

「んじゃ、オレ、上張ってくる」

 アシルは助走をつけてから壁を駆け上がり、窓枠や柱に掴まって屋根の上へと軽々登っていく。

 建物の屋根まで上がるのも、屋根から屋根へと移動するのも身につけた技術のひとつだ。

 アシルは屋根の上から通りを見張る。

 ルイたち他のメンバーは路地に隠れて、この人通りの少ない道を見張ることになっている。

 三日前に見つけた、エルマー・フレッドと男の取引現場。

 手品師のエルマーは手品の興行をしながら子供を攫い、子供を男に売り渡して金を得ている。

 アシルたちはアジトに帰って、エルマーのことを話し合った。そのとき、ミシェルは吐き捨てるように野獣の噂についての推測を話した。

「あんな人形劇を興行して噂を流していたのは、子供の恐怖心を煽るのが目的だろうな。そうやって怖がった子供を言葉巧みに誘い出すのだろう。手品師ならば、子供と一緒にいてもそこまで不審には思われないだろうしな」

 ルペシュールの活動に消極的だったレブラスも、エルマーが誘拐の犯人だと知るとサフィアのように許せない、何とかしようと言った。レブラスは真面目で慎重だから、警察に目をつけられるくらいなら様子を見た方がいいと言った。だが、彼は人一倍正義感が強いから子供を売り物にするエルマーをどうしても許せないのだと思う。

 ルペシュールのメンバー五人は、夜中の人気がない時間を見計らって、エルマーの部屋の近くに潜んでいる。ほとんど暗闇に近い道だが、アシルは夜目が利く。

 フロッセの街灯は、大通りや主要な道、成金たちの豪邸の前などに設置されている。まだまだ人通りの少ない道や住宅街にはそれほど普及していない。

 通りを照らしているのは民家の光が漏れる窓だけだ。

 そんな光で通りを明るく照らせるはずもなく、通りや建物の輪郭がかろうじて判別できる程度の光量が、闇に圧し潰されそうになっていた。

 下ではサフィアが通りを覗き込み、レブラスは剣に手をかけながら黙って通りを窺っている。ルイは不安そうにしているが、ミシェルは落ち着いたもので、腕を組んでひたすら待っている。メンバーはじっと、来るかもしれないそのときに備えて黙っていた。

 アシルは屋根の上から通りを見下ろす。夜に沈む暗い道で、足音が聞こえてきた。歩いてくる相手を確認する。

 派手な服を着た女だった。長い髪を複雑な結い方をしていて、胸元を大きく開けた服を着ている。娼婦だろう。

 街娼は見慣れている。夜の町にはどこにでもいる。

 フロッセは急激に発展した分、その影では様々な闇を抱えている。あちこちにある私娼窟もそのひとつだ。

 貧困層も多いこの町で、身体を売って生計を立て、必死に生きている女は多い。

 娼婦は、表向きは警察が取り締まるべき存在だが、女たちが取り締まりの網を掻い潜っているのと、真面目に取り締まりがされていないのとで、娼婦は夜の町に蔓延っている。

 噂では取り締まるべき警察がこうした女を買っているという話も聞く。何も知らない少女を騙して売り払う女衒もいる。

 大人は女も食い物にする。娼婦という職業自体に思うところは何もないが、女を弄ぶ大人を汚いとは思う。

 娼婦が鳴らす靴音が遠ざかっていく。

 沈黙が訪れ、しばらく。

 通りを張っていたアシルの視界に、背を丸めるようにして歩く男が入ってきた。

 エルマー・フレッドだ。

 下宿先の部屋から出てきたばかりだろう。仮面もつけていないし、トランクも持っていない。

 ただ大きな細長い袋を肩に担いでいる。

 周囲に誰もいないことを確認して、エルマーはその荷物をどこかへ運ぼうとしているようだ。

 こんな夜中に、人目を気にしているところを見ると、よからぬことをしようとしているのは明白だ。

 ミシェルの推測が当たった。

 エルマーが取引相手と会って五人の子供の料金を受け取ったということは、攫った五人の子供を引き渡した後のはずだ。

 ならば、更なる利益を求めて子供を攫おうとするはず。

 もしくは既に攫った子供がいるなら売るところに連れていくだろう。今日はその現場を押さえるつもりだった。

 脅そうが眠らせようが、子供を数人も抱えていくことはできないし、馬車や荷車では夜でも目立つ。それなら攫った子供をこっそりひとりずつ運ぶはず。

 エルマーを張って三日目の夜。

 子供が消えたと訴えた母親がひとりいたことは今朝の調べでわかっている。もちろん、そこはエルマーが手品の興行をしていた地区だ。

 子供を運ぶ現場を押さえれば、相手も言い逃れはできない。今夜中に片をつける。

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